梓の非日常/第三章・ピクニックへの誘い(十)ご先祖様について
2021.02.23

梓の非日常/第三章 ピクニックへの誘い


(十)御先祖様について

 それからご存じなさそうなのでお教えいたしますが、この施設は篠崎グループ各社の従業員とそのご家族も利用が可能なんですよ」
「え、そうなの? ちっとも知りませんでした」
 驚いた表情の絵利香。
「ははん。バスの運転手が、施設の事よく知ってたのは、そのせいだったのね」
「お父さんたら、何も話してくれなかったわ」
「おじさまは、仕事が忙しすぎて、絵利香ちゃんと一緒に旅行とか行く暇なんかないよ。日曜日だって働いているんだから。なにせ篠崎重工のライバルは、重工業部門で覇権争いをしている神条寺財閥企業グループだからね。油断してると契約みんな持ってかれちゃうよ」
「神条寺財閥か……梓ちゃんとこの真条寺財閥の本家にあたるのよね。元々は同じ家系なのに、本家と分家が仲違いしてるなんて」
 それに梓が答える。
「今から約百年くらい前の話しかな。時は明治維新後の殖産興業政策真っ盛りのある日、神条寺家の後継者として、一卵性双生児が生まれたのが発端ね。どちらが後継者として選ばれるかで、家督相続争いが起きたの。そして当の二人は双生児なのに非常に仲が悪くて、結局片方が資産の約半分を持って、新天地アメリカに移住しちゃったというわけよね。資産分与に関しては、大番頭的存在だった竜崎家と深川家が一致団結したから実現したらしい。このまま醜い争いを続けていては共倒れ、第三者に漁夫の利を与える事になるってね。ああ、そうそう。その時に暗躍していた一派が、篠崎海運というのも面白いな。仲違いしている間隙をついて、海運業を一手に引き受けて急成長し、重工業部門を設立して大きく躍進したという。絵利香ちゃんのご先祖だよ」
「それはわたしも聞いてるわ。神条寺家とは相変わらずの犬猿関係だけど、梓ちゃんとこの真条寺家とは、その後親睦・協力関係を築いたんだね。あ、そうそう、前から聞きたかったんだ。本家と分家の名前の綴りが違うのはどうして?」
「ああ、それはね。うちのおばあちゃんが日本に留学する際に、外人登録で日本名を記入する時に字を間違えたんだ。神条寺と書くべきところを真条寺と書いちゃったんだ。以来そのまま慣用的に使用してる。アメリカ国籍のあたし達にはどうでも構わないことだし、両家を区別するにも都合がいいしね。あたし達は、神条寺を(かみじょうじ)と言い分けしてる」

 研修保養センターの全貌が一望の下に見渡せる屋上庭園に、場所を移動する梓と絵利香。
 その間にも荷物を置いた後、メイド達は麗香の指示の元、空気取入孔を開けて新鮮な空気を取り入れたり、ベッドメイクなどに余念がない。
「しかし素晴らしい眺めだね」
「うん。空気が澄んでいて山の稜線がくっきり見える。都会では味わえない景色だわ」
「高層建築で窓が開けられないのが残念」
 屋上庭園から部屋に戻りながら、梓が質問した。
「ところで夕食は何時からかしら?」
「35階の展望レストランにて七時からです」
「あたし達分の食事はみんなと一緒にお願いね。特別扱いはしないで」
「はい。かしこまりました」
「ともかくシャワー浴びたいわね。どこかしら」
「あ、わたしも」
「はい。こちらでございます」
 二人をバスルームに案内する副支配人。
 替えの衣類を鞄から取り出してから、その後に続く二人。
「ああ、脱いだ服。クリーニングに出しといてね」
「かしこまりました」
 指示された通りに、脱いだ服を取りまとめクリーニングルームへと運ぶメイド。
 バスルーム脇で、バスタオルを抱えて待機するメイド。

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梓の非日常/第三章・ピクニックへの誘い(九)VIPルーム
2021.02.22

梓の非日常/第三章 ピクニックへの誘い


(九)VIPルーム

 最上階で降りると、そこは豪華な絨毯が敷き詰められたフロアであった。
「ようこそ、お嬢さま。お持ちもうしておりました」
 ぴったりとしたスーツに身を固め、姿勢を正した女性が立っていた。
「副支配人の神岡幸子と申します。お見知りおきを」
「支配人じゃないのですか」
「支配人は他のお客様の相手をされています。お嬢さまには、男性の支配人がお相手するわけにはまいりませんので、代わりに私がご用を承ります」
「ちょと聞いていいですか?」
 絵利香が尋ねた。
「どうぞ」
「このセンターが日本にあるという立地条件です。日本は世界地図でみてもわかる通りに、世界の端に位置しています。利便性からいえば、アメリカ本土か欧州のいずこかに建設した方がよかったのではないでしょうか? 国際企業従業員三百二十万人が利用するにはやっぱり不便と思いますけど」
 もちろんニューヨーク育ちの梓や絵利香が思い浮かべる世界地図といえば、ニューヨーク経度を中心に描かれた地図に他ならない、言う通りに日本は世界の端に位置している。世界地図は発行される各国を中心に描かれるのが普通だ。日本人が思い浮かべる世界地図は、日本を中心として右半分に太平洋とその端にアメリカ大陸、左半分に中国大陸から続く欧州大陸という図式になっている。梓達欧州人と日本人では、地図に見る世界観はまるで違うのだ。
「確かにその通りなのですが、このセンターは日本はもちろんのこと、真条寺企業グループの進出著しい中国や東アジアで働く人々を対象にしようと考えられました。何せ中国とインドだけで世界人口の三分の一になりますから」
「中国は共産党独裁で、こういう施設の建設許可がおりませんし、アジア各国は政情不安定ですからね。日本が最適というわけです」

 通路の最も奥まった重厚な扉の前で立ち止まる副支配人。
「こちらでございます。お嬢さま」
 メイドが扉を開けて、梓達の入室をうながした。
 ゆっくりと中に入る梓。
 一目五十畳くらいはありそうな広い部屋に、天蓋が掛けられた豪勢なクイーンサイズのベッドがでんと置かれ、広い大きな窓の向こうは硝子張の屋上庭園となっており、周囲の景色が一望のもとに眺められるようになっている。
「ところでさあ……。あたしは、みんなと一緒の部屋でいいと言ったはずですけど」
「とんでもない。そんなことしたら、渚様に叱られてしまいます。万が一のことがありましたら責任が取れません」
 副支配人に代わって麗香が答えた。
「お嬢さま、この部屋を用意させたのは、わたしです。御無理をおっしゃってはいけません。人にはそれぞれの立場というものがあるのです。副支配人には副支配人の、メイドにはメイドの、そしてお嬢さまは、どこへいかれてもお嬢さまなのですから」
「その通りでございます。お嬢さまは、世界企業四十八社を束ね、総資産六千五百兆円を所有する真条寺渚さまの一人娘。そんなお嬢さまのお世話ができるというのは、我々の誇りなのです。精神誠意お尽くしするのが我らの使命。万が一があっては、許されないのです。このお部屋をご用意した私どもの誠意を、お察しくださいませ」
「はあ……わかりました。その心意気、感謝します」
「おわかり頂きありがとうございます」
「……それで、メイド達も後を追ってきたわけね」
「違います! わたし達は、保養にきたのです」
「もういいわ。水掛け論になるから」
「賢明な判断です」

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梓の非日常/第三章・ピクニックへの誘い(八)研修保養センター
2021.02.21

梓の非日常/第三章 ピクニックへの誘い


(八)研修保養センター

 二人が何を話し合っていたのか……。
 人には秘密があるし、聞いては失礼なこともある。絵利香は他人の事を詮索する野暮なことはしない。
 ロッジの前に到着したバスに再び乗り込む一同。
 鶴田が乗車口に陣取って、一人一人確認している。
「梓ちゃんに、絵利香ちゃん。そして沢渡君。乗車っと」
「公平君も大変だね」
 梓が鶴田の肩をぽんと叩いて乗車する。
「どういたしまして、五分後に出発ですよ」
「ご苦労さまです」
 絵利香が続いて乗車する。
「フランス料理、おいしかったですよ。みんなには好評でした」
 鶴田がそっと耳打ちすると、微笑みを返す絵利香。
「おい、慎二。菓子とジュース配り」
「なんだよ。またかよ」
 梓が慎二にジュース配りをさせるのは、クラスメートとの親睦を少しでも計ってあげようとする心遣い。それを改めて感じ取った慎二は、ぶつぶつ言いながらもかいがいしく菓子とジュース配り役を務めていた。
「済みませんねえ、沢渡君」
「いや、いいんだ」
 鶴田は車内をぐるりと見回して言った。
「一応全員乗車していると思いますが、まわりをみて誰かいない人があるか、念のために確認してくださいませんか?」
 鶴田の言葉にきょろきょろと周囲を見渡す生徒達。
「全員いるよ。委員長」
「出発していいよ」
 生徒達から返事が返ってくる。
「わかりました。では、出発します」
 というと運転手に指示を出した。
「それじゃ、運転手さん。出発してください」
「かしこまりました」
 エンジンを始動し、バスをゆっくりと発進させる運転手。
「次ぎは、今日の目的地の蓼科研修保養センターに向かいます」

 バスは蓼科に向かう山間部を走行していた。
「みなさま。右手にご注意ください。まもなく本日の宿泊地となります、研修保養センターが眼下に一望できます丘を走ります」
 運転手がとつぜんガイドをはじめた。やがて樹木が切れて展望パノラマが眼下に広がる。
「五つ星クラスのホテルにも匹敵します三十六階建の保養センターが中心にそびえておりますが、それを基幹として周囲に配置された数多くのレジャーセンターが広がっているのが一望できると思います。広大な全天候型アスレチックフィールド、二十面のテニスコート、乗馬コース、映画館・ボーリング場・ゲームコーナーなどがあるレクレーションセンター、野球・サッカーなどオールマイティーに使えるドーム球場、三十六ホールのゴルフ場。最新技術を投入した三百六十度回転ジェットコースターのある遊園地などなど。時折発着するヘリコプターは遊覧飛行場からのものであります。もちろん二十四階建研修・技術開発センターも、入り口付近にそびえ立っております。また海外からの利用も考えまして羽田・成田・伊丹・関西・新潟・名古屋空港からの直行バスも出ております。念のため付け加えますと遊園地など、土日祝祭日しか営業していない施設もあるようです」

「なによこれ!」
「レジャーセンター?」
「ちょっと、まってよ。わたし、蓼科の観光ガイド持ってるけど、こんな巨大な施設どこにも載ってないわよ」
「それ古いんじゃんないの」
「失礼ね、今年四月に発行されたばかりの最新版なのよ」
 それらの疑問に運転手が答えた。
「ははは、それはですね。ここは観光目的に開発されたものじゃなくて、とある企業グループが自社の従業員の研修と本人及び家族の保養のために建設されたものだからですよ。観光ガイドに載ってるわけないですよ。だから研修保養センターなんです」
 運転手は、真条寺グループの名を出せずに「とある企業」としか言えなかった。
「なあ、これだけの施設を所有する、とある企業グループってどこだよ。一体何人の従業員がいればこれだけの施設が必要になるんだ?」
「さ、さあ」

「梓ちゃん。これどういうこと?」
 絵利香が、梓に耳打ちして尋ねた。
「あはは。研修保養センターがまさかこんな高級ホテルを含めた巨大レジャーセンターだったとは知らなかったわ」
「梓ちゃん、下調べはしなかったの?」
「実は手続きとかは、全部麗香さんに手配してもらったのよね。保養センターがあるのは知ってたから、三十一人行くから空けといてといったら、大丈夫ですよっていうから、じゃあお願いしますってね。それでおしまい」
「あのね。あなたのお母さま率いる国際企業グループ三百二十万人従業員とその家族が利用する施設なんだから、その規模くらい想像できなかったの?」
「そのことは頭になかったの。ほほほ」
 バスは研修保養センターへと入って行く。
 その広大にして大規模なる施設の玄関口ともいうべき保養センターにバスは到着する。
「さあ、到着です。みなさん、忘れ物のないようにしてください」
 荷物籠から荷物を降ろしはじめる生徒達。
「お疲れさまです」
 運転手が乗車口に立って一人一人をねぎらっていた。
 降り立った生徒達の足は、ぞろぞろと玄関ロビーへと向かっている。
 玄関では従業員達が勢揃いして到着した生徒達に挨拶している。
「いらっしゃいませ。どうぞ中へお入り下さいませ」
 そして最後に梓と絵利香が降り立つ。
「梓ちゃん。あれ!」
 絵利香が指差した方向には、従業員から少し離れた場所に、青紫色のメイド服を着込んだいつも見慣れた顔の一団があった。麗香の姿もあった。視線が合い深々とお辞儀をする彼女達。
 つかつかとその場へ歩いていき、いきまく梓。
「なんであなた達がいるの? 今日明日はお休みをさし上げたはずでしょう」
「はい。もちろん、保養にきたのです。たまたま偶然一緒になっただけです」
「じゃあ、なんで。ユニフォーム着て出迎えているのよ」
「お嬢さまがいらっしゃると聞きましたので、失礼のないようにしました」
「わざわざユニフォーム持って保養にくるわけ?」
「持っていると落ち着きますので」
「もういいわ……麗香さん。部屋に案内して」
「かしこまりました。どうぞ、こちらです」
 麗香の先導で、歩きだす一同。梓と絵利香の手荷物はメイド達が運んでいる。
「ところで、お嬢さま」
「はい?」
「お嬢さまのお言いつけの通り、従業員には研修の一貫ということで、統一させております。名札も研修生というプレートを用意させました」
「ありがとう。お手数かけましたね」
「いえ。これくらいたいしたことではありません。さあ、他のみなさんに気づかれないようにエレベーターへ参りましょう」
 生徒達に見つからないようにエレベーターに乗り込む。麗香が持っていた鍵を、操作盤の鍵穴に差し込んでから右に回すとエレベーターが動きだした。
「なにその鍵は?」
 不審そうに梓が尋ねると、
「VIPルームのある最上階に行くには鍵が必要なのです。ごらんの通り操作盤には展望レストランのある35階までしか表示されていませんが、実際にはさらにその上があるのです。36階がVIPルーム、屋上がヘリポートと緊急自家発電装置室となっております」
 麗香が解説した。
「しかもこの鍵を差し込むと、外からの呼び出しを無視して他の階には停まらない直通エレベーターになります」

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梓の非日常/第三章・ピクニックへの誘い(七)二人きり
2021.02.20

梓の非日常/第三章 ピクニックへの誘い


(七)二人きり

 食事を終えて階下に降りてくる一同。
 早速売店で品定めを始めている。
「当店で販売している乳製品は、すべて当牧場で搾取した取れたての牛乳を、その日のうちに工場で加工しました。バターやアイスクリームは保存期間一ヶ月以内の鮮度抜群の品々です。またチーズに関しましては、温度や湿度など完全管理された熟成庫で、半年以上もの間じっくりと寝かせて味わい深いものに仕上げています」
 試食のチーズを手渡しながら、説明を続ける売り子の口調には、商品に対する自信のほどがよく現れていた。
「みなさん。乳絞り体験及び乳製品加工工場の見学をなされる方は、表のマイクロバスにお乗り下さい。まもなく出発します」
 従業員が案内している。
「梓ちゃんは、どうするの?」
 絵利香が尋ねる。
「うーん。どうしようかな……乳絞りって、牛舎の匂いとかが鼻につきそうだし、髪に匂いが移ったら嫌だなあ……やっぱり売店でぶらぶらしてる」
「梓ちゃんらしいわね。何かにつけても、自慢の髪を心配する方が先にくるんだ」
「女の子としては当然の反応じゃないかな」
「そうだね。とにかく、わたしも売店めぐりにしよう」
 そこへ慎二がやってくる。
「なあなあ、乳絞り行こうぜ。乳絞り」
「行かない!」
「一言のもとに否定したな。それじゃあ、何のために牧場に来たか判らねえじゃん」
「ここの雰囲気だけでも十分だよ。澄み渡る牧場{まきば}の梢に風薫る」
「なんだ? 俳句のつもりか」
「とにかく行くなら一人で行けよな」
「ちぇっ! 一人で行ってもしょうがねえから、牛と遊んでるよ。売店で買い物するたちじゃないから。じゃな」
 というとすたすたと外へ出て行く。
 牛舎、乳絞りに参加した女子生徒達がきゃーきゃー言いながら乳を絞っている。
 乳製品加工工場でも係員に説明を受けている生徒達がいる。
 それぞれに牧場の雰囲気を楽しんでいる。

 一方、牧場の柵に腰掛けて牛をぼんやりと眺めている慎二。団体行動の苦手な彼には、そうするより時間を潰す方法がなかったのだ。
 その姿を建物のベンチに腰掛けて見つめている梓と絵利香。
「何か、慎二くんに悪い事してるみたいね」
 絵利香がぽそりと呟いた。
「どうして?」
「だって慎二くん、梓ちゃんと一緒にいたいから旅行に参加したんでしょ。あんな風にみんなから離れて、一人寂しくしているところなんて、あまり見たくないわね」
 しばし慎二を見つめていたが、ついと立ち上がってソフトクリーム売り場の方へ歩いて行く。
 やがて両手にソフトクリームを手に慎二に近づく梓。
「ほれ。食べろよ。絞りたての牛乳から作ってるからうまいぞ」
 といいながら、慎二にソフトクリームを差し出す梓。
「梓ちゃん!」
「どうしてみんなと仲良くしないんだ? いい機会とは思わないか」
 ソフトクリームを受け取る慎二の隣に腰を降ろし、自分のソフトクリームを食べる梓。
「俺は一人が好きなんだ。今までそうやって生きてきたからな。番長グループとかの誘いも全部断って、反攻する奴等は腕力でかたづけてきた」
「で、あまりの強さに鬼の沢渡とか、地獄の番人とか言われ続けてきたわけだ」
「ああ、気がついたら俺の姿を見ただけで、皆がよけて通るようになっていた」
「寂しいな……」
 ぽそりと呟いて空を仰ぐ梓。
 蒼く澄み渡った五月晴れの空に雲が流れて行く。
 一人で生きてきたという慎二に対して、梓は親身になってくれる大勢の人々に囲まれていた。母親の渚は遠くブロンクスの屋敷にいても、常に梓のことを心配してくれている。麗香をはじめとして、運転手の石井、メイド達屋敷の人々達。生まれた時から今日まで、一人きりで寂しいと思ったことはない。
「ところで、親から離れて、一人でアパート暮らししていると聞いたが本当か?」
「ああ、生活費なんかもバイトして稼いでいる」
「バイトしてるってことは、その会社なり店の人たちと協調して働いているってことだよね。会社の人とは付き合うことができるのに、何でクラスメートと仲良くできないの?」
「そりゃあ、生活が掛かってるからだよ。仕事ではわがままとか言ってられないから。無理してでも同僚達と仲良くせにゃならんこともあるさ」
「そっか……。でも少しずつでもいいから、クラスメートとも仲良くするように、努力しろよな」
「そうは言ってもなあ。これまでが、これまでだし……」
「ん……?」
 じろりと慎二を睨みつける梓。
「努力……するよな」
「は、はい。努力します」
 しぶしぶ承諾し、うなだれる慎二。
「あ! マイクロバスが戻ってきたよ。みんな見学が終わったようだから、戻ろうか」
 ひょいと両足を振り上げ跳ねだすように柵を離れる梓。
 体操競技風に説明すれば、両手支持両脚前方振出し浮き腰着地というところか。
「そうだな……」
 梓と同じように柵を離れようとした慎二だったが、足を振り上げた瞬間、柵がその体重を支えきれずに、バキッと鈍い音を立てて折れてしまった。ドサッと尻から落下する慎二。一瞬何が起きたのか判らないと、惚けた表情をしている。
 その情けないような情景に、たまらず声を上げて笑う梓。
「あははは。何やってるのよ」
「笑うなよ」
「悪い悪い。ほれ、立てよ」
 と手を差し出す梓。
「一人で立てるよ」
 差し出された手を軽く払いのけて立ち上がる慎二。
「そっかあ、じゃあ行くよ」
 ロッジの方へさっさと歩きだす梓。後に続く慎二。

 絵利香の元に戻る二人。
「柵を壊しちゃったよ。弁償する」
「いいわよ。支配人にあたしから言っておく」
 ばつが悪そうな慎二。
「集合がかかっているぞ。バスに乗るぞ」
 話題を変えて、そそくさとバスに向かう。
 絵利香が尋ねる。
「二人で何を話し合っていたの?」
「世間話だよ」
 惚けた表情をする梓。
「世間話ねえ……。ま、いいわ。行きましょう、みんなが待ってるよ」
 歩き出す二人。

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梓の非日常/第二部 第八章 小笠原諸島事件(五)遊覧
2021.02.19

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(五)遊覧

 翌朝となった。
 船旅の緊張で眠れなかった者が多かった。
 しきりに欠伸をしながら、ラウンジに集まってくる。
 窓からは朝の陽ざしが射しこんでくる。
 水平線の彼方から太陽が昇ってくるのは感動ものだろう。
 手を合わせて祈っている者もいる。
 おそらく航行の無事を祈っているというところだろうか。
 太陽信仰の一端か。
 日本は「日の出づる国」とも呼ばれ、日付変更線に一番近い国……つまり、「世界で一番早く太陽が昇る国」という意味。
『魏志東夷伝』を読むと、BC1050年ごろ(縄文時代後期)には、「東の果てに、中国人とは顔つきの異なる者の住む『日の出づる島』がある」という伝説が、中国にすでに伝わっていたことがわかる。
 中国人にとって日本列島は、太陽信仰の聖地であり、稲作農耕民であった中国の人々は、太陽の昇る東の果てにある国を目指して、日本にたどり着いた。これが弥生人のルーツとも言われている。

「今日一日は、小笠原に至る島々を巡ります」
 鶴田が、絵利香とガイドから聞いた内容を簡単に説明した。

「あれはなんだ!」
 誰かが叫んで指さしている。
 皆が一斉に注目し、スマホのカメラを向けている。
 孀婦岩(そうふがん)と呼ばれるもので、海のど真ん中に、ポツンと海上に100mほど突き出た岩である。
 実体は、カルデラ式海底火山の外輪山の一部であり、海底から 2100m の高さがある。
 孀婦岩の南西2.6 km、水深240 mには火口がある。
「何か神がかりの雰囲気があるね」
 一同納得の感想であった。

 船旅二日目となると、海を眺めるのにも飽きてくる。見渡す限りの水平線なのだから当然だろう。
 プールばかりでは、身体はふやけるし日焼けもする。
 スマホは使えないし、というわけで船内の設備を利用することとなる。
 図書室で静かに本を読む者。
 卓球などができるプレイルーム。
 囲碁・将棋・麻雀などができるカードルーム。
 クレーンゲームなどができるミニゲームセンター。
 貸し切りフロアから出て、他のフロアを回れれば、カジノ・ナイトクラブ・バーラウンジ・映画館・本格的スポーツジムなど盛り沢山の施設がある。
 乗客5200人が使える全フロアに対して、梓達生徒40人だけが使える貸し切りフロアでは、施設も限定されているのは致し方がない。

「なあ、これって貸し切りというよりも、隔離されているっていう方が正解じゃないのか?」
 慎二が気付いたようだ。
「そうかもね。でも破格の料金で豪華客船の船旅が味わえるんだから、我慢しなくちゃ」

『まもなく、西ノ島が見えて参ります』
 船内アナウンスがあった。
「西ノ島って、つい最近噴火したあの島か?」
「そうよ。見にいきましょう」
「まだ、噴火しているのかな」
 などと、口々に話しながらデッキに上がった。

 ガイドが案内する。
『西之島は、東京の南約1000km、父島の西約130kmにある小さな島で、伊豆・小笠原諸島の一つです。太平洋プレートの沈み込みによって生じたマグマが地表に噴出してできました、フィリピン海プレート上の火山島です。
 2013年に大きな噴火が起こり、溶岩流が堆積して島の面積を拡大させ、噴火前の約10倍の大きさになっています。
 現在の標高は160m。一見すると小さな火山島ですが、海水面下には3000mもの高さの巨大な山体が隠れています。
 西之島に井戸水はない上に農耕にも適さないため、遭難船の漂着者を除いて人が居住していた記録はありません』
「中国が領有を宣言しているんだっけ?」
「それは中国のネトウヨが言っているだけよ」
「どうせなら、沖ノ鳥島の方も噴火して陸地形成すれば、中国も黙るんだろうけどな」
「島じゃない、ただの岩だからEEZは設定できないって奴ね」
「そうして、大っぴらに調査しまくってるのよ」
 一つの島を巡って、地理社会の勉強の復習をしている生徒達だった。

『それでは、父島に向かいます!』
 西ノ島を横目に見ながら、船は左にゆっくり転回しながら、最初の訪問地の父島へと向かう。

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