響子そして(八)解脱
2021.07.12

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(八)解脱

 意識の遠くでサイレンの音が鳴っている。
 冷たい感触はコンクリートか。
 どうやら成功したみたい……。
 どれほどの時間が経ったのだろうか……。
 微かに聞こえる器械が触れ合う音。
 声も聞こえるが、目は見えない。真っ暗闇の世界。

「どうですか? 先生」
「大丈夫だ。まだ生きているぞ」
「え? ほんとうですか」
「見ろ、わずかだが脳波が出ているぞ」

 誰かが何か、喋っている。
 まさか、逃亡失敗?
 連れ戻されて、また覚醒剤を注射されたのか。

「ほんとうだ。波が出てる。良かったあ……。死なれたら、磯部さんに申し訳がたちません」
「まだ、安心するのは早い。波が出ているというだけじゃ。どうしようもならん」
「先生なら、きっと助けて頂けると思って、運んできたんですから。この、あたしだって生き返らせてくれたじゃないですか」
「真樹の場合は、たまたま運が良かっただけだよ」

 だめ。言葉が判らない。覚醒剤のせいで、言語中枢がいかれちゃったのかな。
 どうやら機能しているのは、聴覚神経に繋がる部分だけみたい。

「お願いしますよ。何でもしますから」
「じゃあ、今夜どうだ?」
「こんな時に、冗談はよしてください」
「判っているよ。そんなことしたら、真樹の旦那の敬に、風穴を開けられるよ。しかし……素っ裸で、飛び降りるとは……、おや?」
「どうなさったんですか?」
「この娘……。性転換手術してるじゃないか」
「あ、ああ。言い忘れていました。その通りです。さすが先生、良く判りましたね」
「わたしは、その道のプロだよ。人造形成術による膣と外陰部だな」
「わたしと、どっちが出来がいいですか?」
「もちろん真樹の方に決まっているだろう。第一、移植と人工形成じゃ、比べ物にな
らん」
「そうですよね。どうせなら、その娘も本物を移植してあげたらどうですか?」
「免疫の合う献体がでなきゃどうにもならんだろ」
「でも、何とかしてあげたいです。あたしと敬がもっと早くに『あいつ』を検挙していれば、母親がああならなかったし、この娘がこうなることもなかったんです」
「それは麻薬取締官としての自責の念かね」
「この娘には幸せになってもらいたいです」
「そうだな……。それはわたしも同感だ」
「せめて……」
「いかん! 心臓の鼓動が弱ってきた。少し喋り過ぎた。治療に専念するよ」
「あたしも手伝います」
「薬剤師の免許じゃ、本当は手伝わせるわけにはいかないんだが、ここは正規の病院じゃない。いいだろう、手伝ってくれ。麻酔係りなら何とかできるだろう」

 一体、何の話しをしているのだろうか。
 せめて目が見えれば状況がわかるのに。
 どうして何も見えないのかしら。真っ暗闇。

「脈拍低下、血圧も低下しています」
「強心剤だ! G-ストロファンチン。酒石酸水素ノルエピネフリン注射」
「だめです。覚醒剤が体内に残っています。強心剤が効きません! 昇圧剤も効果なし」
「なんてことだ!」
「心臓停止寸前です。持ちません」
「胸部切開して、直接心臓マッサージするしかないが……」
「覚醒剤で麻酔は利かないですよ。ショック死します。とにかく、覚醒剤が効いている間は、一切の薬剤はだめなんですから」
「わかっている!」

 緊迫した空気が流れているようだった。
 ビリビリとした震動が鼓膜を伝わってくる。

「人工心肺装置に血液交換器を繋いで、血液交換する。とにかく体内から覚醒剤を早く抜くんだ」
「血液交換って……。彼女、bo因子の特殊な血液なんですよ。全血の交換となると、B型でもO型でも、そのどちらを使っても、抗原抗体反応が起きる可能性がありますよ」
「O型でいい。一か八かに掛ける!」
「先生。ほんとうに大丈夫ですか?」
「やるしかないだろう! ちきしょう。生き返ってくれ!」

 ああ……。だめだ、また意識が遠退いていく。
 やっぱり、死んじゃうみたいだ。

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