梓の非日常/第一章・生まれ変わり(二)帰国子女
2021.01.25

梓の非日常/第一章 生まれ変わり


(二)帰国子女

 川越の町並みを走るロールス・ロイス・ファントムⅥ。
『川越か……今日からここでの新しい生活が始まるのね。ニューヨークで生まれ育ったわたしに馴染めるのかしら。だいたいからして、日本語は一応話せるけど、漢字とかの読み書きが苦手なのよね。少し不安だわ』
 車窓から流れる外の景色を眺める十二歳の梓。その言葉は英語だった。
『絵利香は空港に迎えにきたご両親と一緒に帰っちゃったというのにな。うちの母親ときたら、迎えにもこない』
『渚さまは、とてもお忙しいお方ですから。でも屋敷に戻れば、ちゃんとご帰宅記念のパーティーを準備して待っておられます』
 お抱え運転手の白井も英語で応える。
『わかっているけど、やっぱり娘としたら寂しいわ。麗香さんも通関の手続きで残っちゃったし』
『お気持ちはお察しいたします』
 前方に赤信号が点灯する交差点に差し掛かった時だった。
 白井が速度を落とそうとブレーキを踏むが、まるで感触がなかった。
 あわててギアを一段落としてエンジンブレーキをかけた。
『お嬢さま、しっかりつかまっていてください』
 ハンドルを道の片側に寄せながらさらにギアを落としていく。
 サイドブレーキを引き、なんとか交差点の寸前で停まるロールス・ロイス。
 全重量2700kgのロール・ロイスの巨漢が事故を起こせば、今時のちゃちなボディーの自動車は全損破壊されるのは必至。ゆえに運転手の白井は、街中においてはどんなに前方が空いていても、法定速度の時速30km以上は出さないようにしていた。
 当然後方には、自動車の渋滞の列が続くことになる。なにせ黒塗りのロールス・ロイスなのだ、後続の運転手の脳裏には「暴力団幹部」の文字が浮かんで、とても恐くて追い越したり、クラクションを鳴らす勇気のある者は、だれ一人いない。まさか可愛い女の子が乗っているとは想像だにできないだろう。しびれを切らした者は、脇道へ入って迂回ルートを選ぶことになる。
『ふう、あぶなかった』
 何とか車を道路の脇に寄せて停車し、胸をなで降ろす白井だったが、すぐさま後部座席の梓を心配する。
『お嬢さま、大丈夫ですか』
『大丈夫です。いったい何があったのですか』
『ブレーキが効かなかったのです』
『ブレーキが?』
『はい。ちょっと調べてきます』
 白井は外に出て、後方に故障を示す三角板を置いてから、ボンネットを開けて調べはじめた。
『ひどいな……』
 ブレーキホースが何者かによって鋭利な刃物かなにかで切られていた。その切り口をパラフィンシートで巻いて覆ってある。エンジンが止まって冷えている間は、パラフィンは固まっているが、エンジンを始動しボンネット内が、エンジンの熱で温度が上昇し、パラフィンが溶けはじめると、ブレーキフルードが徐々に抜けていき、走行中に突然ブレーキが効かなくなるように細工されていたのだった。おそらく空港で梓を迎えにしばらく車を離れていた時だと思われる。
 ……高級車を持つものにたいする単なるいたずらか、それとも……
 白井は後部座席に腰掛ける梓を見やった。
『どうですか?』
 梓が窓を開けて尋ねてくるが、
『いえ。どうもこうも。しばらく動かせそうにありませんので、タクシーを呼びましょう。お嬢さまは、それで先にお帰りください』
 白井は、あえて事実を伏せることにした。梓を心配させたくないとの配慮だった。
『いいわ。ここからは歩いて帰るから』
『ですが、渚さまが首を長くしてお待ちになられて』
『いいじゃない。今日から生活することになる川越が、どんなところなのかじっくり見学させていただくわ。地図もあるし、屋敷の場所もわかりやすい所にあるから。いろいろとね』
『あ、お嬢さま』
 白井は梓を追おうとしたが、交差点前に停まった大型のロールス・ロイスを放ったままにはできない。交通の妨害になるからだ。
 ロールス・ロイスのそばで立ち尽くす白井。
 ……もしかしたら、お嬢さまは誰かに命を狙われているかもしれない……

 川越の町並みを散策している梓。蔵造りの街をめずらしそうに、あたりをきょろきょろと見渡しながらゆっくりと歩いている。
 交差点に差し掛かる。
 反対側からは、喧嘩を終えたばかりのあの男が歩いて来る。そのずっと後方からは先程の少年も後をついてきていた。
 信号は赤。
 横断歩道を挟んで対面する二人。先に相手に気がついたのは男の方だった。
「へえ、可愛い子がいるじゃんか。声掛けてみよう」
 信号が青に変わった。
 ゆっくりと横断歩道に進み出る梓。
 その時だった。信号を無視して突っ込んで来る大型トラック。目前に迫るトラックにも、梓は足がすくんでぴくりとも動けない様子だった。
「あ、危ない!」
 男はとっさにトラックの前に飛び込み、梓を抱きかかえるようにかばったのであった。
 当たりに飛び散る大量の血飛沫。交差点にこだまする悲鳴。
 梓を抱えたままトラックに跳ね飛ばされ地面に激突する男。
 当たりにいた人々も、あまりの惨劇に身体が固まって動けないといった表情であった。
 ぴくりとも動かなかった男だが、やがて意識を取り戻す。
「お、俺は、いったい……」
 男は額に手を当ててみるが、その手にべったりと付着した血糊。
「血……」
 男は自分が流血しているのを悟ったが、痛みを感じていないことに気づく。
 ふと首を振ると、そばに先程の梓が倒れている。
「お、おい。だ、いじょう、ぶか……」
 梓は答えない。じっと横たわったままだ。
 ……死んだのかな……。もっとも俺の方も……だめかな……
 次第に薄れていく意識の中で、男は最後の音を聞いた、それは近づいてくるサイレンの音だった。男はゆっくりと目を閉じ、そして動かなくなった。

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梓の非日常/第一章・生まれ変わり(一)男の中の男
2021.01.24

梓の非日常/第一章 生まれ変わり


(一)男の中の男

 埼玉県川越市市街地の北東の外れに初雁公園がある。川越城址本丸御殿や市立博物館・武道館や高校野球予選が行われる初雁球場などの名所・施設が立ち並んでいる。その一角にある三芳野神社の広場に柄の悪い男達が集まっていた。一人の男を多数の男が取り囲んでいる。
「で、この俺に、お前達の仲間に入れっていうのか」
 中心に立つ男が、まわりの男達を見渡しながら言った。
「中学では番長でならしたそうじゃないか。できれば敵にしたくないからな。その方がおまえのためにもなる」
「ふ、俺も。甘くみられたものだ。俺についてきた連中が勝手に番長だなんて言っていただけで、俺自身は番なんて張っちゃいなかったのさ。俺はつねに一人だった。第一、今時番長なんて言うか?」
「と、とにかく仲間には入らないつうわけだな」
「あたりまえだ」
「なら、死ねや」
 いきなり殴りかかる暴漢達。
 相手の拳を軽くかわしながら、余裕で上着を脱いで投げ棄てる男。
 暴漢達は次々と襲いかかるが、男の身体に触れることもできないでいた。男は軽やかなフットワークで暴漢達の攻撃を受け流し、相手の力量を計っているようだった。
「ちょこちょこ動きまわりやがって」
 やみくも振り回した拳が男の頬に直撃する。
「あ、当たったあ」
 しかし男は、全然効いてないといった表情であった。
「てめえらそれでも殴ってるつもりか、殴るってのはなあ」
 といって一撃をぶちかますと、相手はいとも簡単に身体ごと吹き飛んでいった。
 あまりのその破壊力のすさまじさに思わず尻ごみする暴漢達。
「びびってんじゃねえぜ。おら、おら、今度はこっちからいくぜ」
 男が反撃を開始する。次々と吹き飛んで気絶していく男達。
 そんな様子を木陰でじっと眺めながら、震えている少年の姿があった。
 ものの数分で、暴漢達は男の足元に崩れ落ち、身動きすらしない。
「おい、そこに隠れている奴。出てこいよ」
 男が、木の影にいた少年に向かって叫ぶ。
「てめえもこいつらの仲間か」
「いえ、ぼ、僕は」
 木陰から姿を現した少年はまだ幼さを残した顔立ちをしていた。
「なんだ。まだガキじゃないか。中学生か?」
「い、一年になります」
「ふうん。名前は?」
「さ、沢渡慎二」
「そうか……いい名前だ」
 男は慎二と名乗った少年の頭をなでながら尋ねた。
「おまえ。強くなりたいか」
「な、なりたいです」
「なら、教えてやろう。いいか、本当に強くなりたかったら、こんな奴等とは手を組まないことだ。徒党を組むのは弱いやつらがすることだ。男ならたった一人で強くなる努力をしろ。いざとなって自分がピンチになったときでも、誰も助けになんて来てはくれないぞ。自分のことは自分で守るしかないのさ」
 ズボンについた汚れをはたき落としている男。
「いかなる状況をも乗り越えられるように、身体を鍛え磨いておくことだ。それと女の子には手を出すな。女の子には優しく、時には守ってやるくらいの気概がなくてはいかんぞ。それが本当の男。男の中の男というもんだ」
「う、うん」
「よし、いい子だ。おまえなら、きっと強くなれるさ」
 脱ぎ捨てた上着を拾い上げる男。
「あ、あの。お名前を」
「はは、名前なんてどうでもいいだろ。通りすがりの風来坊さ」
 名を告げずに、少年を残して立ち去っていく。

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梓の非日常/序章 新入部員は女の子 (五)
2021.01.24

梓の非日常/序章 新入部員は女の子


(五)お帰りはロールス・ロイス

 十数分後。
 慎二のまわりに、倒れて身動きしない男達の山が築かれていた。
「邪魔者はかたづいたな。さて、続きをやろうか……」
 と慎二が振り向くと、梓はお尻をぺたんと地面につけ、膝から血を流していた。
「いったーい」
 膝の傷を見せびらかすように大袈裟に痛がる梓。
「あのなあ、それが数人の男相手に乱闘をやらかした女のする態度か!」
 絵利香が駆け寄って、助け船を出した。
「梓ちゃんは、おてんばだけど女の子なのよ。それが血を流しているのに、そんな言い方ないわよ」
「ちっ。この勝負はまたにしてやるよ。俺は弱った奴は、殴らん」
 慎二はくるりと背を向けて立ち去ろうとした。しかし、それを絵利香が制止する。
「ちょっと待ちなさいよ。あなたはそれでも男なの。か弱い女の子が苦しんでいるのに、それを見捨ててあなたは行ってしまうの?」
「こいつのどこが、か弱いんだよ。ここに倒れている男達の半分はこいつが倒したんだぞ」
 地面に倒れている男達を指差し、いきまく慎二。
「沢渡君!」
 きっと睨みつける絵利香。
「ちっ。俺に、どうしろというんだよ」
「保健室に連れていってあげるくらいしなさいよ」
「わ、わかったよ。ほれ、立てよ」
 慎二は梓に手を差し出した。
「あたし、立てない。歩けない」
 梓は、首をぷるぷると横に振って、立ち上がることを拒絶した。まるでか弱い女の子であるかのような演技をしていた。
「あ、あのなあ……」
 慎二はしようがねえなあ、といった表情で梓の身体を抱え上げた。
 その瞬間、
 ……か、軽い……。なんて、軽いんだ……
 慎二はあらためて、抱きかかえている梓の身体を見つめた。
 およそ腕力とは無縁と思える細い腕には、筋肉のかけらすらついてないように見える。パンチを繰り出すその腕を支える肩は、なだらかなカーブをして幅も狭く、破壊力を生み出すにはほど遠い。肩から下の骨格もまさしく女性のそれで、男の力強い両腕で抱きしめられれば、簡単に折れてしまいそうに華奢である。
 ……こんなか細い身体で、男達と互角に戦えるなんて信じられない。まさしく技とスピードだけで戦っていたんだ……
 慎二の感情に、一種尊敬の念が生まれるのも自然ではなかろうか。
 梓の髪からは芳しい香りが漂っていた。
 抱きかかえられている梓だが、慎二に悟られないように絵利香に向かってピースサインを送っていた。
「男なんて、ちょろいもんよ」
 とばかりに、笑顔満面の表情で。
「もう、梓ちゃんたら……」


 保健室前、治療を終えた梓が出て来る。
 廊下のベンチに腰掛けていた慎二が話し掛けて来る。
「教室まで、送ろうか」
「そこまでしてもらわなくてもいいわ。帰りはタクシーで帰ることにしたの。この足じゃ歩いて帰るの辛いから」
「……タクシーねえ……」
 絵利香が言葉にならない呟きをもらした。
「そっか。なら、遠慮なく行かせてもらうぜ」
 さっさと背を向き、保健室から立ち去る慎二。
「そっけないのね……」
 絵利香がぽそりとつぶやいた。
「はは、そんな男だよ。あいつは」
 びっこを引きながら歩きだす梓。
「ちょっと油断したなあ。ほんとは顎を蹴り上げるつもりだったのに、飛んで来るあたしに驚いて、あいつがうつむいたものだからまともに口の中に入っちゃった。あいつ、歯の四・五本折れたんじゃないかな」
「これに懲りて、ちょっとはおとなしくしなさいよ」
「ははん。無理だね」
「もう……」

 放課後。
 裏門でタクシーを待っている風の梓と絵利香。
「タクシーが来たわよ。梓ちゃん」
 と、絵利香が指差す先からやって来たのは、タクシーならぬ黒塗りのロールス・ロイスだった。
 ロールス・ロイスは、後部座席左側ドアが、立ち止まった梓の前にぴたりとくるように停車した。英国製だから運転席は右側であり、当然として主人席は後部座席左側と決まっている。
 運転席のドアが開いて白い手袋をしたスーツ姿の男が降りてくる。その運転手は、短いスカートから覗いて見える梓の膝のガーゼに逸早く気がついた。
「お嬢さま! その足はどうなされたのですか?」
 心配そうに梓の膝を見つめている。
「ちょっと転んで膝を擦りむいちゃったの」
「大丈夫でございますか」
「心配ないわ、白井さん。それより早く車を出してください」
 と言いながら周囲を見渡すようにした。ロールス・ロイスのまわりには、ものめずらしそうに生徒達が集まりつつあったのだ。
 英国製、ロールス・ロイス・ファントムⅥ(初期型)。モータリゼーション華やかりし全盛の頃、1960年代往年の名車である。
 全長6045mm、全幅2010mm、車高1752mm、全重量2700kg、水冷V8エンジン6230cc。ロールス・ロイスの方針でエンジン性能は未公表のため不明だが、人の背の高さをも越えるその巨漢は、周囲を圧倒して、道行く人々の感心を引かずにはおかない。
「そ、そうでしたね」
 白井と呼ばれた運転手は、目の前のドアを開けて、梓を乗り込ませた。反対側では、絵利香が自分でドアを開けて、乗り込んでいる。
 二人の乗車とドアロックを確認して、白井はロールス・ロイスを発進させた。
「絵利香ちゃん。今日はうちに泊まっていってよ」
「ん……そうね。そうするわ」
「白井さん。屋敷に直行してください」
「かしこまりました。それから、お嬢さま。遮音シャッター上げますか」
「ええ、お願いします」
 白井が運転席の操作盤のスイッチを入れると、運転席側と後部座席の間に設けられた防音ガラスが、静かにせり上がった。さらに白井は、二人の顔が見えない位置にルームミラーをずらした。
 白井は、梓と絵利香が乗り合わせた時は、必ず遮音シャッターを上げるか尋ねることにしている。女の子同士の会話を気がねなくできるように配慮しているのだった。

 梓は、鞄から携帯電話を取り出して、連絡をいれた。車載電話も目の前にあるのだが、使い慣れている自分の携帯を使っているのだ。
「あ、おばさま、梓です。はい、ごぶさたしてます。絵利香ちゃんですけど、今晩うちに泊まります。はい、そうです。申し訳ありません。はい、今代わります」
 梓は自分の携帯電話を絵利香に手渡した。
「絵利香です。うん、そう。ごめんなさい。はい、それじゃあ」
 といって絵利香は、電話を切って梓に返した。

「ふう……あいつ……」
 座席に深々と身体を沈めて物思いにふける梓。
「どうしたの、そんな深刻な顔しちゃってさ」
「あの馬鹿な男のこと考えてた」
「沢渡君のこと?」
「なんかさ……昔のあたしに雰囲気が似ているような気がしてさ」
「昔って、梓ちゃんが女の子に生まれ変わる前の?」
「そう、まだ男だった頃のイメージがそっくりなんだ」

 序章 了

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梓の非日常/序章 新入部員は女の子 (四)
2021.01.23

梓の非日常/序章 新入部員は女の子


(四)その男、沢渡

 昼休みになった。
 午前最後の鐘が鳴り響いて、教室から一斉に生徒達が出て来る。弁当を持って来ていない者が食堂へ向かって移動しているようだ。
 教科書を鞄に収めている梓。かわりに可愛い弁当箱を取り出している。
「あ、あの……お昼ご一緒しませんか」
 意を決した一人の女子生徒が、弁当を手にしながらもじもじとしながら話し掛けてきた。
「わたし、相沢愛子です」
「ああ、あたし、真条寺梓」
「わたしは、篠崎絵利香よ」
「こいつは、幼馴染みなんだよ」
「梓ちゃん。人を指差してこいつなんて、そんな言葉を女の子は使っちゃだめよ」
「はは、絵利香ちゃんは、あたしの教育係りなんだ」
「お二人は、仲がいいんですね」
「うん。三歳からずっと一緒だったから」
 机を移動して食卓のようにする。
 二人の間に別の女子生徒が入り込み、親しげな会話がはじまったことで、他の女子生徒達を行動に移させるきっかけを与えることとなった。
「あの、わたしもお仲間にいれていただけませんか」
「お友達になりましょうよ」
 親しげに口々に話し掛けてくる女子生徒達。あっという間に二人を囲んだ語らいの輪ができあがった。
 男子生徒の中にも梓たちと話しかけたそうにしている者もいたが、そこは男と女の垣根があるらしく、女子生徒達の輪の中にまで入ってくる勇気はなかった。

 ドアの外が騒がしくなった。
「沢渡だ、沢渡が来やがった」
「なんで今頃」
 廊下を肩をいからせて大股で歩く大柄の男、沢渡慎二。
「おら、どけよ。こらあ!」
 言うが早いか、ドア付近にいて談笑していた男子生徒が、教室内に吹き飛ばれていた。話しに夢中で、沢渡と呼ばれた男に気づかなかったのだ。沢渡のことを知る人物なら、その名を聞いただけで震え上がり道を譲るものだが、彼は知らなかったようだ。
「ドアの前に突っ立ってんじゃねえ」
 背の高い慎二は、屈むようにしてドアをくぐらねばならない。
 慎二が教室内に入っていくと、それまで談笑していた生徒達は一斉に口籠り、彼が目指す机までの道を開けた。それは梓の隣の席であり、食事を終えて話し合っていた女子生徒は、あわててそばを離れた。
 視線が合った梓と慎二は、ほとんど同時に昨日の乱闘騒ぎを思い出した。梓が投げ飛ばしたあの男だったのだ。
「お、おまえは!」
 先に口を開いたのは、慎二のほうだった。
 絵利香が耳打ちする。
「あ、この人。昨日の……」
「ついてるぜ、こんなところでまた会えるとはな」
 黙って弁当箱を鞄に戻す梓。
「表にでろよ。こら」
 無表情ですっくと立ち上がる梓。
「ちょっと、梓ちゃん」
 廊下を並んで歩いていく梓と慎二。その後を絵利香が追いかける。


 二人は裏庭に出てきた。上着を脱いで木の枝に掛ける慎二。
「この辺でいいだろう」
「そうだね」
 といいながら梓は、周囲をじっくりと見渡していた。これから一戦交えるのに、地形効果を確認しておかなければならないからだ。大きな岩、生い茂った木々、膝のあたりまで水が張られた池、校舎の壁、そういった裏庭に存在するすべてのものが、戦闘に際し有利な条件となりうるかを判断していく。
「この俺が女に負けたままでは、寝覚めが悪くてよ」
「あら、そう」
「この俺を一瞬で投げ飛ばしたんだ。格闘技では相当な腕前と見た」
「まあね……それなりに稽古はしてるけど」
 ふと空を仰ぐと、大きな桜の木の見事な枝振りが、空一面を覆い尽くすようにおいかぶさり、はらはらと花びらが風に舞っている。
 ……きれいな景色ね。とてもこれから乱闘って雰囲気じゃないんだけどなあ……
「女だからって、俺は手加減はしねえぜ。と思ったが、美人がだいなしになるからな、顔への攻撃は避けてやるよ」
 情緒を理解できない慎二の頭の中は、梓と戦うことしかないみたいである。
「そりゃ、どうも」
 その時、周囲に異常を感じる梓。
 ……囲まれている! 五・六・十二人くらいはいるな……
 見渡すと、木や草むらの影や、建物の裏に、男達の気配。
「いつでもいいぜ。どっからでもかかってきな」
「ふん! この直情馬鹿が、周囲の状況も把握できないのか」
「なんだとお!」
 言われて改めて周囲を見渡す慎二。
 隠れているのを悟られたと知って、ぞろぞろと男達が現れる。
「へへ。面白そうだからしばらく見学してようと思ったんだがな」
「てめえらは、昨日の」
「昨日のお礼はたっぷりさせてもらうぜ」
「はん。昨日より数が多いじゃないか。ま、返り討ちにしてやるぜ」
「ふざけんじゃねえ」
 拳を振り出した男の言葉を合図として、乱闘がはじまる。
 多勢に無勢とはいっても、並みの力ではない慎二にとっては、朝飯前といった表情をしていた。たとえ相手の一撃を食らってもまるでびくともせず、倍返しの一撃を与えていた。
「余裕だなあ、あいつ……ああ、しかし。あたしもあれくらいの腕力があれば、いいなあ。うらやましい」
 相手を一撃で動けなくしてしまうような強力なパンチ、どんな攻撃を受けてもひるまない頑丈なボディー。そんな慎二に対して、一種憧れのような感情を抱く梓だった。どんなに頑張っても、女の梓にはかなわない夢だったのだ。
「つかまーえた」
 突然男の一人が、梓を背後から羽交い締めにした。
「おめえ、あいつの何なんだ。女か」
「はなせよ」
 梓は冷静に受け答える。
「はは、この状態でなにができる。女の力じゃ無理さ」
「そうかな……」
 梓は、足を振り上げ思いっきり男の足の爪先を、踵の先端で踏みつけた。男の顔が苦痛に歪み一瞬腕の力がゆるんだところを、両腕を突っ張り身体を沈みこませて、羽交い締めから脱出。すかさず肘鉄をみぞおちに食らわす。男はたまらず地面に臥した。
「女と思って馬鹿にするな」
「こ、こいつ」
 梓を構っていた男が倒れたことで、攻撃の矛先が梓の方にも向けられることになった。
「かまわん。女もやっちまえ」
 一斉に男どもが梓に飛び掛かってきた。
「あーあ。いわんこっちゃない」
 後をつけてきていた絵利香は安全な場所から、梓のことを心配していたのだった。
 しかしフリーになった梓の前では、赤子同然だった。柔道、合気道、そして空手と、多種多様の戦術を組み合わせた日本拳法。
 離れて戦えば回し蹴りなどの蹴り技が飛んで来るし、中距離では裏拳・縦拳・そして極め技。懐に飛び込めれば得意の一本背負いが決まり、相手はもんどりうって宙を舞う。
 喧嘩馬鹿を相手にするくらい、梓は朝飯前といったところか。
 大きな岩を足場として飛び上がり、前面の相手に跳び膝蹴りを食らわす梓。
「あっ。膝蹴りが顔面に入っちゃた。痛そう……あ、梓ちゃん。膝を切っちゃみたいだわ。大丈夫かしら」
 心配でしようがない絵利香だったが、自分ではどうしようもなかった。ただ梓が無事であるようにと祈るだけだった。

 もう一方の慎二のほうも確実に相手を倒していた。その視界の中に、梓の戦いぶりが目に飛び込んで来る。
「あいつ……女のくせに、男と互角以上に戦ってやがる。相手の攻撃を紙一重でかわし、隙ができたところを急所に一撃だ。必要最低限の動きで最大の効果を発揮させている」
 梓に目を奪われている慎二の顔面にパンチが飛んできた。
「よそ見してんじゃねえよ。こらあ」
 思わずのけぞる慎二。
「ふ、確かにな」
 すかさず殴りかかってきた相手をぶっとばした。

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梓の非日常/第二部 第八章 小笠原諸島事件 (一)
2021.01.22

梓日常/第二部 第八章・小笠原諸島事件


(一)クラス旅行

 小笠原諸島を遊覧する豪華客船があった。
 篠崎海運所属のクイーン絵利香号である。
 甲板上のプールでは、埼玉県立城東初雁高校一年A組のクラスメート達が、ワイワイガヤガヤと興じている。
 その中にあって、プールサイドベッドにその身体を預けて、ビキニ姿の真条寺梓と篠崎絵利香がいる。
 
 そこへ、学級委員長の鶴田公平が、トレー盆にクリームソーダを乗せてやってきた。
「喉が渇きませんか? ソーダをお持ちしました」
「ありがとう」
 お礼を言って受け取る梓。
「鶴田君、その恰好さまになってるじゃない」
 絵利香が、鶴田の仕草を見て感心していた。
「そうですか? 実は、レストランでウエイターのバイトやったことがあるんです」
「なるほどね」
「今回の旅では、お世話になってますので」


 数週間前に戻る。
 ホームルームにおいて、学級委員長の鶴田公平が提案をした。
「新入学記念に軽井沢へ行きました。この夏休みにも、どこかへ行きたいと思いますがいかがでしょうか?」
「賛成!」
 多くの賛同者が出た。
「で、どこへ行くんだ?」
「前回は山でしたから、今回は海にしようと思います。夏ですしね」
「いいね!」

 ホームルーム後、鶴田が梓と絵利香に相談を持ち掛けて来た。
「絵利香さんは、観光会社やってましたよね。また、推薦コースとか紹介してもらえないかなあ?」
「いいわよ。放課後に会社に行ってみますか?」
「はい。よろしくお願いします」
 ということで、篠崎観光旅行会社へと向かった一行。
 案内掛かりは、前回と同じく担当吉野を紹介してくれた。
「お久しぶりです。絵利香お嬢様」
「そのお嬢様というのは、止めて頂きません?」
 と、鶴田の方に目をやって合図を出した。
 財閥令嬢ということは、すでに知れ渡っているが、それを前面に押し出されて言われると、クラスメートの手前あまりよろしくない。
「失礼しました。絵利香様。今日のご用命は?」
「夏休みに、クラムメートを誘って旅行しようということになりました。それで、何かお手頃のコースはないものかと伺いました」
「なるほど、軽井沢の時と同じですね」
「高校生のいる家庭が無理なく支払える料金でお願いしたいのですけど」
「そうですねえ……」
 と、しばらく考えていたが、
「ちょっとお待ちください」
 席を立って、旅行ガイド用のパソコンで調べ始めた。
 やがて、資料をプリントアウトして戻ってきた。
「これなどいかがでしょうか?」
 資料の写真には、豪華客船を大見出しで取り上げ、世界周遊の旅! 横浜出発百七日間。

「世界周遊の旅? 夏休みの旅なんですけど……」
 鶴田がびっくりしている。
「実はですね。その周遊の旅なのですが、期限間近にも関わらずかなり空席が出ておりまして、この際にクラスメートの旅を楽しんでもらおうと考えました」
「なるほどね。ただ空気を運ぶよりは良いわね」
「ハワイへ向かう航路の途中に小笠原諸島を通過します。そこで下船して頂いて、別のクルーズ船に移乗し父島などを廻ります」
「小笠原諸島で途中下船するわけね」
「それまでは、たっぷりと豪華客船の船旅を満喫できます」
「いいわ。それで行きましょう」
「分かりました。早速手配致します」

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