梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(四)軍医の診察
2021.04.05

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(四)軍医の診察

『おお、ここは冷房が効いているのか、助かる』
 コクピットに入るなり、その涼しさに感涙している軍医。派遣される野戦場や病院には冷房設備などあるはずもなく、汗だくだくで治療するのが常だったからだ。或は全くその正反対かのどちらかである。
『機長、傷口の痛み以外に、何か体調に異常は感じないか』
『大丈夫みたいだ』
『そうか、ならいい。今から神経ブロック麻酔をしてやる。脊椎注射だからちょっと痛いが我慢してくれ。麻酔が効けば楽になるからな』
『ああ……』
 ここへ来るまでに麗香からおよその症状を聞き出している軍医は、まず最初に何をすべきかを理解していた。
『麗香君、包帯を解いてくれないか』
『判りました』
 麗香が包帯を解きはじめると同時に、診察を開始する軍医。
『美智子君とか言ったかな、注射器の用意をしてくれ、それとプロカインのアンプルを出して。手術キットの中に必要器材が全部入っている』
『はい』
 看護士の資格と経験のある美智子は、少しの迷いもなく脊椎麻酔用の大きな注射器と針、そして局所麻酔剤のプロカイン(コカインの誘導体・副作用が少ない)のアンプルを用意していく。もちろん手術用の薄てのゴム手袋着用や器具の消毒も怠っていない。
 その間に軍医は、脈拍や心肺聴診・瞳孔検査など必要初診を続けている。
『包帯が取れました』
『よし』
 早速傷口の状態を確認している軍医。
『うーん。これはひどいな……しかし、肺肋膜はまだ感染していないようだ。なら助かるかも知れん。機長、以前に肋膜炎を患ったことがあるだろ』
『え? よく判りましたね。その通りです』
『肋膜が胸壁に癒着しているからな。普通、肋骨骨折で皮膚を貫通する傷を負えば、肺の虚脱と縦隔の振せんが起きて、呼吸困難に陥るのだが、肋膜の癒着で助かっている。過去の病気に救われたな』
 胸腔の内面は、二枚の肋膜(胸壁肋膜と肺肋膜)で覆われており、生理的に肺と胸壁の間には僅かの隙間がある。さらに肺は、呼吸の状態に関わらず常に大気圧よりも低圧になっていて、呼吸の手助けにもなっている。ところが皮膚を貫通して肺にまで達する傷(開胸)を負うと、低圧の肺が大気圧に押されて萎縮(肺虚脱)、呼吸困難になるのだが、肋膜の癒着があると萎縮が抑制されるわけだ。
 また縦隔の振せんとは、左右の肺を隔てている隔壁(縦隔)が、肺の虚脱によって呼吸のたびに移動する症状のことである。縦隔には、心臓や大血管・気管・食道などが収められているが、この振せんによって心臓や大血管などが、圧迫されて呼吸・循環障害を引き起こす。
 このために、開胸手術には低圧室による手術や気管カテーテル加圧呼吸法など、肺の虚脱を回避する手術法が不可欠である。

『軍医殿、注射の用意ができました』
 美智子がトレーに器材を乗せて持ってくる。
『おお、よし。麗香君、機長の身体をずらして背骨側を横に向けてくれ』
 軍医が麗香に向かって指示する。
『はい。かしこまりました』
『いいか、そっとだぞ、そっと』
『はい』
 麗香が指示通りに機長の身体を横に向けていく。
『ところで鎮痛剤を飲んでるそうだが、薬のパッケージを見せてくれ』
 軍医の問い合わせに、乗務員が薬箱からパッケージを取り出して見せる。
『はい、これです。約一時間前に定量を飲んでもらいました』
『ふーむ……。なるほどね』
 鎮痛剤の薬効成分と量に応じて麻酔薬の量も加減しなければならない。パッケージに記された薬剤の種類と量を確認してから注射器を取り、アンプルから適量分を取り出している。
『機長、これから注射するが痛くても絶対動くなよ、心臓に繋がる交感神経がすぐそばを通っているんだ。ちょっとでも位置がずれると心臓麻痺を起こすぞ』
『わ、わかった』
『事前麻酔としてチオペンタールを静注すれば痛みを緩和できるんだが、こいつは呼吸中枢を抑制するから、肺機能の低下している現状ではやばいんだ』
 静脈注射麻酔チオペンタールは、バルビツール酸誘導体の一種で、直接の鎮痛作用はほとんどないが、強い睡眠作用を持っているので、その睡眠の間に手術を行うことが出来る。複雑な機器を使用することなく簡単に麻酔効果を期待できるので、野戦場などで活躍する軍医の常備麻酔剤だ。しかしこれ単独のみで麻酔作用を利用できるのは、五分以内の短時間の手術に限られる。
 ちなみにチオペンタールは、アメリカでは死刑執行に際して意識を喪失させるために使用していたが、製造中止を受けて代替品が使われることとなった。
 背骨を触診しながら注射ポイントを探っている軍医。
『君、ここを消毒してくれ』
 注射ポイントを探り当てて、消毒するように言う軍医。
『はい』
 美智子は、消毒綿をピンセットに挟んで、軍医が指差す箇所を消毒する。
『二人とも、動かないように押さえていてくれ』
『はい』
 機長の身体を両側から押さえる麗香と美智子。
『よし、注射するぞ』
『ああ……』
 ぐいと注射器を背骨に突き刺す軍医。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(三)機長負傷
2021.04.04

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(三)機長負傷

 コクピット。
 客室乗務員が機長達の介抱をしている。コクピットには、操縦桿や各種のレバー類など突起物が多いので、胸を強打したりして怪我は免れなかったようである。
 副操縦士は軽傷だったらしく、無線連絡と機器の確認を続けている。
「機長。肋骨が折れているようです。救援が来るまで絶対に席を動かないでください」
 着陸の衝撃で身体が前方に投げ出され、胸部が操縦桿のハンドルを基部の根元から折り、その基部が胸部を貫いたのである。
「息はできますか?」
「ああ、何とかな。幸いにも肺は突き破っていないようだ」
 あえぎながら答える機長。骨折では息をする度に肋骨に痛みを生じて、かなり辛いようだ。声もかすれて聞き取りづらい。
「とにかく絶対安静です。折れた肋骨が肺や心臓を突き破らないようにしなくてはいけませんから」
 機内の設備では、せいぜい当て木と消毒しかできない。傷口が大きく開いているので縫合も不可能である。傷口を消毒しガーゼを当てて、細菌感染を防ぐという応急処置しかできない。
「お嬢さま、お怪我はありませんでしたか」
 コクピットに現れた絵利香を気遣う機長。自分の方が肋骨を折る大怪我をしているというのに、ご令嬢の絵利香のことを気遣っている。
「わたしは大丈夫です。機長こそ、傷の具合は?」
「肋骨が折れています。絶対安静です」
 乗務員が機長に替わって答えた。

 絵利香はコクピットを一時退室して、乗務員に機長の容体を確認した。
「機長はどうなんでしょうか?」
「問題は、細菌感染です。傷口が皮膚を突き破って、内臓部にまでに達していますから、細菌が内臓を汚染しはじめたら助かりません。しかもこの暑さ、細菌繁殖も活発です。一刻も早い救助が必要です」
「そう……冷房は?」
「バッテリー駆動でコクピットだけに冷房を入れています。エンジンが停止していて機内全体を冷房することができません。電気の続く限りコクピットだけに冷房を利かせたいと思います。よろしいですね?」
「もちろん、そうしてください。梓ちゃん達には、暑さは我慢してもらいましょう。そしてコクピットへの出入りは必要最小限に」
「問題はもう一つあるんです」
「もう一つ?」
「呼吸をどこまで続けていられるかです。息をして肋骨が動く度に激痛があるんです。息をし、激痛に耐える気力・体力がどれだけあるか。腹式呼吸してもやはり肋骨は動きますから」
「麻酔は?」
「医者がいないので処置ができません。麻酔薬はあることはあるんですが、適量も判らずに素人処置すれば、死に至る可能性があります。今の状況では自発呼吸は無理でしょう。意識を確かに維持しつつ、痛みに耐えながらも自力で呼吸するしかないんです。つまり下手に麻酔を処置して眠ってしまったら呼吸が止まってしまうんです。取り合えずの鎮痛剤を飲んでもらってるだけです」
「ここは梓ちゃんに何とかしてもらえないかな……」
 完全に覚醒している梓。悪運強く無傷状態の慎二もそばに来ている。
「お嬢さま、携帯電話をお貸し願えませんか」
「いいわよ。はい」
 ハンドバックから携帯を取り出して麗香に渡す梓。
「おい。こんな太平洋のど真ん中で携帯が使えるのか?」
「さあ……、日本以外では、ブロンクスの屋敷前で一度使ったことあるけど」
「これは、国際衛星通信を使用している携帯電話なんです。世界中どこからでも使用できます」
 と説明しながら、早速電話を掛け始める麗香。
『麗香です。そう……お嬢さま方はご無事よ。航路は追跡してたわよね。位置は……そんなにずれたの? 最も近くを航行している船舶を大至急こちらに回して……それで構わないわ。三時間後ね、わかった。後、島に不時着したDCー10型機を回収できる、工作船かタンカーも手配して頂戴……。三日かかるのね、わかったわ』
 引き続き次の場所に連絡を取る麗香。英語の会話になっているのは、国際衛星通信だからだろう。
『麗香です。はい、お嬢さまはご無事です。代わります』
 携帯を受け取って話す梓。
『お母さん……うん、どこも怪我してないよ。ぴんぴんしてる。うん……やっぱりお母さん、動いてたんだ。たった三時間で船を廻せるなんて、そんなに都合いいことないもん……。予定コースをずれた時点から? ん……ちょっと待って』
 そばに深刻な表情の絵利香が立っていた。
『なに?』
 母親との話しの続きからか英語で尋ねる梓。絵利香も英語で答える。
『お母さんとお話ししてるの?』
『うん、そうだよ』
『頼みたいことがあるんだけど、いいかな』
『どういうこと?』
 絵利香は事情を説明した。そしてその内容をもらさず渚に伝える梓。
『え? でも……わかった』
 携帯を閉じる梓。
『どうなの?』
 心配顔で尋ねる絵利香。
『ごめん、絵利香ちゃん。三時間以内にここまで来られる救助ヘリはないって。今こっちに向かってる船には、ちゃんとした手術室とドクターがいるから、それまで待っていなさいって』
『そう……しかたないわね。ここ島だからジェット機は着陸できないものね』
『ああ、でもね。十分以内にジェット機で軍医を連れて来てくれるそうよ。この島までジェット機で飛んで来て、落下傘で降りてくる手筈になってるそうよ。せめて医者がいれば、応急手術ができて最悪の事態は避けられるだろうからって』
『軍医が来てくれるの?』
『うん。お母さん、太平洋艦隊司令長官と懇意だから。多少のことなら無理も通るの』
『そう……』
『さ、軍医さんを迎える準備しましょう。救命ボートを出さなきゃね。島には降下できる場所ないから海への着水になるものね』

 不時着した飛行機から、非常縄梯子を使って梓と絵利香が降りてくる。麗香はすでに降りていて、救命ボートの準備をしている乗務員の指揮を執っている。
 命を失い掛けている機長がいる。それを救うために十分以内にやってくる軍医を迎えるべく、救命ボートとその乗員が最優先で降ろされたのである。
「まもなく来ると思います。環礁の切り口付近で待機していてください」
「はい」
 小型発動機付きの救命ボートがエンジンを鳴らして、飛行機が開けた環礁の切り口へと出発する。それを見送る梓達。

 一方飛行機の昇降口では、
「いやん。結構高いよ。タラップとかはないの?」
 高所恐怖症の美鈴がぐずっている。
「あるわけないでしょうが。早く降りなさいよ。機内は空調が切れて蒸風呂状態なんだから」
 明美が急かす。
「だってえ……」
 簡単に降りられる脱出シュートもあるのだが、それだと再び機内に戻れないので、縄梯子を使っているのである。なお後部脱出口は損壊して利用できなかった。
「窓が開けられればいいのにね」
 とこれは、かほり。
「開くわけないでしょ。高高度を飛ぶのに気圧の関係とか、客が不用意に開けないように機体に固定されてるんだから。ほれほれ、あなたも、早くしなさい。後ろがつかえてるんだから」
 そして美智子である。
「おーい。早くしてくれよお」
 こういう場合は、レディーファーストである。慎二は最後まで残されていた。

 やがて島の上空にジェット機が飛来する。
「来たわ」
 復坐機の後部座席から緊急脱出装置を使って飛び出してくる軍医と思しき人影。その直後には、機体の下部荷物室から荷物が射出される。軍医も荷物も、パラシュートが開いてゆっくりと降下をしてくる。
 環礁に待機していた救命ボートが、すぐさま回収に向かう。

 ものの五分で救命ボートが軍医を連れて引き返してくる。
『早速だが、患者に会わせてくれ。一分・一秒を争う』
 乗員から機長の容体を聞いていたのであろう。挨拶もなしにいきなり診療行動に入ろうとする軍医。
『こっちです』
 麗香が軍医と共に縄梯子を伝って上がっていく。
 絵利香が心配そうにその後ろ姿を追っている。
「軍医が来たから、もう大丈夫だよ。心配しないでいいわ」
 絵利香の肩に手を置いて慰めている梓。
「うん……」
「お母さんが手配した軍医だもの。ベテラン中の名医に違いないからね」
 飛行機の昇降口。出迎えるように美智子が戸口に立っている。他の者が地上に降り立ったにも関わらず、一人居残っていた。
『美智子さん。あなた、看護士の資格を持っていたわね』
 軍医の到着と同時に麗香たちの会話が英語に変わっていた。ちょっとした情報でも軍医に理解できるようにである。
『はい』
『丁度良かったわ。手伝って頂戴』
『かしこまりました』
 どうやら診療の手伝いをするために、あえて残っていたようだ。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(二)不時着
2021.04.03

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(二)不時着

 梓達のもとに戻ってくるなり、一同に寸部違わず報告をする麗香。
「何ですって?」
 一番驚いたのが絵利香だった。
 この自家用機の機長以下乗務員は全員、篠崎グループ傘下の篠崎航空から派遣されてきている。当然何か起きれば全責任は、篠崎が負うことになる。
「機長に会うわ」
「お待ち下さい。機長達は、全精力を注いで着陸できそうな島を探索中です。邪魔をしてはいけません」
「そんなこと言っても、こんなことになったのは、わたしの……」
「絵利香さま、落ち着いてください。責任を感じていらっしゃるのは、良く判りますが、私達には機体を救う手だてはありません。とにかく落ち着いて行動することです」
 というように絵利香を諭す麗香は沈着冷静であった。護身術などで培った精神修養のおかげであろう。
「麗香さま、わたし達どうなるんですか?」
 メイド達が青ざめた表情で尋ねた。
「今、機長達が着陸できそうな島を探しています。おそらく胴体着陸となると思います。救命胴衣を着用しなさい」
「は、はい」
 震える手で出発前に教えてもらった通りに胴衣を着込むメイド達。
「さあ、お嬢さまがたもご着用ください」
 麗香が手渡す胴衣を受け取りながら、
「それでコースがずれた原因はなんなの?」
 なぜか落ち着いている梓が尋ねた。一度は死んで生き返った経験ゆえなのだろうか。
「はい。出発前に計量した荷物の重量と現在の重量に食い違いが生じているからです」
「どれくらい食い違っているの?」
「およそ八十五キロほど、重量オーバーしています」
 八十五キロという数字を聞いて、ぴくりと眉間にしわをよせる梓。以前に慎二との会話の中に、体重の話しが出た時のことを思い出した。
『へえ。梓ちゃんてば、四十五キロなんだ。軽いなあ。俺、四十キロ重い八十五キロね』
 席を立ち、つかつかと後部貨物室へと歩いていく梓。
「梓ちゃん、どこいくの」
「梓さま、危険です。席にお戻りください」
 貨物室のドアを、ばーんと勢いよく開けて暗闇に向かって叫んだ。
「慎二! 隠れてないで出てきなさい」
「え? 慎二ですって」
 貨物室からがさごそと音がして、のそりと慎二が姿を現わす。
「や、やあ……」
「やあ、じゃないだろ。おまえのせいで、飛行機がコースを外れて燃料切れになったんだぞ」
 慎二に詰め寄る梓。
「ほんとうか?」
 事情がまだつかめない慎二。
 その胸倉を掴んで詰問する梓。
「おまえなあ、飛行機がどこ飛んでるか判ってるのか? 海の上なんだぞ。燃料が切れたら海の上に墜落して最悪海の底へ沈むんだ。自動車みたいに道路脇に止めてレスキューを待つこともできないんだ。飛行機というものはな、ペイロードつまり積載重量によって航続距離が大きく変わるんだよ。たった一キロ増えただけでも大量の燃料を消費するんだぞ。だからと言って燃料を必要以上にたくさん積んだら、それもまたペイロード加算となって重量が増えて燃料浪費するだけだから、到着空港及び悪天候代替空港まで(stage length)の燃料分しか積まないんだ。そんなシビアな運航しているのに、密航して重量を増やせばどうなるか、そんなことも知らなかったのか」
「や、やけに詳しいじゃないか」
「お母さんに会いに、ブロンクスへ時々飛んでいるから。その飛行中の合間に、麗香さんが教えてくれたんだよ」
「そうなんだ……」
「ふん! これ以上おまえに言ってもしようがない。ほれおまえも救命胴衣を着ろ」
 といいながら自分の持っていた胴衣を放り投げる梓。
「麗香さん」
「はい、どうぞ」
 と胴衣を再び手渡してくれる麗香。
「ところで、麗香さん。この非常事態のこと、お母さんの方には連絡が伝わっているのかしら」
「はい。一番に連絡してあります。おそらく救援体制を整えていると思います」
「そう……」

 コクピットから放送が入った。
「お嬢さまがた、着陸できそうな島が見つかりました。これより着陸を試みます。乗務員の指示に従って非常事態着陸態勢を取ってください」


 広大な太平洋に浮かぶ孤島、周囲を珊瑚礁がぐるりと囲んでいる。
 その島を大きくゆっくりと旋回しながら高度を下げている飛行機のコクピット内。
「いいか、まずは珊瑚礁から離れた海表面に胴体着陸を試みる。極力水平かできれば後部を下げるような状態で着水するんだ。そのため、フラップ角度とスロットル加減を、コンマ秒単位で微妙に調整しなきゃならん。さらに勢いで珊瑚礁を乗り越えて礁湖内に進入、そして島に乗り上げるようにして停止する」
「うまくいきますかね」
「そんな弱気でどうする。絶対に成功させる気概を持て。俺達が確認を怠ったせいでこうなったんだからな」
「そ、そうですね。お嬢さまがたをなんとしても助けなければいけませんよね。たとえ着陸に失敗して機首が潰れても客室だけは無事に島に着陸させましょう」
「その意気だよ。幸いというべきか、燃料はほとんど皆無で爆発炎上はしないだろうから、着陸さえできればOKだ……」
「準備完了です」
「よし、ゴーだ」

 客室。
「機首を下げた。いよいよ着陸するわ」
 梓が声を上げると同時に機内放送が入る。
「これより着陸体制に入ります。お嬢さまがた、準備はよろしいですか? 着陸三分前です」
 放送を聞いて頭を抱えてうずくまる一同。
「ああ……神様、もし死んだりして生まれ変わるなら、再びお嬢さまのお側にお願いします」
 美智子が祈りを上げている。
「あ、わたしもです」
「わたしも」
「右に同じです」
 絵利香達や乗務員達が防御体制を取るなか、梓だけが一人ぼんやりと窓の外を眺めて思慮していた。
 ……ここで死んだら、どうなるのかな? あたしの魂そしてもう一人の存在にしても……
「一分前です」
 窓の外に海面が見えてきた。機体が海面すれすれに飛行をはじめたのであろう。やがて大きく旋回をはじめ、傾いた主翼が巻き上げる海水の飛沫が窓を濡らす。
「三十秒前」
 機体と海表面とが巻き起こす乱気流に、激しい震動がはじまっている。
「十秒前。まもなく着水します」
 緊張の度合が限界まで高まる。心臓は張り裂けんばかりに鳴動している。
「着水!」
 耐え難い震動が機内を揺るがす。歯を食いしばってそれに耐えている一同。喋ろうものなら舌を噛んでしまうであろう。

 島の砂浜に乗り上げて停止している飛行機。
 飛行機が進んできた後には、珊瑚礁が深くえぐれている。
 客室。
 不時着のショックで気絶している一同。梓も例外なく前部シートの背もたれに突っ伏している。
「お嬢さま、お嬢さま。大丈夫ですか?」
 その声に次第に意識を回復していく梓。
「う、うーん……」
「お嬢さま」
「あ、ああ……麗香さん」
 はっきりと目を覚まして、麗香に答える梓。
「お怪我はありませんか? 痛いところは?」
「どうかな……」
 立ち上がり通路に出て、屈伸運動などしながら身体に異常がないか確認している。
「どうですか?」
「うん。大丈夫みたい」
「良かったですね。でも、この島を脱出して内地に戻られましたら、念のために精密検査を受けましょう。交通事故などでも数ヶ月経ってから、鞭打ち症状が出ることも良くありますから」
「わかった……ところで、絵利香ちゃんは?」
「はい。先に気がつかれて、お嬢さまを起こそうとしておられましたが、後を私に託されて、機長を見にコクピットの方へ行かれました」
「そっか。やっぱり気になるんだろうね」

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梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件(十一)研究所
2021.04.02

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(十一)研究所

「さてと……」
 遭難信号を設定すれば後はただ待つだけである。
「島の中を調べてみましょう」
 そうなのだ。
 救助がすぐに来るとは限らない。
 最低限の生きるための手立てをしておかなければならない。
 島の反対側に、実は人の住む村があった! ということもありうる。

 並んで島内を散策をはじめる。

 手入れのなされていない自然林は、足の踏み場もないほど荒れ放題。
「蛭とかの毒虫がいないのを祈るのみだな」
 津波の爪痕と思われる倒木とか、枝葉の千切れた樹々もある。
 拾った枯れ木で下草・下枝を払いながら突き進む。
 やがて前方に開けた場所へと迷い出た。

 そこで二人が見たものは?

 コンクリートブロック積の壁に囲まれた建物があった。
「なんだこれは?」
「研究所? みたいな作りね」
「誰かいるのかな?」
 壁をぐるりと回って入り口にたどり着いた。
「門が開いてるぜ。不用心だな」
「ほぼ無人島みたいだからね。戸締りする必要がないのでしょ」
「ならば壁も必要ないだろ?」
「風や害虫除けなんじゃない?」
 玄関の前に立つ二人。
「扉は……開いてるぜ」
 鍵の掛かっていない扉を開けると、派手に散らかっていた。
「この中にも津波が侵入してきたようね」
「誰かいないのかな?」
「逃げ出したか、水の進入しないところに避難したんじゃない?」
「水が浸入しないところ?」
「例えば防水扉のある地下室とか……」
 とここまで話して言葉を中断する梓。
 かつて若葉台研究所地下施設での火災事件のことを思い出したようだ。
「おい! ここに潜水艦とかでよく見るハッチのある扉があるぜ」
「そこに隠れているのかしらね」
「回したら開くかな?」
 とハッチを回し始める。
「おお、回るぜ」
 クルクルと回しゆくと、
「開いた!」
 結構重い扉を開けると、中から風が吹き抜けた。
 水が浸入しないように、内側の気圧が高くなっていたのだろう。
「しかし、なんでこんな扉にしなきゃならなかったのかな?」
「そりゃ、津波とか台風の通り道だからでしょうね。浸水に備えているのよ」
「ということは、この扉の向こうに人がいるという可能性ありだな?」
「たぶんね。津波で荒らされてはいるけれど、人が生活している形跡があるわ」
「形跡?」
「例えば、机の上には埃がないし、家の中に蜘蛛の巣がないし、灰皿に煙草の吸殻とかね」
「なるほど掃除をしているというわけか」
「他人には知られたくない秘密の何かを研究しているのかしらね」
「ともかく扉の向こうへ行ってみようぜ」
「そ、そうね……」
 おっかなびっくりで扉をくぐる梓だった。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(一)ハワイ航路
2021.04.01

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(一)ハワイ航路

 太平洋上を飛行するDC-10型改ジェット機。機首には日の丸、そして尾翼には篠崎重工のシンボルマークが記されている。
 DC-10はロッキード事件に絡む汚職事件、販売戦争によって欠陥機を増産して、事故が相次ぎ、1988年に生産終了となった。
 とはいえ、篠崎重工の技術陣によって、機体の改良と綿密な整備が図られ、今なお大空を飛び続けている。
 そのコクピット(操縦室)では、パイロットが青ざめた表情で計器を操作している。
「どうだ?」
 機長が神妙な面持ちで隣の副操縦士に確認している。
「だめです。やはり足りません」
「そうか……」
「申し訳ありません。私が計器確認を怠ったばかりに」
「それを言うなら、私も同じ事だ。ともかく麗香さまにこっちに来てもらおう。お嬢さま方には、まだ知られてはいかんからな」

 その機内では、梓と絵利香に麗香が対面して座っている。
「ほら、見て。新しく買った水着」
 と梓が、バックから取り出した水着を見せている。
「へえ、可愛いワンピースね。梓ちゃんのことだから、ビキニかなと思ってた」
「う……ん。あたしも最初はビキニにしようかなと思ったんだけど、やっぱりね……。で、絵利香ちゃんは?」
「あまり見せたくないんだけど……」
「もう、どうせ海に出れば着るんじゃない」
 梓自身が水着を持ち出したことで、自分も仕方なく見せるしかないとあきらめる絵利香。
「なんだ、絵利香ちゃんもワンピースじゃない。遠慮するから、てっきり……」
「ビキニを着るってがらじゃないから」
「だよね。で、麗香さんは?」
「え? 私は、世話役としての仕事がありますから」
「ん、もう隠すなんてずるいわよ。自由時間を与えてるんだから、当然持ってきてるでしょ」
「仕方ありませんね」
 梓の前では、隠し事は許されない。
「わあーお! 黒に金縁のビキニだよ。さあーすが、麗香さん」
「うん。麗香さんのプロポーションなら、やっぱりビキニだよね」
「おだてないでください」
 そんな風に水着談義をしている梓達から通路を隔てた反対側には、美智子ら梓の専属メイド四人がトランプ遊びをしている。ここは篠崎重工の自家用機内、篠崎側の客室乗務員がいるので、美智子たちは機内にいる間は自由なのである。ここは機内勤務のプロに任せて、口出ししないほうが無難である。
「ねえ、あなた達はどんな水着持って来たの?」
 通路の向こうから梓が尋ねる。
 顔を見合わす四人だったが、棚からバックを降ろし、
「はーい。これでーす」
 と、一斉に水着を掲げ上げた。
 ビキニにワンピース、そして色と柄、それぞれの好みに応じた水着だ。
 結局全員の水着を取り出させた梓。何事も一蓮托生というところだろう。

 そこへ神妙な面持ちをした客室乗務員が麗香を呼びにくる。
「麗香様。機長がお呼びです。コクピットへお越しいただけませんか」
「コクピットへ?」
 乗務員の表情と、コクピットへの呼び出し。
 聡明な麗香のこと、非常事態が発生したに違いないと即座に判断した。梓の方をちらりと見てから、
「……わかりました」
 と立ち上がった。

 乗務員に案内されて、コクピットに入ってくる麗香。
「あ、麗香様」
「どうしましたか?」
「正直に申し上げます。飛行機がコースを逸脱、ハワイに到達するだけの燃料も足りません」
「どうしてそんなことになったのですか?」
「はい、直接の原因は、出発前に重量確認した数値と、現在の重量計が示す数値に食い違いが生じていることです。およそ八十五キロなんですが、それで計器に微妙な狂いが生じて、長距離を飛行する間に大きく航路が外れてしまったようです」
「今の今まで、重量オーバーに気づかなかったというわけですか?」
「申し訳ありません。出発前に点検したきりで、計器の確認を疎かにしてました。自動操縦装置に頼り過ぎていたようです」
「過ぎたことを今更責めてもしようがないでしょう。ともかく結論として、ハワイにはたどり着けないというわけですね」
「その通りです。それに近辺にも空港を持つ島はありません」
「どこか安全に着陸できそうな島はありませんか?」
「はい。探索中です」
「遭難信号は?」
「発信しています」
「わかりました。私は、お嬢さまがたに実情を話してきます。引き続き探索を続行してください」

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