思いはるかな甲子園~採用します~
2021.06.16

思いはるかな甲子園


■ 採用します ■

 ファミリーレストラン事務所。
 梓と絵利香が提出した同意書を確認するマネージャー。
「はい、結構です。ウェイトレスとして、お二人を採用致します」
「ありがとうございます!」
「ただ注意しておきます。あなた方のようにお友達同士でアルバイトなさるケースが結構ありますが、お仕事中におしゃべりをなさる方が多数いらっしゃいます。あるいは知り合いのお客様と話し込んでいるのも見受けられます。これは一般のお客様に大変失礼なことですし、そばで聴いていると非常に耳障りなのです。くれぐれもお仕事中の私語を謹んでください」
「はい。わかりました」
「私からの連絡事項は以上です。後は、こちらの三園さんから、その他の注意事項、更衣室の場所や店舗の案内を受けてください。下がって結構です」
「ありがとうございました」
 深々とお辞儀をして退室する二人。
「それではお二人ともついてきてください」
 マネージャーから紹介された三園という女性の後に続く二人。
「まずは更衣室です。そこでユニフォームを試着していただきます」
 案内されて更衣室に入る二人。
「ユニフォームです。試着してみてください。ぴったりでしたら、同じサイズをあと二着ネーム入りで用意します。毎日着替えて、その日着たユニフォームは……」
 と各従業員のネームプレートの貼られたプラスティックのケースの入った仕切り棚を指して、
「このケースにたたんで入れて、棚に置いてくだされば、こちらでクリーニング致します。特に汚れた箇所やほつれができた場合はメモ書きを添えておいてください」
「わかりました」
「当店では、清潔なイメージを売り物としてますので。毎日着替えて頂くわけですが、個人で毎日クリーニングするのは大変ですし、つい疎かにして連日で着用したりする人もいらっしゃるでしょう。そんな事のないように、店でまとめてクリーニング業者に出して差し上げているわけです。その方が安い代金で請け負ってもらえますしね」
 早速、三園先輩から手ほどきを受けながら、ユニフォームの試着をする二人。
「サイズはどうですか?」
「はい。ぴったりです」
「わたしもぴったりです」
「そうですか。お二人とも、お似合いですよ」
 部屋の壁の一面は大きな鏡となっており、二人の姿が映っている。
 くるりと身体を回転して後ろ姿などを確認しながら、ユニフォーム姿の自分に悦に入っている絵利香。
「これ、着たかったんだ」
「みなさん。そう、おっしゃいます。このユニフォームを着たいために、アルバイトはじめる子が多いんですよ」
「やっぱり、そうでしょうねえ」
 うんうんと頷くように同調する絵利香。
「とある業界では、結構人気があって、オークションに数万円で出品されることがあるそうです」
「それって、女子高生の中古制服を売ってたりするアダルトショップでしょ? ウェイトレスの中に、そういう店にユニフォームを売ったりする不届き者がいたわけですね」
「ええ。まあ、そうです。ユニフォームは貸与されたもので個人に差し上げたわけではないのですけど、やめる時などにこっそり持ち出されてしまう方がいらっしゃいます」
「ひどいですわね」

 街中を歩いている梓と絵利香。
「ともかく、二人一緒に採用されて良かったね」
 楽しそうな表情の絵利香が話し掛ける。
「もし絵利香ちゃんだけ採用されてたらどうしてた?」
 歩道と車道を分けているコンクリートブロックの上を、バランスを取りながら歩いている梓が質問する。
「うーん。採用します、でもやめます。というのは失礼だから、一人寂しく通う事になってたかな」
「みなさん、やさしそうな方ばかりだから。一人でも大丈夫じゃないかな。楽しいバイト生活になるよ、きっと」
「あらあ、梓ちゃんが楽しいと感じるならバイトは薔薇色かしら」
「そんな単純なものじゃないと思うけど、心の持ちようかな」
「何にしても、日曜からバイトよ。一緒に頑張りましょうね」
「そうだね」


■ バイトはじめ ■


 梓宅のリビング。
 ファミレスから戻って来て、母親と午後のティータイム中の梓。
「採用されて、良かったわね」
「でも不思議なのよね。ウェイトレスの方はもちろん、お店の方もみなさん、丁寧な言葉遣いしていたの」
「サービス業なら当然ですよ。お客様との応対の仕方や言葉遣いはそう簡単には身につくものではないから。まず上司が自らお手本を示してあげているのよ。普段から敬語なんて使う事ないし、教えられる事もほとんどないですからね。梓ちゃんにだって、まだ教えた事ないでしょ」
「そりゃそうだけど……」
「敬語には、尊敬語に謙譲語、そして丁寧語とあって、適時適切に使い分けるのは非常に難しいのよ。だからお店の中にあっては、どんな関係でも敬語を使って、常日頃から慣れ親しませるように心掛けているわけよ。例えそれが業務報告であってもね。良い機会だから敬語の使い方を勉強してらっしゃい」

 アルバイト当日になった。今日は日曜なので、アルバイトの半数が入れ代わりでやってくるはずだ。
 十時以前に出店して内外の清掃をする専門のバイトたちによってきれいにされたフロアに、ユニフォームを着て立ち並ぶ従業員。その中に新人の梓と絵利香がいる。
 二人は、就業規則にある女子高生の勤務範囲である、開店の十時から午後五時までのスケジュールになっている。これは帰宅の問題と、勉強を疎かにしてはいけないという意向があるからだ。
 マネージャーが二人を紹介する。
「今日から新しく入りましたアルバイトの方を紹介します。こちらが、真条寺梓さん」
「真条寺梓です。よろしくお願いします」
「そちらが、篠崎絵利香さん」
「篠崎絵利香です。よろしくお願いします」
「二人とも友達同士です。みなさんとも仲良く楽しい職場になるよう指導してやってください」
「わかりました!」
 従業員達の明るい返事。
 はっきりと明瞭な挨拶は、サービス業においては、いの一番に教えられる重要項目である。暗い表情していたり、聞き取れないような小声を出していれば、即座に注意される。
「真条寺さんには、二時までキャッシャー、以降の五時まではフロアを担当してもらいます」
「わかりました」
「三園さん」
「はい」
「あなたは真条寺さんについてあげて、いろいろ教えてあげてください」
「わかりました」
「篠崎さんは、真条寺さんとは逆に、二時までがフロア、以降五時まではキャッシャーをお願いします」
「わかりました」
「篠崎さんのことは、大川さんについてもらいましょう」
「はい。かしこまりました」
「それでは、お客様への五ヶ条を斉唱致しましょう。明るくはっきりとした声を出しましょう」
 店内からは陰になって見えない天井の張り出しに掲げられた額に入った五ヶ条清訓を、読み上げはじめるウェイトレス達。
「一つ……」
 どこのサービス業でも、就業前には大概やっている業務の一つである。
 お客との応対には、明瞭な声を出す事が求められる。それを就業前の斉唱によって、自然に声が出るようにするわけである。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
思いはるかな甲子園~アルバイト~
2021.06.15

思いはるかな甲子園


■ アルバイト ■

 野球グランドを後にして、誘われて絵利香の自宅に立ち寄った梓。
 絵利香の自宅も、梓宅に負けず劣らず大きな屋敷だ。
 何せ篠崎家は四百年以上も昔、戦国時代から綿々と続く豪族旧家だった。しきたりにうるさい祖母がいたりして、交際相手も地位や身分で選ばれていた。
 一方の梓の家系も、皇族に繋がる旧公家華族だったらしい。はじめて知らされた時は驚いたものだった。
 ともかくも、両家の地位と資産はほぼ同じなので、遠慮することなく出入りできたのだが、絵利香の兄・健児の嫁にという話しが持ち上がっているらしい。

「え、アルバイト?」

 突然のように絵利香が告白した。
「うん」
「なんでまた、アルバイトなんかするの。絵利香ちゃん、お小遣いには不自由してないでしょ」
「社会勉強……っていいたいけれど。実はね……」
「何か欲しいものでもあるの?」
「ちょっとね……お父さんの誕生日祝いに何かプレゼントしようと思うんだけど、自分で働いたお金で買おうと思っているの。夏だから手編みのセーターというわけにもいかないしね」
「それはいいとして、なんでボクに話しかけるわけ?」
「だからね……一緒にと思って。」
 両手を合わせてお願いポーズの絵利香。
「やっぱし」
「わたし一人じゃ心細くって、梓ちゃんと一緒なら楽しい職場になると思うの」
「あのねえ……仕事に楽しいもないでしょうが」
「だめ?」
「お母さんがなんて言うかな……」
「それだったら、わたしからもお願いしてみるわ。だから、ね」

 というわけで、梓の家の応接室。
 梓の母親を前にして絵利香が説得を繰り返している様子。
「いいでしょう。動機が親孝行からですし、社会勉強ということで許可します。学校規則にもアルバイト禁止とはなっていませんから」
「ありがとうございます」

 書類を広げて読みはじめる母親。

『同意書
 真条寺梓様の保護者の方へ。
 弊社におきましてアルバイトを希望しております、あなた様のご子息様は十八歳未満の未成年でありますので、保護者としての同意書を取り交わしたく存じます……。
 つきましては別紙の就業規則抜粋を熟読のうえ、ご署名、ご捺印のほどよろしくお願いいたします……』

 というような内容の文章がつらつらと書かれている。
「同意書か……そんなもの書かなくてもいいと思うけど」
 浩二だった時にも、アルバイトした経験があるが、同意書の提出を求められた覚えはない。男子と女子の違いなのかもしれない。
「梓ちゃんはまだ結婚もできない十五歳じゃない、書くのがあたりまえです。あなたがすることはすべて親が責任を取らなければならないんですよ」
 続いて就業規則を読み上げている。

『始業時間は午前九時半より、身支度を整えて十時の開店に備える事。終業時間は午後十時まで。但し女子高生は午後五時までとする。服装の注意。従業員は弊社貸与の制服を着用すること。ただし制服のままの通勤退社は禁ずることとし、更衣室にて着替えること。なお制服の社外持出禁止』
 ブラックバイトが社会問題となる中、なかなか良識的な会社である。

 もう一枚の会社案内書に印刷された制服を眺めて、
「ああ、これが制服なのね。清潔感のあるグリーンを基調にして、ミニのフレアースカートにベスト、そしてオレンジの色のパフスリーブのオープンジャケットね」
「絵利香ちゃんが、このユニフォームを気に入っちゃってさあ。アルバイトするなら、ぜひこのお店って聞かないんだ」
「可愛いユニフォームだから、絵利香ちゃんの気持ちは判るわ。ストッキングは肌色系を着用のこと。靴について。ズック靴やハイヒールは禁止、色は黒かアイボリー系のローヒールのパンプス。女子高生の場合は、学校で着用している革靴でも可。パンプスねえ……この間、パーティー用のドレスと一緒に買った靴があるから、取りあえずはそれで大丈夫ね」
「あの靴は、だめだよ。あれはドレスに合わせたのよ。お父さんに買ってもらった靴で仕事したくないよ」
「はいはい、わかりました。じゃあ、今度、買いに行きましょうね。化粧について。厚化粧は避けることか……あ、女子高生のアルバイトは化粧を禁ずるって書いてあるからこれはいいのか。まあ、梓は化粧なんかしなくても十分今のままでも可愛いから大丈夫だけど。髪は肩までの長さがふさわしいが、長い髪の方はポニーテールなどにして後ろでまとめる事。これは梓ちゃんのこと言ってるわね。さすがに女性の命である髪を切りなさいとは言えないからこの規則があるのね」

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
思いはるかな甲子園~女子高生・梓~
2021.06.14

思いはるかな甲子園


■ 女子高生・梓 ■

 やがて春となり、梓は高校に進学した。

 真新しい栄進高校の女子制服に身を包み、その校門をくぐる梓。
 かつて浩二が通った高校に舞い戻ってきたのである。
「なつかしいな……」
 まだ浩二の記憶が残っていた。
 散策してみようかと思ったが、
「梓ちゃん、入学式のある講堂はこっちよ」
 と付き添ってきた母親が促す。
(子供じゃないんだから、付き添ってこなくてもいいのにな……)
 しかし母親にとってはいつまで経っても子供は子供なのだそうだ。入学式を終えて、家に帰りつくまでは離れてくれそうもない。慣れない道で迷子になりはしないかと心配なのだ。
 母親が一緒にいては自由に散策できない。
(ま、後日にでもゆっくりと散策しよう……)


 それから数日後の放課後。
 栄進高校野球部のある河川敷のグラウンド。
 眺めのよい土手にセーラー服姿の梓と、仲良くなった篠崎絵利香が腰を降ろして、野球部の練習を眺めている。一緒に帰る途中に梓が、絵利香を誘って立ち寄ったのである。
 鞄からメモ帳を取り出して何やら書き込んでいる梓。
「ねえ、何書いてるの?」
 とメモを覗きながら質問する絵利香。
「うん。部員達の行動パターンとか癖とか調べているんだ」
「そんなもの調べてどうするの?」
「野球部に入ったら必要になるから」
「ええ? 野球部に入るつもりなの?」
「まあね……」
「梓ちゃんに野球部は似合わないと思うけどな。女のわたしが見ても可愛いんだから、どちらかというとテニス部の方がいいよ」
「テニス部ねえ……一緒にテニスやりたいから言ってるでしょ」
「あたり!」
 絵利香はテニス部に入っていた。おりにふれてテニス部へ勧誘するのであった。
「でもさあ。あたしって、そんなに可愛いのかなあ」
「クラスの男子生徒達の視線に気づいていないの?」
「男子生徒?」
「みんなため息つきながら、梓ちゃんの事見つめているわよ」
「ふうん。そうなんだ……でも、絵利香ちゃんも可愛いよ」
「ありがとう」


「気づいていますか」
「ああ、土手の女の子だろう」
 グランドのホームベース近く、練習の打ち合わせをしていた主将の山中勝美と、副主将の武藤聡が、梓の方を見つめて話し合っている。
「このところ毎日のように来ていますね。他校のスパイかな」
「馬鹿、あのセーラー服はうちの学校のもんだよ」
「でも、ずっとこっちを見ていますねえ。リボンの色からすると、一年生みたいですね」
「しかし……なにはともわれ、かわいい女の子じゃないか」
「そりゃそうですが……あ、郷田のやろうが女の子に近付いてます」
「なに!」

 梓達に声を掛ける郷田。
「君達、ずっと見にきているね。野球が好きなのかい?」
「うん」
「栄進の女子生徒だよね」
「そうだよ」
「一年生のようだけど、名前はなんというの?」
「うん?」
「あ、ごめん。言いたくなかったらいいよ。僕は郷田健児。センターを守っているんだ」
「こらー! 郷田。さぼるな」
 ホームペース付近にいた山中主将が、メガホン片手に叫んでいる。
「あらあら、やかましのキャプテンがわめいてるから、行かなきゃ」
「がんばってね」
「また来てくれるかい?」
「たぶんね」
「ありがとう」


■ 栄進高校野球部 ■


 さらに数日後。
 再び、河川敷の野球部グラウンド。
 土手に座っている梓達のまわりに、部員達が集まっている。
「ちきしょう。あいつら、また練習をさぼって女の子といちゃいちゃしやがって」
 山中主将がいらいらしている。それに武藤が同調する。
「一度、活をいれてやらないと駄目ですねえ」
「よし、ちょっくら……」
 と、梓を囲む部員達の所に歩みはじめるよりもはやく、部員達の方が先に行動を起こしていた。
「おーし! みんな始めるぞ。グラウンド十周からだ」
 郷田が声をかける。
「おー!」
 一同一斉に走り出す。
「な、なんだ。いきなり……」
 呆然とする山中主将。
「よーし、ノックはじめるぞ。全員配置に付け」
 やがてグラウンド十周を終えた部員達は、それぞれの受け持つ守備についた。
 郷田を中心として練習をはじめる部員達。
「おお!」
 一斉にグラウンドに散る部員達。
「ショート!」
「おお!」
 構えるショートは、山中主将の代わりに守備に入っている南条誠。
 ノックを打つ郷田。
 球はワンバウンドしてショートのグラブの中へ、それを処理してファーストに投げる。
「もういっちょう」
「よし!」
 精力的に練習を続ける部員達。
「一体どうしたんだ」
 部員達のあまりの変り具合に、首を傾げている山中主将。
 それに武藤が答える。
「ああ、それはね。あの子のせいですよ」

 土手で部員に囲まれている梓が、さとすように話している。
『ボクは、女の子を軟派するような軟弱な人は嫌いですから。スポーツマンならスポーツマンらしく、行動で示すような、野球に熱中しているような人が好きなんです』

「……とか、言ってたらしいですよ」
「ははん。それで急にがむしゃらに練習を開始したのか」
「いいところを見せようとしているわけですね」
「まあなんにしても、動機は不純だが、練習に身がはいるというのならば、ことさらとして何も言うまい」
「いわゆる野球部のマスコットガールってところですか。いっそ野球部のマネージャーになってくれると、みんな喜ぶでしょうけどね」
「世の中、そううまく運ぶものじゃないさ。女の子はきまぐれなんだ。いつまでああして見学にきてくれるか、わかるもんか」
「それはそうですけどね」

 微笑みながら、部員達の練習を見つめている梓。
「こんな男的なスポーツのどこがいいのかしら」
 その隣で怪訝そうな表情の絵利香。
 帰宅の途中にある場所なので、梓の誘いを断りきれずに付き合っているが、いくら眺めても好きになれそうになかった。誘いを断ってしまえばいいのだが、絵利香にはお願い事を秘めているので、無碍にもできないでいたのだ。
「ねえ、梓ちゃん」
「なに?」
「あのね……」
 もじもじしながら言い出しにくそうにしている。
「……ん?」
「な、なんでもない」
「なによ。途中まで言いかけてやめるなんて」
「ごめんなさい。また後で話すから」
「気になるわね」

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
思いはるかな甲子園~キャッチボール~
2021.06.13

思いはるかな甲子園


■ キャッチボール ■

 梓の父親は、東証一部上場会社の社長であった。
 ゆえにその屋敷も、大邸宅といっても過言でないほどの広さを誇っていた。
 その広さに最初は、戸惑っていた梓であった。
 自室からリビングに移動してきた梓。
 ソファーに腰を降ろして新聞を広げて読んでいる父親がいる。
 今日は日曜日、会社が休みでくつろいだ表情だ。
「お父さん、おはよう」
「ああ、おはよう。梓」
 声を聞きつけたのか、ダイニングキッチンから母親が顔を出す。
「梓ちゃん。起きたのね、悪いけどちょっと手伝って」
「はーい」
 明るく返事をして、ダイニングキッチンへ向かう梓。
「おはよう、お母さん」
「おはよう、梓ちゃん」
 梓は女の子であり、母親が朝食の手伝いをさせるのは当然である。
 そして、素直に従う梓であった。
 精神的には他人でも、身体的にはこの両親の娘である事には違いない。養ってもらっている以上、言われた事には忠実になるしかない。

 食事を終え、後片付けも済んで、リビングに戻る梓。
 そして父親を捕まえて催促するのだ。
「お父さん、キャッチボールしようよ」
「またかい? しようがないなあ」
 といいながらも、嬉しそうな表情を見せて立ち上がる父親であった。
 世間では父娘断絶の風潮があるなかで、娘の方から声をかけてきてくれて、頼りにされている実感というのは、父親冥利につきるというものだ。どんなに仕事で疲れていても、可愛い娘の相手をしていれば心は癒される。
 梓が父親とキャッチボールを始める発端になったのは、リビングの暖炉の上に飾られていたバットとグローブだった。
 不審に思った梓が尋ねてみると、父親が高校時代に甲子園出場を果たしたときの記念の品だというのだ。
「お父さん、甲子園に出たの!」
「ああ、そうだよ。もっとも一回戦で敗退しちゃったけれどね」
「ポジションはどこ?」
「投手だったよ」
「すごいなあ」
「一回戦で敗退しちゃったんだよ」
「でも、県大会を勝ち抜いたということじゃない。やっぱりすごいよ」
「まあ、そういうことになるのかな」
 梓、グローブをはめてみる。
「あは、ぶかぶかだ」
「そりゃ、そうさ。投手やるような男の手は大きくなくちゃだめだからね。梓は普通の女の子だから小さいのは当たり前さ」
「ちょっとお父さんの手を見せて」
「うん、お父さんの手かい」
 梓、広げた父親の手の平に自分の手の平を合わせてみる。
「わあ! お父さんのほうが倍くらいおおきい」
「ははは、大人の男だからね」
 梓の白くてしなやかな細い指と、日焼けしたごつくて太い父親の指との違いが一目瞭然であった。
「そうだ! お父さん、梓にグローブ買ってよ」
「グローブをか」
「うん。お父さんとキャッチボールしようと思って」
「キャッチボール?」
「だめ?」
「まあ……梓がどうしてもというならいいけど。梓の手なら、子供用だろうなあ」
「ありがとう、お父さん」
 といって抱きつく梓。
「これこれ、梓」

 というわけで、休日ごとにキャッチボールをはじめたわけである。

 今でこそ仲睦まじい父娘であるが、転落事故以前の父親は、家庭を省みない仕事一途であった。そんな父親不在の寂しさを紛らそうとする梓の意識に、あの不良達につけ込まれる要因があったといえる。
 事故を契機として、娘に変化が現われたのを期に、父親も次第に変わってきていた。キャッチボールしようと、娘の方から歩み寄ってきたり、喜んで抱きついてきたり、父親を尊敬し笑顔を向けるようになったのである。娘とのスキンシップの交流がはじまって、父親の方にも再び愛情が戻ってきた。
 仕事一途の生活から、朝夕は一緒に食事を取るようにもなって、梓との会話が楽しくなっていた。娘がこんなにも可愛くて、いとおしいものだったとは、改めて再認識する父親であった。

 庭に出てキャッチボールをはじめる父と娘。
「お父さん、いくよ」
「よし、こい!」
 父親が片膝ついて梓の投球を受けている。
「お父さん、今度はカーブ投げてみるね」
「いいぞ、来い」
 梓ゆっくりと投球モーションを起こし、下手スローからボールを投げ出す。
 その手から離れたボールは勢いよく父親のグローブに収まる。
「うーん。なかなかいいぞ」
 ボールを返球する父親。
「しかし、梓がここまで上達するとは思わなかったな」
「お父さんのお蔭だよ。それに、お父さんの子供だし」
「そ、そうだけどさあ。やっぱり女の子だもんな、限界は越えられないだろう」
「限界?」
「そうさ。男なら百五十キロの球速も出せるけど、女の子ではせいぜい百二十キロしか出せないからな」

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
思いはるかな甲子園~新しい生活~
2021.06.12

思いはるかな甲子園


■ 新しい生活 ■


 夢うつつ。
 暗闇の中で背を向けて座り、何事か一心不乱に行っている浩二。
 と、突然目の前に怪しげな人物登場。
「お主、何をしておる」
「だ、だれ!」
「ほお、おいしそうなフランクフルトであるなあ」
 と自分の股間を見つめている人物。浩二が見てみるとなんといつの間にかフランクフルトがにょっきりとはえているのだ。それもマスタードとケチャップまでたっぷりとかかって。
「どうじゃ、このメロンパン二つと交換せぬか」
「だ、だめです!」
 しかしフランクフルトはいつのまにかその人物の手に渡っていた。
 気がつくと浩二は、女の子である梓の身体になっていて、胸にはメロンパンが二つくっついていたのだ。
「なんじゃ、これはー!」


 というところで梓は、悪夢というべき夢から覚めた。
 目が覚めてもしばし呆然としている梓であったが、ふと気が付いたように自分の身体を確かめはじめた。
 しかしごく普通の女の子の身体に相違なかった。胸は小さめながらも形の良い膨らみと弾力を持っているし、股間には今なお見なれることのできないデルタ地帯が広がっている。
「大丈夫、ごく普通の身体だよね」
 冷汗を拭っている梓。
「しかし、変な夢を見たな。夢かあ……今のこの梓になったことが、本当は浩二がみている夢であって、夢の中でさらに夢をみた……ということはなさそうだなあ。どう考えてもこの梓が現実の世界だよ」
 退院の日から、両親に連れられてこの部屋で暮らすようになって、すでに一ヶ月がたっていた。
 カーテンを通して朝の日差しが、部屋の中に差し込んでいる。
 この部屋は南向きの一番日当りの良いところで、両親が大事な一人娘のために当てがってくれた部屋である。ベッドを降りてカーテンを開き、窓を開けると朝のすがすがしい空気が流れ込んでくる。精いっぱいの背伸びをして新鮮な空気を深呼吸する。
 改めて部屋を見回してみる。
 梓の趣味だろうか、明るい色調のピンク系を主とする壁紙や装飾が部屋を取り囲んでいる。このベッドカバーもカーテンも……あれもこれもみんな以前の梓が選んだものであろうか、十四歳の女の子らしい感性に満ち満ちていた。
 本来なら相入れない感性のはずなのに、なぜかじっくり見つめているとなんだか落ち着いてくるような感じで、もしかしたら自分のどこかに以前の梓が持つ感性が潜在意識という形で残っているのかも知れない。
 感性だけでなく、ちょっとした自分の行動にもまさしく女の子らしい仕草が現れて、びっくりすることがある。たとえば椅子に座るときには意識せずともスカートの乱れを直しながら座っているし、あまつさえ自然に膝を合わせ足を揃えているのだ。いわゆる反射や条件反射とよばれるものに、女の子らしさが顕著に現れているのだ。
 どうやら梓が十四年もの間に渡って身につけてきた癖とか仕草、身体で覚えているものはそう簡単には消え失せないものらしい。これは母親がすでに気づいている通りであった。
 窓の縁に腰かけて、ぼんやりと庭を眺める梓。
 これまでのことを改めて考えなおしてみる。

 退院のおりに、長岡浩二という少年つまり、自分自身の死を告げられていた。


■ 女の子として ■


 あの日。
 転落するも奇跡的に無傷状態の少女。しかし転落のショックでその精神はすでに死亡しており、魂は抜け出てしまっていた。
 そして浩二の方も、コンクリートに後頭部を強打、脳挫傷で脳死状態になった。死亡した身体から魂が遊離し、たまたまそばに転がっていた魂の抜け殻となっていた少女の無傷な身体に乗り移った。

 考え行き着く結論は、やはりそんなところなのだろう。

 梓に生まれ変わったばかりの頃は、浩二の魂と少女の身体が同調しておらず、ほとんど記憶喪失状態であったが、時と共に魂と身体が馴染んでくると、しだいに梓という少女の記憶が呼び起こされてきていた。浩二の魂が入り込んだとはいえ、少女の記憶はそっくり残っているのだ。
 梓の身辺の世話をしてくれている母親とも、最初はぎくしゃくとしたものであったが、記憶が戻り共通体験による話題を語り合えるようになると、しっかりとした母娘関係が築かれていった。
 ただ困った事には、梓の記憶が一つずつ呼び起こされるごとに、浩二だった時の記憶がどんどんと失なわれていくのであった。
 梓の脳神経組織は、女として考え女として行動する、完全な女性脳として形成されている。ゆえに相容れない男性的な意識は、片っ端から切り捨てられているようであった。
 やがては、浩二だった記憶も完全に失せて、すっかり女の子らしい梓になってしまうのだろう。
「そうなるまえにやらなければならないな」
 転落事故に至ったあのスケ番達は、目撃者の証言から逮捕・補導され施設送りとなっており、二度と関わることがないだろう。
 問題は、浩二がやり残したこと……。
「甲子園か……」
 ため息をついて空を仰ぐ梓だった。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11

- CafeLog -