陰陽退魔士・逢坂蘭子/蘇我入鹿の怨霊
其の拾捌 布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)  禁足地の中ほどに来た時、右側の森が薄明るく輝いているのに気が付いた。  まさかかぐや姫か?  という冗談はさておき、近づくにつれて、それは人影のように浮かび上がった。  奈良時代のものと思しき衣装を身にまとっている女性の姿。  どうみても生身の人間ではなかった。  地縛霊か?それとも浮遊霊か?  危害を加えるような存在ではないようだ。 「あなたは?」  蘭子は尋ねてみる。  すると蘭子の意識に直接語り掛けてきた。 「布都……」  か細い声で答える女性。 「物部守屋の妹の布都姫ですか?」 「そうじゃ」  布都姫は、物部守屋の妹であり、蘇我入鹿の妻である鎌足姫の母親という説がある。 「わたしをお呼びになられたのは、あなたですね?」 「布都御魂に召されて参った」 「召された?」 「そなたに授けるようにと……」  と、地面を指さした。  女性が指さした地面がほのかに輝いている。 「ここに何かあるのね」  小枝を拾って地面を掘ってみると、古びた鉄の塊が出てきた。  土くれを取り払ってみると、錆びた刀剣だった。 「これを、わたしに?」  女性は答えず、軽く頷くと静かに姿が薄らいでいき、そして消えた。  禁足地から蘭子が出てくる。  一振りの刀剣を携えて。  蘭子の姿を見とめて出迎える井上課長。 「おお、帰ってきたか心配したぞ」  目ざとく蘭子の持つ刀剣に注視する宮司。 「刀剣のようですが、見せていただけませんか?」  断るわけもなく刀剣を手渡しながら、事の詳細を話す蘭子。 「そうでしたか……」  じっと検分していた宮司であるが、 「こ、これは!布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)です」  驚きの声をあげる。 「え?それって御神体として、本殿に奉納されているのでは?」  と、井上課長。 「確かにそうですが……1894年に禁足地を発掘した際に大量の神宝が出土しました。そ の中に伝承の中にある霊剣に相似したものがありました。それをご神体として祀り立て たのですが……。七星剣に表裏があったように、布都御魂も同様ではないかと」 「つまり確証はないけど、たぶん伝承にある布都御魂の二つ目じゃないかということで すか?」 「どちらが本物の布都御魂かどうかは、誰にも分からないでしょう」 「現在ある布都御魂の真偽はともかく、禁足地には布都御魂が埋められたのは確かなこ とですから」  この地では、須佐之男命(素戔嗚尊)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に 用いたという神剣、天羽々斬剣(あめのはばきり、あめのははきり)が出土している。  また、建御雷神(たけみかずちのかみ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定 した際に用いたといわれる霊剣、布都御魂(ふつのみたま)も、この地に一時埋められ るが再度掘り起こされて、石上神宮の祭神として祀られている。  納得いかないような表情の井上課長であるが、 「で、その刀剣は蘇我入鹿の怨霊に対して効果があるのかね?」 「神から遣わされたものです。信じるしかないでしょう」 「それはそうだが……」 「森宮司にお願いがあります」 「何かね」 「ご説明したとおりに、蘇我入鹿の怨霊退治には、この布都御魂が必要と思われます。 しばらくお貸し願えないでしょうか」 「ああ、もちろんだとも。ご神体のご意向となれば拒否するすべがない」 「ありがとうございます」  石上神宮は物部氏ゆかりの地である。  物部氏は蘇我氏に滅ぼされたという怨念がある。  蘭子が蘇我入鹿を退治したいという願いを訴えたとき、 『ならば儂が適えてやろうじゃないか』  と、祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)が降臨し、布都姫を使わせて、 布都御魂を授けてくれたのではないだろうか。
     
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