思いはるかな甲子園~転落事故~
2021.06.11

思いはるかな甲子園


■ 転落事故 ■


 夏の全国高等学校野球選手権大会、県大会会場。
 球場内から歓声が轟く。
 マウンド上の投手長岡浩二、ガッツポーズをとっている。
 アナウンス室では、金切り声を出して実況中継を行っていた。
『ラストバッターを三振に切って落し、栄進高校とうとう決勝進出を果たしました。なんと優勝候補の筆頭西条学園をノーヒットノーランに押え込んでの偉業達成です。それにしても今大会ノーヒットノーランはこれで三度目という超高校級の怪物投手がこんな無名チームに潜んでいたとは、まったく意外でありました』
『これは明後日の決勝戦、プロも注目の超高校級スラッガー、沢渡選手率いる城東学園高校との試合が楽しみになってまいりましたねえ』
『まったくです。その明後日の試合のプレーボールは午後一時からです。実況中継は、午後十二時五十五分からの放送となります。みなさまご期待ください……』


 とある雑居ビルの屋上。
 フェンス際で震えているセーラー服の少女と、取り囲んでいるがらの悪いスケ番風のグループ。
「お願いです。もう許してください」
 必死の表情で嘆願する少女。
「許せないねえ。あんたが逃げ帰ってくれたおかげで、約束の金が手にはいらなくなったんだ。どうしてくれんでえ」
 リーダー格と思われるスケ番が、少女に歩み寄って話し掛ける。
「他のことならなんでもします。だから……」
「なんでもだとう。女が手っとり早く大金を稼ぐには援交しかないんだよ。いいかい、あたい達には金が必要なんだ。それも至急にさ」
「このかわいい面なら、素敵なおじさまがいくらでも出してくれるんだ」
 と少女の顎をしゃくりあげるようにするスケ番。
「さあ、もういちど。あのホテルに戻るんだ」
「い、いやです。それだけは許してください」
「なんだとお、やさしくしてやりゃあ、つけあがりやがって」
 いきなり少女の胸元を引き裂いてしまうスケ番。ビリッという音とともに少女の胸元があらわになってブラがはみ出す。
「きゃあ!」
 両手ですかさず胸元を隠して、その場にしゃがみこむ少女。涙を瞳に一杯あふれさせている。
「おねがいです……」
「だめだねえ。強引にでも連れていくよ」
「さあ、来るんだよ」
 スケ番、少女の手を取って引き連れていこうとする。
「い、いやあ!」
 スケ番の手を思わず噛んでいる少女。
「いてえ! なにしやがんでえ」
 スケ番、少女を突き飛ばす。
 少女、手摺に激突してそのまま、手摺を乗り越え下へ転落してゆく。
「きゃあーーー」

 落下していく少女。


 街中。
 野球道具を肩に担いだ浩二が、舗道を歩いている。
「あぶない!」
 歩行者の叫び声。
「え?」
 声が掛かればつい本能的に立ち止まってしまうものだ。それがいけなかった。
 屋上から落下してくる少女は、一度ショーウィンドウの天幕でバウンドしてから浩二の頭上を襲った。
 身体ごと当たられてはさしもの屈強の体格をもってしても食い止められるわけがない。追突の衝撃は浩二を跳ね飛ばした。そして、運悪くアスファルトの道路に後頭部を強打して、意識を失ってしまったのだ。
 少女も道路に伏したまま身動きしなかった。


 高校野球県大会会場。
 興奮したアナウンサーの声が、そこここのラジオから流れている。
『打ったあ、これはでかい! 沢渡選手、手ごたえ十分とみてかまったく動きません。ボールの行方を確かめています。逆点の三塁ランナーは、一応タッチアップの態勢です。入ったあ、ホームラン。さよならです。沢渡選手、今やっと一塁へ歩きだしました。そしてしっかりと一塁を踏みしめました』
 球場を紙吹雪が舞っている。
『城東学園高校優勝です』
 飛び出してくる城東学園の選手達。
『あ、たった今。情報が入りました。意識不明の重体が報じられていました栄進高校のエース投手の長居君ですが、午後三時に埼玉医大救急病院にて、亡くなられたそうです』
 グラウンドで泣きくずれる栄進高校のナイン達。応援団の人々も茫然自失状態になっている。
『栄進高校にも知らされたのか、選手達泣いております。試合に敗れエースを失い、なんと慰めていいのか、適当な言葉が浮かんでまいりません』
 グラウンド上、一塁から戻った沢渡、ニュースを聞いて立ち尽くしている。
「長居君……。君と勝負がしたかった」
 マウンドを見つめたまま、ライバルの夭折に胸を傷めていた。
『ノーヒットノーランを達成して決勝まで進んだというのに、転落事故に巻き込まれて亡くなられるなんて……死んでも死に切れないでしょうねえ。ここに謹んでご冥福を祈ります』


■ 生まれ変わり ■


 とある病院の病室。
 ベッドに寝ている少女。
 そのそばで心配そうにしている少女の両親らしき二人。
「うーん」
 少女、目覚める。
 母親気が付く。
「あなた! 梓が気づきましたわ」
「本当か」
「ほら目を開けています」
 朦朧とする中で、心配そうに自分を見つめている見知らぬ男女に気がつく少女。
「梓ちゃん、聞こえる?」
(梓……? なんだ)
「梓、しっかりしろ」
(俺のことをいっているのか……)
 丁度、担当医師が入ってくる。
「先生、梓が、気がつきました」
「どれどれ」
 医師、梓のそばに寄り、脈をとっている。
「梓さん。聞こえますか?」
(また、梓……、俺はいったい……だめだ、頭が痛い)
 再び目蓋を閉じて眠りにつく少女。
「梓ちゃん」
 医師、少女の目蓋を指で開いて、ライトを当てながら瞳孔検査をしている。
「先生……どうですか?」
 医師、振り向いて立ち上がる。
「意識ははっきりしていなかったようですが、もう大丈夫ですよ。すっかり良くなっています。二・三日もすれば起き上がれるほど回復するでしょう」
「本当ですか?」
「はい」
「ありがとうございます」
「あなた……」
 母親、父親の胸に。それをやさしく抱く父親。
「よかった。よかった……」
「高いビルから転落したり飛び降り自殺した人というのは、地面に激突する以前に、墜落の途中で心臓麻痺や脳死によってすでに死んでいると言われます。実際にそれを確かめる方法がないのであくまで推測の域を出ていませんが。ともかく、お嬢さまが仮死状態ながらも、無傷で助かったのはほとんど奇跡といっていいでしょう」

 病室。
 開け放たれた窓のカーテンをそよ風が揺らしている。
 ベッドに起き上がっている少女。
「ここはどこだ?」
 きょろきょろとしている。
 布団をはねのけて、ベッドから降りようとする。
「え?」
 女物のネグリジェを着ている自分に気づく少女。
「あんだ、これは! なんで、女物のネグリジェなんか着てるんだ?」
 さらに胸の膨らみに気がつく。
「こ、これは……」
 そっと胸に手をあてる。
 ぷよぷよとした弾力ある感触が返ってくる。
 そっと胸をはだけてみる。
 豊かとは言えないが少女にはふさわしいほどの胸の膨らみがあった。
「なんで胸があるんだあ」
 合点がいかないようすの少女。
「まさか……」
 下半身に手をあてる少女。
「ない……」
 あまりのショックに声も出ないと言った表情。
 そうなのだ。何を隠そうこの少女の身体には、長岡浩二の精神が乗り移っていたのである。
 自分の身に一体何が起きたのか思い起こそうとしている。
「たしか……」
 やがてビルからの転落事故の記憶が蘇ってくる。
「そうか……上から人が落ちてきたんだ……そして、気がついたらこのベッドの上にいた。しかもこの身体……」

 その時母親が入室してくる。
 あわてて隠れるように布団に入り込む少女。
「梓! 気がついたのね」
「……」
 布団から顔だけを出すようにして、入室してきた人物を見ている。
 母親、少女の枕元にやってくる。
 少女あわてて布団を頭からかぶる。
 緊張して心臓もドキドキ。
「気分はどう? 梓」
 やさしく声をかける母親。
(梓って、いうのか……この身体の主の名前は……そしてこの女性はその母親みたいだな)
 ゆっくりと顔を出す少女、梓。
 にこりと微笑んでいる母親の表情。
「ここはどこ?」
「病院よ。あなたはビルの屋上から転落して、救急車でこの病院に運ばれたのよ」
「病院……」
 母親、梓の額の汗をハンカチで拭ってやっている。
「そうよ。一時は仮死状態にまでなったんだから。でも奇跡的に息を吹き返したの」
「……」
「でもよかったわ、多少の打ち身はあるものの、身体には何の支障もなくって。ビルの一階に張り出された天幕の上に丁度うまい具合に落ちたから、それがクッションの役目を果たしたのね」

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思いはるかな甲子園
2021.06.10
梓の非日常/第二部 第七章・船上のメリークリスマス(三)横須賀基地
2021.06.10

続 梓の非日常/終章・船上のメリークリスマス


(三)横須賀基地

 梓一行を乗せた戦闘ヘリは、先行する飛行機を追跡する。

 やがて目前にその姿が見えてきた。
『追いつきましたよ』
 パイロットが指差す方角にエアプレーンが飛んでいた。
「何とか停止させることはできないの?」
「無理ですよ。空中でエンジンを止めれば墜落するだけです」
「まどろっこしいなあ。一発ぶち込んでやれよ。そうしたら俺が飛び込んで助け出してやる」
「どうやって? 助け出したとして、無事に地上に降りれるの?」
「だから……さあ……空中で再び戦闘ヘリに舞い戻るんだよ」
「本気? できるの?」
「さあ……やってみなければ判らないさ」
「もう、冗談は顔だけにして」
 成功率百パーセントならお願いものだが、戦闘ヘリは回転翼が邪魔して空中で乗り込むのはほとんど不可能であろう。
「くやしいじゃないか。せっかくの最新装備があるのに……」
 VZ/1Z Viperには、AIM/9サイドワインダー空対空ミサイル、AIM/92スティンガー地(空)対空ミサイル他が装備されている。


『まもなく海上に出ます』
 前方に東京湾が広がっていた。
 エアプレーンは東京国際空港や成田国際空港の飛行コースを避けるように低空飛行を続けていたが、千葉港に差し掛かった辺りで大きく右へと旋回をはじめた。
「こっちの方角には……」
 米軍の横須賀基地があった。
 と、思った途端。
 F/Aー18F戦闘機「スーパー・ホーネット」(第102戦闘攻撃飛行隊)のお出迎えである。
 基地に配備されている空母からスクランブルしてきたのであろう。
 一瞬にしてすれ違ったと思ったら、後方で旋回して追撃してくる。
 完全に後ろを取られてしまった。
 ロックオンして攻撃してくるかも知れない。
 M61A1/A2 20mm バルカン砲がこちらを睨んでいる。
 がしかし、最大巡航速度:150kt /277.8km/h のバイパーとマッハ1.8のスーパーホーネットでは速度差があり過ぎる。
 目の前を通り過ぎては、旋回して再び後方に回り込んでくるという仕草を繰り返していた。
 やがて眼下に巨大な艦船が目に飛び込んでくる。
 ニミッツ級原子力航空母艦の6番艦「ジョージ・ワシントン(CVN-73 George Washington)」である。その両翼には護衛艦のイージス巡洋艦とイージス駆逐艦を従えている。
 そして少し離れて、アメリカ海軍第七艦隊の旗艦「ブルー・リッジ(USS Blue Ridge, LCCー19)」が仲良く並んでいた。


 排水量 基準 81,600 トン
     満載 104,200トン
 全長  333 m
 全幅  76.8 m
 喫水  12.5 m
 機関  ウェスティングハウス A4W 原子炉2基
 蒸気タービン4機, 4軸, 260,000 shp
 最大速 30ノット以上
 乗員  士官・兵員:3,200名
 航空要員:2,480名
 兵装  RIMー7 シースパロー艦対空ミサイル
     ファランクス20mmCIWS3基
 搭載機 85機
 厚木を拠点とする第5空母航空団
 横須賀を拠点とする第5空母打撃群
 前任の「キティー・ホーク」から任務を引き継いでいる。


 RIMー7 シースパロー艦対空ミサイルとファランクス20mmCIWS(近接防御火器システム)が砲口をこちらに向けて自動追尾していた。
 そんな中、エアプレーンは「ジョージ・ワシントン」の甲板へと着艦した。
 なんで?
 軍艦にいとも簡単に着艦した民間のエアプレーン。
 常識では考えられないことだった。
『相手側より連絡。眼前の空母「ジョージ・ワシントン」に着艦せよ』
 ここは横須賀基地の制空権内である。一機の戦闘ヘリが太刀打ちできるものではない。
『指示に従います』
 パイロットが応えて、高度を下げて「ジョージ・ワシントン」の甲板へと着艦した。


 着陸した飛行甲板には、たくさんのジェット機が羽を広げて休んでいた。
 いつでも飛び立てるように待機しているようだが、すべてエンジンを止めていて発進体勢の機はなさそうだ。

 梓たちが戦闘ヘリから飛行甲板に降り立つと、すぐに周りを甲板要員が取り囲んだ。
 やはりというべきか銃を構えている保安兵もいる。
 やがて人並みが分かれて、高級士官らしき人物が現れた。
 にこにこと微笑み両手を広げて迎え入れるように言葉を発した。
『ようこそ、ジョージ・ワシントンへ。艦長のジョン・ヘイリーです』
 鷲のマークの階級章と、星にライン四本の肩章は、海軍大佐であることを示している。
 火災事故を起こした前艦長のデービッド・ダイコフ海軍大佐に代わって就任したばかりである。
『あ、どうも……真条寺梓です』
 訳が分からない一行は唖然とした表情で受け答えする。
 そういった事情を知ってか知らずか、艦長は表情をくずさずに案内をはじめた。
『どうぞ、こちらへ。みなさんがお待ちになっております』
 と、先に歩き出す艦長。
 顔を見合わせる梓一行たちだが、ここは着いて行くしかないようである。
 梓、慎二、麗華という順番で歩き出す。

 いかに巨大な航空母艦といえども戦闘艦であるから、人がすれ違うのがやっとというくらいに、その通路は意外にも狭い。
 特に浸水や火災などのダメージコントロール(damage control)対策としての防護壁が要所に配備されていて、その重厚な扉に身体を屈めてくぐらなければならなかった。

 軍艦などの「ダメージコントロール」についての情報は最高機密扱いとなる。太平洋戦争中に大規模な海戦を経験したアメリカ海軍や大日本帝国海軍の頃の戦訓を取り入れた海上自衛隊の艦艇と比べ、それらの経験が比較的少ないヨーロッパ諸国の艦艇は、現在でも可燃性のある材質を使用していたり被弾しやすい箇所に弾薬庫や士官室が配置されているなどの点が見られる。
 こういったものは実戦を経験して初めて得られるノウハウでもあるため、訓練等で補うのは難しく、フォークランド紛争においてイギリス海軍の駆逐艦シェフィールドがエグゾセ対艦ミサイルの攻撃を受けた際、不発だったにも拘らずミサイルに残された燃料による火災が発生。これに加えて信管の解体に失敗して爆発が起こり、シェフィールドは沈没している。

 何度かの防護扉をくぐりぬけて、やっと広い空間に出た。
 そこは、飛行甲板の真下の広大な格納庫だった。
 多くのジェット機は飛行甲板に揚げられていて、ここに格納されているのは少数だ。
 それもそのはずで、格納庫にはテーブルが並べられて、豪勢な料理が盛り沢山に飾られていたのである。
 中央のテーブルには巨大なケーキが、据えられていた。
 すると、
『メリークリスマス!』
 誰かが叫んだ。
 それを合図に方々でクラッカーが鳴らされ、
『メリークリスマス!』
 の大合唱がはじまった。

 数人の儀礼用の制服を着込んだ高級士官が歩み寄ってきた。
 その中の一人の肩章には銀星印が三つ。
 つまりは、階級が中将(Vice Admiral)ということになる。
 ここ横須賀で中将となると、第46代・第七艦隊司令長官のジョン・ハート中将である。指揮艦「ブルーリッジ」から移乗してきたらしい。
 米海軍作戦本部作戦次長(作戦・計画・戦略担当)に転出したウイリアム・クラウバー中将の後任である。
『ジョージ・ワシントン船上クリスマス・パーティーにようこそ』
 と言われて、
『船上クリスマス・パーティー』
 唖然とするばかりの梓だった。

『驚かせてごめんね』
 背後から聞き覚えのある、懐かしい声が届いた。
 振り向くと、
『ママ!』
 梓の母親の渚だった。
 実に久しぶりのご対面だった。
『ママが仕組んだのね』
 母親が姿を現したことで、すべてが納得できた。
 絵利香の誘拐は、梓をこのジョージ・ワシントンへと誘い込むための偽装だったのだ。
 太平洋艦隊司令長官ボブ・ウィロード大将と懇意だからこんな演出も可能であろう。
 渚の後方から絵利香が姿を現した。
『絵利香! 無事だったのね』
『無事も何も、渚様の企みだったのね』
『まったく……我が母ながらなんともはや』
 そんな中ただ一人、ぽつねんと呆然としている男が一人。
 沢渡慎二は圧倒されつづけていた。

 第七艦隊司令長官の後方には、さらに高級士官が待機していた。
 第五空母打撃群の司令官、リック(Richard)・アレン海軍少将。
 第五空母航空団の司令官、マイク・ブラック大佐。
 在日米海軍司令官、ジェームズ・D・カリー少将。
 ジョージ・ワシントン新艦長ジョン・R・ヘンリー大佐。
 横須賀基地司令官グレゴリー・コーバック大佐。
 ドナルド・スプリング海軍長官(アメリカ合衆国海軍省における文官の最高位)。
 そして駐日大使のトーマス・チーパー。

 二度とはお目に掛かれない豪華なメンバーだった。
 日本周辺及び極東の平和を守る世界最強の艦隊を運営する諸々の高級士官達である。
 大人たちにはシャンパンが開かれ、梓たちにはレモンスカッシュが振舞われた。
 そしてもう一度。
『メリー・クリスマス!』

 第七艦隊最新航空母艦、ジョージ・ワシントン船上でのクリスマス・パーティーのひとときであった。


米軍所属の艦艇や所属などは、執筆当時のものです。

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梓の非日常/第二部 第七章・船上のメリークリスマス(二)大追跡
2021.06.09

続 梓の非日常/終章・船上のメリークリスマス


(二)大追跡

 その時、前方から見知った大型バイクが近づいてきた。
 乗員はフルフェイスのヘルメットを被っているので誰かは区別がつかないが、バイクは明らかに慎二のものだった。
 こちらはファントムⅥ、相手が気づかないはずがなく、交差点でUターンして追いかけてきた。
 側面に付けると、窓ガラスをトントンと叩いて、窓を開けるようにうながしている。
「白井さん、窓を開けてください」
 窓が開く。
 相手が大声で語りかける。
「梓ちゃん、そんなに急いでどこへ行くんだ?」
 やはり慎二だった。
「絵利香が誘拐されたのよ」
 風の音に負けないように、梓も大声を張り上げる」
「誘拐?」
「そうよ。今、追いかけているところよ」
「判った!」
 すぐに事態を理解したらしく、慎二はファントムⅥの後方に付いて追従してきた。

 一進一退が続いていたが、どうあがいても追いつけない情勢となっていた。
「石井さん。相手に飛行機に乗られて逃走されても、その軌跡を追跡できるわよね」
「もちろんです」
「なら、そうしてください。もちろん民間や米軍・航空自衛隊の管制センターではなく、真条寺家独自の管制センターでよ」
「判りました」
 梓が言っているのは、若葉台研究所の地下に極秘裏に存在する衛星管理追跡センターのことである。
 すでに臨戦態勢であるのはとっくのことであるが、梓にはまだ知らされていない。
「このまま飛行機で逃げられるのもしゃくね。石井さん、止めてくれるかしら」
「わかりました」
 そして、窓を開けて後続の慎二に合図を送った。
 気がついてそばに寄ってくる慎二。
「何か用か?」
「このままでは追いつけない。そっちのバイクに乗って追いかける」
「二人乗りでかい? しかもそのドレス」
「大丈夫よ、ミニドレスだから」
 梓の着込んでいるパーティードレスは、丈の短い膝上スカートである。ドレスのままバイクに跨ることも可能であろう。
 もっともドレスを着込んだ二輪ライダーというのも、道行く人々を驚かせるには十分であろう。
「しかし、この寒空だぞ」
「大丈夫。これくらいの寒さで凍えていたら、ミニの制服着れないわよ」
「そ、そうかあ?」
 確かに、ただ歩くだけならミニでもいけるだろうが、自動二輪に跨って正面からの冷たい風をまともに受ければ凍傷にだってなるかもしれない。
「いいから、追いかけなさい。寒さは根性で耐えるから」
「わ、わかった」
 二台の車が停車し、梓は自動二輪の後部座席に跨った。
「石井さん。済みませんけど、後から追いかけてきてください」
「かしこまりました」
 後部座席の脇に取り付けられている予備のヘルメットを梓に渡す慎二。
 受け取って頭に被る梓。
「しっかりつかまっていろよ」
「あいよ」
 重低音を響かせて発進する自動二輪。
 石井を残して、タンデムで先行する暴漢者の車を追いかける。

 自動二輪の機動性と速度は、石井がいかにレースドライバーでも、ファントムⅥではとうてい出せないものだった。
 メーター振り切れば、ゆうに時速二百キロは出る。
 自動車で渋滞した道路でも、脇の隙間を縫うように走って、交通渋滞も皆無である。もちろんそれなりの運転テクニックが必要だが。
 梓は、すさまじい風圧に耐えていた。
 ドレスの裾は、風にあおられてひらひらと捲くり上がり、ショーツが丸見えとなっている。
 道行く男達は一様に驚き、鼻の下を伸ばしている。
 しかし、悠長なことは言っていられない。
 絵利香が大変なことになっているやも知れないのである。

 やがて暴漢者達の乗った自動車が目前に現れた。
 ついに追いついたのである。
「あの車よ。脇に着けて」
「判った」
 さらに加速して、暴漢者達の車にバイクを横付けする慎二。
 その車の中に捉えられた絵利香の姿があった。
「絵利香!」
 絵利香もこちらに気づいて、窓に両手を当てるようにして助けを求めていた。
「梓ちゃん!」
 見つめあう梓と絵利香。
「待ってて、今助けるから」
 その声が届いたかどうかは判らぬが絵利香の表情に赤みがさしていた。


 ウィンドウを隔てての再会。
 絵利香が何か言っているようだが、防音ガラスらしく聞こえない。

 突然助手席の窓が開いて何かを握った手がでてきた。
 自動拳銃である。
 銃口はこちらを向いている。
 危険を感じ取った慎二はすかさず後退して車の真後ろに回った。
「危ねえなあ。これじゃ、完璧に人質じゃないか」
 どうしようもなかった。
 相手が拳銃を持っているとなると、絵利香は人質に取られているといってよかった。
 ただ追いかけるだけである。
 桶川飛行場が近づいている。
「もっと飛ばせないの? このままじゃ逃げられちゃう」
「しようがねえだろ、タンデムで走ってるんだ。そうそう飛ばせるか!」
 梓はポシェットに入れていた携帯を取り出した。
 ボタンを操作すると、地図が現れて二つの光点が表示された。
 ファントムⅥの端末で表示されたデータを、この携帯でも受信できるようになっていた。
「時間差にして約二分……」
 カーチェイスにおいて二分の差は致命的である。
 空でも飛ばない限り追い上げることはほとんど不可能である。
 いつかの峠バトルのようにはいかない。
 それでも少しずつではあるが、距離を縮めてはいた。
 相手にアクシデントが発生するのを期待するだけである。

 上空にヘリコプターが現れた。
 それもただのヘリではない。
 AH/1Z Viper と呼ばれる米軍海兵隊などに配備された最新鋭戦闘ヘリである。
 これを所持しているもう一つの組織がある。
 真条寺家私設軍隊とも呼ばれるAFCセキュリティーシステムズ所属の傭兵部隊である。かの研究所に侵入し逃亡しようとしたスパイを狙撃した、あのスナイパーの所属部隊である。
 戦闘ヘリは明らかに桶川飛行場へと向かっていた。
「麗華さんが手配したのかしら?」
 これで対等に渡り合えることができる。
 桶川飛行場に近づいてきた。
 すると一機の飛行機が飛び立ってゆく。
 おそらく絵利香を乗せた誘拐犯達が乗り込んでいるのだろう。
 やはり間に合わなかった。
 とにかく急ぐ。

 桶川飛行場に着くと、先の戦闘ヘリが待機していた。
 誘拐犯の飛行機とすれ違った際に、撃墜してくれればと一瞬思ったが、絵利香が搭乗している限りそれは出来ない相談である。
 いつでも発進できるようにエンジンをかけたままにしている戦闘ヘリから降りてきた者がいた。
 竜崎麗華だった。

「いつでも追跡可能です」
「すぐに追いかけてください」
 戦闘ヘリに乗り込む梓と麗華、そして慎二も。
 エンジンの回転数が上がって、轟音と共に戦闘ヘリは宙に浮かび上がった。
「これを耳に当ててください」
 渡されたのは騒音防止兼用の通話装置を備えたヘッドウォンだった。
 戦闘ヘリの中では騒音がうるさくて生の会話など不可能であるからだ。
 耳に宛がうと、スピーカーから麗華の声が聞こえてきた。
「絵利香さまを乗せた飛行機は海上へと向かっているようです」
「急いで! 見失わないで」
 梓にパイロットが応答する。
「了解! まかせてください」

 カーチェイスからエアレースに変わっての追跡劇が始まる。

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梓の非日常/第二部 第七章・船上のメリークリスマス(一)暴漢者達
2021.06.08

続 梓の非日常/第七章・船上のメリークリスマス


(一)暴漢者達

 12月24日。
 世の中はクリスマス一色でお祭り騒ぎである。
 梓と絵利香の二人もクリスマスパーティに招かれて米国大使館へと向かっていた。
 ファントムⅥの車中にて招待状を広げている梓。
 その姿はパーティードレスに身を包んで、さすがにお嬢様という雰囲気に満ち満ちていた。
「慎二君も一緒に連れてくれば良かったのに」
 てっきり二人揃って参加するものと思っていた絵利香だった。
「ふん。あんな奴を誘ったら物笑いになるだけよ」
 と、鼻息を荒げて答える梓。
 実際にも前例があるだけに、その気持ちも判らないではない。
 二人の会話は、運転席との間に設けられた遮音壁に遮られて白井には聞こえないようになっている。

 田園地帯をゆったりと進んでいる。一般車両みたいに先を急ぐような走りはしない。
 仮にファントムⅥが細い道を塞ぐような状態になっても、クラクションを鳴らして急かしたり、無理やりに追い越そうなどという車はいない。
 黒塗り高級外車=暴力団、という先入観があるからである。
 やがて川越市から富士見市へと続く富士見川越バイパスへと進入する。

 と、突然。
 後方から猛スピードで追い上げてくる数台の自動車があった。
 追い越しざまファントムⅥの前を封鎖するように急停車した。
 さらに側面と後方にも停車されて身動きの取れない状況となった。
「な、なに?」
 怯えたように絵利香が震えている。
「あたし達の追っかけファン……というわけでもなさそうね」
 車外を見つめながら梓が答える。
「よく、落ち着いていられるわね」
「この程度のことじゃ、驚かなくなっていてね」
 確かに、命を失う危険のある出来事に何度遭遇したことか。
「お嬢様、賊が出てこいと言っておりますが」
 窓ガラスは防弾・防音となっているので、外の音は梓たちには聞こえない。運転上の必要性から白井だけに、外の音が聞こえるようになっている。
「ここは、おとなしく言うことを聞くしかなさそうね。ドアロックを開けて」
「かしこまりました」
 ドアロックは運転席で白井が操作するようになっている。降りる際に不用意にドアを開けて、後続の車両に追突されるのを防ぐためである。白井は周囲に常に気を配って乗降の確認を取っていた。
「開けました」
 ドアロックを解除する白井。
 ドアを開けて車を降りる梓。
 絵利香も続いて降りる。
 その時だった。
「きゃあ!」
 悲鳴を上げる絵利香。
 暴漢者達が絵利香を抱きかかえるようにして乗ってきた車に押し込み、急発進して逃げ出したのである。
「絵利香ちゃん!」
 残された梓だが、立ち塞がるようにしている居残りの暴漢者達に遮られて身動きできなかった。


 絵利香が誘拐された?

 成すすべがなかった。
 絵利香を連れ去った車が遠く離れて見えなくなると、居残った暴漢者達は身繕いを整えると、乗ってきた車に乗って立ち去っていった。
 自由になった梓は、早速携帯で麗華に連絡を取った。
「ああ、麗華さん。今から、衛星を使って追跡してもらいたいものがあるんだけど」
『追跡ですか?』
「実は、絵利香ちゃんが誘拐されたのよ」
『絵利香さまが誘拐された!?』
「そうなのよ。それで、絵利香ちゃんの持っている携帯からの電波を受信して追跡してもらいたいのよ。できるでしょ?」
『ええ、まあ……。できないことはありませんけど……』
「それじゃあ、お願いします」
『判りました。しばらくお待ちください』


 ここは若葉台にある衛星管理追跡センター。
 北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)と見まがうばかりの設備機器及び人員が揃っている。
 その任務は、地球軌道上に浮かぶ人工衛星の管理運営である。
 これまでにも登場した【大容量高速通信衛星(AZUSA/1・2・3号機】【資源探査気象衛星(AZUSA/4・5・6・7号機)】などがある。
「軌道修正完了。発射位置に着きました」
「レーザー冷却装置作動中。BEC回路に異常ありません」
「燃料ペレット注入」
「AZUSA9号M機、発射体勢に入りました」
 AZUSA9号は、原子レーザーを搭載した実験衛星である。末尾に(M)と付いているのは13機目ということで、実験衛星がゆえに世代交代が著しい。
 若葉台研究所が開発した原子レーザーの宇宙空間における実用に向けての実験が繰り返されている。
 その他、【多目的観測実験衛星(AZUSA/8・9・10号機)】という天体観測や宇宙実験を行う人工衛星もある。原子レーザー搭載の核兵器転用可能な実験衛星も含まれている。
「司令、麗華様より連絡。お近くのヴィジフォンに出て下さい」
「判った」
 司令と呼ばれた人物は、すぐそばにあった端末を取って応えた。
「キャサリン・レナートです」
 神妙な表情で連絡を受けているキャサリン。
 通話を終えると副司令に向かって、
「彩香。急用ができた。後を引き継いでくれ」
 指示を与えた。
 彩香と呼ばれた副司令が応える。
「かしこまりました」
 指揮を交代すると、別のオペレーターに指示を出すキャサリン。
「AZUSA10号と連絡を取ってくれ」
「はい」
 AZUSA10号とは、情報収集宇宙ステーションのことである。常時十人のスタッフが滞在して、地球上のあらゆる情報を収集している。
 飛び交う電波通信を傍受したり、海上の船舶や航行機などの追跡を行っている。
 サンダーバード5号という異名で呼ばれることも多い。イギリスの特撮人形アニメに登場するメカであるが、詳しくはネット検索して欲しい。
「これから伝える電話番号を持つ携帯電話から発信される電磁波をキャッチして、その移動を追跡してくれ。番号は、090○○○○××××だ」
 連絡を終えると、そばにいたオペレーターが尋ねた。
「何事ですか?」
「梓お嬢さまのご親友の絵利香さまが誘拐されたらしい」
「誘拐!」
「真条寺家の総力をあげて、絵利香さまをお救いするようにとの厳命だ」

 軌道上に浮かぶ宇宙ステーション。
 AZUSA10号の船内オペレーションルーム。
 狭いながらも効率的に配置された機器・端末に向かって忙しそうに働いている。
「どうだ、確認できたか?」
 というのは、チーフオペレーターである。
「はい。絵利香様の携帯電話番号の発振周波数が特定できました」
「よし、早速探知開始せよ」
「了解。発振電波を探知して位置を特定します。三分お待ちください」
「遅い、一分でやれ!」
 衛星管理センターからの厳命があった。
 一刻一秒でも早く、絵利香を探し出せと。
「特定できました! 現在川越市から桶川市へと移動中です」
「よし。それを衛星管理センターへリアルタイムで伝送しろ!」
「了解。衛星管理センターへ、リアルタイムで伝送します」

 富士見川越バイパスの側道に停車しているファントムⅥに搭載している端末に、絵利香の位置情報が転送されて表示されていた。
「お嬢さま、データが転送されてきました。そちらのモニターにも絵利香さまの位置情報を表示します」
 後部座席にもモニターがあった。
 それにリアルタイムの絵利香の位置情報が赤い点滅で示されていた。
 点滅は北へと向かっていた。
「おかしいわね。なぜ、北に向かうのかしら」
「この方角ですと桶川市に向かっているようです。その先には……桶川飛行場があります」
「それだわ! 陸上だと道路封鎖をされるから、飛行機を使って逃げるつもりね。急いで追いかけましょう。石井さん、お願いします」
「かしこまりました。シートベルトをしてください。飛ばします」
 その走りは、とても石井とは思えないほどのものだった。
 道行く車を片っ端から追い抜き、まるでカーチェイスでもやっているかのごとくのものだった。
 それもそのはず、石井はかつてレースドライバーだったのだった。

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