純愛・郁よ

(十一)茜  それ以来、俺達に新しい家族が増えた。  赤ちゃんを抱いて、幸せ一杯の表情の郁を見ていると、届けることができなかった。  ベビー用品を買い込みはじめた郁。女の子だから、人形とかぬいぐるみとかいった 可愛らしいものが部屋中を飾った。。  しかし生活は、以前にも増して苦しくなった。  もし本当の夫婦であり、子供であれば、配偶者手当や扶養手当などが支給されるの だろうが。上司には、俺が郁(性転換者であることは伏せてある)と事実上の夫婦生 活していること、俺の実家が反対していて結婚できないでいることを話してある。が、 婚姻届が出されていない限り配偶者手当は出せないと言われていた。  郁は少しでも家計を助けるために、買い物する時は、いくつかのスーパーを回って、 一番安いところから買ってくるようにしている。  毎日、折り込みチラシを隅々まで読んで、特売品をチェックしている。ただ安いか らといって、無駄に買い込んだりはしない。  郁は、卵一パック、平値いくら特売値いくら、といった情報を、店舗ごとにパソコ ン入力してデータ管理している。そうすると平値では、○○店がいつも安いとか、特 売だけは××店が安くなる。金曜日は必ず、△△精肉店で肉の特売をやるといったこ とが、一目でわかるのだ。もちろん材料費を切り詰めるだけでなく、料理方法も工夫 して、できるだけ安い材料で、よりおいしくて栄養のある食べ物にする努力をしてい た。  TVの料理番組にも目を凝らしていて、安くておいしいというようなタイトルは全 部録画して、参考にしている。  ごちそうが並んでいるから、 「奮発したね。そんな金、どこにあったんだ」  と尋ねると、意外な答えが返ってくる。 「ううん。お金かけてないよ。これ、全部で三百円だよ」 「う、うそだろ。その十倍くらいすると思ってた」 「へへえ。専業主婦の智慧だよ」  自慢した三百円のおかずは、実にうまかった。ちゃんと肉も入っているし、栄養価 は十分にありそうだった。たいしたものだ。料理の基本は母親から教えてもらったと 言っていたな。  衣類などは、インターネット通販を利用する事も多い。一枚88円なんて格安のシ ョーツなどは、郁の定番である。郁は自分の着る服にはほとんど金を掛けないで、食 費とかに回している。  回線は定額のADSLだから、いくらネットを使っても料金は変わらない。変わら ないのなら使わなきゃ損である。  最近は育児に関するホームページを定期巡回している。売ります・買いますは必ず 目を通すそうだ。最近、ただでさえ狭い部屋を占拠した、ベビー・ベットはそこで買 ったものである。  というわけで、郁はパソコン関係には非常に強い。  通常女は数学・理科には弱いとされているが、元々男の子なのでこういうことには 滅法強かった。感情や女らしさに関わる中枢と、学力や知識に関わる中枢は、まった く別な領域にあるから、それぞれが独立して発達しても不思議ではない。  プログラムにも精通していて、シェアウエアの家計簿や日記帳などの生活便利品ソ フトをアップロードしている。生活便利品ソフトというのは、実に郁らしい。主婦が プログラムしているから、ヘルプ機能など細々とした事に丁寧に対応しており、使い 勝手が良いということで評判で、婦人雑誌に掲載されている推薦ソフトの常連に入っ ている。そのシェアウエア料金が結構な金額になる。もちろんシェアウエアというも のは、常にバージョンアップして機能を高めていかなければ、すぐに飽きられるし、 似たようなソフトが次々と出て乗り換えられる。その点は、主婦で時間はいくらでも あるから、バッチリだ。  郁は時間の管理が徹底していて、決して無駄な時間を過ごす事がない。  朝食の支度からはじまって、掃除洗濯・買い物・育児、そしてまた夕食・片付けと 一日を有効に使って、結果自由時間も結構ある。  自由時間があるから精神的ストレスに陥る事もない。  ああ、そうそう。もう一つ巡回しているページがあった。  捜索願い・行方不明とかいった警察関係のホームページである。  赤ちゃんを拾った地方版のコーナーを開いて、茜に該当する捜索願いなどが掲載さ れていないかを、つぶさに調べている。  どうやら捜索願いは、今のところ出ていないそうだ。  何故だかは知らないが……。
     
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