妖奇退魔夜行/第三章 夢鏡の虚像 前編
2020.11.23

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第三章 夢鏡の虚像 前編


其の壱

 大阪府立阿倍野女子高等学校。
 折りしも月に一度の清掃日。毎日定例の自分達の教室清掃以外に行われる、言わ
ば大掃除ともいうべきものである。体育館や講堂から、校庭の草むしり、通学路の
ゴミ&落ち葉拾いなど、全校生徒で一斉に行うのである。
 本校舎の西側に併設された講堂から物語りははじまる。
 講堂では、一年三組の生徒達が清掃の真っ最中だった。
 蘭子達仲良しグループは床の雑巾掛けを割り当てられていた。
「恵子のパンツ、丸見えだよん」
「もう……。こんな短いスカートだよ。しかたがないよ」
「何で今時、雑巾掛けなのよ」
「そうそう、せめてモップにしてよね」
「他の学校じゃ、業者と契約して教室からトイレ掃除まで、全部やってくれている
所もあるよ」
「それって私立でしょ。大阪府の予算に縛られている公立じゃ無理な話よね」
 その時、監督指導教諭が、手をパンパンと叩いて注意した。
「はい、そこ! 無駄口してないで、しっかりやりなさい。あと一往復で終わりで
すよ」
「はーい!」
 生徒達全員が一斉に答える。
 返事だけは良かった。
「どうせ、ここを終えても他の場所を手伝わされるんだから……」
 最後の気力を振り絞って、残り一往復を終えた。
「はい、ご苦労様でした。後は、終わっていないところを手伝ってあげなさい」
 やっぱりね……。
 という表情で、各自講堂内に散らばっていく。
 蘭子は、舞台の袖にある部屋の扉から中へと入ってゆく。
 口をタオルで覆った生徒が三人、はたきを掛けていた。もうもうと埃が舞い上が
るので、すべての扉や窓は全開で、扇風機を回して埃を吹き飛ばしている。
「手伝いにきたわよ」
「サンキュー!」
「何しようか?」
「とにかくハタキ掛けよ。そこにあるから」
 壇上に上がる階段に置いてあったハタキとタオルを取って掃除をはじめる蘭子。
「それにしても、こんなに埃がたまっちゃってさ。長期間使わないのなら倉庫の方
にしまえばいいのに」
「そうだよね。そうすれば、ここも広く使えていいのに……」
 それからしばらくは黙々とハタキ掛けを続ける一同だった。
 生徒の一人が、カバーで覆われたものを、物陰になる位置で発見した。
「何かしら、これ……?」
 彼女の名前は近藤道子。
 隠されたものを見つけると追求したくなるのが人間の性である。道子はカバーを
取って中身を確認した。
 それは鏡だった。
 鏡台に収められ、材質は錫のようで片面がきれいに磨き上げられ、その裏面には
見事な彫刻が施されていた。
「手鏡よね。これ」
 金属製の鏡など見たことがないのだろう。手にとって物珍しそうに眺めている。


其の弐


 鏡に映った像を自分自身と認識できる能力を【鏡映認知】と呼ぶ。その能力のな
い鳥などが、自動車のバックミラーなどに映った自分の姿に対して攻撃をする様子
はよく見られる現象である。
 鏡に自分が映るという現象は、古来から神秘的にとらえられ、こちら側の世界と
あちら側にあるもう一つの世界とを隔てる【物】と考えられて、祭祀や王墓の副葬
品などの道具として用いられるようになった。考古学調査で出土される平縁神獣鏡
や三角縁神獣鏡などがその例である。「三種の神器」の一つである八咫鏡やたのかがみ
最も有名である。
 もし鏡の中の自分が、こちらの自分自身とは違う表情や動きを見せたら?
 例えば、こちらはすましているのに、向こうでは笑っていたら?

「ひっ!」
 突然、道子が悲鳴を上げ、鏡を放り出して恐怖に慄いた。
「どうしたの?」
 周りの生徒達が振り向いて声を掛けた。
「鏡が笑ったのよ」
「鏡が笑うわけないじゃん」
「違うよ。鏡の中の自分が勝手に笑ったのよ」
「それは、あなたが笑っていたからでしょう?」
「笑っていない!」
 生徒達が言い争うようにしているのを聞き流して、投げ出された手鏡に歩み寄る
蘭子。それを拾い上げようとしたが、異様な気配を感じて、一旦躊躇してしまう。
「呪われているわ……」
 他の生徒達、特に道子に聞こえないように呟いている。
 妖魔か悪霊かはまだ判らないが、何ものかが取り憑いていて【呪いの鏡】となっ
ているらしかった。
 笑っていないのに、鏡の中の自分が笑ったというのは、その取り憑いているもの
が見せた幻影であろう。
 封印してしまうに限るが、道子が鏡に触れて【人にあらざる者】と接して取り憑
かれてしまった可能性がある。中のモノが出てしまって空になったものを封印して
も意味がない。妖魔なり悪霊を退治してしまうか、それができないのならば、元の
鏡の中に引き戻して封印し直すしかない。
「この鏡は、私が預かって調べてみるわ。もっとも学校の許可を得なければいけな
いけどね」
 蘭子の家系が、代々陰陽師であることは生徒達に知られている。蘭子自身も母の
実家であり、祖母の土御門晴代が当主となっている摂津土御門家(陰陽師一門)の
跡取りに指名されている。そんな事情から反対するものはいなかった。

 清掃が終わって、指導教諭に説明をすると、
「自分では決断できなから、校長先生に許可をもらってね」
 ということで、許可をもらいに校長室へと向かった。
 ドアをノックして、応答があるのを確認して中に入る。
「何か用かね?」
 蘭子の姿を見て、訝しげに尋ねる校長。
 呼びもしない生徒が校長室を訪れることはめったにない。文化祭などの行事に伴
う予算折衝で生徒会役員が来る程度である。


其の参


「実は、この鏡のことなんですが……」
 鏡を覆っているカバーを外して単刀直入に切り出す蘭子。
 すると校長の表情が見る間に変わっていく。
「そ、それをどこから持ってきた?」
 口調も怯えた様子で、いつもの張りのある声とはほど遠い。
「講堂の舞台袖です。清掃中に生徒が見つけました。呪われていると思いますので、
持ち帰って除霊なり封印したいと思います」
「呪われているのが判るのか?」
「はい。間違いありません。この鏡には呪われて亡くなられた人たちの霊が閉じ込
められて苦しんでいます。放っておいては、さらなる犠牲者が出るかもしれません」
「そこまで判るのか? さすが陰陽道の安部清明の末裔だな。古くは遣唐使となっ
た阿部仲麻呂の子孫らしいな」
「いいえ、清明の先祖説にはいくつかあって、【竹取物語】にも登場する右大臣阿
部御主人{あべのみうし}が直系ということになっています。やがて安部氏となり、
摂津国に入った一族が摂津土御門家を名乗ることととなりました」
「まあ、どっちにしても阿部氏の一族というわけだ。ともかく、その鏡のことは君
の思うとおりにしなさい」
「ありがとうございます。ご存知であれば、これまでの犠牲者の方々のことなどを
お話して頂ければありがたいのですが……」
「いいだろう。知っている限りのことを話してやろう」
「お願いします」
 口調を改めて話し出す校長だった。
「まず、その鏡がどうしてここにあること自体が不明なのだ。何せ学校創立が戦前
の大正十一年だからな。私の知っている最初の犠牲者と思われる事件は、創立五十
周年記念として行われた文化祭において講堂での演劇部の芝居の時に起きた。当時、
源氏物語を現代風にアレンジして上演していたのだが、待ち人来たらずで鏡を見て
ため息をつくシーンでヒロインが急に倒れたのだ。急ぎ代役を立てて上演は続行さ
れ、その生徒を救急車で病院へ運んだ。しかし、治療の甲斐なく原因不明の病気で
死亡した」
「原因不明の病死ですか?」
「その通りだ。その次の犠牲者も演劇部員で、幼稚園の交流公演として白雪姫を演
じていた時だった。継母役の生徒が鏡に向かって問いかける場面になったが、その
時は何事もおこらなかった。終幕間際の鏡に向かう場面で、「白雪姫が一番美し
い」と鏡が答える場面の直後に、突然倒れたのだ。そして「鏡がしゃべった」と言
い残して亡くなった」
「鏡自身がしゃべったのですか?」
「ああ、鏡役のナレーションではなく、鏡が直接しゃべったというのだ」
「やはり鏡には、魔物かなんかが住み着いているようですね」
「私もそう思うよ。その後も鏡にまつわる事件が起こった。鏡を手放すなり処分し
ようかという話もあったが、不幸となる物を他人に押し付けるのは如何なものかと、
校庭の片隅に埋めたのだが、とある地震の時に土地が陥没して鏡が出てきてしまっ
た。再度埋め戻しても大雨でまたしても……。その後もいろんな所に隠したりもし
たのだが、結局今日のように見つけ出されてしまう。やはり魔物が住み着いていて、
この学校の生徒を死に至らしめるために、現れているとしか思えない」


其の肆


「そうでしたか……。犠牲者の方々は、すべて鏡と対面した直後に亡くなられたのです
か?」
「いや、数ヶ月生きていた例もあるよ。しかし、まるで認知症のようになってしまったり、
ヒステリーを起こして自殺したり、何日間も高熱で苦しんだりいろいろあるが、結局最後
には死んでしまったよ。私が知っている事と言えばこんなところだ。とにかくかなり古く
からこの学校にあったみたいだが、生徒はもちろんだが教諭たちも人事異動や退職で、ど
んどん入れ替わって事件があってもいずれ忘れさられてゆく。そんな時にポッカリと現れ
て事件を起こしている感があるな」
「良く判りました。お伺いした内容は参考にして対応策を検討してみます。では、鏡は大
切にお預かりします」
「うむ。よろしく頼むよ」
「それでは失礼します」
 深々とお辞儀をして校長室を退室する蘭子。
 とにかく大急ぎで取り掛からなければならなかった。
 道子が鏡と対面し、【人間にあらざる者】に取り憑かれた可能性が高かった。そしてい
ずれは死に至り、鏡の中に取り込まれてしまう。
 クラスメートをそんなことにはさせたくなった。
 似たような事例が他にないか、対処法はあるのか調べねばなるまい。
 となれば、土御門屋敷の祖母にあって相談するしかないだろう。

 土御門屋敷は学校からほど遠くない所にある。
 表門玄関は、立派な神社の境内をかなりの距離を通り抜けていかねばならぬので、近道
である裏門から出入りするのが日常である。
「お邪魔しまーす」
 勝手知ったる祖母の家。遠慮はいらぬ。
 まずは挨拶をするために祖母の部屋に伺うことにする。
 礼儀にうるさい祖母なので、障子の前に正座して声を掛ける。
「蘭子です」
「入ってよいぞ」
「失礼します」
 許可を得て、両手を添えて片側の障子を静かに開ける。
 中に入ったら、同じような動作で障子を閉めるのだ。
 祖母は、目ざとく蘭子の持参した鏡を見て言った。
「ただならぬ物を持ってきたようだな」
「はい。今日はこの鏡のことでご相談に伺いました」
 鏡のカバーを外して、祖母の前に差し出す蘭子。
「どうやら魔鏡のようだな。しかも妖魔が封じられていたようだ。今は解放されて自由に
出入りができるようだ。鏡面に光を当てて反射光を、そこの白壁に映してみよ」
 障子を開けて日光を取り入れ指示通りに行うと、白壁に文様がくっきりと映し出された。
 魔鏡は、日光などの平行線的な光を反射させると、表面にはないはずの像が投影される
銅鏡である。鏡面には目には見えないほどの微細な凹凸があり、これが光を乱反射させて
文様を浮かび上がらせるのである。
 鏡面を磨く時、一定以上の薄さまで鏡を研磨すると、手の圧力によって鏡面がしなり、
版画のように裏面の文様が表面に凹凸を生じさせるのである。
「奇門遁甲八陣図か……。これは本来、退魔鏡として魔を封じるために製作されたのだろ
うが、長い年月の間に鏡の面に微妙な傷や歪みを生じ、魔を封じる力が減少して魔が解放
されたのであろう。この妖魔は鏡を媒体として、鏡の中の世界と現実の世界とを行き来し
ているようだ」


其の伍


「鏡の世界ですか?」
「そうだ。本来なら鏡のある所ならどこにでも出没できる能力があるのだが、奇門遁甲八
陣図の効力がまだ残っていて、この鏡を通してのみしか動けないようだ」
「退治する方法はありますか?」
「こやつは、こちらの世界にいる時は人の夢に巣食っている。要するにこちらの世界にい
る人間にとっては、実体のない虚像の魔人なのだ。実体であるおまえが虚像を倒すことは
絶対に不可能だ」
「夢と鏡の中の魔人……」
「じゃが、策がないでもない」
「どうするのですか?」
「まず奴が人の夢に入り込んでいる時に、おまえ自身も自分の精神つまり魂をその人の夢
の中に送り込むのだ。すると奴は、おまえの魂を自分の世界である鏡の中へ引きずり込も
うとするだろう。それが奴の本性なのだからな。して、ここからが本番だ。鏡の中は奴の
世界だから、魂を完全に閉じ込めてしまうこともできる。それはつまり、現実の世界のお
まえの死ということを意味するわけだ」
「身体と魂を引き離されたら、死を意味しますね」
「だが、それを防ぐ手立てが一つだけある。着いて来なさい」
 祖母は立ち上がって、蘭子を案内して先に歩き出した。
 障子が勝手に開いた。
 目には見えないが、式神を使役して開けさせているのである。呪法の力を衰えさせない
ために、日常的に訓練として行っているらしい。並みの陰陽師なら、式神を呼び出すのに
呪符を使い呪文を唱える。しかし祖母のような熟達者ともなると、心の中で念ずるだけで、
式神を呼び出せるのである。
 二人が向かっている先は書物庫であった。
 神社が建立されて以来の重要な書物が所蔵されている。陰陽道五行思想、天文学、易学、
時計などの学問を記述した陰陽道関連の書物が数多い。特に呪法、呪符、呪文について書
かれた文献は、門外不出となっている。書物庫の周囲には、奇門遁甲八陣の結界が張り巡
らされ、【人にあらざる者】から貴重な書物が奪われるのを防いでいる。さらに周囲には
一般人が侵入しないように、立ち入り禁止の柵も巡らされており、その柵板にも魔除けの
鎮宅七十二霊符の呪符が描かれている。
 ほぼ完璧な霊的防御陣が敷かれていた。

 書物庫に近づくに連れて、二人の歩き方に変化が現れた。
 地面を踏みしめ呪文を唱えながら千鳥足風にして歩く。魔を祓い大地の霊を鎮める呪法
の一つで、【兎歩】と呼ばれる。
 書物庫の扉の前にたどり着いた。遁甲式盤という方位魔術の図柄が彫りこまれた錠前が
掛けられていた。書物庫全体に掛けられた結界陣と違って、錠前にのみに呪法が掛けられ
ていて、鍵穴が見当たらなかった。呪法によって巧妙に隠されているのである。
 祖母が、顎をしゃくり上げるようにして、
「おまえ、やってみろ」
 と、言っているようであった。
 錠前に向かい、細心の注意を払いながら開門の呪文を唱える蘭子。
 やがて錠前が輝いたかと思うと、鍵穴が現れた。
 祖母から鍵を受け取って鍵穴に差し込むと、ピキンという音と共に錠前が開いた。
 ほっと安堵のため息をついて、胸をなで下ろす蘭子。
「……まあまあだな」
 時間が掛かりすぎていた。
 祖母なら一瞬にして開けてしまうところである。


其の陸


 錠前を外して扉を開けて中に入り、戸口脇の棚から燭台を取ってローソクに赤燐マッチ
で点火して明かりを確保、今度は中から閂をかける。
 なお、ここから先は呪法の使用は厳禁である。呪法の影響で書物の内容が書き換わって
しまう可能性があるからだ。
 先に立って書物庫の中を進む祖母と、後に従う蘭子。
 総檜でできた書棚の前で立ち止まる祖母。燭台を棚の上に置いて、手を合わせ祈ってか
ら、漆塗りの玉手箱のようなものを取り出した。そしてそばの所見台の上に置いた。
 飾り紐を解いて蓋を開けると、二枚の銅鏡と和綴じの本が入っていた。
 蘭子がそばに寄ってのぞき込んでいる。
 和本の表紙には達筆な墨文字で【夢鏡封魔法】と書かれている。
「これに、夢鏡の魔人を封じる方法が書かれているのですか?」
「もちろんじゃ」
「どうしてこんな本がここにあるのでしょうか?」
「阿呆なこと言ってんじゃないよ。あの魔鏡に魔人を最初に封じたのがこの本の筆者、つ
まり我がご先祖様だ。あの魔人を封じた後に魔鏡を地中深く埋め、それが何かのきっかけ
で掘り出され魔人が復活した時のために、封魔法を記した本と使用した封魔鏡を、後世の
子孫のために残したのじゃ」
「あ、なるほどね」
「おまえは時々魔の抜けたことを言う。気をつけないと戦いの時に命を落とすことになる
ぞ」
「はい。肝に銘じて」
「とにかくじゃ、この二枚の封魔鏡は持ち出しても良いが、書物の方は厳禁じゃからな。
ここで読んで頭の中に叩き込んでおくことじゃ。よいな」
「はい。わかりました」
「それじゃ。儂は戻るが、ここを出るときまたちゃんと閉めておけよ」
 と言い残して、扉の方へとスタスタと歩き出した。
 蘭子は先回りして閂を外して祖母を送り出し、再び閂を掛けると元の所見台の所に戻っ
た。
「夢鏡封魔法か……」
 表紙に書かれた達筆な文字から、想像を絶するような内容が記されている感じが、ひし
ひしと伝わってくるようだ。
 息を呑み、静かに最初のページをめくる。
 毛筆で書かれた達筆な草書文字が飛び込んでくる。いわゆる平安貴族の間でもてはやさ
れた枕草子や伊勢物語・土佐日記などに記述されている、漢字かな混じりの文体で書かれ
ている。
 今時の女子高生にはとても読めないものであるが、幼少の頃から祖母に般若心経を写経
させられ、陰陽道に関する古典書物を読誦させられた蘭子には、読むには造作もないこと
だった。
 さて封魔法に書かれている内容を現代文に直してお知らせしよう。

 ■夢鏡封魔法

 建久六年十二月、第八十三代土御門天皇即位し頃。(注・西暦1196年1月)
 摂津国阿倍野というところで、奇妙なる病が流行っていた。
 若い女性が、ある日突然として狂ったように踊り続け、翌日に死んだ。
 その翌日、別の女性が昼間に痴呆となって村中を徘徊し、翌日に死亡した。
 次には、やはり女性が昼間に素っ裸になって男達を誘惑し、やはり翌日には死んだが、
その股間は精液まみれだった。
 時として包丁を振りかざして村民を次々と刺し続けて殺人鬼となり、最期には自分の首
筋を掻き切って自害して果てた女性もいた。
 すべてに共通していることは被害者は若い女性ばかりで、奇行の果てに死亡してしまう
ことで、偶然なのか自宅の鏡がことごとく割られていた。同時には決して発症しないこと
もわかり、何か【人にあらざる者】が若い女性に次々と取り憑いては奇行を働かせて、死
に至らしめているのではないかとの噂が広まった。
 そして女性が必ず持っている鏡が、その媒体となっているらしいとのことで、女性には
鏡を持たせるなということになった。


其の漆


 しかし、女性達の奇行死は治まらなかった。
 日常的に女性達は、炊事・洗濯・掃除と水に関わる家事に携わっている。飲料水を蓄え
ている水がめ、洗濯のためにタライに張った水、掃除のために桶に汲んだ水。その水面が
鏡面となって【人にあらざる者】を呼び出している事がわかった。
 水はありとあらゆる場所に存在する。川の水面、防火用水、雨後の水溜りなど。
 がために、【人にあらざる者】の動きを封じることは不可能だった。
 人々は、絶大なる人気を誇っていた陰陽師に救いを求めてきた。そして、我が安部氏土
御門家の門を叩いたのである。

 ■相手を知るべし。

 敵を倒すには、まず相手のことを良く知らねばならない。
 これまでに判っていることを列挙すると。
 一、若い女性に憑依して奇行死させること。
 二、鏡および鏡様になった水面などを媒介とすること。
 三、発症するのは、眠っている時に起きるらしいこと。
 四、誰もその姿を見たことがなく、おそらく人の心の中(夢?)と鏡の中とを移動する
ものである。これをもって今後は夢鏡魔人と称することにする。

 ■退治方法について

 これまでに述べてきたように、夢の世界と鏡の世界とを往来する虚像の魔人であること
が判った。ゆえに実体である我々が虚像を倒すことは絶対に不可能である。
 では、どうすれば良いか。
 答えは一つ。
 魔人を鏡の中に閉じ込めて出られないように封印することである。
 しかし、鏡は無限に存在し、すべての鏡の封印は不可能。
 そこで、魔を封じることのできる退魔鏡を用意し、これに夢鏡魔人を追い込んで封印し
てしまうのである。
 魔人が鏡の世界から抜け出して、特定の女性の夢の中に憑依している時こそが、封印す
ることのできる機会である。その女性の中に一旦封印し、かつ女性が死なないように眠ら
せておく。死んでしまえば夢は消失し、魔人が解放されてしまうからである。
 特定の女性の夢の中に閉じ込めたなら、夢の中に入り込むことのできる式神を使って魔
人と戦わせるのだ。倒すことは不可能だろうが苦しめることはできるはずである。ここで
奇門遁甲八陣の呪法を張り巡らせ、死門だけを開けておいて、そこに退魔鏡を置いておく。
ここで女性の封印を解いてやると、苦し紛れに奇門遁甲の開いた門から退魔鏡の中へと逃
げ込むはずである。だが飛んで火にいる夏の虫。魔人はその魔鏡からは二度と抜け出せな
くなるというわけである。
 早速、退魔鏡を作ることのできる鏡師を探すことにした。しかし奇門遁甲八陣図という
微細彫刻を施せる鏡師が見つからない。
 仕方なく、全国行脚しながら鏡師を探し出す旅を続け、志摩国の大王村波切というとこ
ろで鏡師を見い出し、ついに退魔鏡を手に入れたのである。
 急ぎ摂津国へと引き返して阿倍野に舞い戻った。
 かねてよりの計画通りに女性の夢の中に潜んでいた夢鏡魔人を退魔鏡の中に封印するこ
とに成功した。そして地中深くに退魔鏡を埋めることにしたのである。

 しかしながら、万が一退魔鏡が掘り出されてしまうこともあり得る。そのために、後世
の子孫のために、この書物を残しておこう。

 建保三年一月六日記(西暦1215年2月6日)
    土御門晴康


其の捌


 ここで思わずため息をつく蘭子であった。
 陰陽師の家系である彼女だから納得できる内容ではあるが、一般人が読めばとても信じ
られないことであろう。まさに怪奇的な内容が記されていた。
 しかし疑念が一つ残った。
 この封魔法を使用すれば、夢鏡魔人を再び鏡の中へ封印することができるかも知れない
が、全く同じ手が通用するかというと、魔人も馬鹿ではあるまい。必ず対抗手段を打って
くるであろう。
 悩んでいると、
「あ、続きがあるじゃない」
 書物には、まだページが残っていた。
「また、お婆ちゃんに叱られるところね。『おまえは間が抜けているぞ』はい、はい。気
をつけます」
 先を読み続けることにする。
 ページをめくると、まず附録と書かれてある。さらにページをめくる。
「夢鏡魔人退滅法」
 という文字が飛び込んでくる。
「退滅法か……」
 おそらくここから先に、同梱の二枚の鏡を使って魔人を退治する方法が記されているの
であろう。文字の字体がそれまでと全く異なっているところを見ると、封魔法を読んだ後
世の子孫が退滅法を編み出して、その内容を書き記し附録として付け足したのだろう。
 再びその内容を現代文に直してみよう。

 ■夢鏡魔人退滅法■

 序の文。
 ご先祖様の書き残した【夢鏡魔人封魔法】を拝読し、なるほど素晴らしい呪法を完成し
てくれたと感謝した。
 実際にも我が世代においても、鏡を媒体とする虚空の世界に住む夢鏡魔人ほどでないに
しても、亜流の夢魔人ともいうべき妖魔が徘徊し、人々を大いに苦しめているのだ。この
妖魔は鏡を媒体としない実体のある魔人で、人の夢の中に入り込んで悪夢を見せ、苦しむ
際に生じる負の精神波を活力源としているらしい。人を殺しはしないが、ほとんど廃人と
なってしまう。そして次なる獲物を見つけて乗り移るその際に、一時的に実体化する。そ
の時が、退治する絶好の機会であるが、いつ乗り移るかが判断できない。それよりもまず、
魔人に取り憑かれて悪夢を見られているのか、ただ単に自身の過去の古傷を思い出し悪夢
として苦しんでいるのか、識別することが困難だ。
 仮に取り憑かれている人を見つけて魔人をその身体に一時的に封印できたとしても、相
手は夢の中の虚像と化している。ご先祖様も述べておられるように虚像は絶対に倒せない。
 そこで何か策はないかと書物をあさり、ついに封魔法が書かれたこの書物を見い出した。
これを参考にすれば、夢魔人を退治することはできなくても、鏡やこれに替わる何物かに
封印することができるだろう。
 即座に実行に移すことにしたのだが、夢魔人は送り込んだ式神によって、あっさりと倒
されてしまったのである。意外な出来事を推察するにあたり、夢鏡魔人は鏡の中の世界に
生きているのに対し、夢魔人はこちらの世界に生きているという違いのせいかも知れない。
(注・これは相対性理論や量子理論の質量とエネルギー変換を考えると判りやすい。夢鏡
魔人が完全なる虚像であるのに対し、夢魔人は実体があって夢の中に入る際に、その質量
をエネルギー化しているのである。ゆえにそのエネルギーをゼロにしてしまえば、実体も
存在しえなくなって消滅してしまうのである)


其の玖


 こちらの夢魔人は、式神を使って退治することはできた。もう一歩進めて、鏡の中の世
界の夢鏡魔人をも式神を使って倒せないものか。
 ご先祖様によれば、式神を使っても夢の中にいる魔人は倒せないらしい。となれば鏡の
中へ直接式神を送り込んだらどうだろうか。
 早速、方策を練り始めることにする。現時点では鏡の中へ式神を送り込むことは不可能
だった。何か特殊な道具立てを考案しなければならない。
 まず思いついたのが、合わせ鏡である。二枚の鏡を相向かわせて、その中心に式神を呼
び出すための人形を置いてやる。すると双方の鏡の中には、人形と反対側の鏡の像が無限
に連続して映り込まれる。この状態で鏡の中に映る人形に働きかけて、式神を出現させる
ことができれば成功である。と、簡単に言ってしまったが、鏡の中にまで通ずる呪法がな
い。我々が会得しているすべての呪法は、この世界の中においてのみ通用するものだった。
虚空の世界である鏡の中にまでは届かない。
 鏡を四面や六面にもしたりして、試行錯誤の日々が続くが、一向に鏡の中の人形は答え
てはくれない。
 二十年の月日が過ぎ去っていた。
 未だに打開策は見い出せない。
 ほとんど諦めの心境に陥ったとき、突然閃くものがあった。
 人の夢の中には、式神を送り込ませることが可能であることは判っている。
 そうだ!
 夢の中も虚空の世界なのである。虚空の世界同士ならば、たとえ異質であっても移動が
可能なのではないか?
 それは夢鏡魔人の行動を考えれば納得する。奴は夢と鏡の世界とを行き来していたでは
ないか。
 まず式神を夢の中へ送り込み、そして鏡の中の世界へと転送するのだ。
 理論がまとまれば方策を考える。
 さらに二十年をかけて、【夢の魔鏡】と【鏡の魔鏡】という二つの魔鏡を完成させた。
この二枚の鏡を相対面させ、その中央に式神を呼び出す人形を置いて準備は完了である。
そして夢の世界と鏡の世界とを行き来する呪法も完成させた。
 しかし問題がある。これには夢を見てくれる実験体が必要だった。幸いにも実弟である
一番弟子が名乗りを挙げてくれた。彼には大いに感謝し、成功すれば土御門家の名跡を与
えると約束した。
 彼には早速眠ってもらって、人体実験がはじまった。
 そしてついに、式神を鏡の中へと送り込むことに成功したのである。さらにもう一体を
送り込んで戦わせることも行ったがこれもうまくいって、こちらの世界から鏡の世界の式
神を自由に使役することができるようになったのである。
 これでやっと夢鏡魔人を倒す方策が完成し、万が一復活することがあっても、この書物
を読んだ後世の子孫によって倒されるだろう。
 一番弟子との約束通りに、彼に土御門家の名跡を譲り、私は引退することにした。
 それからの隠居生活は悠々自適のはずだった。
 しかし、何か物足りない。大切なものをどこかに置き忘れているような気分がどうして
も拭えない。悶々とした日々が続いたある日、当然思い浮かんだのである。
 夢鏡魔人をこの手で倒せないものかと……。
 すなわち自分自身の魂を鏡の世界へ送り込んで、直接に魔人を倒したいものだと。
 思いは月日が経つに連れて大きくなってゆく。
 どうせこの身は老いさらばえて余命幾ばくもなし。たとえ失敗してもなんぼのものか、
後悔はしない。
 居ても立ってもいられなくなった私は、一番弟子に頼み込んで協力してもらうことにし
た。もちろん名跡を継いだ彼に人体実験を行うことはできない。彼の弟子の一人が手を挙
げてくれた。私にとっては孫弟子ということになる。
 そして、彼と孫弟子との協力を得て、自分自身の魂を鏡の中へ送り込むことに成功した
のである。
 ここに至り、夢鏡魔人退滅法の完成を見たのである。
 果たせるかな残念なことに、夢鏡魔人はすでに【夢鏡魔人封魔法】によって魔鏡に封印
されたままなので、この方策を試す機会がない。
 せめて後世の子孫のために【夢鏡魔人退滅法】を書き記しておくことにする。
     応仁元年正月二日記(西暦1467年2月6日)
          土御門晴樹


其の拾


 数時間後、祖母である土御門家晴代の居室。
 書物庫から持ち出した二枚と合わせて三枚の魔鏡を挟んで、蘭子と晴代が対面している。
「扉はしっかりと閉めて呪法は掛けてきたか?」
「はい」
「それで【夢魔人封魔法】はしっかり読んで、頭の中に叩き込んだか?」
「退滅法をも合わせてしっかりと……」
「なら、良い」
 しばし沈黙が流れた。
 庭先から虫の鳴き声が寂しく聞こえてくる。
 その泣き声に聞き入るように、庭先の方に目を向けながら、晴代が静かに尋ねる。
「これからどうするつもりだ」
「もちろん夢鏡魔人を倒します。この手で……」
「その手で倒すとな? すると退滅法の最期の手段を使うのか?」
「はい!」
「いつ?」
「今夜です」
 驚いて目を見張る晴代。
 今さっき退滅法を覚えたばかりで、いきなり実践しようというのだから無理もない。
「早急過ぎはしまいか? まだ、練習もしていないというのに」
「魔人は待ってはくれません。今夜か明日にも、友達は殺されるかもしれないのです」
「そうかもしれないが……」
 前のめりになり、手を突いて懇願する蘭子。
「お願いします。許可してください」
 目を閉じ腕を組んで考え込む晴代。
「呪法に失敗したら、その娘の命はむろん、おまえの命もないのだぞ」
「覚悟の上です!」
「そこまで言うのなら許可しよう」
「ありがとうございます」
「ただし! その呪法、儂が掛ける」
「おばあちゃんが?」
「馬鹿におしでない! これでも土御門家の総帥だぞ」
 声を荒げて怒る晴代。
「失礼しました」
 素直に謝る蘭子。
 やがて静かな口調に戻って、晴代が話し出す。
「いいか、蘭子。この呪法は失敗が許されない。その娘とおまえの命が掛かっているのだ
からな。未熟なおまえでは力不足だ。だから呪法は儂がやる。おまえを鏡の中の世界へ送
り込んでやる。そして魔人と力の限り戦え。たとえ敗れてお前の命を失っても、その娘の
命だけは守り通してやる。いいな、蘭子」
「はい、判りました」
「よし、いい返事だ」
 さわやかな笑顔になって見詰め合う二人。
 この時、蘭子は気づいていた。
 【夢鏡魔人封魔法】という書物を晴代は知っていた。当然として、実際に呪法を確かめ
るため弟子に協力を頼んで、練習を続けていたに違いない。そして鏡の中へ自分自身や弟
子達を送り込むことに成功していたのだろう。だからこその今の言葉なのである。
「そうと決まったら、早速その娘の家へ向かうぞ」
「はい!」
 蘭子は魔鏡を包み始めた。
「これを使え」
 晴代が棚から取り出してきたのは、長方形の薄い桐の箱で、蓋を開けると仕切り板が付
いていた。魔鏡同士ががぶつかり合って割れるという危険性を、仕切り板が防いでくれる
というわけである。魔鏡を慎重に包んで桐箱に納めて、さらに動かないように新聞紙で詰
め物をして蓋をし、風呂敷で丁寧に包んで、小脇に抱えて立ち上がる蘭子。皿や鏡のよう
な割れやすいものは、包んだ上で上下に重ねるのではなく、横に連ねるように梱包運搬す
るのが原則だ。
「虎徹はここに置いておくのだ。魔の精神波が漏れて呪法に支障をきたすかも知れぬ」
「判りました」
 蘭子は懐から御守懐剣を取り出して、棚の引き出しにしまった。
「よし! 行くぞ、案内しろ」
「判りました」
 二人連れ立って、近藤道子の向かうのだった。
 すでに日は暮れて辻を吹き抜ける風は冷たかった。

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