妖奇退魔夜行/第五章 夢想う木刀
2020.11.26

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第五章 夢想う木刀


其の壱


 夕暮れ進む街並み。
 クラブ活動を終えて帰宅途中と思われる女子の一団が歩いている。
 竹刀を収めた鞘袋や面・胴具を収めた防具袋を携えているところをみると、剣道部らし
い。
 クラブ活動中は真剣に剣術の修錬を行っていたのだろうが、今は緊張から解放されて、
勝手気ままなおしゃべりに夢中である。
 話題が全国高校総体大阪府予選のことになる。いわゆるインターハイである。
「今年のインハイ個人戦は、金子先輩できまりですね」
「そうでもないでしょ。今年は強敵も出てくるだろうからね」
「強敵って誰ですか?」
「一級下の逢坂蘭子だよ。中学の時に何度か対戦したが、ことごとくやられて結局一本も
取れずじまいだった」
「知っていますよ。阿倍野中学の女子剣聖とまで言われてましたね」
「ああ、その通りだ。今年から登場するだろうから気を引き締めていかなきゃな」
「でも、彼女。高校では剣道をやめて、弓道部に入ってやってるらしいです」
「なに! 弓道だと?」
「武道を広く浅くってところじゃないですか?」
「神社の道場で、合気道なんかもやってるみたいですよ」
「わからないなあ……。せっかく剣聖とまで言われるほどに精進したのに、それを捨て
る?」
「まあ、人それぞれ、考えはいろいろありますよ」
 それから明るい話題に切り替えて再び盛り上がる。
 若い女性は気分転換が素早い。
 前方から誰かが来るのが見えた。
 まるで闇の中から突然出現したかのようだった。
 やがて街灯に照らされて、はっきりとした様相を現す。
「なんだ、ありゃ?」
 部員達が訝しげに思うのも無理はない。
 剣道の面を覆い、右手には木刀を持っているのだから。
 夜とはいえ、とても街中に繰り出す格好ではない。
「なんだよ、おまえは?」
 それには答えずに、黙って木刀を正面に構えた。
「やろうってのかい?」
 部員達も鞘袋から竹刀を取り出して臨戦体制に入る。
 がしかし、不審者は素早く動いて、あっという間に取り巻き連中を倒した。見事なまで
の華麗なる動きだった。部員達の動きを完全に見切っていた。
 金子先輩と呼ばれた部員一人だけが残されていた。
 足元に気絶する後輩達を見て問い掛ける金子。
「どうやら、私と一対一の勝負がしたいらしいな」
 そのために邪魔になる雑魚連中を先に片付けたのだろう。
「問答無用」
 とばかりに再び木刀を構えなおす不審者。
「まあ、いいや。相手になってやるよ」
 鞘袋を解いて竹刀を取り出して相対する金子。
 共に正眼、気迫あふれる場面である。
 間合いを取りながら、少しずつ接近していく二人。
 先に仕掛けたのは不審者だった。
 軽く竹刀で受け止める金子。
 すぐに離れては、また打突と繰り返される攻防戦。
 激しい鍔迫り合いが続く。
 双方力量はほぼ互角。
 金子が勢いあまって転倒するが、不審者はご丁寧にも剣道ルールの『止め』を守って、
起き上がるのを待っている。
 意外にも律儀な一面を見せるが、発端はいわゆる辻斬りである。
 起き上がり構え直すが、周囲に野次馬が集まってきているが目に入った。
 油断が生じた。
 ここぞとばかりに、踏み込んでくる不審者。
 強烈な打突が金子の左肩を捕らえて食い込んだ。
 苦痛に歪む金子だったが、カウンターで不審者の面に竹刀が当たり跳ね飛ばした。
 面は宙を舞って、金子の足元に転がってくる。
 不審者の顔は?
 しかし不審者は、顔を手で覆い隠して、駆け足で立ち去ってゆくところだった。
「素早い奴だ。ちぇ、暗くて顔が見えねえ」
 その言葉を最後に、気を失う金子だった。
 野次馬が寄ってくる。
 誰かが呼んだのだろう、パトカーのサイレンの音が近づいてくる。


其の弐


 翌朝、逢坂家の食卓。
 蘭子と家族が食事を摂っている。
 TVでは朝のニュースが流れている。
「昨夜。午後七時頃、辻斬りがありました。
「辻斬り?」
 蘭子の眉がぴくりと反応した。
 TVに耳を傾ける。
 ニュースは、昨夜の住吉高校剣道部辻斬り事件を報道していた。
 関係者の談によると、高校総体を間近に控えて、実力者を闇討ちで討伐しようとしたの
でないかと憶測が流れているという。
「昨夜は何も感じなかったか?」
「いいえ」
「そうか……」
 妖魔が事件に絡んでいるのではなさそうである。
 蘭子は妖魔が放つ妖気を、どんなに微かでも感じる能力を持ち合わせていた。それが感
じられなかったということは単なる辻斬りか、でなければ悪霊の類である。怨霊なら怨念
を晴らしさえすれば勝手に成仏してくれるが、妖魔は容赦がないので放ってはおけない。
「もし怨霊の仕業だとしたら、インターハイにまつわる何かがあって、成仏できないでい
るのでしょう。この時期に事件が発生したことを考えれば」
「そうかも知れないな」

 阿倍野女子高校一年三組の教室。
 昼食を終えてのリラックスタイム。
 外へ遊びに出るものもいれば、惰眠をむさぼる者もいる。
 蘭子はというと頬杖をついて、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
「食え!」
 と、突然声がしたかと思うと、机の上にハムカツサンドが置かれた。
 振り返ってみると、中学時代の二年先輩の柿崎美代子だった。
 さらに、バンと叩きつけられたのは、入部届だった。
「サインしろ! 必要事項はこちらですべて記入してある」
「これはどういうことですか?」
「おまえは今日から剣道部の部員だ」
 入部届には剣道部と書かれ、その他必要事項がちゃんと記入されていて、後は自分の署
名を入れるだけとなっている。
「どうしてそうなるのですか?」
 柿崎は対面するように前の席に逆すわりして続ける。
「インターハイが近いな」
 というと顔をグイと睨めっこのごとく近づける
「そのようですな」
「おまえを団体戦と個人戦の出場選手として登録する。存分に戦え」
「だから、どうしてそうなるのですかと伺っているのです」
 柿崎は一方的に決め付けて掛かっていた。蘭子の質問には答えようとはしない。
「他の部員達も了承している。一年生ながらも実力は中学時代に証明済みだ。心置きなく
修業に励むことができるぞ」
「そうですか……」
 聞き耳を持たない相手に対して、蘭子の返事もぞんざいになってくる。
「中学時代には府大会試合では、常にベスト8をキープし、優勝も何度か経験している。
その腕前をみすみす埋もらせたくないのだ」
「関係ないでしょう」
「どうしてもだめか?」
「今は弓道部です」
「そうか……」
 しばし言葉が途切れた。
 じっと蘭子の瞳を凝視している柿崎。
 蘭子も負けじと睨み返している。
 まるで時が止まったように身動きしない。
 窓から拭きぬける風が二人の髪をそよがせている。
「ふっ……」
 と、深いため息をついて体勢を崩す柿崎。
 柿崎は立ち上がり、入部届を取りながら言った。
「まあ、いいわ。今日のところはおとなしく引き下がるけど、何度でもくるからね」
 そして一年三組の教室から退室した。
 机の上には、ハムカツサンドが残されていた。
 このハムカツサンドは、カツに入っている肉がとてもジューシーでおいしく、歯ごたえ
もなかなかで人気の商品となっており、購買部ではすぐに売り切れてしまう。
 いわゆるまぼろしのハムカツサンドと呼ばれている。
 それをわざわざ手に入れて持参したのは、蘭子を是が非でも剣道部へ入れようという強
い意志の表れなのであろう。
 さて、このハムカツサンドはどうするべきか?
 食べてしまえば、入部を承諾したことになるのだろうか?
 先輩は食べたからといって、それを口実に入部を迫るような性格ではない。純粋に差し
入れと考えていいだろう。
 すでに昼食は終えていたが、捨てるにはもったいなくて、生産農家の皆様には申し訳な
い。
 人気のハムカツサンドである。
 ハムカツサンドを取り、包装を解いて食べ始める。
 実においしかった。


其の参


 摂津国土御門家一門の陰陽師の会の寄り合いが、四天王寺近くの公民館で開かれていた。
 蘭子は総代である晴代の代理として出席していた。
 最近腰が弱くなってきて、外出を控えているからである。
 寄り合いの内容は、若狭にある安部有宣系統の土御門家に比べて、摂津土御門家の知名
度があまりに低いことをどうするかであった。
 摂津土御門家は本家ではないものの、分家の流れを引き継ぐ正統なる土御門一族の末裔
であることには違いない。
 いつものことであるが、寄り合いは何の解決策も見出せないままお開きとなった。
 寄り合いの帰り道。
 四天王寺境内を近道して家路についていた蘭子。
 何かが激しくぶつかり合う音を耳にして、その現場に向かうと、女子剣道部と思しきグ
ループが竹刀を振り回して、木刀を持つ覆面をした人物と乱闘していた。
 すでに何人かが倒れており、木刀の人物の技量の方がはるかに上だった。
「あ! あれは!!」
 覆面者の持つ木刀から怪しげなオーラが発せられていた。
 それは不定形だったり、人の形になったりしながら、覆面者にまとわりついていた。
 典型的な憑依霊。
 何者かの霊が木刀に憑依して、覆面者の精神を乗っ取り操っているのだ。
 魂に操られた身体は、時として人の能力を超越した力を発揮する。
 あっという間に剣道部員は全員倒されてしまった。
 満足げに踵を返して去っていく覆面者。
 後を追おうとしたが、倒れている剣道部員達の介抱が大切である。
 かがみ込んで手当てをしようとした時、懐中電灯に照らされ、数人の警察官に囲まれた。
野次馬の誰かが通報したらしい。
 そして不審人物として、最寄の天王寺警察署へと連行されることになったのである。

 取調室。
 膨れっ面をした蘭子がいる。
 もうかれこれ二時間以上も繰り返し、同じ尋問を受け続けていた。
 警察の執拗な尋問には際限がない。
 精神をくたくたにさせて、早く帰りたければ自白調書に署名しろと迫る。
 現場検証なり目撃証人探しなどの捜査を開始して、被疑者を特定するのが本筋なのであ
るが、いつ終わるとも知れない捜査に多くの人員を動員するのは面倒である。
 この際、現場にいた怪しげな人物に、詰め腹を切ってもらって被疑者になってもらおう
という魂胆である。
「何の取調べかね」
 ドアの外で声がした。
 蘭子はどこかで聞いたような声だと思った。
 やがて取調室の扉が開いて意外な人物が入ってきた。
 相手は蘭子を見るなり、親しげに声を掛けてくる。
「これは蘭子さん。またもや奇遇ですなあ。こんな所でお会いするなんて」
 大阪府警本部捜査一課の井上課長だった。
 尋問していた刑事達が立ち上がって敬礼する。
 天王寺警察署署長と同階級の警視にして、府警本部のキャリア組の刑事課長である。
 ノンキャリア組の彼らにとっては、緊張のあまりに固まってしまうぐらいの相手であっ
た。
「おい、君。どうして女性警察官を立ち合わせないのかね。相手が女性の場合はそうする
決まりだろう」
「し、失礼しました」
「この方は、私がお相手する。君達は現場の聞き込みに回りたまえ」
「判りました」
 あわてて取調室から駆け出してゆく刑事達。
 蘭子と井上課長が残されていた。
 相変わらず膨れっ面の蘭子。
「済まなかったね。二度もこんな目に合わせてしまって」
「もう十二分に味あわせていただきました」
「応接室に行こうか。罪滅ぼしに上等なお茶菓子を出してあげるよ」
 と案内するように取調室を出てゆく井上課長。
 立ち上がり井上課長に従う蘭子。

 応接室でお茶菓子を頬張っている蘭子。
「ところでと……。目撃したことを詳しく話してくれないか」
 蘭子が落ち着いたところで、事件の詳細を尋ねる井上課長。
 井上課長は、蘭子を被疑者として考えていないようであった。
 見たままありのままを答える蘭子。
 怨霊が関わっていることも、井上課長になら正直に話せる。
「怨霊がその人物に摂り憑いているのかね」
「いえ、摂り憑いているのは木刀なのですが、それがその人物を操っているようです」
「なるほど、依代が木刀だと……。相手が怨霊だと警察は手も足も出せないな」
 それは蘭子に捜査協力して欲しいとも受け取れる発言だった。
 心臓抜き取り変死事件、夢鏡魔人往来変死事件と、蘭子の能力が発揮されて、事件は解
決した。
 言われるまでもなく陰陽師として【人にあらざる者】を退治するのは、自分に課せられ
た宿命でもある。
「この事件はインターハイと深く関わりがありそうです。試合中に事故で亡くなられた選
手とかはいませんでしたか?」
「それは調べれば判るが……」
「至急調べていただけませんか?」
「判った。調べてみよう。判り次第連絡するよ」
「お願いします」
 それから井上課長に覆面パトカーで自宅まで送ってもらった蘭子であった。


其の肆


 数日後。
 校内放送で校長室に呼ばれた蘭子。
 そこには柿崎美代子が先に来ていた。
 何かいやな予感がする蘭子だった。
「逢坂君。呪われた鏡の一件以来だね。あの鏡はどうしました?」
「魔人は退治しましたので、普通の鏡に戻ってしまいましたが、念のために封印して書庫
蔵にしまってあります。顛末はご報告したはずですが……」
「あ、いや。確認しただけだ。とにかくご苦労だったね」
 魔鏡のことはともかく、問題はそばにいる柿崎が気になっていた。
 校長は話題を変えて、核心に入ってきた。
「さてと……。君をここへ呼んだのは、クラブ活動についてだ」
 そらきたと思う蘭子。
 柿崎を見たときから、校長が何を言ってくるかが判っていた。
 学校からの要請という形で、剣道部員としてインターハイに出場してくれと、申し出て
くるに違いない。
 柿崎先輩が手を回したようである。
「逢坂君は、中学生の時は剣道で、府大会の上位成績を常に維持して活躍していたそうだ
ね。それが高校生になって弓道部に転向した。しかしせっかくの腕前、もったいないとは
思いませんか」
「クラブ活動を何にしようと、個人の自由です。束縛されるいわれはないと思いますが」
「確かにその通りだ。その通りなのだが……。学校側としても、君がインターハイに出場
して活躍してくれるのを期待しているのだよ」
「学校の名声が上がって、入学志望が増えますか?」
「ううむ……。正直言って否定はしない。聞けば弓道部の方では、一年生ということで今
大会には選手登録しないという。その点剣道では君には実績があるから、それを評価して
団体戦と個人戦に選手登録するという」
「その話は、柿崎先輩にはお断りしておいたはずです」
「君の将来のためにもなることだと思う。進学の際にも有利に働くとは思うのだが」
「よけいなお世話ではないでしょうか。将来のことは自分で決めます」
「ううむ……」
 蘭子の頑固さに言葉を失う校長。
 一方の柿崎は、学校側に要請した観点から口出ししない方がいいだろうと、黙って成り
行きを見守っているだけであった。
「とにかく、お断りします。失礼します」
 と言い残して、蘭子は校長室を退室してしまう。
 ほとんど同時に深いため息をもらす柿崎と校長。
「申し訳ありませんでした校長先生」
「いや、いいんだよ。逢坂君が、インターハイに出場することは、とても良いことだと思
うからね」
「恐れ入ります」
「まだ時間はある。時間をかけて説得することだ。今大会には間に合わなくてもね」
「はい。そうします」
 校長にお礼を言って、校長室を後にする柿崎。
 今日は部活は休みなので、そのまま帰宅することにする。
 校門前に意外な人物が待ち受けていた。
 住吉高校剣道部の金子である。例の辻斬りの最初の被害者である。
 片手に大きな袋を携えていた。
「傷の方は、もう大丈夫なのか?」
「ああ、大したことはなかったからな。ピンピンしているよ。それよりこれから一緒に付
き合え」
「それは構わないが……」
「ほれ、これは一応返しておくよ」
 と、ポンと放り出すように携えていた袋を渡した。
 開けてみると、剣道の防具の面だった。
「こ、これは?」
「どうした? 盗まれでもしたと思っていたか?」
「なぜ、おまえが持っている」
「ああ、ここでいいだろう。中に入ろう」
 喫茶店があった。
 話はそこでという風に構わず入ってゆく金子。
 訳が判らずも従ってゆく柿崎。
 渡された面は、確かに自分のものだ。ある日のこと、防具袋から消えていた。こんな物
盗む奴がいるのかと不思議に思っていたところだった。
 喫茶店のテーブルに対面するように腰掛け、オーダーしにきたウェイトレスに注文を入
れると、金子が単刀直入に尋ねてきた。
「私が辻斬りにあっていたその時間。おまえ、どこで何をしていた?」
「辻斬りの時か」
「ああ、三日前の午後七時頃だ」
 鋭い眼光で睨みつける金子。
「どうしてそんな事を聞く?」
「どうしても何も、その面は辻斬り野郎が顔を隠すために被っていた物だよ」
「辻斬りがこれを?」
 金子の言わんとしていることが判ってきた柿崎。
 自分を辻斬りの犯人だと金子は疑っているのである。
 しかし辻斬りなどやった覚えはないし、もちろんその後にも続いている事件も同様だっ
た。
「どうした、アリバイを言ってみろ」
 詰め寄られて、三日前のことを思い出そうとする。
 だが記憶が曖昧で、確証たるものが思い起こせなかった。
「答えられないだろう。辻斬りはおまえの仕業だ」
「そんなことはない!」
「ならばその面のことは、なんと釈明するつもりだ」
 証拠を突きつけられては、反論などできない。
 実際のところ、ここ最近記憶が曖昧で、朝になって脱力感に襲われることが多かった。
まるで前日に試合でもやって精神疲れ果てたみたいな。
「おまえには姉がいたな」
「ああ、試合中の事故が原因で亡くなったが……」
「おまえ、その姉の亡霊に魅入られていないか?」
「どういうことだ?」
「あの時、私を襲った奴の身のこなし方は、日頃のおまえのものじゃない。構え方、足の
運び、打突に入る瞬間の姿勢まで、おまえの姉の動きそのものだった。練習試合や大会で
何度も対戦しているから判るんだ」
 自分が姉の亡霊に魅入られている……。
 突きつけられた真実を受け入れられない気分だった。
「まあ、そんなところだ。真犯人が亡霊じゃ、おまを糾弾してもはじまらないだろう。お
まえ自身が知らないことだ。忘れてやるよ」
 注文した品物が運ばれてきて、黙ったまま食べ終わる二人。
 と、席を立ち上がる金子。
「ここの払いは、おまえもちだ。いいな」
「あ、ああ……」
 喫茶店に一人残され、思案に暮れる柿崎だった。


其の伍


 その頃、蘭子の携帯電話に井上課長からの一報が入ってきていた。
「亡くなったのは、阿倍野女子高校剣道部の柿崎恵美子。当時二年生だったが、決勝戦の
試合中に相手の突きをまともに食らって転倒、後頭部を強打して意識不明になり、そのま
ま亡くなったそうだ」
「当時の試合のトーナメント表はありますか?」
「もちろんあるさ。抜かりはないよ」
「これから伺いたいと思いますが」
「いや、私が君の家に出向くよ。協力を頼んでいるのは、こちら側だからな」
「では、土御門家の方においで頂けますか? 今、そちらの方にいますので」
「判った。十分後に着くと思う」
「お待ち申しております」
 それから程なくして、井上課長が土御門家にやってきた。
 晴代も同席の上で、事故の詳細を報告する井上課長。
「良く判りました。不業の死を遂げた柿崎恵美子さんの怨念が成仏できずに、この世を彷
徨っているものと思われます。そして愛用していた木刀を依代としたのです」
「木刀を依代として、誰に摂り憑いているのかね」
「もちろん、妹である柿崎美代子さんでしょう。同じ剣道部に所属していますしね」
「なるほど……」
「トーナメント表を見せて頂けませんか?」
「ああ、これだ」
 井上課長は懐から当時の試合のトーナメント表を取り出して見せた。
 それをしばらく見つめていた蘭子であったが、
「やはりそうです」
 と、トーナメント表を指差しながら説明をはじめた。
「ご覧ください。連夜の事件の足跡をたどってみますと、このトーナメント表に沿って起
きていることが判ります。一回戦の住吉高校、二回戦の天王寺高校、三回戦の清水谷高校
と、トーナメントで阿倍野女子高校が勝ちあがってきた相手校が、順番に辻斬りにあって
います」
「下から順番に敗戦校を襲っているのか、なるほどぴったりと符合するな。とすると最終
的には、決勝戦を戦った福島女子高校が狙われると?」
「そういうことになりますね」
「それで思いが遂げられれば、晴れて成仏してくれるのだろうか」
「いいえ。そうはならないでしょう。彼女の魂は、決勝戦の試合に臨んだまま時が凍って
しまっているのです。ですから、決勝戦を再現してあげることが肝心でしょう」
「再現?」
「阿倍野女子高校と福島女子高校が決勝戦に進出して試合をすればいいのです。しかも対
戦相手は柿崎恵美子さんと……」
「桜宮民子さんだ」
「そうです」
「しかしこればっかりは、実力次第、運次第だからなあ……」
「祈るしかありませんね」

 阿倍野女子高校の体育館。
 剣道部が練習している。
 そこへ剣道の防具袋を携えた蘭子が入場してくる。
 一同が振り向いて注目する。
 柿崎が駆け寄ってゆく。
「蘭子!」
「柿崎先輩……」
「やっと入部してくれる気になったのね」
「条件があります」
「条件?」
「インターハイに限っての入部ということでしたら」
「いいよ、いいよ。それで十分よ」
「それともう一つ。入部前に先輩と一本勝負をさせてください」
「一本勝負? 判った、相手してやるよ」
 練習が一時中断して、一本勝負の準備に入った。
 一年二年生は、体育館の周辺に座り込んで観戦である。
 試合場となる区切りとして、白いラインテープが引かれており、両端に別れて対面して
正座。防具を着用する柿崎と蘭子。
 準備が整ったところで試合場に進み出る。
 二歩進んで礼をし、さらに三歩進んで蹲踞する。
 三年生が審判役に入って、
「はじめ!」
 の合図を掛ける。
 立ち上がって一本勝負のはじまりである。
 一年生ながらも、蘭子の腕前は二年三年生なら誰でも良く知っていること。
 阿倍野中学時代には剣聖とまで呼ばれ、柿崎主将でさえ幾度となく敗れていた。
 相手の様子を伺って、双方ともなかなか手を出さなかった。
 先に動いたのは蘭子だった。
 鋭く踏み込んで柿崎の面を捉えた。
 パーンと高らかな音が鳴り響く。
 がしかし、直前に体勢を崩しながらも竹刀で防御していた。
 有効打突と認められずに、再び離れて試合再開。
 それから激しい鍔迫り合いが繰り広げられていた。
 おおむね蘭子が優勢であったが、柿崎も執拗に食い下がって粘る。
「一本!」
 審判員の手が高々と挙げられ勝敗は決した。
 蘭子のすり上げ引き面打ちが見事に決まったのである。
 体育館に拍手が湧き起こった。
 両者礼をして試合場を出て面を脱ぐと、対戦の激しさを物語るように汗びっしょりとな
っていた。
「ようし、一年二年生は練習を再開して、三年生はちょっと集まって頂戴」
 柿崎が指示すると、それぞれに体育館に散らばって素振りの練習を再開した。
 三年生に改めて蘭子を紹介する柿崎。
「みんなも知っていると思うけど、中学時代に活躍した逢坂蘭子さんよ。その実力を評価
してインターハイの出場選手として登録するけど、意義ある方いるかしら」
 誰も異論を述べる者はいなかった。
「決まりね。これで蘭子は、剣道部員の仲間入りよ」
 インターハイに限っての入部という条件があるのだが、それはいつでも撤回させてみせ
るという意気込みをもっているようだった。
 ともかくも蘭子の剣道部入りが決定した。


其の陸


 インターハイがはじまった。
 剣道大会の組み合わせが抽選会によって、前年度優勝校の福島女子高校と阿倍野女子高
校とが決勝戦で顔を合わせることが決まった。もちろん順当に勝ち進めればの話であるが。
 実は抽選くじを引くときに、蘭子が式神を使役して、両校が決勝戦で対戦できるように
図ったのである。
「これぐらいのインチキは許してもらえるよね」
 この世に彷徨っている魂を成仏させるための細工なら許されてもいいだろう。
 そして試合がはじまる。
 蘭子のめざましい活躍によって、阿倍野女子高校は勝ち進み、とうとう決勝戦へと駒を
進め、福島女子高校も共に決勝進出を果たした。
 ここに因縁の対決が再現する運びとなったのである。
 決勝戦を前にして、柿崎の様子に変化が現れはじめていた。
 柿崎の対戦する相手は、姉を死に追いやった桜宮民子。
 いやがおうにもボルテージが上がる。
 蘭子は井上課長が調べた内容を思い起こしていた。
「実は、その試合。判定は下っていないんだ」
「判定が下っていない?」
「その時、桜宮の放った払い突きが決まったかに見えた。柿崎はこれを身一つ交わして反
撃体勢に移ろうとしたが、バランスを崩して転倒してしまった。いわゆるスリップダウン
だ。当然ルールによって『止め』が入って試合中断となる。しかし柿崎は二度と起き上が
らなかった」
「そうでしたか……。試合決着を果たせないまま、恵美子さんの魂は、この世に未練を残
して彷徨いはじめたというわけですね。恵美子さんを浄化させるには、当時の試合を再現
して決着を図るしかないでしょう。その魂はあの試合場の中に閉じ込められているので
す」
 控えの席に置いてある木刀からオーラが発しはじめ、やがて柿崎の身体へと憑依した。
 それに伴って柿崎の身体が輝きだした。
 もちろん一般の人の目には見えないし、蘭子のような霊能力者にしか見ることができな
い。
 恵美子は妹の身体を使って、果たせなかった試合の決着をつけるつもりでいるらしい。
 柿崎と桜宮が試合場に登場する。
 因縁の対決のはじまりである。
 技量は双方ともほぼ互角で、激しい鍔迫り合いを続けていた。
 何度かの止めが掛かって、先に一本を取ったのは柿崎だったが、その直後に一本を取り
返され、勝負は三本目に決まる。
 ちょっとでも隙を見せればやられる。息詰まる攻防戦。
 観客達も固唾を飲んで魅入っている。
 桜宮が大きく動いた。
 一瞬の隙をついての、喉元への突きが炸裂する。
 柿崎が身をかわして突進を避けるが、バランスを崩して転倒してしまう。
 桜宮の一撃は有効打とは認められず旗は揚がらない。
 転倒によって止めが入って、試合中断。
 倒れた柿崎は身動きしなかった。
 誰しもが身を乗り出していた。
「あの時と同じだ!」
 そうだ。
 柿崎恵美子が亡くなったあの時の状況が再現されていた。
 倒れたまま動かない柿崎。
 審判員が歩み寄って声を掛けている。
「君、大丈夫かね?」
「だ、大丈夫です」
 頭を軽く振って起き上がる柿崎。
 軽い脳震盪のようだ。
 ゆっくりと立ち上がって試合が再開される。
 ここに至って柿崎の発するオーラが一段と激しく揺れ動くのを蘭子は見た。
 柿崎が強く踏み込んで突進した。
 パシン!
 竹刀が桜宮の面を捉えて大きくしなった。
「一本!」
 旗が三つ揚げられて、文句なしの一本だった。
 勝敗が決して両者一礼し、試合場を出て面を脱ぎにかかる。
 柿崎の瞳から大粒の涙が止め処もなく流れていた。
「姉さん……」
 柿崎は気づいていた。
 姉が自分の身体を使って因縁の対決をしていたこと。
 今、思いを遂げた姉の魂が静かに天国へと旅立つ姿を、柿崎はその目にはっきりと見て
いた。
「ありがとう、美代子」
 その表情は、やさしい微笑を浮かべながら、静かに昇天していった。

 数日後の柿崎の自宅の庭。
 柿崎が木刀を使っての素振りをしている。
 松虫中学時代の親友である金子が、縁側に腰掛けて見つめている。
 素振りを中断して、金子の隣に腰を降ろす柿崎。
「辻斬りの件については、本当に済まなかったと思っている」
「気にするな。おまえ自身がやったわけじゃない」
「ありがとう……」
「姉さんは、天国へ無事にたどり着いたかな」
「たぶん……」
「ところで、その木刀」
「ああ、これね。亡くなったおじいちゃんの形見分けで、姉さんが子供の頃に譲り受けた
ものだよ。範士八段でとっても強かったらしいよ。姉さんは、おじいちゃんのように強く
なるんだと言って、この木刀で毎日素振りをしていた。だからこれに姉さんの情念が宿っ
ていたのかもしれないね」
「そうか……」
 二人揃って空を仰いでいる。
「ところで蘭子はどうしている?」
「インターハイ出場だけの入部という約束だったから、元の弓道部に戻ったよ」
「あれだけの才能、もったいないな」
「決勝戦まで進めたのは蘭子のおかげ。感謝しているよ。今度は弓道部で大活躍をするこ
とを祈るだけよ」
「そうだな」

 阿倍野女子高校一年三組の教室。
 昼食を終えた蘭子は、頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。
 今回の事件では、抽選くじを式神を使って細工した以外、呪法などは使わなかった。
 強力な呪法をもって除霊するだけが陰陽師の仕事ではない。怨霊とて元は人間である。
彷徨い出た原因を突き止め、うまく立ち回れば怨霊自ら成仏してくれることもある。
 それこそが本当の意味での除霊なのではないだろうか……。
 良い経験になったと思う蘭子だった。

「食え!」

 と突然声がしたかと思うと、目の前の机の上にハムカツサンドが置かれた。
 振り返ってみると、空手部主将の望月愛子だった。
「剣道部では大活躍したそうだな。今度はうちの空手部の助っ人を頼む」
 どうやら、ハムカツサンドで助っ人するという、間違った噂が流れているらしい。
 頭を抱えてしまう蘭子だった。

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