純愛・郁よ

(十六)縁側にて  食事はおいしかった。  二日酔いだったが、気がついたら全部食べていた。  いつも食べている郁の料理する味だ。慣れているから食べられない事はない。  郁自身が料理したか、郁に料理を教えた母親かのどちらかだな。たぶん二人で一緒 に料理したのだろう。  どちらにしても、お袋の味だ。決して飽きる事のない伝統の味だね。  母親には感謝しなくちゃな。  縁側に腰掛けて食後の休憩中。  庭先では、郁が布団を干している姿があった。  俺が使った布団だな。  酒の後で汗をたくさんかいていたから相当重くなっているはずだ。非力な郁にはか なりな重労働みたいだ。  時々腰に手を当て空を仰いで、ふうっと息をついでいる。 「郁、手伝おうか?」 「いいわよ。これは女の仕事よ。武司は、お客様だから。黙って見ていればいいの。 それに、旦那さまにそんなことさせてるの見られたら、お母さんに叱られちゃうもん」  そうか……。  ここは田舎だ。昔からの、古い慣習も数多く残っている。  郷に入れば郷に従えだ。  それにしてもここの家庭は、郁をしっかり女として扱っている。  郁の一番の理解者で、女の子が欲しかったという母親の影響が大きいみたい。  料理にしても何にしても、主婦として必要な事はちゃんと教えこんでいるのだ。 「まだ、時間があるかね?」  父親が尋ねてきた。  夕刻には、郁を連れて俺の実家に行くつもりだったが、まだ午後一時になったばか り。時間はある。 「大丈夫です」  そういうと嬉しそうにリビングから将棋盤を出してきた。  帰郷すれば、必ずお相手させられる。 「前回は負け越しだったからな。今日は、勝たせてもらうぞ」 「そうでしたっけ?」 「とぼけるなよ。一勝四敗だ」  趣味が合うというのは、気に入られる条件の一つだ。  当初、郁を奪っていった男ということで、しばらく口も聞いてくれなかった。 「お父さん。武司、将棋が強いわよ」  と誘導した郁の発言が、事の成り行きのはじまりだった。 「なに! 将棋ができるのか?」  父親の目が光った。 「まあ、ほどほどに」 「よし! この私に勝ったら、郁との仲を認めてやろうじゃないか」  強いと言われれば、勝負したくなる。  父親は、この田舎でも一二位を争う強豪だったらしい。こんな若造に負けるわけが ないと過信していたようだ。  ところが俺が勝ってしまった。 「お父さんの負けね。約束、守ってね」 「うーむ……。私も男だ。一度口に出した事は守る」 「だって、これで今まで通りよ。よかったね、武司」 「一体どこの道場で鍛えたのか」 「道場なんて行った事ないですよ。コンピューターの将棋ソフトを相手にしていただ けですから」 「コンピューター相手? 道理で強いはずだ」  父親は誤解しているようだ。確かにコンピューターは強いが、所詮アルゴリズムに 従って膨大な計算を瞬時にやってのけているだけだ。コンピューターが強いのではな くプログラムを作る人間の能力次第だ。定跡通りに差していると大概負けるが、飛ん でもない手を差したりすると、途端に思考ルーチンから抜け出せなくなって、シズテ ムビジー状態になる場合がある。  オセロやチェスでは人間より強いコンピューターも出現しているが、取った駒の再 使用可能な将棋では、まだ当分人間に勝てないだろう。  この田舎に父親より強い相手は二三人しかいなくて、しかも俺にくらべればだいぶ 弱いらしい。つまりこの田舎では、俺が一番の強豪ということになる。将棋は弱い相 手と戦ってもちっとも面白くない。強い相手と戦ってこそ、勝負のしがいがあるし、 自分のレベルも向上する。父親は、俺と勝負がしたいために、郁との仲を認めざるを 得なかった。  とにもかくにも将棋という共通の趣味が合って、俺は父親と和解した。
     
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