純愛・郁よ

(十八)門前払い  郁の実家の滞在時間が過ぎた。  次は難関の俺の実家だ。  会社を休んだ郁の兄が自動車を貸してくれたから、十五分もすれば到着だ。 「大丈夫かしら。認めてくれるかな……」  さすがに自分の実家にいると違って、随分緊張している郁。 「相当苦労するだろうね。無理かもしれない。おまえとの仲が知れて、追い出される ように家を出たんだから」 「ごめんなさい。あたしのために」 「いいさ。過ぎたことだ。問題は今だ」  俺の実家の話しをすると、恐縮する郁。  五年余り前の話しだ。  俺と郁が付き合っていることが、近所の噂になった。どこで調べたのか郁が実は男 だということも知られてしまった。両親は世間体を潰されたと激怒した挙げ句に、別 れないと突っぱねた俺を勘当した。俺の実家は田舎には違いないが駅もすぐそばにあ るし都会的だった。山間でおおらかな人々の多い郁の実家とはまるで風習も違う。  家を追い出された俺は、こんな土地に住めるかとばかりに、郁を連れて東京に出た のだ。生涯どこまでも一緒と誓い会った仲、郁は黙って付いて来た。  まあ、俺の実家からは離縁されてしまったが、郁の実家の方からは何かと支援があ る。可愛い娘のためと、米を送ってきてくれるから、買う必要がまったくない。もち ろん野菜や果物もだ。少ない収入でも何とか生活していけるのは、郁の実家のおかげ である。  こっちに戻って暮らすなら、家を建てる土地も分けてくれると言ってくれる。  感謝、感謝。 「まずは茜に会いにいく」 「うん」  俺の実家についたものの……。  結局、敷居を跨ぐ事も許されず玄関払いだった。とても説得なんて状況じゃなく、 意気消沈して俺達は郁の実家に戻った。 「そうか、だめだったか……まあ、相手の気持ちは判るよ」 「郁のためにも、双方の両親に祝福されて、結婚式を挙げたいと思っているんですけ れど」 「気を使ってもらって感謝するよ」 「いえ、夫として当然です」 「私達の方からも、何とか許してくれるようにお願いしてみるよ。まあ、お願いでき る立場じゃないんだが、精一杯努力してみるよ」 「恐れ入ります」 「どうしても駄目だったら。うちの方だけで式を挙げようじゃないか。親として、郁 をいつまでも待たせたくないんだ。判るよね」 「はい。その時は、お願いします」 「ところで、明日帰るんだろう?」 「はい。仕事がありますから」 「何時の電車だ」 「午前十時ですから、九時には出発します」 「そうか、孝司に送らせるよ。それまではゆっくりして行きなさい」 「わかりました」 「というわけで、一番どうだ?」  と、将棋を差す身振りをした。  よほど将棋が好きなんだなと思った。 「雪辱戦ですか?」 「ああ、負けたままでは目覚めが悪い」 「手加減しませんよ」 「望むところだ」  といって将棋盤を出して来た。  俺が郁の実家で過ごした時間、家族達は精一杯にもてなしてくれた。  性転換して女性になり、子供を産めない娘を、嫁にもらってくれる男なんてそう現 われるものじゃない。大切に扱われている。  その夜。  すっかり夜も更けて寝床に入ろうとしていた時だった。郁は、まだ後片付けや明日 の準備でもう少し遅くなるはずだ。 「武司さん、お話しがあるんですけど。宜しいですか?」  郁と母親が一緒に俺の居室に入って来た。  その真剣な表情から、込み入った話しになるだろうと察知した俺は、身を正して答 えた。 「構いませんよ」 「お休みになるところ申し訳ありません。さ、郁もそちらに座りなさい」 「はい」  と郁は俺の側に正座して座った。  俺と郁を前にして、母親は語りだした。  そう。俺の察知した通り、郁が生まれてから今日までの事。  男の子として生まれ、女として成長した生活事情のすべてを。
     
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