あっと! ヴィーナス!!(9)
 part-6  朝食を終えて学校へ行くため玄関へ。  玄関のシューズボックスを探したが、履いていくべき靴が見当たらなかった。 「おい、早くしろよ」  先に準備を済ませた武司兄さんが戸口で急かしている。 「待ってよ。ねえ、お母さん。靴は?」  以前の靴はあったが、今の女の子になって小さくなった足には合わない。26cmセ ンチから23cmになってしまった。とてもじゃないが履けたものではない。 「ああ、ごめんなさい。買ったばかりでまだ出してなかったわ。ちょっと待ってて ね。今持ってくるわ」  母が持ってきた靴は、ローヒールの革靴だった。 「買ったばかりだし、あなたの足に直接合わせて買った訳じゃないからね。まだ足 に馴染んでいないから気を付けて歩くのよ。そんなに歩き回らない方がいいわね。 学校から帰ったらシューズフィッターのいる靴屋さんに行って、足に合った靴を買 いましょうね。だから早く帰ってらっしゃい」 「わかった」  靴は一応サイズは合っているみたいだった。しかし革靴というものは、しばらく 歩いてみてみないことには、真に合ってるかどうかは判らない。  ともかく玄関を出て、外へでる。  さあ、いざ出陣だ!  という感じだよな。  なにせはじめての女装外出だもんな……。それも女子制服。  違うな、今は女の子なんだから女装という言葉は合っていないよ。  家を出て、武司は黙々と先を歩いていた。 「兄さん、もっとゆっくり歩いてよ」  兄とはまるで歩幅が違っているから歩くスピードについていけず小走りになって いた。ずっとその状態が続いたら疲れてしまう。 「おまえが、遅いんだよ」 「だってえ……」 「たけしーっ。おはよう」  突然声をかけられて立ち止まる武司。  同い年くらいの二人の女の子が笑顔で近づいてくる。  どうやら武司のクラスメートらしい。 「あらあ! その女の子はだーれ?」 「可愛いわねえ、武司君の彼女かな?」  と弘美に注目する二人。 「ち、違うよ。い、妹だよ」 「うそお、男ばかりの五人兄弟って、言ってなかったかしら」  恥ずかしくて武司の影に隠れる弘美。 「そ、そうだったかな……。とにかく妹だよ」 「ふうん……妹さんの名前は?」 「弘美だよ」 「弘美ちゃんか……。おはよう、弘美ちゃん」 「はじめましてだよね、弘美ちゃん」  と、背の低い弘美に合わせるように少し屈み込み、やさしく微笑みながら話し掛 ける二人。 「お、おはよう」 「きゃあー。かわいい!」  弘美の声を聞いて黄色い声をあげる二人。  そんな……声聞いただけで感激しないでよ。 「たけし、こんな可愛い子がいるのを黙ってるなんて、隅におけないぞ」 「そうそう、水臭いぞ」 「そ、そういうわけではないんだけど……」 「制服からすると栄進中学ね。何年生かな?」 「三年生……」 「じゃあ、来年は栄進高校に進学ね。一緒の学校になれるわね。楽しみだわ」  栄進中学が見えてきた。  校門前で立ち止まっての会話。 「弘美ちゃん。今度一緒に遊びに行こうね」 「それいいわねえ。こんな可愛い子と一緒なら楽しいでしょうね」 「二人とも行くぞ」  武司兄さんがお姉さん達を急かして、先に歩きだした。 「じゃあね、弘美ちゃん」 「弘美ちゃん、またね。ばいばい」 「さよなら」 「もう! 待ってよ」 「相変わらず冷たいのね」  二人のお姉さんは武司兄さんの後を追った。  もしかして、武司兄さん。結構人気者なんじゃないだろか……。 「弘美、おはよう!」  と背後から聞き覚えのある声がした。  げっ! その声は……?  振り返って見れば……。  双葉愛ちゃん!  幼馴染みの愛ちゃんじゃないかーっ。  やばいよ、やばいよ。  この姿、見られっちゃったよお。 「おはよう、弘美」  あれ?  おかしいな。 「どうしたの? 変な顔して」 「ねえ、あたしの姿見てどう思う?」 「どういうこと?」 「男の子に見えるか、女の子に見えるか」 「なに言ってるのよ。弘美は女の子でしょ」  どうやらヴィーナスの言った通り、弘美に関係している人間の記憶を入れ替えた というのは本当らしい。  少し安心した。  二人並んで教室へと歩きだす。 「弘美、おはよう」 「おっはー。ひろみぃ」  と声を掛けてきたのは、クラスメートの西条明美と新川美奈だ。  男の子だった時は、挨拶を交わす程度だったが、なぜか親しく寄り添ってきた。 「おはよう! 弘美」  と次々と声掛けが続いた。  声を掛けていくのはみんな女の子だった。  な、なんで女の子ばかりなの?  って、ヴィーナスが記憶操作したからだよね。  女の子になったから、親しい友達もそれにふさわしいものにしちゃったんだと思う。  うーん。さすがに女神を名乗るだけあるな。  ちがーう!  誉めてどうするんだよ。  けなしてこそすれ、誉める対象ではなーい! 「あ! 沢渡君よ」  と、明美が指差す先には、校内随一いや川越市で一番の暴れん坊の沢渡慎二が歩 いていた。高校生だって恐れおおのく、二つ名で「鬼の沢渡」と呼ばれる荒くれ男 だ。彼に睨まれたら、骨の二三本も折れれば恩の字で即病院送りは確実。見てみろ よ、男達は彼が通れば道を開けてびくびくしている。 「沢渡君、おはよう!」  美奈が挨拶する。  おいおい!  関りになりたくない。 「ああ……おはよう」  ぼそりと答えて行ってしまう。  あれ?  あれが鬼の沢渡と恐れられている男か?  あ、そうか……思い出した。  男相手には容赦のない彼だが、女の子にはよほどのことがない限り手を挙げない ことでも有名だった。それどころか、女の子が男達に絡まれているのを見掛けると、 その男達を叩きのめし、女の子を救い出して名も告げずに去っていく。  男達は震撼するが、女の子達には救世主なのだった。  今の弘美は女の子だから……安心していられるわけだ。 「近寄りがたいけど、女の子にはやさしいからね……」  きーんこーんかーんこーん♪  学園内に予鈴が鳴り渡った。  まもなくホームルームがはじまる。  それぞれの教室へと入っていく生徒達。遅刻しそうになり駆けている者もいる。  3年A組。  それが弘美のクラスだった。  教室に入り、いつもの席に座る弘美。いつもと言っても以前までは男として座っ ていた場所だ。しかし身長が低くなった分、机がちょっと高すぎるように感じる。  教室の廊下側の窓に、すらりとした女性のシルエットが映った。  からりと乾いた音とともに扉が開いて入ってきたのは……。 「ああ! ヴィーナス!!」  なんでこんなところに? 「起立!」  クラス委員長で、生徒会会長でもある鶴田公平が号令を掛けた。  一斉に立ち上がる生徒達。 「礼!」 「着席!」  いつものホームルームの情景だ。しかし肝心の教師が違う。  ヴィーナスは、チョークを手に取り、黒板に向かって文字を書きはじめた。どう やら名前らしい。  女神奇麗  と書き綴った。  おい!  いくら何でも、その名前はないだろう。 「新任の担任の女神奇麗です。めがみ・きれいと読みます。先日寿退職した先任の 先生に変わって担任となりました」  ちょっと待て!  なんでヴィーナスが教師なんだよ、それも担任……。
     
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