特務捜査官レディー(三十三)巨乳なる姿
2021.08.06

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十三)巨乳なる姿

 翌日となった。
 真樹は敬を連れて、早速黒沢医師の下へと急行していた。
「先生! あの男はどうなりました?」
「早速来たな。見てみるか?」
「もちろんです」
 というわけで、昨日の場所に向かう。
 例の産婦人科用の診察台に括り付けられたままの勧誘員はまだ目覚めていなかった。
「どれどれ、見るか」
 と、診察台に近づいて勧誘員の診察をはじめる黒沢医師だった。
「台に縛り付けたままにしていたのですか?」
「ああ、逃げられたくないからな。完全独房の覚醒剤患者用リハビリ病室というのもあるが、どうせまたこれに乗せなきゃならんから、二度手間は面倒だ」
「で、どうなんですか?」
「ふふふ。面白いことになっているよ」
 勧誘員の上着がはだけられて、胸が露出していた。
「こ、これは……」
 そこにはまさしく豊かな胸が形成されていた。
 それもFカップはありそうな巨乳サイズだ。
 普通の日本人は仰向けに寝たりすると、乳房がのっぺりと扁平状態になってしまうものだが、これはまあ……張りがあって天を向いて、豪快なくらいに山形になったドーム上の乳房を維持していた。
「あれから、豊胸手術をしたんじゃないですよね」
「本物の乳房だよ。手術なら一晩では治らない縫合痕ができるはずだろが」
「まあ……そうですが。しかし、たった一晩でこんなに大きな胸ができちゃうなんて信じられないわ。どんな薬剤なのですか?」
「私の製薬会社の新薬開発研究所の所員が開発したものでね。ハイパーエストロゲンとスーパー成長ホルモンというものが調合されている」
「どちらも女性化には必須のホルモンじゃないですか」
「まあな……。実はその研究員は、君と同じ性転換手術を行った最初の女性なんだ」
「性転換……してるのですか?」
「ああ、彼女は性転換をテーマにした新薬を開発していてね。MTFの人々の気持ちは身に沁みて感じているから、一人でも多くの患者を救いたいと、実に真剣に日夜取り組んでいるよ。で、臨床試験直前にまでこぎ着けた新薬の成果がこれだ」
 と、勧誘員を指差す。
「へえ、面白い話ですね。確かに一晩でこれだけの胸が出来ちゃうなんて、すばらしいじゃないですか。人体実験されたこの人には悪いですけど」
「天然痘の予防方法の種痘法の効果を確かめるために、当時下僕だった8才のジェームズ・フィップスという父親のいない子供(自分の子供という説は誤りであり、その効果を確認した後に自分の息子のロバートに摂取したというのが正しい)に牛痘摂取したというジェンナーのように、何事にも誰かが犠牲にならなければならない。たまたま、悪事を働いたこいつに実験台になってもらったわけだ」
 話し声や黒沢医師に胸を触れているせいか、勧誘員が目を覚ました。
「ん……ん?」
「どうかね、気分は?」
「お、おまえは!」
 一瞬として、自分の身に起きていることを理解できなかったようだが、昨日のことにすぐに気がついて叫んだ。
「俺に、一体何をしたんだ!」
「おや、気がつかないようだ。じゃあ、これならどうかな」
 と言いながら、その豊かな胸を掴んだ。
「これを見たまえ。おまえの胸だよ」
 寝てていても張りのある巨乳である。目の前にあるそれが見えないわけがない。
「こ、これは……!!」
 さすがに事態を飲み込まざるを得ないようだった。
「見事なものだろう。おまえの胸にできた本物の乳房だよ。これだけ大きな、いや巨乳というべきかな……。これだけのものはそうは見られないぞ。どうだ、嬉しいか?」
「誰が、嬉しいものか?」
「納得していないようだな」
「当たり前だ!」
「うむ……じゃあ、これならどうかな」
 というと計器を操作する。
 天井に固定されていたとある器械が、かすかな音を立てて降りてくる。
「鏡だよ。おまえの位置から、自分の姿を良く見ることができるぞ」
 やがて鏡が静止して、診察台の勧誘員の全身像を写した。
 はだけられたシャツの胸から、大きく張り出した巨乳に釘付け状態になっている勧誘員。
「さてと、これだけじゃまだ。信じられないだろう」
 というと、洋裁用の大きな鋏を取り出して、勧誘員の服を切断しはじめた。大やけどを負った患者の衣服を切り裂くために用意してあったのだろう。やけどを負うと体液で衣服が皮膚に張り付いて、衣服を脱がそうとするとべろりと皮膚まで剥がれてしまう。それを避けるために癒着していない部分を選んで切り裂いていくための鋏である。

 とにもかくにも診察台に縛り付けている者の衣服を剥ぐには切り裂くしかない。
「な、何をする!」
「鏡を見ているんだな。面白いことになっているぞ」
 やがて上半身は露になった。
 驚いたことに、その上半身は男性ではない、撫で肩の細い体格をした明らかに女性的な骨格になっていたのである。
「す、すごい!」
 真樹が思わず声を上げた。
「どうだ。どこから見ても女性にしか見えないだろう?」
「ええ、本当にあの勧誘員なのですか?」
「別人ではないよ。当の本人そのものだ」
 その本人は変わり果てた姿に茫然自失となって言葉を失っていた。
「たった一日でこれですか?」
「私もこの目で見るまでは信じられなかったよ。何せ、この薬を使ったのはこの男がはじめてだからな。一体どうなるかとね。さてと……下半身はどうなっているかな」
 黒沢医師は鼻歌交じりで、ズボンを切り裂きに掛かった。
 科学者的な探究心で目が輝いていた。
「何か今日の先生……。怖いくらいね」
 真樹が敬に小声で囁く。
「ああ、まるでマッドサイエンティストだ」
「言えてる」
 確かに、性転換に関わることとなると目つきが異常に鋭くなる黒沢医師だった。まるで自分の世界に没頭したように夢中になってしまう性格を持っていた。
「どうですか?」
 真樹が覗き込む。
「残念だが、完璧な性転換とまではいかなかったようだ」
 とその股間を指差す。
 そこには男性特有のものが残存していた。
「ありゃりゃ。可愛い♪」
 まあ、確かに男性自身であったが、子供くらいに小さくなっていたのである。
「ここまでが限界のようだ。内性器がどうなっているか調べる必要があるな」
 と勧誘員の方に振り向いて、話しかける。
「おい、呆然としてないで、そろそろ自分の現状を見つめて、今後のことを考えてみたらどうだ?」
「ど……、どうしろというのだ?」
 やっとのことで言葉を搾り出したという感じだった。
「まあ、不完全だが……おまえはもはや、今のままではまともな男としては生きられないと言う事だ」
「嘘だ!」
「どうだ。この際、この股間のものも取り去って、今すぐ完全な女性にしてやろうか? おまえが望めば今すぐにでもできるぞ」
「じょ、冗談じゃない。女になんかなりたくない」
「そうだなあ……。このまま女性にしてしまって、どっかの売春組織に売り飛ばすこともできるぞ。生きている限り抜け出せないような所がいいだろう」
「な……。や、やめてくれ!」
「これだけ、大きな乳房ならひっきりもなしに客が付くかも知れないな。もちろん、おまえにはそれを拒絶することはできない。毎日毎日、より多くの男に抱かれなければならないというわけだ。身体を壊すのもそれだけ早いと言う事だ」
「い、いやだ……」
「身体を壊して使い物にならなくなった売春婦の行き着く末は……。おまえなら知っているかも知れないが……」
 勧誘員の言葉には耳を傾けることなく、売春婦にされ残酷な日々を暮らす惨状を、たんたんと語り続ける黒沢医師だった。
「やめてくれ!」
 突然に大きな声を張り上げて黒沢医師の言葉を遮る勧誘員。
「た、たのむ。昨日も言ったように、なんでも言う事を聞く。アジトのことも話す。たのむから女にするのはやめてくれ!」
「そうか……女にはなりたくないか……。残念だな」
 というと勧誘員に微かな安堵の表情が浮かんだ。
「仕方ないな。おまえが心を入れ替えて、善人の道に入るというのなら、元の男性に戻してやることもできるのだが……」
「も、元に戻れるのか?」
 急に明るさを取り戻す勧誘員だった。
「ああ、今ならまだ間に合う。男性ホルモンを飲めば、時間は掛かるかもしれないが、元に戻ることができるだろう。しかしこのまま放って置いて時間が経てば、さらに女性化が進んで手の施しようがなくなる」
「た、頼む! 元に戻してくれ。男性ホルモンといったな。それをくれ!」
「それには条件がある! もちろんおまえの組織のアジトを吐いてもらう以外にな」
 と険しい表情に変わる黒沢医師だった。
「それは……?」
 ごくりと唾を飲み込んで黒沢医師の次なる言葉を待つ勧誘員だった。


「男性に戻る限りには、二度とあんな真似をする気が起きないように、罰を受けなければならない」
「罰だと?」
「そうだ。すぐに男に戻しては罰を与えることができない。おまえはその格好のまま一年の期限付きで奉仕活動をしてもらうことにする」
「奉仕活動だと……?」
「そうだ。奉仕だよ。それも男性相手のな」
「な、なんだって?」
「つまりゲイバーで一年間働いてもらうことにする」
「ゲ、ゲイバーだと!」
「そうだ。女装して酒飲みの男達を接待する仕事だ」
「そこを逃げ出したらどうする?」
「構わないさ。しかし、一生をそんな中途半端な姿で暮らさなければならないぞ。男でもなく女でもない、そんなおまえが生きていくには、他に仕事はないぞ」
「しかし……」
「無事に一年の勤めを果たしたら、男性に戻してやる」
「ほんとうだな」
「ああ、私は医者だ。信じることだ。というより信じるしかないのがおまえの現状だ」
 現実を突きつけられ、考えあぐねている様子の勧誘員だった。
 こんな姿に変えられてしまった今、元に戻るにはこの医者の言う事を聞くしかないだろう。
 しかし、男相手に女装して接客するゲイバーのホステスになるしかないのか?
 ある日突然に女性に性転換されてしまって、自分がなさなければならない現実を考えるとき、将来の不安に掻きたてられるのであった。

 黙ったまま考え込んでいる勧誘員のその豊かな胸を注視しながら、黒沢医師が次なる段階へと言葉の口調を変えて切り出した。
「なあ、これだけのものを持ったんだ。男に戻るより女性になった方がいいんじゃないか?」
「いやだ!」
「残念だなあ……。顔も飛び切りの美人だというのに。例え男に戻ってもたぶんその顔はそのままだろうなあ……」
「な、なに?」
「おや、まだ気が付いていなかったのかい? もう一度じっくりと自分の顔を見つめてみろよ」
 改めて鏡を見つめる勧誘員。
「こ、これは……?」
 どうやら今までは巨乳にばかり目が行っていて、顔の方には注目していなかったようだ。
「どうだ。きれいだろう? 今時、これだけの美人はいないぞ」
「う、嘘だろう。これが俺の顔だというのか?」
「正真正銘の今のおまえの顔だよ」
「し、信じられない……」

 その会話を耳にした真樹が敬に耳打ちする。
「ねえ、わたしと彼とどっちが美人かしら?」
 やはり女性としては、美人だと言われた相手が気になるようだ。
 特に男だった相手には負けられないという感情があるのだろう。
「そ、そんなこと……比べられないよ」
「あ! やっぱり彼の方が美人だと思ってるんでしょ」
「そうじゃなくて……」
「いいわよ。どうせ、わたしは整形美人だもん。ぷん!」
 と膨れ面をしてみせる真樹だった。
 そうなのだ。
 真樹の顔は確かに誰の目にも美人として映るが、黒沢医師によって死んだ女性そっくりに整形されたものだった。
 そして方や、性転換薬によって変貌した美人。
 果たしてどちらが真に美人と言えるものなのか。
 敬が答えに窮するのも当然と言えるだろう。

「信じられないだろうが、今見ている通りに現実だ。顔だけではなく、体格もまんま女性そのものだよ。ほんとに……、まさかこの薬が、ここまでほぼ完璧に女性化させるとは、私もこの目で見るまでは、とても信じられなかったよ」
「お、男にする薬はないのか?」
「ないな!」
 きっぱりと断言する黒沢医師。勧誘員の表情が暗くなる。
「この薬の開発者は、男性から女性への性転換を可能にする薬剤の研究をしてはいるが、その反対の女性から男性への薬の開発研究する意思は毛頭ないからだ。つまり……それがどういうことかというと……」
 と、ここで一旦言葉を止めて、勧誘員の身体を嘗め回すように観察する。
 勧誘員に自己判断を促しているようだった。
「つまり……なんだよ。ま、まさか……」
 おそらく自分でも結論に達しているのだろうが、認めたくない感情から尋ねずにはいられないといったところだろう。
「そう……。その、まさかだよ。おまえは、生涯その女性の身体と言う事だよ」
「嘘だろ?」
「物体というものは、大きいものを小さくするのは簡単だ。氷像みたいに削って小さくすればいいのだからな。だから筋骨隆々だった身体が、こんな風に華奢でしなやかな身体にするのも簡単というわけだ。だが、一旦小さくしてしまったものを、元の大きさにするのは不可能だ。それくらいは判るだろう?」
「い、いやだ。そんなこと……。そうだ! さっき男性ホルモンで元に戻れる言ったじゃないか。あれは嘘なのか?」
「嘘ではないが……。ここまでほぼ完全な体型に女性化してしまうと、完全な元の男性に戻ることは不可能だ。今さっき言った通りなのだが、例え男性ホルモンを飲んだとしても、骨格までは変えられないということだ。せいぜい筋肉がついてくる程度のものだ」
「も、戻れないのか?」
「ああ、戻れないな。……なあ、この際男性に戻るのはあきらめて女性になってしまわないか? 完全なる女性にしてやるぞ。もちろん手術の費用はただにしてやる。女性になったからには、これまでの罪はすべて水に流してやろうじゃないか。男性として行ってきた過去は一切無罪放免にして、女性として何不自由なく暮らしていけるように、ちゃんとした仕事も斡旋してやるぞ。だが、元の男性に戻るというのなら、しかも不完全な身体のままだ、罪を償わなければならない。どうだ? 男性に戻って罪を償うか、女性に生まれ変わって新しい人生を踏み出すか。男性といってもおかまみたいな男性にしか戻れないが、女性になればその美貌を活かしてファッションモデルにすらなれる」
 勧誘員は黙り込んでしまっていた。
 そりゃそうだろう。
 たとえ元の男性に戻っても、身体はほとんど女性並みでおかま扱いされるのは必至である。そしてどんな罪の償いをさせられるか……。この黒沢医師の性格を推し量ってみるにつけ、とんでもないような苦しい罰が待っているような気がする。
 だが、女性になることを選択すれば、この豊かな乳房と美貌で黒沢医師の言うとおりの薔薇色の人生が待っているかも知れないのだ。そして無罪放免され仕事も紹介してくれるという。
 どう考えても、答えは一つしかないじゃないか……。
 勧誘員は、じっと考え込んでいる。
 その表情を見つめ柄、にやにや笑っている黒沢医師だった。

「ねえ、先生ったら……。女性への性転換ばかりすすめているけど、元の男性に戻すつもりはないんじゃない?」
「ああ、たぶんな。先生の悪い癖がまたはじまったというところだ」
「可哀想ね。どうやら女性になるしかないみたい」
「だが、あの格好のままだとしたら、男に戻ってもなあ……。笑い種だ」
「そうね……」

「か、考えさせてくれないか」
 ついに、勧誘員が折れてきた。
 さすがに、黒沢医師の性転換薔薇色人生攻撃? を畳み掛けられては、承諾するよりないと結論に至ったようだ。
 ただもうしばらく考える時間が欲しい。
 そういうことのようだ。
「いいだろう。二日待ってやる」
「なあ、せめてこの格好から解放してくれないか?」
 勧誘員は診察台に縛られている。
 その状態で二日もいることは我慢の限界を超える。
「そうだな……」
 というと、敬の方を向いて言った。
「解くのを手伝ってくれ」
「いいですよ」
「悪いな」


 だが、解き放たれた瞬間だった。
 勧誘員が、猛然と敬に体当たりしてきた。
 隙を見計らって、脱出を試みたようだった。
 しかし……。
「い、いたた……。痛い」
 敬に簡単に腕をねじ上げられてしまった。
 勧誘員は、自分が女性の身体になっていることを、すっかり忘れていたのだ。
 その女性的な華奢な身体では、特殊傭兵部隊時代に鍛えた筋骨隆々の敬を、弾き飛ばすことすらできなかった。
 腕を取られてもそれを振りほどく腕力さえもまるでない。
 体格も筋力も、そしてその美貌をもして、勧誘員は完全なまでに女性化していた。
「どうやら、まだ自分のことが判っていないようだな。言ったろうが、おまえはもはやほぼ完全な女性になっているんだよ。あきらめるんだな」
 その言葉に、うなだれる勧誘員。
 もはや女性になるしかない状況なのだと理解したようだ。
「もう、結論は出たな」
 問いかける黒沢医師に対して、ゆっくりとうなづく勧誘員だった。
「ほ、ほんとうに……。完全な女性になれるんだろうな?」
 女性になると決めたからには、やはりまがい物ではない真の女性になりたいと願うのは当然だ。
「もちろんだ。わたしは産婦人科医だ。女性の身体の事はすべて理解しているし、性転換手術のことなら、ここにいる真樹が証明してくれる」
 と、突然に言い出した。
「な、何を言い出すんですか? 先生! そのことは……」
 さすがに慌てふためく真樹だった。
 それを知っているのは、黒沢医師と敬、そして両親の四人だけである。
 全くの他人に明かすような内容ではないだろう。
「いいじゃないか。今日からこの娘は……。そう、この娘と言おうじゃないか。私たちの仲間となるんだ。言わば真樹とこの娘は姉妹というわけだよ。秘密事はなくして、仲良くしようじゃないか」
「そんな……。勝手に決めないでください!」
「あはは、さてと……。いつまでも裸のままじゃ、可哀想だな」
 といいながら、戸棚から手提げ袋を取り出した。
「さあ、これを着なさい」
 と勧誘員に手提げ袋を手渡す。
 勧誘員がそれを開けると……。
 出てきたのは、女性用の衣料だった。
 ワンピースドレスにブラやショーツといったランジェリーも揃っていた。
 それを見た真樹が驚いたように言った。
「せ、先生! やっぱり最初から、この人を女性にするつもりだったんですね?」
「あはは……。その通りだよ。私は男は嫌いだからな、男に戻すことは端から考えていない」
 女性衣料を手渡されて勧誘員はとまどっていた。
 そりゃそうだろう。
 これまで男として生きてきたのだ。
 例え身体が女性になってしまったとはいえ、いきなり女性衣料を着るには勇気がいるだろう。
「成り行きでこういうことになってしまったが、判るな?」
 と念を押す黒沢医師だった。

 少し考える風だったが、やがてゆっくりとその衣料に手を伸ばす勧誘員だった。
 黒沢医師は、最初から性転換するつもりだった。
 だが、それを知ったところで、今更どうすることもできない。
 男には戻れない。
 黒沢医師にその意思がない以上、これは確定的だ。
 一生をこのまま女性として生きていくしかない。
 ならば、この目の前にある女性衣料……。
 着るしかないじゃないか。
 ブラジャーを手にした勧誘員だったが……。
「どうやって付けるんだ? これ?」
 というような困った表情をしていた。


「真樹、着方を教えてやってくれ」
「ええ? わたしが?」
「他に誰がいる。彼女は、ブラジャーなんかしたことないんだ。正しい付け方を教えてやらないと、せっかくの形よい乳房が型崩れしてしまうじゃないか」
 そう……。ブラジャーは正しい付け方というものがある。
 それを知っているのは真樹だけだ。
「でも、先生だって正しい付け方があることを知ってるくらいだし、産婦人科医として診察の際に、多くの女性の着衣を見てきたんでしょうから、付け方ぐらいは知っているんじゃないですか?」
「あのなあ……。ただ見ていただけじゃないか、実際に身に付けている女性でないと、良く判らないことがあるだろう」
「そりゃそうだけど……」
 そんなわけで、ブラジャーの正しい身に着け方をレクチャーすることになった真樹だった。
「あのね、ブラジャーの付け方は……こうやってね……」
 勧誘員のそばに寄って、手取り足取り教える真樹。
「はい! これでいいわ。しっかり覚えておいてね。あなたみたいに、これだけ大きな乳房だと、しっかりカップに入れて正しく付けておかないと、先生のおっしゃったように型崩れしていわゆる垂れパイになっちゃうからね」
「はい。判りました」
 生まれてはじめてのブラジャーを身に着けた勧誘員は、すっかりしおらしくなっていた。
 女性になると覚悟した以上、おとなしく言う事を聞くしかないと判断したのであろう。
 それ以上に女性のランジェリーを身に着けたと言う事が、何にもまして女性としての気概を植えつけてしまったと言ってもよい。女性だけが身につけることを許されたランジェリーの持つ魔性ともいうべきものである。
 それからその他の服をもすべて身に付けてすっかり女性的な外観に変わってしまっていた。
 もはやどこから見ても立派な美しい女性にしか見えない。
「ところで先生、こんな大きなカップのブラジャーなんか、どうして用意できたんです?」
「なあに、簡単だよ。ここは産婦人科だ。はじめての出産を経験する初妊婦は、分娩の後に授乳が始まるのは予備知識で知っていても、いざ乳が張ってきて予想外に大きくなって、用意してきたブラが入らなくて困るということが良くあるんだ。だから購買部でそんな人のために大きなサイズのブラジャーを置いてあるんだ。もちろん授乳専用の前部が開くやつがほとんどなのだが、普通のやつもある。それを持ってきたのさ」
「なるほどね……」
「あの……。真樹さんと言いましたね」
「え、ええ」
「教えてくれませんか。女性のこと……何も知らないから」
 話しかけられてとまどう真樹。
「え? 突然そんなこと言われても……。ねえ、敬」
「あのなあ……。こっちに話しを振るなよ。これはおまえとこの人の問題だろ」
「だって……」
「俺は、思うんだけどさあ……」
 と何か言いかけて口を噤む敬。
「なに、言って? 考えがあるんでしょう?」
 真樹は何事かと聞き出そうとする。
「この人は、女性に性転換されてしまったことで、もう罪に対する罰は十分に受けたと思うんだ。先生も言ったように、これからは新しい人生をはじめることになる。生まれ変わってね」
「それで?」
「しかし女性としての経験はまるでないだろう? 社会に出て女性として生きていくには最低限の知識は必要だ。衣服の着こなしはもちろんのこと、化粧とかも必要だろう。それを教えられるのは真樹しかいないんじゃないか?」
「そうかも知れないけどさあ……」
「教えてやれよ。真樹なら、この人の気持ちは良く判ると思う。違うか?」
 真樹が元々は男性であり、性転換して女性になったことを示唆しているのだった。
 同じ境遇である真樹にしか、その気持ちは判らない。
 他に誰が、この性転換女性を正しい道に導けるものがいるだろうか?
「もう……。判ったわよ。教えてあげればいいんでしょう」
 致し方なく承諾する真樹だった。
「あ、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
 深々と頭を下げる勧誘員だった。
 その仕草も態度もすっかり女性的な雰囲気があった。
 郷に入れば郷に従えだ。
 女性として生きることを決心したことが、その態度をすっかりと変えてしまったのである。
 あるいは性転換薬が、身体だけではなく精神構造をも、純朴な女性的な性格にしたに違いない。

「それじゃあ、性転換手術をする日は後で決めるとして、早速例の組織のことを教えてくれないか」
 黒沢医師が本題に話題転換した。
 囮捜査のことも何もかも、すべては売春組織を探し出し壊滅することだった。
 その情報を知っているのは、この勧誘員である。
 そのためにこそ、黒沢医師は性転換を実施し、言葉巧みに仲間に組み入れたのである。
「はい。何もかもすべて話します」
 すでに勧誘員はこちら側の人間である。
 それから売春組織のアジトはもちろんのこと、勧誘員の知りうる幹部達のことなど、洗いざらいの情報を話し始めたのである。
 黒沢医師の目論見大成功である。

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特務捜査官レディー(三十二)性転換
2021.08.05

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十二)去勢手術

 黒沢医師の言った【あそこ】とは、黒沢産婦人科病院の地下施設である。
 いわゆる闇病院として非合法的な治療を行っている。

「お、重いよお」
 男達を運ぶのを手伝われる真樹。
 敬が上半身を支えて、真樹が足を持って、黒沢医師が持ってきた患者用移送ベッド
に乗せている。真樹に万が一のことがあった時のために用意していたようだ。
「なさけないなあ……。これくらいで根を上げるとは」
「なによお。わたしは女の子なのよ、少しは気遣ってよ」
 幼少の頃から女性として暮らしてきた非力な真樹にはつらいものがあった。
 体格は完全に女性の身体つきをしているのだ。
 筋肉よりも脂肪の方が多く、腕を曲げてみても二の腕に力こぶすらできない。
「へいへい。確かに女の子でしたね」
 敬もそのことは良く知っているが、ふざけて言っているのである。
「もう……」
 ふくれっ面を見せる真樹。
「おいおい。いちゃついてないで、早く運んでくれ」
 黒沢医師がせっついている。
「いちゃついてないもん!」
「判った。判ったから早くしてくれ」

 ともかく部屋から地下駐車場までの間を、四人分都合四回もエレベーターの昇降を
繰り返す。途中数人の通行人と鉢合わせたが、こういう所に出入りする人間は、事な
かれ主義のものが多いので、いぶかしがりながらも黙認するように態度をみせて、そ
れぞれの目的の場所へと移動していく。最悪となれば、二人が持っている警察手帳を
見せればいいのだ。
 地下駐車場には、黒沢医師の助手が救急車で迎えに来ていた。
「よし。無事に運び終わったな」
 何とか男達を救急車に乗せ終わった。
「それじゃあ、先生。わたしはここで帰ります」
 美智子が別れることになった。
 真樹の救出を終えたところで用事は済んでいた。
「悪かったね。こいつらからアジトを聞き出したら、またお願いするかもしれないの
で、その時はよろしく」
「判りました。麗華様にはそう伝えておきます。では」
 レース仕様の重低音のエンジンを轟かせながら、美智子の運転するスーパーカーが
立ち去っていった。
「それじゃあ、私達も行くとしよう」
 黒沢医師の言葉を受けて、男達と一緒に救急車に乗り込む。
 前部の運転席には助手と先生とが座り、後部の救急治療部に適当に寝転がせた男達
と敬と真樹が乗り込んだ。
「狭いわ」
「我慢してくれ。すぐに着くから」
 救急車である。
 当然サイレンを鳴らしながら走り出す。男達が目を覚ます前に目的地に到着しなけ
ればならないからである。
 赤信号を注意しながら走りぬけ、混んでいる道も反対車線を難なく走り続けていく。
 そしてものの十数分で目的地に到着したのである。
「さすがに救急車だわ、早いわね。急用があったら乗せてもらおうかしら」
 事も無げに真樹が言うと、敬がたしなめるように答える。
「あのなあ……。無理言うなよ」
「言ってみただけじゃない」
「お帰りなさいませ」
 病院に勤務する医師や看護婦が出迎えていた。
「先生、手術の準備は完了しています」
「よし。男達を降ろして中へ運び入れる。裸の二人とこいつは睾丸摘出して、例の場
所へ移送してくれ」
「判りました」
 先生が指示したのは男優二人とカメラマンだった。
 どうやらここにいる医師団によって分業で同時に手術するようだ。
「たまたま……取っちゃうんですか?」
「ああ、これまでの悪行の罪を償ってもらう。盗聴していた会話を聞いていれば、罪
のない素人の女性を無理矢理強姦生撮りAV嬢に仕立て上げたり、散々な酷いことを
重ねていたようだからな」
「例の場所ってどこですか?」
「決まっているだろう。玉抜きした人間の行き着く場所は一つだよ。裏のゲイ組織で
働いてもらうのさ。まあ、よほどのことがない限り、そこから出ることはできないだ
ろう」
「ちょっと可哀想ね」
「同情かね。敬が飛び込まなければ、こいつらに犯されていたんだぞ」
「そ、それは……」
 言葉に詰まる真樹。
 法の番人の警察官として、ちゃんと裁きに掛けるのが筋だと思っているからである。
このような私刑というべき行為は許されていないのではないか……。
「私は、こいつを担当する」
 指差したのは、真樹をあの雑居ビルに連れ込んで、AVビデオを撮ろうとした勧誘
員だ。男達のリーダー的存在だった奴。
「やっぱり、たまたま取っちゃうのですか?」
「いや、こいつには別の手段を使う。何せ、売春組織のことを洗いざらい吐いてもら
わなければならないからな。組織のことを知っているのは、こいつだけだろうから
な」
「どんな手段ですか?」
「まあ、見ていたまえ」
 そう言って、含み笑いを浮かべたかと思うと、勧誘員を乗せた移送台を押して病院
の中へと入っていった。
 真樹と敬もその後に続いて行く。


 その勧誘員を運び込んだ部屋は、産婦人科で使われるあの診察台のある部屋だった。
「手伝ってくれ。こいつを診察台に乗せるんだ」
 言われるままに勧誘員を診察台に乗せるのを手伝う二人。
「そうしたら、こいつの手足を台に縛り付ける」
 両腕を台に縛りつけ、両足を足台に乗せた状態にして、動けないように固定する。
「よし、準備完了だ。目を覚まさせよう」
 薬品棚から瓶を取り出して、ガーゼに含ませている。
「気付け薬ですか?」
「そういうこと」
 そのガーゼを勧誘員の鼻先に近づけると……。
「ううっ!」
 といううめき声を上げて目を覚ました。
「こ、ここはどこだ?」
 開口一番、ありきたりな質問だった。
 まあ、それ以外には言いようがないだろうが。
 そして診察台に固定されていることに気づいて、縛られている状態から抜けようと
して盛んに身体を動かしていた。
 しかし無駄な行為だった。
「とある病院だよ」
「俺を、どうするつもりだ?」
「貴様が売春婦の斡旋業をしていることは判っているのだ。若い女性を『アイドルに
してあげよう』とか言葉巧みに誘い込んで、強姦生撮りビデオを撮影していた。そし
て、その後には売春組織に売り渡していたこともな」
「そ、それは……」
 図星を言い当てられて言葉に窮する勧誘員。
「これまでに侵した罪を償ってもらうことにする」
「な、何をするつもりだ?」
「強姦された挙げくに売春婦にされてしまった罪もない女性たちの苦しみをおまえに
も味わってもらうことにする」
「どういうことだ」
「おまえを女に性転換して、売春婦として一生を惨めに生きてもらうのさ」
「性転換だ……。売春婦だと? 馬鹿なことを言うな」
「信じたくもないだろうがな……」
 と言いながら再び薬品棚から別な薬剤の入ったアンプルを持ち出してくる黒沢医師。
「さて……。これが何か判るか?」
 アンプルを取り出して、その中の薬剤を注射器に移している。
「な、なんだ?」
「究極の性転換薬だ」
「性転換薬だと? 嘘も休み休み言え!」
「信じられんだろうな。だが、明日の朝になれば真実かどうか判る。その目で確認す
るんだな」
 その声は相手を脅すには十分過ぎるほどの重厚な響きを伴っていた。
「や、やめてくれ!」
 診察台に縛り付けられて、どこからともなく漂ってくる薬剤の匂い。明らかに病院
の中だと判る場所。
 そんな所で言われれば、さすがに本当なのかと思い始めているようだった。
「た、たのむ。何でも言う事を聞く。組織のことも喋る。おまえら警察だろう?」
 勧誘員の声は震え、懇願調になっていた。
「無駄だよ。お前の運命は決まってしまったんだ」
「本当だ。嘘は言わない。組織のことを喋る。おまえらそれが知りたいんだろう?」
 しかし、冷酷な表情を浮かべて、押し殺すような声の黒沢医師。
「諦めるんだな」
 そいういうと、注射を勧誘員の腕に刺した。
「やめろー!」
 黒沢医師が止めるはずもなかった。
 注射器のシリンダーが押し込まれ、薬剤が勧誘員の体内へと注入されていく。
「い、いやだ……やめて……くれ」
 勧誘員の声が途切れ途切れになり、そしてそのまま意識を失ってしまったようだ。

「どうしたんですか?」
 真樹が近づいて尋ねる。
「薬剤の中に睡眠薬を入れておいた。明日の朝まではぐっすりだ。逃げられないよう
に、このままの状態で置いておく」
「睡眠薬? 性転換薬じゃなかったのですか?」
「睡眠薬も入っているということだ。性転換薬というのは本当だ」
「冗談でしょう?」
 真樹は麻薬取締官であると同時に薬剤師でもある。
 現在市場に流通している薬剤のことならすべて知っている。
 性転換薬など、許認可されてもいなければ、開発されたという噂すら聞いたことも
ない。
「私の運営している会社は知っているだろう?」
「もちろんです。医者は副業、本職は薬剤メーカーの社長さんですよね」
「その通りだ」
「まさか、開発に成功されたのですか?」
「いや、奴に射ったのは試験薬だ。人間に投与しての臨床試験に入っていない」
「まさか、この男で人体実験を?」
 敬が核心に触れるように言った。
 意外なところで他人の心を読み取ることがある。
「あはは、その通りだ。何せ、臨床試験しようにも、出来る訳がないだろう? 女に
なりたいという人間は数多くいても、どうなるかも知れない怪しげなる薬を試してみ
ようという人間はいないさ。もっと確実に性転換できる手術が発達しているからな」
「なるほど……」
「明日の朝っておっしゃってましたけど……」
「ああ、動物実験から類推するに人間なら一晩で可能なはずだ」
「本当にできるのでしょうか?」
「だから、人体実験だよ。明日が楽しみだ」
 といって笑い出す先生だった。
「そんな……」
「まあ、興味があって成果を見たいなら明日来てみるんだな。成功か失敗か、いずれ
にしても面白いものが見られるはずだ」
「見に来ます! 乗りかかった船ですよ。最後まで見届けたいです」
「いいだろう。明日の午前九時にきたまえ。囮捜査のことで、明日も出勤日ではない
のだろう」
「はい。明日の九時ですね。必ず参ります」

 というわけで、奇妙なる性転換薬というものの存在を知り、もっと早くこれが完成
していて自分がそれを使うことが出来ていたら……。
 心底そう思う真樹だった。

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特務捜査官レディー(三十一)雑居ビル
2021.08.04

特務捜査官レディー・特別編
(響子そして/サイドストーリー)


(三十一)雑居ビル

 勧誘員が案内したのはどこにでもありそうな雑居ビルの一つだった。
 雑居ビルでは当然ともいうべき小汚い通路からエレベーターに乗って上へと向かう。
 車のなかにおいてもそうだが、怪しい男と二人きり、狭い場所に閉じ込められた状
態というのは息苦しいものである。勧誘は時折ちらちらとこちらの胸や足元にいやら
しい視線を投げかける。
 どの階でもいいから早く止まれ!
 女性なら誰しも思うだろう。
 やがてエレベーターは七階で止まった。
 相変わらず小汚い通路だ。どの階も同じなのだろう。
 火災とか起きたときの避難路とかは大丈夫かしらね……。

「ここだ」
 勧誘員が立ち止まったのは705というプレートの貼られた扉の前。
 ”エンジェルカンパニー”というどこにでもありそうなありきたりの企業名らしき
看板……というかシールが貼られていた。
 エンジェルカンパニー?
 あまりにも俗すぎて思わず噴出しそうになる。
 ○○カンパニーとか○○企画とかいうのはこの業界でよく使われる名前だ。
 その営業場所は、こういった雑居ビルやワンルームマンションなどである。
 決して一所で長期間も事務所や店を構えることはせずに、警察の摘発を避けるため
に転々と居場所を変えていくのである。また警察内部の事情に詳しくて、摘発情報を
売る情報屋などというものの存在もある。
「そういえば、あの刑事……今頃どうしているかしらね」
 佐伯薫として生活安全局の警察官としてAV業界の摘発を行っていた頃を思い出し
た。
 その刑事は、こういった場所や裏ビデオショップとかブルセラショップとかに出入
りしては、摘発情報を教えては幾ばくかの情報料をせびる悪徳刑事だった。ついでに
裏ビデオとかもただでくすね取る奴だった。裏事情に詳しく店を変えても執拗に居場
所を探し出してしまう。そいつに逆らってはこの業界では食っていけなくなるので、
店主達は仕方なくいいなりになっていた。
 こういった組織やその背後にある暴力団とかと密接に関わって、甘い汁を吸おうと
する悪徳刑事はいくらでもいる。
 摘発屋からの情報と背後関係とかを極秘裏に調べ上げて、その組織と刑事を逮捕に
至ったのである。懲戒免職の上、地方裁判所にて懲役5年の刑が下され、控訴したと
聞いたがその後の事は判らない。
「入りたまえ」
 勧誘員がドアを開けて中へと誘う。
 中へ入ると、ドアに鍵を掛けた。
 だろうね。
 こんな所に入ってこられると困るだろう。

「今、カメラマンを呼んでいるところだ。しばらく待っていてくれないか」
 応接セットを指差して、流し台のある方に行ったかと思うと、カップを持って戻っ
てきた。
「まあ、コーヒーでも飲みながら雑誌でも読んでいてくれ」
 と、持ってきたコーヒーカップとアイドル情報が載っている雑誌を、目の前のテー
ブルの上に置いた。
「コーヒーか……」
 おそらく睡眠薬が入っていると思われる。
 準備が整うまで眠らせておこうという魂胆である。
 これからこの男と、おっつけやってくる組織員とによって、繰り広げられるだろう
場面が想定された。
「素人本番シリーズ! 強姦生撮り! 奪われた処女!!」
 とかいったタイトルが付けられるだろうAV撮影場面である。
 誘いこんだ女性を身動きできないようにしておいて、本番の強姦シーンを撮影しよ
うというのである。
 それは女性が目を覚ましてから撮影が開始される。眠っていては迫力ある強姦シー
ンなどあり得ないからである。
 もちろん女性はまさしく強姦されるわけだから、逃げようとし必死で泣き叫ぶだろ
う。
 そんなことはお構いなしに、犯され苦痛にゆがむ様を生撮りしていくのである。
 強姦マニアにはよだれもののAVビデオの出来上がりである。
 撮影が終われば、
「言う事を聞かないと、今撮影したビデオをAV業界に売り渡すぞ」
 とか脅迫して口止めとすると共に、次なる段階である売春婦の道へといざなうのだ。
 女性が言う事を聞いて売春婦となるもならないも、結局ビデオは売られてしまうの
だ。

(五十四)睡眠薬

 それでも言う事を聞かない女性には、覚醒剤である。
 奴らの本当の目的は売春婦を斡旋することであり、AVビデオは副業として行って
いることなのだ。
 目の前に置かれた睡眠薬の入ったコーヒー。
 さて、どうするべきか……。
 飲まなければ、いつまで経っても先に進まない。
 覚醒剤の中和剤を投与しており、これは睡眠薬に対しても効果がある。
 だから薬で眠らされることはないのだが、眠っている振りをするのも、果たして上
手くいくかが問題だった。
 まあ、何とかなるでしょう。
 コーヒーカップを手に取って飲んでいく。
 コーヒーの独特の苦味によって、薬の味はかき消されている。
 コーヒーに含まれるカフェインは本来覚醒作用のあるものだが、睡眠薬の方が強力
なのでやがて眠りへと入っていく。
「あれ……。何だか眠くなってきたな……」
 いかに中和剤を飲んでいるとはいえ、完全に睡眠薬の効果を遮断することは不可能
だ。ある程度は効果が現れてしまう。
 そもそもこの囮捜査に際して、緊張と興奮によってここしばらく不眠状態が続いて
いたのである。睡眠不足と睡眠薬との相乗によって、いつしかまどろみを感じはじめ
ていた。
「まあ、いいわ。どうせ、組織員がやってくるまではしばらく時間がかかるだろうし
……」
 それに、今この状況は敬にも聞こえているはずだから……。
 というわけで、ちょっとばかし眠らせてもらうことにした。

 その頃。
 敬は、スーパーカーの中で真樹の髪飾りに仕込まれている盗聴器から届けられる音
声に聞き耳を立てると共に、車載のナビゲーションシステムに釘付けになっていた。
 真条寺家のメイドである神田美智子が持ってきたこのスーパーカーには、最新式の
ナビゲーションシステムが搭載されている。
 上空の衛星軌道にあるスパイ衛星や通信衛星に接続され、ありとあらゆる情報がリ
アルタイムで判るのである。
「今映っているのは、真樹さんのいる部屋の透視映像です。二つの生命反応が見られ
ます。この動いているのが勧誘員でしょう。そしてこちらの動かない点が真樹さんだ
と思われます」
 生きている人間はもちろんのこと物質であるものはすべて、常に熱を発生して目に
見えない遠赤外線や電波を出している。それはコンクリートの壁を透過してしまうほ
どのもので、その遠赤外線や電波を軌道上にある三つの衛星を使って三点透視図法的
に画像処理すれば、どんな場所でも3Dな映像として現わすことができるというわけ
だ。また人間は電気を通す導体でもあるから、地球地磁気の中で動き回ればフレミン
グの法則どおりに電場も生じる。それらの極微弱な電流変動さえをも見逃さずに感知
できる、完璧な究極の探知システムである。そんな最新鋭のシステムの端末がこの車
には搭載されているのである。それらはすべて、真条寺家当主である「梓」の生命を
守るために開発されたセキュリティーシステムの一部で、その一部を間借りして使わ
せてもらっているのである。もちろんそのために梓の専属メイドの神田美智子が同行
してきているのである。参照*梓の非日常より
「動かない?」
「先ほどの会話を聞いていなかったのか? 出されたコーヒーは当然睡眠薬入りだろ
う。薬が効いて眠ってしまったか、眠った振りをしているかのどちらかだ」
 黒沢医師が解説する。
「なるほど……」
「とにかく奴らの仲間が来るまでは安全だろう。何にしても部屋の様子はこうして手
に取るように判るのだ。とにかく、気長に待つしかないだろう」
 敬としても判りきっていることである。
 奴は覚醒剤を所持しているはずである。
 それだけでもとっ掴まえる材料にはなるが、仲間をも一緒にまとめてしまったほう
が、後々のためにもなる。
 だいいち令状もなしに踏み込むことなどできないじゃないか……。
 とはいえ、恋人である真樹を渦中の只中に置いていることには心中ただならぬもの
があるのだ。今すぐにでも駆け込んで真樹を救出したいという気持ちで一杯であった。
「まあ、何にせよだ。真樹ちゃんは、身に降りかかるであろうすべてを承知の上で頑
張っているのだ。恋人としてやるせない気持ちは理解できるが、彼女が成果を挙げる
までは、ここから見守ってやろうじゃないか」
 その時、美智子が突然叫んだ。
「あ! 不審な車が駐車場に入っていきます」
「どれどれ?」
 黒沢医師と敬がナビゲーターに目を移す。
 黒フィルムを全面に張って中を見えなくした車が地下駐車場に入っていくところだ
った。
「いよいよだな」

(五十四)睡眠薬

 それでも言う事を聞かない女性には、覚醒剤である。
 奴らの本当の目的は売春婦を斡旋することであり、AVビデオは副業として行って
いることなのだ。
 目の前に置かれた睡眠薬の入ったコーヒー。
 さて、どうするべきか……。
 飲まなければ、いつまで経っても先に進まない。
 覚醒剤の中和剤を投与しており、これは睡眠薬に対しても効果がある。
 だから薬で眠らされることはないのだが、眠っている振りをするのも、果たして上
手くいくかが問題だった。
 まあ、何とかなるでしょう。
 コーヒーカップを手に取って飲んでいく。
 コーヒーの独特の苦味によって、薬の味はかき消されている。
 コーヒーに含まれるカフェインは本来覚醒作用のあるものだが、睡眠薬の方が強力
なのでやがて眠りへと入っていく。
「あれ……。何だか眠くなってきたな……」
 いかに中和剤を飲んでいるとはいえ、完全に睡眠薬の効果を遮断することは不可能
だ。ある程度は効果が現れてしまう。
 そもそもこの囮捜査に際して、緊張と興奮によってここしばらく不眠状態が続いて
いたのである。睡眠不足と睡眠薬との相乗によって、いつしかまどろみを感じはじめ
ていた。
「まあ、いいわ。どうせ、組織員がやってくるまではしばらく時間がかかるだろうし
……」
 それに、今この状況は敬にも聞こえているはずだから……。
 というわけで、ちょっとばかし眠らせてもらうことにした。

 その頃。
 敬は、スーパーカーの中で真樹の髪飾りに仕込まれている盗聴器から届けられる音
声に聞き耳を立てると共に、車載のナビゲーションシステムに釘付けになっていた。
 真条寺家のメイドである神田美智子が持ってきたこのスーパーカーには、最新式の
ナビゲーションシステムが搭載されている。
 上空の衛星軌道にあるスパイ衛星や通信衛星に接続され、ありとあらゆる情報がリ
アルタイムで判るのである。
「今映っているのは、真樹さんのいる部屋の透視映像です。二つの生命反応が見られ
ます。この動いているのが勧誘員でしょう。そしてこちらの動かない点が真樹さんだ
と思われます」
 生きている人間はもちろんのこと物質であるものはすべて、常に熱を発生して目に
見えない遠赤外線や電波を出している。それはコンクリートの壁を透過してしまうほ
どのもので、その遠赤外線や電波を軌道上にある三つの衛星を使って三点透視図法的
に画像処理すれば、どんな場所でも3Dな映像として現わすことができるというわけ
だ。また人間は電気を通す導体でもあるから、地球地磁気の中で動き回ればフレミン
グの法則どおりに電場も生じる。それらの極微弱な電流変動さえをも見逃さずに感知
できる、完璧な究極の探知システムである。そんな最新鋭のシステムの端末がこの車
には搭載されているのである。それらはすべて、真条寺家当主である「梓」の生命を
守るために開発されたセキュリティーシステムの一部で、その一部を間借りして使わ
せてもらっているのである。もちろんそのために梓の専属メイドの神田美智子が同行
してきているのである。参照*梓の非日常より
「動かない?」
「先ほどの会話を聞いていなかったのか? 出されたコーヒーは当然睡眠薬入りだろ
う。薬が効いて眠ってしまったか、眠った振りをしているかのどちらかだ」
 黒沢医師が解説する。
「なるほど……」
「とにかく奴らの仲間が来るまでは安全だろう。何にしても部屋の様子はこうして手
に取るように判るのだ。とにかく、気長に待つしかないだろう」
 敬としても判りきっていることである。
 奴は覚醒剤を所持しているはずである。
 それだけでもとっ掴まえる材料にはなるが、仲間をも一緒にまとめてしまったほう
が、後々のためにもなる。
 だいいち令状もなしに踏み込むことなどできないじゃないか……。
 とはいえ、恋人である真樹を渦中の只中に置いていることには心中ただならぬもの
があるのだ。今すぐにでも駆け込んで真樹を救出したいという気持ちで一杯であった。
「まあ、何にせよだ。真樹ちゃんは、身に降りかかるであろうすべてを承知の上で頑
張っているのだ。恋人としてやるせない気持ちは理解できるが、彼女が成果を挙げる
までは、ここから見守ってやろうじゃないか」
 その時、美智子が突然叫んだ。
「あ! 不審な車が駐車場に入っていきます」
「どれどれ?」
 黒沢医師と敬がナビゲーターに目を移す。
 黒フィルムを全面に張って中を見えなくした車が地下駐車場に入っていくところだ
った。
「いよいよだな」

(五十五)強姦生撮り

 それからしばらくして、例の透視映像に三つの点滅が増えた。
 そして真樹のそばに近づいていった。
「一人はビデオカメラマンで、後の二人は……おそらく男優だろうな」
 と、ぽつりと黒沢医師が呟いた。
 強姦生撮り撮影が開始されるというわけである。
 男優一人では強姦生撮りは難しい。女性が必死で抵抗すれば事を成されることを防
ぐこともできる。
 そこで抵抗する女性を押さえつける役も必要というわけであろう。気絶させては迫
力ある強姦シーンにはならないからだ。
 あくまで泣き叫ぶ女性の姿が欲しい!
 というところだ。

 つと敬が腰を上げた。
「行くのか?」
 それには答えずに黙って車から降りて雑居ビルの方へと一人歩き出した。
「しようがないな……。まあ、恋人が犯されるのを黙ってみている訳にもいかないか
……」
 それを眺めて美智子が尋ねる。
「行かせてよろしいのでしょうか? 当初の予定ではここから売春組織のあるアジト
まで案内させるはずでしたよね。今踏み込んでしまえば、その機会を失うことになる
のではないでしょうか。彼らを捕らえたところで、そう簡単には組織を売るようなこ
とはしないでしょう」
「まあな。通常の手段で、奴らのアジトを吐かせることは無理だろう」
「では、なぜ?」
「私に考えがある。否が応でも吐きたくなるような方法をね」
 と言って、黒沢医師も車を降りて敬の後を追った。
 一人残された美智子。
「もう……。わたしは何のために来たのか……」
 実は、相手を策略に掛けてアジトを探し出し、売春組織を壊滅させる。
 そんなスリリングな期待を抱いていたのである。
 ここで踏み込んでしまえばそれでおしまいである。
「つまらないわ……」
 ぼそっと呟いて苦虫を潰したような表情の美智子であった。

 雑居ビルの一室。
 ベッドの上で眠っているその周囲でカメラ機材を並べている男達がいる。
 部屋の隅では男優とおぼしき男二人が服を脱いでいる。
 その傍らで勧誘員が説明をしている。
「今日は強姦生撮り撮影だ。女が目を覚ましたところからはじめるぞ。いつも通りに、
女が泣き叫ぼうがなんだろうが、構わずにやってしまえ!」
「女は処女ですか?」
「いや、そうでもなさそうだ」
「ちぇっ、それは残念だ」
「ふふん。で、今日はどっちが先にやるんだ?」
「今日は、俺からっすよ。前回はこいつでしたからね」
「しかし今日のは、ずいぶん綺麗な女じゃないですか。前回のはひどかったですから
ね。仕事だから仕方なくやりましたけど」
「だめっすよ。交代はしませんからね」
「とにかく一ラウンド目はいつも通り。ニラウンド目は、覚醒剤を打って淫乱女風に
なった状態で撮る」

 そんな男達の会話を、真樹は目を覚ました状態で聞いていた。
 うとうとと眠ってしまったが、男達が周りで動き回る音に目を覚ましたのである。
「ひどいことを言ってるわね……」
 覚悟していたとはいえ、いざ男達に取り囲まれ、強姦生撮りされると思うと、さす
がに緊張は極度に高ぶっていた。
 しかし、それもこれもより多くの女性たちを救うための人身御供である。
 何とかこの試練に耐えて、奴らのアジトに潜入しなければならないのである。
 身が引き締まる思いであった。

「よし! ビデオの準備OKだ。はじめてくれ!」

 その合図で、男優達が動き出した。
 真樹の横たわっているベッドに這い上がってきた。
「きた!」
 思わず身を硬くする真樹であった。

(五十六)手を上げろ!

 きしきしとベッドが鳴る。
 男優がすぐ間近に近づいてくる。
 さすがに心臓が早鐘のように鳴り始める。
 あ……ああ。
 捜査のための囮とはいえ、やはり後悔の念がまるでないとは言えない。
 ごめん、敬……。
 貞操を汚されることにたいして、敬には許してもらいたくも、もらえるものではな
いだろう。
 ごめん、敬……。
 何度も心の中で謝り続けていた。

 そしてついに男が身体の上にのしかかってきた。
「おい。頬を引っ叩いて目覚めさせろ。眠っていちゃ、いい映像が撮れねえよ」
 カメラマンが忠告する。
「判った」
 ちょっとお、わたしは敬はおろか、母親にだってぶたれたことないのよ。

 その時だった。
 部屋の扉がどんどんと叩かれたのだ。
「なんだ?」
 一斉に扉の方に振り向く男達。
 そして次の瞬間。
 扉がバーン! と勢い良く開いて……。
 敬だった。
「何だ! 貴様は?」
「おまえらに答える名前はない」
 と背広の内側から取り出したもの。
 拳銃だった。
 え?
 敬、それはやばいよ。
 ここはアメリカじゃないのよ。日本なのよ。
 取り出したのはS&W M29 44マグナムだ。
 敬の愛用の回転式拳銃である。
 その銃口が男達に向けられている。
 さすがに男達も驚き後ずさりしている。
「か弱き女性に手を掛ける極悪非道のお前達に天罰を加える」
 と、問答無用に引き金を引いた。
 一発の銃声が轟いた……。
 ……はずだったが、銃声がまるで違った。
 実弾はこんな音はしないだが……。
 振り向いてみると、裸の男優の胸が真っ赤に染まっている。
 驚いている男優、そしてそのまま倒れてしまった。
 それを見て、他の男達が怯え震えながら、
「た、助けてくれ!」
「い、命だけは」
 と土下座して懇願している。
 つかつかと男達に歩み寄っていく敬。
「この外道めが」
 と、軽蔑の表情を浮かべ、当身を食らわして気絶させてしまった。
 そして、
「おい、真樹。大丈夫か?」
 と声を掛ける。
「大丈夫も何も……。計画が台無しじゃない」
 ベッドから降りながら、敬に詰め寄る。
「もう……。これじゃあ、こいつらからアジトの情報を得ることができなくなったじ
ゃない。せっかくわたしが囮となって潜入した意味がないわよ」
「だからと言って、真樹が犯されるのを黙ってみていられると思うか? おまえだっ
て俺のそばで他の男に抱かれたいのか?」
「それは……」
 急所を突いてくる敬。
 ここで肯定したら関係がまずくなるのは間違いない。
 声がかすれてくる。
「で、でも……。アジトが判らなくなったわ」
「それなら何とかなるだろう」
 と、後ろから声が掛かった。
 振り返ると、黒沢医師がのそりと部屋に入ってくる。
「先生。それはどういうことですか?」
「説明は後だ。ともかくこいつらを私の仕事場に連れて行く」
「仕事場って……。あそこですか?」
「そう……。あそこだ」
「判りました」
「ともかく目を覚まさないように、麻酔を打っておこう」
 と、手にした鞄を開いている。まったく……用意周到なドクターだ。
 それにしても男優はどうしたんだろう?
 敬の撃ったのは実弾じゃない。
 明らかにペイント弾だった。
「この人はどうしたの? ペイント弾が当たっただけでしょう?」
 胸を真っ赤にして倒れている男優を指差して尋ねる。
 それに先生が答えてくれた。
「ああ、撃たれて真っ赤な血のようなものを目にすれば、誰だって本当に撃たれたも
のと勘違いする。ショックを起こして気絶しても無理からぬことだろう」
「そんなものでしょうか?」
「ああ、銃口を向けられただけでも怯えてしまうくらいだからな」

 やがて麻酔注射を射ち終えた男達を運び出すことなった。
 奴らが乗ってきた車を探し出して分乗して、あそこへと向かうのだ。
 先生は一体何をしようというのだろうか……?

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