梓の非日常/第五章・音楽教師走る(五)オルガン
2021.03.14

梓の非日常/第五章・音楽教師走る


(五)オルガン

 それから数日後の音楽教室。
 教室へ向かって廊下を歩いている教師二人。
「あれ? 女子生徒が一人でピアノ弾いてますね。予鈴が鳴って、じきに授業が始まるというのに」
「真条寺さんじゃないですか。噂の」
「ああ、英語の授業を免除されていて、幸田先生がてこ入れしている女子生徒ですね」
「コンクール用の課題曲でも練習しているんじゃないですか。こういう静かな曲なら授業の邪魔にならんでしょう。そっとしておきましょう」
 授業開始の鐘が鳴り響く。
「おおっと。授業がはじまる。急ぎましょう」

 そうこうしているうちに、コンクール当日となった。
 出場者控え室にて順番が来るのを待っている梓。高校生の音楽コンクールなので制服姿である。午前の課題曲を終えて、午後の自由曲演奏のため、目を閉じ精神統一している。
 そこへ血相を変えて、絵利香が飛び込んでくる。
「梓ちゃん。大変よ、セント・ジョン教会のヴェラザノ神父がお亡くなりになったって」
「え?」
「たった今。ブロンクスのお屋敷から連絡があったの」
「お母さんから?」
「ええ。コンクールが終わったら、至急羽田に向かいなさいって。専用機を待機させているそうよ」
「そうか……。ヴェラザノ神父がお亡くなりになったのか……」
 小さく呟きながら天井を仰ぐようにして考え込んでいる梓。
「麗香さん。会場の後ろにあるオルガンを使えるように、手配していただけませんか」
「オルガン?」
「そうです。お願いします」
「わかりました。お嬢さま」
 麗香は梓の心づもりを察知した。大急ぎで事務所や裏方に回ってオルガンの使用許可や作動準備が手配された。それらのすべてが済んだ丁度その時、梓の出番が回ってきた。
 舞台袖で待機する梓。名前が紹介される。
 壇上をゆっくりと歩き、ピアノのそばに立ち、マイクに向かって語りだした。
「今日、わたしが生まれ育ったニューヨークにあるセント・ジョン教会のヴェラザノ神父がお亡くなりになりました」
 会場がかすかに騒ぎだす。
「神父は、わたしにオルガンの手ほどきをしてくださり、また色々な面で先生であり、良き父親でもありました。その神父がお亡くなりになったというのに、ここ東京からでは花を手向けに行くこともできません。ですから、神父が生前一番お気に入りにしていた曲を、手向けとしたいと思います」
 そういうと一礼してから、ピアノを離れ後方の巨大なパイプオルガンの前に座った。
 静かにオルガンを弾きはじめる梓。荘厳なオルガンの旋律が会場全体に響き渡る。腹の底にまで届く重低音、耳元をくすぐるような高音の響き、壁に張り巡らされた大小さまざまなパイプ管から掃き出される音色の数々。
 日本でも数台しかない本格的なパイプオルガン。演奏するには鍵盤を弾くだけでなく、パイプに空気を送るレバーの操作などピアノとはまるで違った特殊な技術が必要なのだ。それを苦もなく一人の女子高校生が弾きこなしている。それも神業とも言うべき完璧な演奏である。
 梓の脳裏にあるのは、セント・ジョン教会にあるあのパイプオルガン。そしていつも弾いていた馴染みの曲。
 それは聖歌の伴奏曲だった。
 会場が静かになった。
 ふと一人の老人が立ち上がり、目を閉じて歌いはじめた。するとまた一人また一人と、次々に立ち上がって歌いはじめるものが続出した。教会に通っている敬虔なクリスチャンなら、誰もが知っている有名な聖歌の一つ。その旋律を聞けば歌わずにはおれない。
 審査員も何もいわず黙って目を閉じ、その荘厳な音色に聞き入っている。

 全員の演奏が終わり、審査発表となった。
「残念ながら、金賞の授賞者はおりません」
 会場がざわめいた。
 誰もが梓の金賞を疑わなかっただけに、あちらこちらからため息が聞こえてくる。
「しかしながら、真条寺梓さんのオルガンの演奏は、とても素晴らしく感動的なものでした。真条寺さんに金賞をという一部の審査員の意見もありましたが、あくまでピアノコンクールである以上、それはできないという結論になりました。そこで審査員全員一致の意見で、真条寺梓さんに金賞に準ずる審査員特別賞を送ることに決定しました」
 会場を覆い尽くすような大喝采が沸き上がった。
「なお真条寺梓さんは、ヴェラザノ神父の葬儀に参列されるために、ニューヨークに発たれました。真条寺梓さんに替わりまして指導教員の幸田浩子先生に授賞式に出ていただきます。幸田先生、前へどうぞ」
 幸田教諭がしずしずと舞台上へ歩いて出る。

第五章 了

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