続 梓の非日常/第五章・別荘にて
(九)守護霊  それは、梓お嬢さまが生まれて間もない頃のお話でした。仕事の都合上で日本に来てい た渚さまは、休暇を軽井沢の別荘で過ごしていました。梓さまのお守りとして、わたしも 一緒に来ていました。ある夜のこと、梓お嬢さまが夜泣きをして、いっこうに泣き止みま せんでした。どうにかしてあやそうと、梓お嬢さまを抱えて、別荘の周りを散歩していま した。  見知らぬ老人が立っていて、こちらをじっと眺めていて、声を掛けようとしたら森の中 に溶けいるように消えてしまったのです。  いつのまにか梓お嬢さまは泣き止んでいて、老人の消えた森の中をじっと見つめていた のです。  不思議なことに、梓お嬢さまも楽しそうに、きゃっきゃっとはしゃいでいました。  その夜からです。  梓お嬢さまに付きまとうように、その老人が出没するようになったのです。  梓お嬢さまのお部屋から笑い声が聞こえたかと思うと、ベビーベッドのそばにその老人 が佇んでいて、やさしそうにお嬢さまをじっと見つめていました。しかし私が声を掛けよ うとすると、たちまちのうちに消えてしまいます。  幽霊?  私は、渚さまに事の次第を報告して、善処策を考えていただこうと考えました。 「その老人は、梓に何の危害も与えないのね」 「はい。じっと見つめているだけです。微笑んでいるようにもみえました。お嬢さまも全 然怖がらずに楽しそうにしていました」 「そう……。なら、心配いらないわ」 「どうしてですか? 幽霊なら、いつかお嬢さまに危害を与えるかも知れないじゃないで すか」 「そうね……。ちょっと、待って」  というと、渚さまは書棚の前に立つと、古びた写真集を取り出してみせました。  写真集のページを捲って、とある写真を指差しておっしゃいました。 「もしかして、その老人って、この写真の人に似ていませんでしたか?」  白黒のかなり傷んだ写真でしたが、その顔はまさしくあの老人にそっくりでした。  そう答えると、 「やっぱりね。この方は、わたしの祖父よ」 「ご祖父? でも、あの老人は、もっと昔の方のように見えましたが……。そう江戸時代 の武士のような姿をしていました」 「そうかも知れないけど、顔はそっくりだったでしょ? 血が繋がっていますからね」 「は、はい」 「いつの時代の人かは判らないけど、真条寺家のご先祖さまには違いないらしいのよ。だ から、祖父と瓜二つのお顔をしてらっしゃるの」 「でも、どうして?」 「この別荘を建てるために、土地を造成したでしょ。その際に祠を潰したせいで、多くの 霊がさ迷いでてきたらしいの。ご先祖さまも、静かに眠っていたところを起こされて出て きたのね。でも、それが自分の直系の子孫だと判って、見守ることにしたんじゃないかし ら」 「そうなんですか……」 「実はね、わたしも幼少の頃に、見知らぬ老人が佇んで見守っていたという話を聞いたこ とがあるの。あのご老人、子々孫々に渡っての守護者みたいになっているらしいわ」 「渚さままで……」 「だから、心配要らないの。見守っていてあげましょう」 「判りました」 「というわけで、梓さまにはご先祖様の霊が憑いているらしいのです」 「今もかしら?」 「たぶん……」 「でも、見たことがないわね」 「お守りとして梓さまをみていた頃の私は、まだ子供でしたし、梓さまも乳飲み子でした から、純粋な気持ちで【霊的なる者】を見る能力が備わっていたと思います。しかし年を 経るごとに、その能力も失われていったのでしょう」 「ふうん……。もう、無邪気な子供じゃないというわけね」 「あいにくでございますが……」  そういうと、ふっとロウソクを吹き消した。  生々しいほどの幽霊談を聞かされて、クラスメート達の口からは次の話題が出てこなか った。  自然消滅するように百物語もお開きになった。  結局その夜は停電が回復することなく夜を明かすこととなった。  嵐の夜が明けた朝。  谷間から立ち上る霧に包まれていた。  しっとりと濡れた草花の間を散歩する梓。  誰かに見つめられているような気がして振り向くと、見知らぬ老人がこちらをじっと見 つめていた。 「あなたは?」  梓は直感した。  ご先祖様の霊ではないかと……。  梓が声を掛けると、老人は静かに微笑んで森の中に溶けいるように消えた。 「あれが、ご先祖様か……」  背後から声が掛かった。  驚いて振り向くと慎二が立っていた。 「ご先祖様って……。見えたの?」 「ああ、見えたよ。麗華さんの言うとおり、ご老人だったな」 「そう……」  梓は、何か因縁めいたものを、慎二の中に感じた。  そういえば、危機一髪という時には、必ず慎二が現れて命を救ってくれていたような気 がする。   最初の交差点での事故。    事件当時には、慎二も現場にいて目撃したらしい。   太平洋孤島不時着事故。    慎二が密航したおかげで、コースがずれて孤島に不時着。そうでなければ太平洋の 海の中に沈んでいたという。   研究室地下火災事件。    まさしく燃え盛る炎の中に飛び込んでの命がけの救出劇は涙ものである。  もしかしたら、慎二の中に老人の霊が取り付いていて、守護霊として慎二を通して見守 ってくれているのかもしれない。  老人の姿が見えるというのも、そのせいかも知れない。  慎二が守護霊?  思わず含み笑いしてしまう梓だった。 「なんだよ、急に笑い出してよ。俺にも見えたのがおかしいのかよ」 「いや、そんなことはないぞ」 「ならなんだよ」 「何でもないよ。それより、今日から空手部の合宿がはじまるぞ。ビシビシ鍛えてやるか ら覚悟しろよ」 「いきなりかよ。お手柔らかに頼むぜ」 「さあ、そのためにも腹ごしらえだ。朝飯にするぞ」 「おうよ。五人前くらい食ってやる」 「好きにしろ」  仲良く連れ立って別荘へと戻る二人だった。 第五章 了
     ⇒第六章
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