梓の非日常/第三部 神条寺家の陰謀 part-3
2021.05.21

神条寺家の陰謀


partー3

 どこからか学校のチャイム音が鳴り響いている。

 閉じ込められていた場所から、無事に脱出できたのは良いが、これからどこへ行けばいいのか分からなかった。
 催眠剤の副作用なのか、記憶があいまいなのだ。
 自分の名前さえも思い出せないのだ。
 近くの学校の前をウロウロしていると、背後から声を掛けられた。
「よお! 早いじゃないか」
 振り返ると、どこかで見たような顔覚えのある少年だった。
「遅刻するぞ! 急げよ」
 というと、さっさと校内へと走り去った。
 続いて現れたのは、
「きゃあ~! 遅刻しちゃうよお」
 やはり見覚えのある女の子であった。
「慎二君も急いだ方がいいわよ」
 というと、やはり校内へと急ぐ。
「慎二?」
 辺りを見回すも、自分以外誰もいない。
「俺の名前か?」
 思い出せない。
「おい、沢渡!」
 今度は野太い声がした。
 中年の男が立っていた。
「遅刻だぞ。早く教室へ行け!」
 どうやら自分のことを知っているみたいだ。
 沢渡、そして慎二……? それが俺の名前なのか?
「教室? どこ?」
「ふざけているのか? 1年A組だろが!」
 と言われても意味が分からず、他の場所へ行こうとすると、
「おちょくっているのか? ちょっとこい!」
 と言って、職員室へと連行されました。
 お説教を喰らって、結局1年A組へと向かうことになります。

 1年A組といわれても、校内のどこにあるのか分からず、うろちょろしていると、
「沢渡君、何しているの?」
 女性教諭に声を掛けられた。
「いえ……教室が分らなくて」
「何言っているの? 目の前にあるじゃないの」
 見ると、教室表示プレートに1年A組と記されていた。
「遅刻ね。まあ、いいわ。今度だけは許してあげるわ。さ、入りなさい」

 どうやら俺は、沢渡慎二という名前で、1年A組の生徒らしかった。
 女性教諭と一緒に教室に入る。
 校門前で見かけた男女もいた。
「席に着きなさい」
 手招きしている女子生徒がいた。
 その隣の席が空いており、そこに座るように促しているようだ。

 席に座ると授業が始まる。
 机の上に何もないのもぎこちない。
 机の中をまさぐってみると、何冊かの教科書が入っていた。
 学校に教科書置いておくなんて、どんな勉強しているのか?
 いや、そもそも勉強していないのではないだろうか……。
 女性教諭は国語担当みたいだ。
 なので国語……あった!
 国語の教科書を出して机の上に置く。

 そうこうするうちに、授業が終わる。
 すると彼の元に、親しげに集まってくる生徒達がいた。
「慎二、酷いじゃない。約束破ったでしょ」
「約束? 何のこと?」
「しらばっくれないでよ」
「そうよ。梓ちゃんにゲームセンターというところを案内してあげると言ってたじゃない」
「ゲームセンター?」
「梓ちゃんが行ったことないっていうから、案内してやるとか言ったでしょ」
 考え込んでいる慎二。
「どうしたの? 今日の慎二君変よ」
 どうやら二人の女の子は、慎二とは親しい間柄のようだ。
 二人は、慎二の身に降りかかった事件を知らない。
 彼女らなら大丈夫だろうと、事情を説明すると、
「大変な目に会いましたね」
「そうなると当然、警察が動いてるわよね。下手に動くと警察に捕まって、殺人犯にでっち上げられるかもしれないわよ」
「ほんとうか?」
「当然よ。警察も馬鹿じゃないわ、現場の指紋は取られているだろうし、慎二君は警察のご厄介になって、指紋取られたことあるんじゃないの?」
「そうね。喧嘩は日常茶飯事だもんね」
「お、覚えていないんだが……」
「そっか、記憶がないんだっけ」
「ちょっと待ってね」
 梓は、そういうと携帯を取り出して、連絡を入れる。
 もちろん専属秘書? の竜崎麗香のところである。
 慎二から聞いた内容を話している。
 通話が終わり、慎二に向かって、
「ともかく記憶がないというなら、病院で精密検査を受けた方がいいって」
「精密検査?」
「ほら、前にも慎二君が入院した、若葉台研究所付属病院よ」
「って言われても……」
 記憶がないからと言いかけて、梓が応答する。
「ともかく記憶を取り戻さない限り、事件を解決することもできないわよ」

 精密検査を受けることを承諾して、梓の御用車であるファントムⅥが迎えに来て、若葉台研究所附属病院へと直行した。
 下手に出歩くと、警察に捕まってしまう懸念があるからである。
 早速VIP待遇で、予約待ちしている一般患者より早く、いの一番で検査が開始される。
 警察よりも早く手がかりを見つけるためである。
 やがて結果が報告される。
「ベンゾジアゼピン系向精神薬つまり睡眠導入剤ですね、微量ですが検出されました」
「どういうものですか?」
「この薬には頻度は稀ですが、入眠までの出来事や中途覚醒時の出来事を覚えていないなどの症状があらわれる場合があります」
「ということは薬を盛られて、例の部屋に閉じ込められたってことは証明できるかもね」

「処方薬なら、処方箋から購入者を特定できませんか?」
「そうですねえ、この薬は作用が強くて薬物依存症を引き起こすので、一般の睡眠導入剤としては、処方されることは少ないですし、処方箋は薬剤師法により調整済みのものは3年間の保存義務はありますから。ただし、個人情報保護法もあり、患者以外の者に開示されることはないと思います」
「犯罪捜査で警察なら調べることはできそうね」
「どういうこと?」
「処方箋を調べて、慎二君に処方されていないことが証明できれば、他の誰かに薬を盛られたということも証明できるんじゃない?」
「なるほど」

「万が一慎二君が逮捕されたとしても、無実の証明道具として使えそうね」
「言い換えれば、犯人にとっては弱点というわけね」
「どういうことだ?」
 それに答えずに、
「そうねえ……慎二。今夜あたしと付き合ってくれるかしら」
 と誘う。
「夜中のデートの誘いか?」
「いいから付き合うの付き合わないの?」
 何せ、お尋ね者状態なので、単独行動はご法度である。
 その日は、絵利香の用意したホテルに滞在して夜を待つこととなった。
「今夜連絡するから、バイクでいつでも出られるようにしておいてね」
「バイクでか? 夜のツーリングもいいもんだぞ」
「バイク乗りってことは覚えているのね」
「え? ああ、なんとなくそう感じたんだ」
「少しずつ思い出せるわよ」
「ともかく、忘れないでね」

 その夜の研究所付属病院の敷地。
 バイクに乗って戻ってきた慎二と梓。
 病院を見渡せる場所に身を隠している。
「病院にまた来るなら、病院の個室や当直室とかで休んでいれば良かったんじゃないのか?」
「だめよ。どこかで監視されているかも知れないから、病院を出たことを確認させなくちゃいけないのよ。でないと次の行動を起こさないから。バイクでの移動も追跡されにくいからよ」
「次の行動ってなんだよ?」
「今に分かるわ……しっ! 来たみたいよ」
 病院の職員通用口に近づく影。
 怪しげな人物が忍び込もうとしていた。
 通用口の鍵をピッキング工具で開けて、研究員に見つからないように、慎重な忍び足で潜入したのはカルテ室だった。
 コンピューター端末の電源を入れて、患者を検察する。
「これね」
 見つけ出した患者名のカルテ開示ボタンを押すと、電動書類棚の一端が動いて目指すカルテが斜めに飛び出した。
 そのカルテに手を掛ける侵入者。
 その途端だった。
「そこまでよ!」
 背後で強い口調で制止する声。
 と同時に部屋の照明が点けられた。
 振り返り身構える侵入者。
「たぶん夜襲を掛けて、犯罪の反証明となるカルテを奪いにくると思っていたわ」
「……」
「誰に頼まれたの?」
「……」
 無言で答えない。
 出口は完全に塞がれている。
 取れる行動は一つだった。
 ナイフを取り出すと、その首に突き刺したのだった。
 その場に崩れる侵入者。

 救命しなければ、犯人に繋がる糸を絶つことになるし、おそらくは背後にいるだろう黒幕の正体も見失ってしまう。
 幸いにも、ここは最新設備の揃った病院である。
 望むと望まぬに関わらず、生命維持させることは可能である。
「救命措置をしてください。手がかりを失うわけにはいきません」
 梓の指令のもと、救急治療室へと運び込まれた。
 当直の医者達が集まって緊急治療を開始した。


 数日後。
 侵入者が意識を取り戻したとの報告を受けて、病院へとやってきた梓達。
 その部屋は、窓には銃弾をも跳ね返す特殊超硬ガラスがはめられており、外へ出るには医者が常時待機している医局の中を通らなければならないので、気付かれずに逃げ出すことは不可能である。
 そもそもが、梓のようなVIP患者を診療する特別部屋でもあったのだ。
 入室すると憮然(ぶぜん)としている侵入者がいた。
「気分はどうかしら?」
 梓が明るい表情で尋ねると、
「どうして助けた?」
 警戒している風だった。
「助けるも何も、死にそうな人がいたら助けるのが病院の責務でしょ。ここは病院なんだからね」
「……」
 黙り込む。
「ああ、ここの治療費は心配しないでいいからね。見城春奈さん」
「ど、どうして名前を?」
 自分の名前を当てられて、驚いた表情をしている。
「あなたも組織の人ならば、あたしのバックにある組織のことも知っているでしょ? あなたの顔写真や血液型のビッグデータをちょいと調べれば分かるわよ。免許証や受験票などデータとして登録されている情報にアクセスすればね」
 心当たりあるという表情をしている見城。

「組織の指令に失敗したあなた、消されるわね」
 その一言で、表情が少し青ざめる見城だった。
「慎二君が嵌められたあの部屋の遺体も、指令に失敗して消された組織の人ではなくて?」
 黙秘権を行使している。
「あなたの組織って冷酷非情みたいね。いらなくなった部下を平気で見殺しにするんだから。そして、何の関係もない人を陥れることもする。慎二君のことよ」
「……」
「ねえ、この際。あたしの組織に入らない? あなたの組織から身を守ってあげられると思うよ」
「……遠慮する……」
 つっけんどんに答える。

「あなたの組織は、当然あなたのことも密かに尾行していると思う。ちゃんと任務遂行しているかどうかをね。もしこのままここを出たら、口を割って組織のことを喋ったと思われて抹殺されるわよ。でもあたし達の仲間になれば、身を守ってあげられるから」
 だからといって、
『はい、お願いします』
 とは、すぐには即答できないであろう。
「また明日来るわ。答えを出しておいてね」
 言い残して部屋を出る梓。
「逃げ出さないように、しっかり監視しておいてね」
 医局員に念押しする。
「かしこまりました。二十四時間監視しております」

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梓の非日常/第二部 第四章・峠バトルとセーターと(一)セーター
2021.05.20

続 梓の非日常・第四章・峠バトルとセーターと


(一)セーター

 自分の部屋で窓辺に椅子を寄せて編み物に熱中している梓がいる。
 優しそうな表情をして無心に編み棒を動かして編み続けている。
 そよ風がそのしなやかな髪をたなびかせている。
「はーい! 梓ちゃん、遊びに来たわよ」
 開いていた扉から絵利香が入ってくる。
「あ、絵利香。いらっしゃい」
「絵利香?」
 きょとんとしている絵利香だった。
 なぜならいつもはちゃんづけして呼んでいたからだ。
「編み物してるなんて珍しいじゃない」
「ん……ちょっとね」
「信二君にあげるのね」
「わかる?」
「そんな大きなサイズを着れる身近な人といえば彼しかいないじゃない」
「そうね。うふふ」
 と、否定もせず少し照れた表情を見せる梓だった。

 なんか変ね……。
 喧嘩が何より好きで、男勝りなあの梓が……編み物?

 絵利香には、梓の心変わりが理解できなかった。
「お嬢さま、慎二さまからお電話です」
 麗華が電話子機を持って入ってきた。
「ありがとう」
 トレーに乗せられた電話子機を取り、話し出す梓。
「替わりました、梓です。慎二君、こんにちは。え? デート? ……ん、どうしようかしら。今度の日曜か……予定はないけど。そうね、いいわ。迎えに来るの? じゃあ、待ってる。うん、それじゃあ」
 電話を返す梓。
 いかにも嬉しそうだ。
「あ、梓ちゃん。慎二君とデートの約束したの?」
「ええ。バイクでかっ飛ばそうとか言ってた」
「バイクでデートねえ……慎二君らしい発想だけど。梓ちゃんが、うんと言うとは思わなかったわ。今までは、慎二君が誘っても、一蹴の元に断っていたじゃない」
「たまにはいいんじゃない?」
「いいのかな……」
 梓がいいというのなら、口を挟むべきことじゃないと思いつつも、どうしてもしっくりこない絵利香だった。
「麗華さん、日曜日、慎二君とデートだから。予定に入れておいてください。たぶん忘れてたりするから、その時は教えてください」
「お忘れになるって……?」
 きょとんとしている麗華。
 いくらなんでもデートを約束して、その日を忘れるなんてことがあるのだろうか?
 麗華も絵利香も首を捻っていた。
「ん……。ちょっとね、最近物忘れが多くてね」
「それは、構いませんけど」
「うーん……デートまでに編みあがるといいんだけどなあ……」
 そしてまた、編み物に専念する梓だった。

 絵利香が、麗華にそっと耳打ちする。
「ねえ、麗華さん。最近の梓ちゃん、変わったと思いませんか?」
「確かに変わりましたよ。そうですね、あの研究所火災以来だと思います。ああやって、毎日編み物していますし、ピアノの練習も以前よりも増えています。慎二さまに命を助けられて、心境も変わられたのではないでしょうか」
「それって、恋する乙女心ということ?」
「はい。ああして慎二さまのためにセーターを編んでらっしゃる姿は、まさしく恋心に目覚めたとしか言えないと思います」
「麗華さんは、慎二君のこと肯定してる?」
「お嬢さまがなさることには口を挟むことはできません。それに渚さまも慎二さまのこと、お気に入りになられていますしね」
「そうなの?」
「はい」
「ふうん……。娘を命がけで助けてくれたのだから、それなりに感謝の意を表すのは判るけど」


 翌日となった。
 教室へ向かって廊下を歩いている二人。
「ええ? あたしが、慎二とデートの約束したあ?」
「大きな声出さないでしょ。びっくりするじゃない」
「びっくりするのは、こっちだよ。なんであたしが、慎二となんかデートしなくちゃいけないのよ」
「梓ちゃん、本気で言ってる?」
「本気もなにも、絵利香ちゃんこそ冗談言わないでよ」
 絵利香ちゃん……?
 今度はちゃんづけなのね。
 呼び方も違うし、約束事を忘れるなんて……。
 絶対に変だ。

 もしかしたら……。

 梓には、麗華はおろか母親にも知らされていない秘密がある。
 それは梓と絵利香、そして慎二だけが知っていること。
 まだ確証はないが、梓の変貌振りの原因を推測すれば、その秘密に起因する以外に可能性が考えられない。
 これは確かめてみるしかないわね。


 日曜日の朝である。
 いつものように、麗華に髪を梳かしてもらっている梓。
「バイクということですから、今日はポニーテールにしましょうね」
 髪型についてアドバイスする麗華。
「ねえ、麗華さん。あたし、本当に慎二君とデートの約束したの?」
「はい、間違いありません。『たぶん忘れてたりするから、その時は教えてください』と念押しなされました」
「うーん……絵利香ちゃんも言ってたけど、あたし記憶がないのよね」
 言いながら着替えをはじめる梓。
 バイクに跨るのを考慮して、黒地に白い動物の絵柄の入った厚手のタイツにミニスカート。そして上着はフェイクムートンジャケットで決まりだ。梓にパンツスタイルは似合わないとの麗華のチョイスである。
「お嬢さま、沢渡様がお見えになりました。玄関ロビーにお通ししてあります」
 メイドが知らせに来た。
「もう来ちゃったの?」
 しようがない。
 といった表情で、部屋を出ようとすると、
「これを忘れないでください」
「なにこれ?」
「慎二さまへのプレゼントでしょう? 昨夜に編みあがったばかりの手編みのセーターですよ」
「あたしが、セーター編んだ?」
「きっと喜ばれますよ」
 とセーターの入った紙袋を手渡される梓だった。
「どうも納得できないな……」
 何もかもが自分のあずかり知らないところで回っている?
 階段を降りると、玄関ロビーの応接椅子に慎二が座って待っていた。
「よう!」
 片手を挙げて迎える慎二。
「早かったな」
「初めてのデートだからな」
「ほれ、これやるよ」
「お! なんだ?」
 紙袋を開けて確認する慎二。
「おお! セーターじゃないか。梓ちゃんが編んだのか?」
「一応、そういうことらしい」
「へえ、意外だな」
「いらないなら、返せよ」
「いや、貰っておくよ」
 と言って、頭からセーターを被る慎二。
「温まるぜ」
「そりゃあ、……手作りだからな」
「よっしゃあ、そろそろ行くか?」
「そうだな……」
 立ち上がる慎二。

 玄関前。
 すでにバイクに跨ってエンジンの調子をみている慎二と、見送りに出ている麗華やメイドたちに挨拶している梓。
「ほれ、ヘルメット。買ったばかりで使ってないから、変な匂いとかつかないから安心しろ」
「あ、そ」
 ヘルメットを被りバイクに跨る梓。
「それじゃあ、麗華さん。行ってきますね」
「お気をつけて」
 重低音と共に、二人を乗せた自動二輪が走り出す。


「で、どこへ行くんだ?」
「え? なに?」
 風切って走る自動二輪。しかもヘルメットを被っていては会話は難しい。
「どこへ行くのか、って聞いてるの!」
 しかたなく大声で話しかける梓。
「ああ、正丸峠だよ」
 慎二も大声で返してくる。
「しょうまる?」
「この辺で峠走りのできるのは、そこしかないしな」
「なんで、デートに峠走りなんだよ?」
「あはは、梓ちゃんに合わせたんだよ」
「何でだよ」
「だってよ。映画館とか遊園地って柄じゃないだろ?」
「そりゃまあ……そうだけど」
 確かにその通りだった。
 映画館は眠くなるだけだし、遊園地で遊ぶような女の子じゃないつもりだった。

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梓の非日常/第二部 第三章・スパイ潜入(七)これから
2021.05.19

続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入


(七)これから

 真条寺家のオフィス。
 梓が、麗華から報告を受けていた。
「やはり、スパイが潜り込んでいたのね」
 長年愛用のパンダのぬいぐるみを両腕で抱くようにしている梓。
 情緒不安定な時に見せるいつもの癖だった。
 自分の命を狙う組織が判明し、その首謀者が敵対する神条寺家の当主であり、それを密告したのが同い年の葵だったということ。
 十六歳の少女には耐えざる状況にあるということである。
 重々承知の麗華は、慎重に言葉を選んで答える。
「はい。偽の情報を与えて誰がどう動くかを監視していたところ、上手く偽の情報に釣られて正体を現しました」
「そのために自家用専用機をブロンクスから向かわせ、おまけに背格好の似ている美鈴さんにまでファントムⅥに乗ってもらって成田に行かせるとは。まかり間違えばファントムⅥが狙われていたら、美鈴さんに危害が加わっていたのですよ」
「いえ、美鈴さんは自ら志願してファントムⅥに乗ったのです。人が乗ってる形跡がなければ疑われる、フィルムシート越しなら他人でも気づかれないだろうからということで」
「そうだったの……何にせよ。美鈴さんには危険任務従事手当てを差し上げないといけないわね」
「かしこまりました。そのように致します」
「でも犯人も逃げ出す途中で、交通事故で亡くなるなんてついてないのね」
 麗華は事実を伏せていた。
 犯人を狙撃殺害したなどとは決して言えなかった。
 真条寺財閥の若く美しいご令嬢にして、三百二十万人を擁する企業グループの総帥。
 使用人に対してもその健康状態に常に気を配って、いたわりの心で接している。
 そんなやさしい性格のお嬢さまには、血で血を洗う裏の世界を見せたくなかった。
 嘘も方便という言葉もある。
「人を雇うには十分吟味しなければいけないようね。かつ買収されるような不満のおこる職場でもいけないし……。人の心は難しいわね」
「そのようでございます」
 はあ……。
 ため息をつく梓。
「今後の行動には十分気をつけてくださいませ」
「葵さんみたいに、四六時中ボディーガードを貼り付けますか?」
「いえ、そこまでは必要ないと思います」
 神条寺葵のように黒服のボディーガードで身の回りを固めてしまえば、確かに鉄砲玉のような特攻殺人はできないだろう。しかし沢渡敬のような狙撃犯に対してはまったくの無防備である。それに人並み以上の護身術は身に着けているので、わざわざそこまでする必要はないだろう。
 なによりもお嬢さまには、ボディーガードは似合わない。
 そう思う麗華だった。
「ところでスペースコロニー建設のため、ラグランジュポイントL4及びL5へ、無人宇宙実験室【スペースバード】の打ち上げに成功いたしました。今後一年に渡り重力干渉計による重力の計測、及び太陽放射と宇宙線の測定を行います」
「まずは一安心ですね。ケープカナベラル宇宙港の着工状態は?」
「整地が終了し、ジェットコースターの建設に取り掛かりました」
 地球重力を離脱するには、それを可能にするだけの加速力を得るために莫大な燃料を消費する。それを宇宙船自体の推進力に頼っては、燃料だけで船体のその大半を奪われ、肝心なペイロードが一割にも満たないことになる。これでは宇宙を頻繁に往復するシャトル便には不向きだ。
 そこで宇宙船そのものをカタパルトに乗せて、強力なカタパルトエンジンで上空へ打ち上げるというものだった。その形状はまるで遊戯施設にあるジェットコースターを、天空に向かうコースの途中で切り取ったようにできていた。
 ゆえに梓が名付けたその施設の名前が、「ジェットコースター」だ。
 単純明快にして、誰にも理解できる名前だろう。
 カタパルトエンジンは、米国のNASAが所有するスペースシャトルを、第二宇宙速度の秒速11.2km{地球表面における脱出速度}までいっきに加速することが出来る性能を持っていた。
 施設の建設と保守点検は、篠崎重工が担当することになっており、後に発足する米国現地法人の篠崎重工アメリカに引き継がれる。建設資金はAFCが全額出資していた。
 その運営には、AFCの新規事業体である「宇宙貨物輸送協会」が当面の間受け持つこととなった。
「AFCの新規事業体のすべてが順調に進んでおります。お嬢さまには、ご安心なされてお勉強に勤しんでくださることをお願い致します。それが相談役として執権代行なされている渚さまのご意思でもあります」
「そうね……。まだ高校生だものね」
 確かにAFCの代表として最終決定権を持っている梓ではあったが、実際の運営は執権代行している母親の渚である。軍事基地であるケープカナベラルに隣接する宇宙港の建設許可を取り付けるには、大統領や統合軍などに意見具申できる渚の政治力あってのことである。
 梓、十六歳。
 まだまだほんの子供でしかない。

第三章 了

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梓の非日常/第二部 第三章・スパイ潜入(六)逃走
2021.05.18

続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入


(六)逃走

 主任が静かに端末を操作しながら言った。
「ちょっとこれを見て頂けるかしら」
 自分の端末のスクリーンに映像が投影された。それは自分がいた女子トイレの中の場面だった。手洗い場で隠していた端末を取り出し外部と連絡している様が一部始終記録されていた。
「これはどういうことかしら? 通信機のようだけど外部の誰と連絡を取り合っていたの?」
 厳しい表情で追求する主任に対し、
「あははは。わたしが白状するとでも思ったの。ばれたら逃げ出せないことくらい判ってるわ。だから……」
 というと、歯を食いしばるような動作を見せた。
「しまった! 毒か?」
 主任が察知したように、そのオペレーターは義歯に、即効性の猛毒のカプセルを隠していたようであった。
 たちまち苦しみもがき、そして息絶えた。
「なんてことを……」
 まわりにいたオペレーターが嘆いていた。
 警備員に即座に指令を出す主任。
「遺体を運び出せ!」
「はい!」
 恐れおののきながらも指令通りに、遺体を外へ運び出す警備員たち。
「それにしても、通信端末をどうやって運び込んだのか」
「以前にトイレが詰まって配管修理工を呼んだことがあります。その時に、スパイが紛れ込んだと思われます。修理工具とか必要ですから、通信用の部品を忍ばせることもできたのでしょう」
「ふむ、外部の者を立ち入らせる時は、もっと厳重にチェックしなきゃならんな」
「旧世代の通信機とは意外でした」
「うむ、今後はもっと原始的な通信方法への対策も考慮せねばな」
「原始的とは?」
「トンツートンツーのモールス信号だよ。そうだな、例えば上下水の配管はすべて外部に通じている、配管を叩くなどしてモールス信号で情報を外部へ流せるわけだ。今時、モールス信号を認識できるものはいない。ただの雑音としてしか聞こえないだろう」
「モールス信号くらいなら誰でも知っていると思いますが……」
「だが、文面を読み取れないだろう。信号に雑音を混合させて流し、受け取った側は雑音除去して文面を読み取れるという訳さ」
 一同考え込む。
 それはそうだけど……。
 という表情である。
「セキュリティールームに連絡。外部にいるはずの連絡員は見つかったか? 電力線を使って通信できるのは、変圧器までの間だ。つまりこの施設内のどこかに潜んで通信を受け取っていたはずだ。まだ施設内にいる、至急に探し出せ」
 セキュリティールームでは犯人と思しき男をカメラで追い、警備員を向かわせていた。
「D36Aブロックに逃げたぞ。施設内警備員はただちにD36ブロックへ向かえ。外回りの者は出入り口を閉鎖しろ!」
 追い詰められる連絡員。
 しかし自動拳銃を持っており、容易に近づけさせなかった。
 そして窓を割って施設の外への脱出に成功する。
 敷地内の雑木林を駆け抜ける連絡員。
 その連絡員をスコープ内に捕らえている者がいた。
 それは施設の屋上にいた。
 狙撃銃のスコープを覗きながら、素早く照準を合わせてトリガーを引いた。
 銃口から飛び出した弾丸は一直線に連絡員のこめかみを捕らえて命中した。
 血飛沫を上げて倒れる連絡員。
「さすがですね」
 背後から声を掛ける女性がいた。
 麗華だった。
「なあにこれくらいの距離なら、動いてる標的でも確実に仕留められますよ」
「特殊傭兵部隊にいただけのことはありますね」
「殺しても良かったんですかね」
「どうせ口を割らないでしょう。お嬢さまの命を狙う組織に対して、こちら側も本気だと知らしめる必要がありました」
「つまりお嬢さまの命を狙うなら、それ相応の覚悟をして掛かって来い! ですね」
 と言いながら狙撃銃を分解してスーツケースにしまう狙撃員。
「それにしても、まさか、慎二君のお兄さんが狙撃のプロ集団の特殊傭兵部隊の一員だとはね」
「こちらも信じられませんでしたよ。私が所属している、テロリストから要人を警護し、人質となった場合の救出任務に従事する特殊傭兵部隊。その部隊を抱えている財団法人・セキュリティーシステムズの親会社のAFC財団のオーナー、真条寺梓さま。そのご親友というか……悪がきが弟の慎二とはね」
 この狙撃員の名前は、沢渡敬と言った。
 表の顔は、麻薬銃器対策課の警察官である。
 麻薬銃器取締りの研修として、犯罪の渦巻くアメリカのニューヨークに渡っていた。
 だが逆に組織、実はニューヨーク市警の特殊部隊に狙われて逃げ回るはめに陥った。そんな折にニューヨーク市警も手を出せない、治外法権の真条寺家の屋敷内に、たまたま迷い込んで命拾いしたのである。
 彼には同じくニューヨーク研修にきていた同僚警察官でかつ婚約者という女性がいたが、組織からの逃亡の際に撃たれてしまった。復讐のために特殊傭兵部隊に志願したというわけであった。やがて傭兵の契約期間が過ぎ、婚約者も実は生きていたということで、日本へ舞い戻り、元の警察官に納まったのであるが、腕を買われて時々こうして犯人狙撃に駆り出されるようになったのである。
 もっとも今回は警察からの要請ではなく、かつて所属したセキュリティーシステムズからの依頼だった。
「で、遺体の方はどうなさるのですか? 臓器密売業者にでも引き渡しますか?」
「まあ、警察との繋がりもありますし、お嬢さまの命を狙う組織に警告を与えるためにも、交通事故での死亡という発表を行うのが一番でしょう」
「偽装工作ですか?」
「その道の専門家もいますからね」
「ほんとに世の中ぶっそうになってきましたね。下々の世界では覚醒剤やMDMAが蔓延し、上流階級では派閥争いで命を凌ぎあう」

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梓の非日常/第二部 第三章・スパイ潜入(五)スパイ
2021.05.17

続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入


(五)スパイ

 その夜。
 就寝前のひととき、ベッドの中で起きて本を読んでいるネグリジェ姿の梓。
 ぱたりと本を膝のあたりに置いて、
「それにしても……」
 神条寺葵との会話を思い起こしていた。
「ライバルか……。それにあたしの命を狙っているのが、その母親ということらしいし。これって密告……だよね」
 母親が密かに命を狙っていることを知らせてくれたのだ。
 どういう心境からかは計り知れないが、これまで何度となく命を狙われたその首謀者が判ったとはいえ、それが葵の母親だったとは……。
 確かに神条寺家の財力を持ってすれば、一国の軍隊を買収して海賊行為を行わせることは簡単であろう。
 麗華を呼ぼうと、つと電話を取り上げるが、しばし考えて何もせずに元に戻した。
「いや、今夜はやめておきましょう。昼間の仕事で疲れて寝ている麗華さんを起こしてまですることじゃない」
 明日にしよう。
 少なくとも今夜は命を狙われることはない。
 セキュリティーシステムにがっちり守られたこの屋敷内にいる限りは……。

 数日後のことである。
 若葉台衛星事業部の地下施設。
 二十四時間体制で稼動している、衛星追跡コントロールセンターである。
 正面スクリーンにはAFCが運営し、協力関係にある組織の衛星の軌道がトレースされていた。スクリーンが良く見えるように階段状になったフロアーには所狭しと操作端末が並び、それぞれにオペレーターが張り付いて、衛星のコントロールにあたっていた。
 その部屋の最上段後方に全オペレーターを統括する主任監視官がいた。
「突然な話であるが、梓お嬢さまが急用でブロンクスにお戻りになられることになった。成田に自家用専用機がまもなく到着し、それに乗って真条寺空港へ向かわれる。
各監視員は自家用機のコーストレース追跡準備にかかれ!」
 かつて梓とその一行がハワイへ向かった時もそうであったように、今また万が一に備えての自家用機の追跡が開始されるというわけである。
 広大な面積を有するコントロールセンターの正面スクリーンに成田近隣の俯瞰図が大写しにされた。また別のスクリーンには成田へ向かう自家用専用機をトレースしている状況がリアルタイムで表示されている。さらには梓を乗せているであろうファンタムⅥを捕らえた「AZUSA 6号F機」からの実写映像を投影したスクリーンもあった。
「出発予定時間は午後五時二十分である」
「お嬢さまの成田到着予定時間はおよそ十二分後です」
 てきぱきと端末を操作するオペレーター達だった。
 その時、一人のオペレーターが席を立った。
「主任、ちょっとトイレへいいですか?」
「いいだろう。十分以内に戻ってこいよ」
「判りました」
 コントロールセンターを出て行くオペレーター。
 その後ろ姿をちらと見て再び正面を向いて指令を出す主任であった。
「予備機の4号B機を稼動させる。準備にかかれ!」
「了解!」
 4号B機担当のオペレーターが動き出した。
 各衛星には一基ごとに三人のオペレーターが付いていた。姿勢制御などの衛星本体の運用担当、搭載された各種機材を操作する担当、機材に電力を供給するシステムを監視する担当の三人である。特に電力供給を監視する担当は責任が重かった。電圧電流の異常をいちはやく察知して対処しなければ、高価な機材を破壊してしまう可能性があるからである。
「4号B機に電力供給開始しました。電圧・電流すべて正常値です」
「よろしい!」

 その頃、トイレに立ったオペレーター。
 その女子トイレにて用を足した後で、挙動不審な態度を示していた。
 手洗い場の下を探っていたかと思うと、その一部が開いて洗い場の下に設けられた空間が現れ、そこから何かしらの端末を取り出した。そしてイヤホンを耳に、壁の電灯線のコンセントに端末から延びるコードを差し込んだ。
「こちらK2。聞こえますか? こちらK2応答どうぞ」
 端末に向かって喋るオペレーター。
 どうやら電力線を利用した通信機のようだった。
 HDーPLC(Power Line Communication)方式、電力線ネットワークアダプターと呼ばれるものに端末を接続して通信ができる。例えば一階と二階のそれぞれの電気コンセントにこれを差し込んでLANネットを形成できる。また電信柱にある変圧器を共有している家屋同士なら、燐家とも通信ができるものだ。
 WiーFi無線LANが発達した現代では、HD-PLCの需要は減っている。
 研究室の壁は、内外からの電磁波を遮蔽する素材で出来ていた。もちろん外部からは地磁気や雷放電などの電磁波から計器の狂いを生ずるのを防ぐのと、内部からは電磁波に乗って機密が漏洩するのを防ぐためである。
 しかし、いかに電磁波をシールドしていても、計器を動かすには電力が必要である。その電力線に乗せて、その電力線が通じている別の部屋へ情報を伝達することが可能というわけである。
「突然ですが、真条寺梓が成田からブロンクスへ自家用飛行機で飛び立つことが判明しました。出発は午後五時二十分です」
 外部との連絡を終えて、端末を元通りにしまって、トイレを出て持ち場に戻り、何事もなかったように振舞うオペレーター。
 だが席に着くと同時に周りを警備員に取り囲まれたのである。

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