純愛・郁よ

(六)性転換 「なあ、郁」 「なあに?」 「俺と別れてくれないか」 「え? うそ。あたし、何かいけないことしたかしら?」  驚いて俺を凝視する郁。 「そんなことないが、とにかく別れてくれ」 「あたしが、女じゃないから?」 「いや、俺はおまえを男と思ったことは一度もない」 「じゃあ、子供を産めないから?」  もう泣き出す寸前の郁。その二つを理由に言い出されたら反論しようがない。 「そんなことはない。俺は子供は好きじゃないし」 「だったら、どうしてなの? あたし、一生懸命尽くしているつもりだよ。何が不満 なの、言って」  目に一杯涙をためて震えだした。 「俺みたいな安月給じゃ。おまえを養っていけない。もっと素敵で稼ぎのいいやつを 探して一緒になれよ。その方が、おまえも幸せになれる」 「そんなことないよ。武司と一緒なら、どんなに貧乏でも我慢できるもん。どうして もっていうなら、あたしも働くわ。ゲイバーでだって……」 「俺のために、そんなところで働くことはないぞ」 「お願い、あなたのそばにずっといさせて」  ほんとにもう俺にすがりついて離さず、俺を真剣な眼差しで見つめ涙していた。  予想したとおり、郁は完璧に女の心を持っており、俺を愛していることを改めて知 らされた。 「わかった、わかった。判ったから、そんなに泣くな」 「だって、だって……」 「別れるなんてもう言わないから」 「ああ……。武司。愛してるわ」  郁は抱きついてきた。身体を震わせて泣いている。  俺はやさしく抱いてやって、郁の興奮が治まるのを待った。  やがて静かに俺から離れて、 「ごめんなさい」  と謝った。  郁が謝る必要は全然ないのだが、そう言わないと気が済まないのだろう。  そして洗面所に行って、顔を洗い化粧を直して戻ってきた。 「ひどい顔してたわ」  と、作り笑顔をしてみせる。 「落ち着いたかい」 「ええ。もう平気」 「俺が別れるなんて言ったのは、おまえの本気を確かめたかったからなんだ」 「本気を確かめる?」 「俺は、おまえと生涯を共にしたい。だから性転換して、本当の女になってくれない か」 「性転換?」  郁の表情が変わった。  まるで期待に胸膨らむといった明るい表情だ。  もっと真剣な表情になるかと思ったが、俺の方が拍子抜けだ。  とにかく話しを続ける。 「ああ。性転換すると、二度と元に戻れなくなるからな。だから本気で女として生き る決心があるのか、俺と生涯を共にするつもりがあるかを、確認しなければと思った のだ。だから、別れてくれと切り出しておまえの本気を確かめたのだ」 「あたし、本気だよ。生涯、武司と一緒に暮らしたい」 「ああ。じゃあ、性転換してくれるか?」 「うん。性転換するわ。実は、以前から考えてたの。でもあたしの方からは言い出せ なかったの。武司に勝手に手術するわけにもいかないし、ずっと悩んでたのよ」 「そうか……。なら、話しは早いな」 「あたし、武司の本当の妻になれるのね」 「ああ、死ぬまで一緒だよ」 「嬉しい……」  と、また泣き出してしまった。 「せっかく化粧を直したのが、だいなしだな」 「いいもん。今度のは嬉し泣きだから……」  それからしばらくして、性転換の手術をするために実家へ帰っていった。  郁の身体については、すべて郁の実家の母親に任せるしかない。  女性ホルモンを飲みはじめたのも、睾丸摘出の手術を受けさせたのも、郁の母親が 決めたことだ。  郁は、三歳の時すでに、性同一性障害の診断を下されていた。妊娠中にホルモン異 常で脳細胞が女性脳化し、完全な女の心を持って生まれてきてしまったのだ。  男性として暮らしていくことは不可能と診断され、成長に合わせて段階的に女性へ 生まれ変わらせる処置がなされていた。それらはすべて母親の指示のもとに行われて いた。  性転換手術も、法的な手続きはすでに完了しており、合法的に行われた。  再び俺の元に戻ってきた時、郁は完全な女性に生まれ変わっていた。  俺を愛するために、生涯を共にするために。  以来、互いに本当の夫婦だと思って暮らしている。  引き続き、戸籍の性別変更の手続きが開始されたそうだ。  三年前の話しだ。
     
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