特務捜査官レディー(三十六)遺言状公開
2021.08.09

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十六)遺言状公開

「ひろしは……いや、響子だったな……。響子は、私を許してくれるだろうか?」
 京一郎氏は、母親殺しに至った孫のひろしに対して、祖父として何もしてやれなかったことを後悔していた。実の娘である弘子を殺されたことと、手に掛けたのが孫のひろしということで、人間不信に陥ってしまっていたのである。
「磯部さんの気持ちは判ります。響子さんだって、自分のしたこととして反省をすれ、祖父であるあなたを恨む気持ちなどないでしょう。双方共に許しあい手を取り合えば気持ちは通じるはずです。血の繋がった肉親ですからね」
「あなたにそういってもらえると少しは気持ちも治まります。ありがとう」
「どういたしまして」
「それでは、響子を迎えに行くことにしましょう」
 ということで、磯部氏は出かけていった。

 屋敷内に残されたわたし。
「さて、わたしも屋敷内を見回ってみるか……」
 健児を迎えて、想定されるすべての懸案に対して、どう対処すべきか?
 逃走ルートはもちろんのことだが、健児のことだ拳銃を隠し持っている可能性は大である。
 銃撃戦になった場合のこと、メイドに扮した女性警察官を人質にすることもありうる。
 あらゆる面で、屋敷内での行動指針を考え直してみる。
「それにしても広いわね……」
 つまり隠れる場所がいくらでもあるということになる。
 遺言状の公開は大広間で行う予定である。
 問題はすべて大広間で決着させるのが得策である。
 事が起きて、大広間から逃げ出されては、屋敷内に不案内な捜査員や女性警察官には不利益となる。
 何とかして大広間の中で、健児をあばいて検挙するしかないだろう。
「うまくいくといいけど……」
 計画は綿密に立てられた。
 必ず健児はぼろを出すはずである。

 やがて磯部氏が響子さんを連れて戻ってきた。
 車寄せに降り立った磯部氏と響子さんの前にメイド達が全員勢ぞろいしてお出迎えする。
「お帰りなさいませ!!」
 一斉に挨拶をするメイド達。
 響子さんの後ろで、もう一人の女性がびっくりしていた。
 誰だろうか?
 予定にはない客人のようだった。
 計画に支障が出なければいいがと思い悩む。
 執事が一歩前に出る。
「お嬢さま、お帰りなさいませ」
 全員女性警察官にすり替わっているのだから、メイド達のことを響子さんが知っているわけがないが、この執事だけは顔馴染みのはずだ。
「お嬢さまだって……」
 女性が響子さんに囁いている。
「そちらの方は?」
 執事が尋ねると響子さんが答えた。
「わたしの親友の里美よ。同じ部屋で一緒のベッドに寝るから」
 そうか、例の性転換三人組の一人なのね。
 名前だけは聞いていた。
「かしこまりました」
「わたしのお部屋は?」
「はい。弘子様がお使いになられていたお部屋でございます」
 引き続き執事が受け答えしている。
 メイドには話しかける権利はなかった。
 相手から話しかけられない限り無駄口は厳禁である。
「紹介しておこう。響子専属のメイドの斎藤真樹くんだ」
 磯部氏がわたしを紹介する。
「斎藤真樹です。よろしくお願いします。ご用がございましたら、何なりとお気軽にお申しつけくださいませ」
 とメイドよろしくうやうやしく頭を下げる。
「こちらこそ、よろしく」
「響子、公開遺言状の発表は午後十時だ。ちょっとそれまでやる事があるのでな、済まぬが夕食は里美さんと二人で食べてくれ。それまで自由にしていてくれ」
「わかったわ」
 そういうと執事と一緒に奥の方に消えていった。
 他のメイド達もそれぞれの持ち場へと戻っていく。
 残されたのは響子と里美、そしてわたしの三人だけである。
「里美に、屋敷の案内するから、しばらく下がっていていいわ」
 響子がわたしに命じた。
「かしこまりました、ではごゆっくりどうぞ」
 下がっていろと言われて、それを鵜呑みにしてしまってはメイド失格である。
 わたしは響子さんの専属メイドである。
 主人の身の回りの世話をするのが仕事であり、万が一に備えていなければならない。
 目の前からは下がるが、少し離れた所から見守っていなければならなかった。
 響子さんが、里美さんを案内している間にも遠めに監視を続けることにする。

 やがて夕食も過ぎ、午後九時が近づいてとうとう遺言公開の時間となった。
 次々と到着する親類縁者たち。
 響子さんの専属であるわたしを除いた他のメイド達が出迎えに出ている。
 自分の部屋でくつろぐ響子さんと里美さん。
「ぞろぞろ集まってきたみたい」
 窓から少しカーテンを開けて覗いている響子さんと里美さんだった。
 遺言公開の場に出ない里美さんはネグリジェに着替えていた。
「お嬢さま、旦那様がお呼びでございます」
 そうこうするうちに、別のメイドが知らせにきた。
「いよいよね」
「頑張ってね。お姉さん」
 何を頑張るのかは判らないが……。
 里美さんを残して部屋を出て、響子さんを大広間へと案内する。
 わたしと別のメイドの後について、長い廊下を歩いていく。
 大広間の大きな扉の前で一旦立ち止まって、
「少々、お待ち下さいませ」
 軽く会釈してから、その扉を少しだけ開けて入って行く。
「お嬢さまを、ご案内して参りました」
「よし、通してくれ」
「かしこまりました」
 指示に従って、大きな扉をもう一人のメイドと共に両開きにしていく。


 広い部屋の真ん中に、矩形にテーブルが並べられている。
 一番奥のテーブルには磯部氏が座り、両側サイドのテーブルには親族が座っている。そして一番手前には、きっちりとしたスーツを着込んだ弁護士らしき人物が三名座っている。
 その一人は、弁護士に扮した敬だった。
 上手くやってよね。
 声にはならない声援を送る。
 まかせておけ。
 そう言っているように見えた。

 響子さんの入場で、親族達は一様に驚いていた。
 それもそのはず。
 響子さんは、母親の弘子に瓜二つだというのだから。
「弘子!」
 全員の視線が響子さんに集中している。
「そんなはずはない! 弘子は死んだ。それに年齢が違う」
「そうだ、そうだ」
 そんな声には構わず祖父が手招きをしている。
「良く来たな。響子、儂のそばにきなさい」
 テーブルを回りこむようにして、彼らのそばを通り過ぎて祖父のところまで歩いて行く。
 わたしも、しずしずと響子さんの後ろに付いていく。

 弘子じゃないとすれば、一体この女は何者だ?

 一同がそんな表情をしていた。

 やがて磯部氏が事情を説明しだした。
 目の前のこの女性が、まぎれもなく磯部ひろしであり、性転換して響子と戸籍を変更したこと。
 そして、その証拠である戸籍謄本。医師の発行した性同一性障害に関する報告書、裁判所の性別・氏名の変更を許可する決定通知書などが公開された。
「つまり男から女になったというのね」
 親族の一人が納得したように呟いた。
「そ、そんなことしたって、ひろしの相続欠格の事実は変わらないぞ。今更、出てきてもどうしようもないぞ」
 早速、健児が意義を申し立てる。
 そりゃそうだろうな。
 磯部氏の財産を狙っているのだから、新たなる相続人の登場を快く思わないだろう。
 この場に現れたのだから、なにがしかの財産が譲られるだろう事は誰にでも想像できる。
「そうよ。健児の言う通りよ」

 親族の意義申し立てとかには構わずに磯部氏は話を続ける。
「さて、この娘が儂の孫であることは、書類の通りに事実のことだ。その顔を見れば、弘子の娘であると証明してくれる。儂が言いたいのは、相続人として直系卑属はただ一人、この響子だけということだ」」
「それがどうしたというのだ」
「儂は、今この場で生前公開遺言として、この響子に財産のすべてを相続させる」
 椅子を跳ね飛ばして、四弟の健児が興奮して立ち上がった。
「馬鹿な!」
「でも健児、遺留分があるから、すべてを相続させることできないんじゃない?」
「姉さん、知らないのかい? 直系卑属の響子に遺言で全額相続させたら、俺達の遺留分はまったく無くなるんだよ。被相続人の兄弟姉妹には遺留分は認められていないんだ」
「ほんとなの?」
「そうだよ」
 さっきから、何かにつけて意義を唱え続けている、四弟の健児。
 さすがに、動揺しているわね……。
 明らかに響子さんを拒絶する態度を示している。響子さんが性転換したひろしだと紹介された時からずっとだ。
「まあ、落ち着け健児。先をつづけるぞ。では、儂の生前公開遺言状を発表する。弁護士、よろしく」
「わかりました……」
 三人並んだ中央にいた弁護士が鞄から書類入れを取り出した。
「それでは、公開遺言状を読み上げますが、これは正式には公正証書遺言となるもので、遺言者の口述を公証人が筆記し、証人二人が立ち会って署名押印したものです。
 なお、証書は縦書きになっておりますので、そのように理解してお聞きください。
 読み上げます。

 その内容は、ほとんどすべての財産を響子さんに譲り、兄弟には一人当たり金十億円という示談金的な金額を譲るというものだった。
 そして当の健児だけが、たった五百万円という額が相続されるとした。

 もちろん健児が黙っているはずがなかった。
「馬鹿な! なんで俺だけが五百万円なんだよ」
「おまえは、弘子の遺産を譲り受けているじゃないか。それを相殺したんだ」
「弘子の遺産だと? そんなもん知らん」
「ならば、もう一つの調書を見てもらおうか」
 弁護士が再び書類を配りはじめる。

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特務捜査官レディー(三十五)磯部京一郎
2021.08.08

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十五)磯部京一郎

 数年の時が過ぎ去った。
 特務捜査課の捜査員として、優秀なるパートナーである敬と共に、数々の麻薬・銃器密売組織や人身売買組織の壊滅という業績を上げて、わたし達の所属する課も警察庁の中でも確固たる地位を築き上げていた。
 相変わらずとして、若い女性と言う事で尾行や張り込みといった捜査には出してはくれないものの、女性にしか携わることのできない事件には、囮捜査官として派遣されることは少なくなかった。
 基本的に週休二日制をきっちりと取れることは、制服組女性警察官と同等であると言えた。
 五日の勤務のうち一日は、麻薬取締官として目黒庁舎に赴くことになっている。

 その一方で例の響子さんは、黒沢先生の製薬会社の名受付嬢として新たなる生活をはじめていた。
 性転換によって女性となったことによる戸籍の性別・氏名変更も滞りなく完了。
 倉本里美、渡部由香里という新たなる仲間も増えて、張りのある楽しい人生を謳歌していた。
 闇の世界にも顔が利く黒沢先生のおかげで、彼女達は平穏無事に暮らしている。

 そんなこんなで、もう心配することもないだろうと考えていた矢先だった。

 その黒沢医師から、社長室に呼ばれた。

 そこには、見知らぬ老人が同席していた。
「紹介しよう。磯部京一郎さんだ」
 磯部?
「まさか、響子さんの?」
「祖父の磯部京一郎です」
 と、深々と礼をされた。
「あ、斉藤真樹です」
 あわてて、こちらもぺこりと頭を下げる。
「真樹さんは、麻薬取締官とお伺い致しました」
 突然、わたしの職業に言及された。
「はい。その通りです」
「実は、甥の磯部健児についてご相談がございまして」
 その名前を耳にして、わたしは全身が震えるような錯覚を覚えた。

 暴力団を隠れ蓑にして、その裏で麻薬・覚醒剤の密売をしている。
 響子さんが人生を狂わされた元凶の極悪人だ。
 そして、あの生活安全局長をも影で操り、わたし達をニューヨークに飛ばして抹殺を企んだ黒幕。
 憎んでも飽き足りない、わたし達が日夜追っている張本人。

「おそらく健児についてのことはご存知かと思いますが……」
「はい。麻薬覚醒剤の密売をやってますよね」
「そうです。孫のひろし、いや今は響子でしたね。響子の人生を狂わした、殺してやりたいぐらいの奴です」
 まあ、そう思う気持ちは良く判る。
 孫と甥とを比べれば、直系子孫の孫の方が可愛いのは当然だ。所詮甥などは、兄弟の子供でしかない他人に近いものだ。
 その上、その可愛い孫を手に掛けたとなれば殺したくもなるだろう。
「その健児が再び響子を手に掛けるかも知れないのです」
 え?
 冗談じゃないわよ。
 せっかく平穏無事な幸せな暮らしを築いているというのに、再び健児の魔の手に掛かることなんて絶対に許さないから。
「どういうことですか? 詳しく説明してください」

 それはこういうことだった。
 この磯部京一郎氏は、莫大なる資産を有しているという。
 その資産を、孫の磯部ひろし、つまり性転換し戸籍の性別・氏名も女性となった現在の響子さんに、全額遺産相続させたい。
 ところが響子さんは、母親殺しという尊属殺人によって、法定相続人としての資格を剥奪されている。
 どうしても響子さんに遺産相続させたい京一郎氏は、相続人指名を響子さんとした
公正証書遺言状を作成したらしい。
 しかし自分が死んで相続が発生した時点で、相続問題で親族間に紛争が起きることを懸念した氏は、親族一同を集めて遺言状の生前公開をすることを決定した。響子さんに遺産の全額を相続させることを、親族に明言し納得させるためにである。
 しかし、京一郎氏の甥である、あの極悪人の磯部健児が、黙って指を加えているわけがない。
 響子さんが遺産相続人となれば、本来自分が遺産相続できるはずだった法定相続額の全額がなくなってしまう。被相続人の甥には遺留分は認められていないからである。
 かつて娘の弘子、つまり響子さんの母親を、覚醒剤の密売人を使って手篭めにし、その所有資産を暴力団を使って巧妙に搾取してしまったという。
 再び同じような手を使って、響子さんを謀略に掛けて陥れ、その相続した資産を独り占めにするのは目に見えている。
 何とかして健児の魔の手から響子さんを救いたい。
 そこで、日頃から面識のあった闇の世界にも顔が利く製薬会社社長にして産婦人科医師の黒沢英一郎氏に相談に来たというのだった。

「……というわけだ。真樹君、何とか協力になってあげられないか」
 命の恩人の黒沢医師に頼まれたら断れるわけがない。
 幸せに暮らしている響子さんとは関わりたくなかったけど、そうもいかなくなったらしい。
 あの健児を放っておく訳にはいかないからだ。
 奴を野放しにしていると、響子さんを手に掛けるのは間違いない。これ以上彼女を悲劇に合わせるわけにはいかない。
 奴にはそろそろ幕をひいてもらうとしよう。
「もちろんです。健児にはいろいろと世話になっていますからね。何とかして監獄送りにしたいと思っていますから」
「そう言ってくれると助かる。麻薬取締官としての君の協力が得られれば、健児を挙げることができるだろう」
「お願いいたします」
 京一郎氏が頭を下げた。


 というわけで、敬を交えて早速打ち合わせに入ることにする。
1、生前公開遺言状の発表の日に磯部健児ほか関係親族を呼び寄せること。
2、同じく磯部響子も同席させること。
3、響子の護衛として、専属メイドとして真樹があたる。
4、敬は遺言状公開の立会人の一人として列席する。
5、当日において屋敷内で勤務するメイド達を全員女性警察官にすりかえる。
6、その他必要事項……。
 響子さんにも事情を説明して、計画に加担してもらえれば完璧なのだろうが、素人さんに役回りを押し付けるわけにはいかない。それに精神的負担から挙動不審となって、健児に勘ぐられる可能性も出る。

 警察庁特務捜査課にも動いてもらうために、担当課長に報告する。
「ほう……。健児を罠に陥れようというわけか?」
 警視庁生活安全部麻薬銃器取締課から、警察庁のこの新しい課の長に異動で収まっ
た課長が頷く。
 そうだね。
 やはり馴染みの上司がいた方が上手くいくというものだ。
「健児のことですから、財産が全部響子さんに渡ると知らされれば、必ず動くはずです。以前に響子さんの母親を陥れたように、今回も卑劣な手段を講じて、何とかしてでもその財産をすべて奪い取ろうとするでしょう。そこに付け入る隙が生まれます」
「なるほどな……。しかし、上手くいくだろうか?」
「やってみなければ判らないでしょうが、何らかの行動に出るはずです。やってみる価値はあります」
「響子さんに身の危険を与えるかもしれないぞ」
「もちろん、その手筈はちゃんと打っておきます」
「その一貫として、磯部氏宅のメイドを全員女性警官にすり替えることか?」
「はい。一般市民を巻き添えにする可能性を少しでも排除しておきます」
「だが、女性警官を危険を伴う現場に派遣することは出来ないんだが……。麻薬取締官の真樹君は知らないかも知れないが、女性警察官は、駐禁取締や交通整理といった交通課勤務と決まっているのだよ。つまり交通課の協力を取り付けなければいけないということになるわけだ」
 確かに、我が国においての警察は明治の昔から断固として男社会であり、元々男女差が無かった教職とは大きく対照的にある。女性だから昇進できない、役職につけないという人事がいまだに存在し、確固として女性警察官は男性警察官のサポート役に過ぎないという考えが根強い。全国警察官中20%を占める女性警察官のうち刑事部門の職務にあるものは極めて少なく男性刑事99%に対し1%程度である。しかし、女性独自の特性を生かした職務も一部導入され、性犯罪・幼児虐待事件などへの刑事事件への捜査に積極的に女性捜査員を就かせて捜査に当たらせようとの動きも出ており今後の活躍が期待されている。警視庁としては捜査一課の内部に女性捜査員のみで構成される女性捜査班なるものが存在し、強姦事件専従班として活躍している。
 ……のだが、やはり何と言っても女性警察官といえば、交通課に尽きる。
「しかし、健児に不審を抱かせることなく磯部邸に張り込ませるには屋敷内勤務のメイドに扮装するしかありません。男性職員といえば料理人や庭師がいますが、これは厨房や庭園が職場で、屋敷内を動き回れません」
「そうだな。メイドなら部屋から部屋へと自由に行き来できるが……全員女性ということになる」
「決断してください。必ず健児は動きます。公開遺言状の発表の日に、交通課女性警察官を30名、屋敷にメイドとして配置させてください。さらにはもう一日、メイドとしての作法を覚えてもらうために、訓練日を儲けさせて頂きます」
「判った。交通課には私から協力を願い出よう」
「ありがとうございます」

 さすがに理解のある上司だった。
 例の生活安全局長とは、雲泥の差だ。
 まったく違う。

 磯部氏に遺言状の公開を健児に伝えてもらい、屋敷内に潜入させる女性警察官の手配も済んだ。
 後は決行日を待つだけとなった。

 決行日の朝。
 目覚めたわたしは、身に引き締まる思いで、敬の運転する車で磯部邸へと向かった。
「ついに来るべき時がやってきたというわけね」

 わたしと敬の身の回りに起こったすべての元凶。

 麻薬取締りで磯部健児を追っていたあの頃から、一日として忘れたことはない。
 磯部親子がその毒牙にかかって、母親は死亡し響子さんは殺人で少年刑務所へ。
 それを追求しようとしたわたしと敬は、局長の策謀でニューヨークへ飛ばされて、危うく命を奪われるところだった。
 そして、組織によって瀕死の重傷を負った命を救うために黒沢医師によって、移植手術が行われ女性へと性転換された。
 日本に帰ってからは、生活安全局長の逮捕劇である。
 
「着いたぞ」
 運転席の敬が言った。
 磯部邸の車寄せに停車する。
 玄関から幾人かのメイド服を着た女性達が出てきた。
「巡査部長、遅いじゃないですか」
 と苦情を言いつけてきたのは、交通課の女性警察官だった。
 当初の計画通りに当屋敷のメイド達に成り代わって、今日の捜査に加わっていた。
「ごめんなさい。敬がなかなか起きなくてね」
「まさか、毎日起こしてあげてるのですか?」
「まあね……」
 敬は警察の独身寮住まいだった。
 基本的に独身警察官は独身寮に入寮するのが通例であった。
 それは女性も同様であるが、真樹のように家族と同居の場合は入寮することはない。
 敬の寮は、丁度真樹の実家から警視庁への途中にあるから、ついでに寄っていくのであるが、公私共々夜更かしが多くていつも寝坊していることが多い。
「それで研修ははじめているの?」
「もちろんです」

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特務捜査官レディー(三十四)新しい生活へ
2021.08.07

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十四)新しい生活へ

 というわけで、とんでもない展開になってしまったが、勧誘員の情報を得て、警察と麻薬取締部が結束して、売春組織の壊滅に成功したのである。

 それから数ヶ月が過ぎ去った。
 その勧誘員は……。いや、そういう言い方はやめよう。

 彼女の名前は、榊原綾香。
 黒沢医師による性転換手術を受けて、完全なる女性として生まれ変わった。
 もちろん完全であるからには、妊娠し子供を産み育てることのできる真の女性としてである。
 黒沢産婦人科病院にて女性看護師見習いとして忙しい毎日を送りながらも、正看護師になるべく看護学校に通っている。
 おだやかな性格で、子供に対してもやさしく、入院している妊婦達からの評判も上々で、まさしく看護師となるべくして生まれてきたような仕事振りだった。
 そんな働き振りを見るにつけても、性転換を施しすべての罪を許すという、黒沢先生の決断は正しいと言えるかもしれない。
 例の薬によって、脳の意識改革が行われて、男性脳から女性脳へと再性分化が起きたと考えられている。もはや心身ともに完全に女性に生まれ変わったのである。
 彼女は性転換されることによって罰を受け、さらに看護師として人の命を守る職につくことで、罪を償っている。
 罪を憎んで人を憎まず。
 彼女はもはや一人の善良なる女性に生まれ変わったのである。

 ところで、この榊原綾香のこともそうではあるが、黒沢産婦人科病院にはもう一人、気にしなければならない患者が入院していた。

 磯部響子である。
 覚醒剤の犠牲となり、母親殺しから少年刑務所に入り、その後には暴力団の情婦として性転換して女性に生まれ変わって生活していたものの、暴力団の抗争事件から捕らえられて覚醒剤を射たれた挙句に投身自殺した、あの悲劇の女性である。
 綾香の勤務ぶりを視察した後で、話題を切り替える真樹だった。
「響子さんの具合はどうですか?」
「ああ、やっと覚醒剤を体内から除去できたよ。フラッシュバックも起きないだろう。もうしばらく様子をみたら退院だ」
 フラッシュバックとは覚醒剤特有の再燃現象と呼ばれるもので、大量に飲酒したり、心理的なストレスが契機となって、幻覚・妄想といった覚醒剤における精神異常状態が再現されるものである。
→薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ http://www.dapc.or.jp/data/kaku/3-3.htm
「良かったですね。もし響子さんに何かあったら、一生後悔ものです」
「会っていかないのかね?」
「いえ……。わたしは麻薬取締官です。わたしの身の回りは麻薬の匂いにまみれ、麻薬に関わる人間達との抗争の毎日です。そんな世界に生きるわたしが、響子さんのそばにいればいずれ麻薬の災禍が降りかからないとも限りません。遠くから見守るだけにした方が、響子さんのためだと思います」
「そうだな……。君の言うとおりかも知れないな。君が麻薬取締官である限り、犯罪組織と関わらざるを得ない。組織に君の顔が知られることもあるだろう。そうなった時に響子君がそばにいれば身代わりにされることも起こりうるというわけだ」
「ですから、会わないほうがいいんです。これ以上、響子さんを覚醒剤の渦中に引きずり込むことは避けたいのです」
「判った」

 それから数ヶ月して、磯部響子は無事に退院し、黒沢先生の経営する製薬会社の受付嬢として就職。
 ごく普通のOLとしての平和な日々を暮らしているという。
 さすがというか、思春期以前から女性ホルモンの投与をし続けてきたおかげで、どこからみても女性にしか見えない美しい顔とプロポーションで、指折りの美人受付嬢として社内はおろか出入りする業者の間でも評判となっていた。

 そしてわたしの方にも大きな変化があった。


 その朝、麻薬取締部目黒庁舎に赴いたわたしは課長に呼ばれた。
「真樹君。非常に特殊なケースなのだが、君の警察庁への出向が決定した」
「警察庁へ出向……? どういうことですか?」
 敬をまみえて、麻薬取締官と地方警察が一致団結して、売春組織&覚醒剤密売組織を壊滅させたことと、例の生活安全局局長押収麻薬・覚醒剤横流し事件と合わせて、縦割り行政によらない新しい組織の発足が促されたというのである。
 警察庁特殊刑事部特務捜査課。
 これが新しく発足した組織名だ。
 警察庁はもとより、厚生労働省麻薬取締部・財務省税関・海上保安庁・東京都警視庁/福祉保険局/知事局治安対策本部などから、麻薬・銃器取締や売春(人身売買)取締にあたる捜査官が集められた。
「一応階級は巡査部長待遇ということになっている。君は国家公務員採用試験I種行政の資格を持つ国家公務員だから、本来ならキャリア組としての警部補からスタートしても良いはずなのだが、出向組ということで巡査部長からということになった。まあ……実情を話せば君が女性ということなんだ。警察というところは、今なお男尊女卑的な部分があって、女性の配属されるのは交通課と決まっている。そもそも警察官は初任配属先は地域課もしくは交番勤務と人事規定され、キャリアでも最初は地域課に配属されるのだが女性警官の場合は原則的に交通課なのだ。実際に危険が伴う部署、いわゆるおまわりさんと呼ばれる交番勤務などは全員男性だ。一般的な地方警察職員は地方公務員で、警視正以上になってはじめて国家公務員扱いとなる。つまり資格から言えば君は地方警察ならば警視正と同等以上ということになるのだが、いかんせん麻薬取締部と警察では、その構成員の数が一桁も二桁もまるで違う。警視正と言えば、警察庁の各警察署長や地方警察本部方面部長にも任命されようかという地位で、その配下に収まる警察職員は数千人から数万人規模にもなる。そんな地位にいくらなんでも、大学出たばかり麻薬取締官ほやほやの君が就任できるわけがない。双方の構成員と部下として動かせる人員から考えて、巡査部長待遇が順当という線で落ち着いた。
どう思うかね」
 課長の長い説明が終わった。
「巡査部長ですか……」
「不満かね?」
「いえ、そんなことはありません。巡査でも身に重過ぎるくらいです」
「まあ、そう言うな……。国家公務員がいくらなんでも平巡査待遇では、麻薬取締部の沽券(こけん)に関わるからな。これだけは譲れないというところだ。本来なら警察大学校卒同様に警部補あたりからはじめてもいいのだがな」
 警部補といえば地方警察署の課長クラスである。
 わたしとしては、別に平巡査でも構わないと思っている。
 何せ前職の時の階級は巡査だったもの。
 敬は日本に帰ってきて、研修を終えたと言う事で巡査部長に昇進したけどね。
 生死の渕を乗り越え、特殊傭兵部隊で鍛えられたんだから、それだけのお手盛りがあってもいいだろう。
 しかしわたしは……。
 何もしていない。
 先生に救われて斉藤真樹として生まれ変わって、女子大生として気楽に生活していただけだから。
 
 なんにしても、警察庁出向か……。
 元の鞘に納まるという感じがなきにしもあらずである。

「ああ、それから君の友達の沢渡君も一緒だよ」
「敬もですか?」
「ああ、何せ我々と一緒にこれまでの事件を解決してきた功労者でもあるし、組織改革を上申して新組織の発足を促した本人だからね」
 そうだったわ。
 以前からずっと、上層部に上申してきたんだったわ。
 それがやっと認められたということ。
「ところで個人的な質問なんだが……」
「何でしょうか?」
「君と彼は、随分親しいようだが」
「ええ、婚約しています」
「そうか、やっぱりね」
「何か問題でも?」
「いやなにね、結婚となると寿退社するんじゃないかと思ってね」
「大丈夫です。結婚しても、この仕事は続けます。もっとも妊娠すれば、出産・育児休暇を願い出ると思いますけど」
「そうか……。安心したよ。君みたいな優秀な職員を失うのは、局の一大損失になるからね」
「ありがとうございます。そう思って頂けていると思うと光栄です」
「まあね……」
 一般の会社なら、育児休暇を好ましく思っていない所も少なくなく、退職を勧められたり、復帰しても居場所がなくなっているということも良くあることである。
 しかしわたしの所属する麻薬取締部は厚生労働省内の一部局である。
 男女雇用均等法やら育児休暇促進委員会とかが目白押し。
 「寿退社」という慣用句で、女性を退職に追いやることは不可能だ。
「それで、警察庁へはいつから出向ということになりますか?」
「来週の月曜からだ。その日に直接その足で警察庁へ赴きたまえ」
「判りました」
「それから、新しく君に交付された警察手帳を渡しておこう」
「警察手帳ですか?」
「麻薬取締官としての身分と、警察庁職員としての身分の双方を記してある、特別誂えの手帳だ。君の今持っている警察手帳と交換してくれ」
「はい」
 わたしは、現在持っている麻薬取締官証と引き換えに、その新しい警察手帳を受け取った。
 開いてみると、最初のページは今まで通りの麻薬取締官証と同じものであった。次のページを開くと懐かしい警察手帳の図案が飛び込んできた。中身の様子は、上部には顔写真、階級、氏名、手帳番号が書かれた証票、下部には警察庁という名と、POLICEの文字が入った金色の記章(バッチ)がはめ込まれている。ちなみに大きさは縦10.8センチ、横6.9センチ。
「なるほど、巡査部長になってるわ」
「これで君は、あらゆる警察犯罪を取り締まることができるようになったわけだ。しっかり心して任にあたってくれたまえ」
「判りました」
 警察流の敬礼をしてみせるわたしだった。
 今後はそういうことも多くなるだろう。
「もちろん麻薬取締官としての自覚と任務も忘れないでくれ」
「はい」

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