梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろし方(三)和食のおもてなし
2021.03.25

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(三)和食のおもてなし

 純和風建築の篠崎邸の平棟門を通って、客殿玄関先車寄せにベンツが入ってくる。
 ベンツの後部座席から降りてきたのは、この屋敷の主であり絵利香の父親の篠崎良三であった。ふと車庫の方に、中に入りきらないではみだしているファントムⅥを見出して、
「ロールス・ロイスがあるところをみると、梓お嬢さまが見えてるようだな」
 と出迎えに出ているメイドに尋ねる。
「はい。只今絵利香お嬢さまのお部屋にいらっしゃいます。今夜はお泊まりになられるそうです」
「そうか。どれ、お会いするとするか。しかし……車庫をもっと広げなきゃいかんな」
 頭を掻きながら屋敷の中へと入ってゆく。
 全体的には畳や障子で構成される和風様式だが、家族が出入りする客殿から続く渡り廊下の先に、絵利香の部屋や食堂など洋式に改造された棟がある。こういった改造が自由にできるのも、文化財指定を受けていない理由である。
 絵利香の部屋。制服から着替えを済ませて仲良く談笑している二人。時々泊まりにくることがあるので、衣装タンスには数日分の梓の衣装が用意されていた。
 ドアがノックされる。
「お父さんだよ。絵利香入っていいかい?」
「いいわよ」
 絵利香の許可を得て、良三が入って来る。
「お帰りなさい。お父さん」
「ただいま、絵利香」
「お邪魔してます、おじさま。今晩、おせわになります」
「やあ。気がねなく、ごゆっくりしていってくださいな」
「はい。でも、この時間におじさまが帰ってらっしゃるなんて、めずらしいですわね」
「ん? お嬢さまがいらっしゃるような予感がしてね。仕事を切り上げてきましたよ」
「うそつき。仕事の虫のお父さんが、仕事を放り出すなんてことないでしょ」
「ははは。今日はたまたま早く予定が終わったのさ」
 しばしの談話を続ける三人のもとに、メイドが知らせにきた。
「旦那様、お食事の用意が整いました」
「おう、すぐ行く」
 腕を差し出す良三。
「それでは、参りましょうか。お嬢さま」
 梓はその腕に自分の腕をからめて歩きだす。
「もう、お父さんたら。梓ちゃんには甘いんだから」
 しようがないなあ、といった表情で二人の後をついてくる絵利香。
 父親を早くに亡くしている梓には、良三は身近にいる唯一の親しい男性であり、理想の父親像を当てはめてなついていた。それを知っているからこそ、梓にもまた実の娘に匹敵するくらいの愛情を抱いている良三であった。

 食堂。テーブルを囲んで談笑する篠崎一家と梓。
 なお念のために述べておくと、真条寺家では家族同様の扱いで、一家の食事の列に同席を許されている麗香達世話役は、他家に招かれての食事会やお茶の席では、ただの使用人でしかないので席をはずしている。その間、麗香や運転手の石井は、使用人達用の食堂で食事をとることになっている。もちろん主人達に出されものとまったく同じメニューである。使用人だからといっても、上客には違いないからである。と言ってしまえば聞こえがいいのだが、かつて封建制度の色濃く残る昔、主人に出される料理のお毒見係り、というのが本当の役目だったというのが実情なのだ。真条寺家も篠崎家も戦国時代から綿々と続く豪族旧家なので、そんな風習が残っていても不思議ではないが、もちろん今日ではそんなことの有り様がない。
「わあ、今日は、お刺し身に天ぷらですね」
 鮪と鯛の刺し身。車海老と野菜の天ぷら。さざえの壺焼き。鰆(さわら)と絹さやの炒めもの。つくし・ぜんまい・せりのゴマ和え。舞茸と人参の吸い物。大根の吉野本葛あん掛け。筍と小松菜のおひたし。椎茸と銀杏の蒸し碗。山の幸、海の幸、ほどよく取り混ぜて食卓を賑わしている。
 梓が来訪した時の篠崎家のメニューは必ず和食になる。
 真条寺家別宅では、和食料理が出されることはない。フランス料理を専門とする第一厨房、中華料理を主としてその他の調理をする第二厨房、そして寄宿舎にある従業員用厨房、いずれも和食を調理できるような厨房になっていないからだ。
 以前に和食をメニューに入れられるように一流処の板前を雇おうとしたが、和食を調理できる厨房がないのと、何よりも屋敷全体の装飾や調度品があまりにも欧風にカスタマイズされているために、和食に合わないと無碍に断られてしまったのだ。
 自宅では和食を食べられない梓のために、篠崎家は和食をもって歓待することになったのだ。もちろん梓も来訪する時は、午前中までに知らせることにしている。突然のメニュー変更で食材の調達が必要になるかも知れないからだ。
 真条寺家の三代前の家督長の茜と、篠崎家の先々代の社長夫人の涼子は、大の仲良し幼馴染みで、以来両家は親戚同様の付き合いを続けている。梓と絵利香が紹介され仲良しになり、共に暮らせるようになったのも、そんな事情があったわけで、二人が双方の屋敷を遠慮なく出入りできるような環境が整っている。和食が食べたくなったらいつでも篠崎家を訪れる梓であった。
「でもはじめてお刺し身を出された時は、面白かったわね」
「しようがないじゃない。お魚を生で食べるなんて習慣なかったもん」

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