銀河戦記/機動戦艦ミネルバ 第三章 狼達の挽歌 VII
2019.04.21


 機動戦艦ミネルバ/第三章 狼達の挽歌


 VII カサンドラ訓練所

 その頃。
 モビルスーツパイロット養成機関「カサンドラ訓練所」を抱えるパルモアール基地。
 基地の空港の一角に輸送艦が停泊しており、警戒のためのモビルスーツが待機して
いる。
 そのかたわらで明らかに新型と思われる真新しい機体、ぎこちない動きを続けるモ
ビルスーツがあった。
「どうだ、調子は?」
「どうだと言われましても、この機体にインストールされているOSは、手足を動か
して移動させる程度の輸送用のOSなんですよ。ちゃんとした起動用のプログラムを
インストールしなければ、とても戦闘に使えませんよ」
「やはりな。輸送艦内を探しているのだが、起動用プログラムが入ったディスケット
が見つからん」
「輸送艦のコンピューター内に保存してあって、そこからコピーして使用するという
ことはないですか?」
「ああ、その可能性もあるだろうと思ってな、システムを調査させているところだ」
「とにかくOSがない限り、こいつはまともに使えませんよ」
「判った。今日はもういい。その機体を格納庫に収納しろ」
「了解しました」
 地響きを立てながらよちよち歩きのような格好で格納庫へと移動するモビルスーツ。
 さて、その輸送艦とモビルスーツは、フランソワがタルシエン要塞から遠路はるば
る運んできたものだったが、トランター本星への輸送を完了したものの、「メビウ
ス」に渡る前に接収されてしまっていたのであった。


 基地に隣接する、カサンドラ訓練所。
 次の世代を担うモビルスーツパイロット候補生達が日々の研鑚を続けていた。
「駆け足! 全速力!!」
 グラウンドでは、訓練用の機体に乗り込んでの操縦訓練の真っ最中だった。
 地響きを立てながら整然と隊列を組んでグラウンドの周囲を走り回っていた。
「こらあ! そこ遅れるな!!」
 訓練生達の機体のそばでジープに乗り込んで後を追いかけながら、拡声器を使って
指示を出している教官。
 パイロットにも各人各様、習熟度が違う。
 機体を完全に乗りこなしている優秀なパイロットがいれば、今日乗り込んだばかり
というような不慣れなパイロットもいる。
「すみませーん!」
 黄色い可愛い女性の声が訓練機体から返ってくる。
 共和国同盟では男女均等法によって、男女区別なくパイロットとして士官できる。
「まったくおまえはどうしようもなくどんくさい奴だ! これが終わったら、その足
でグラウンド十周!!」
「そ、そんなあ」

銀河戦記/鳴動編 第二部 第二章 ミスト艦隊 XII
2019.04.20


第二章 ミスト艦隊


                XII

「全艦、回頭せよ」
 オペレーターが復唱する。
 ゆっくりと回頭をはじめる連邦艦隊。
 しかし、様子がおかしかった。
 回頭の中途で失速し、その体勢のまま流されている艦が続出していた。
「どうしたというのだ?」
 司令が怒鳴り散らすが、事態が好転するはずもなかった。
 艦体はガタガタと異常震動を続けており、オペレーター達の表情は暗かった。
「機関出力、大幅なパワーダウン」
「出力をもっと上げろ!」
「機関オーバーロード。これ以上出力を上げれば爆発します」
「ええい、かまわん! 目の前にアイツがいるのに、みすみす逃してたまるものか。出
力を上げろ、もっと上げるんだ!」
 カリスの強大な重力によって引き寄せられていることが、誰の目にも明らかとなって
いた。外宇宙航行艦にとっては、方向転換をも不可能とする強大な重力である。

 その一方で、惑星間航行艦ながら馬力のある荷役馬のミスト艦隊は、カリスの重力を
ものともせずに、悠然と突き進んでいた。
「後方の敵艦隊が乱れています。どうやら失速しているもよう」
 オペレーターの報告を受けて頷くアレックスだった。
「こちらの思惑通りだ」
 そして総反撃ののろしを上げる。
「よし、今だ! 後方で回頭する連邦艦隊を撃て!」
 それまで前方を向いていた砲門が一斉に後方へと向き直った。徹底防戦に甘んじてい
た隊員は、鬱憤を晴らすかのように、夢中になって総攻撃に転じたのである。
 その破壊力はすさまじかった。あまつさえ失速して機動レベルを確保できない敵艦隊
は迎撃の力もなく、一方的に攻撃を受けるのみであった。
 千隻の艦隊が、百五十隻の艦隊に翻弄されていた。
 やがて別働隊も追いついてきて攻撃に参加した。
 次々と撃破されてゆく敵艦隊。無事に攻撃をかわせたとしても、カリスの強大な重力
がそれらを飲み込んでゆく。カリスに近寄りすぎて、その重力から逃れるのは競走馬の
連邦艦隊には不可能だった。
 十分後、敵艦隊は全滅した。
 千隻の艦隊に、三百隻で臨んで勝利したのである。
 艦橋に歓喜の大合唱が沸き起こった。
 ミスト艦隊司令のフランドル・キャニスターは、アレックスの作戦大成功を目の当た
りにして感心しきりの様子であった。
「これが英雄と呼ばれる男の戦い方か……。カリスの強大な重力を味方にしてしまうと
はな。交戦状態に入ったときにはすでに敵は自滅の道を突き進んでいたのだ。その情勢
を作り出してしまう作戦の妙というところだな」

 アレックスの乗る旗艦でも拍手の渦であった。
「おめでとうございます提督。ミストは救われました」
 と言いながら、右手を差し出す副司令。握手に応じるアレックス。
「いやいや。当然のことしただけですよ。共和国同盟軍の同士ではないですか」
「共和国同盟ですか……なるほどね」
 事実上として共和国同盟は滅んではいるが、解放戦線を呼称するアレックスたちにと
っては、今なお健在なのである。

性転換倶楽部/特務捜査官レディー 作戦会議(R15+指定)
2019.04.19



特務捜査官レディー(R15+指定)
(響子そして/サイドストーリー)


(五十二)作戦会議

 というわけで、敬を交えて早速打ち合わせに入ることにする。
1、生前公開遺言状の発表の日に磯部健児ほか関係親族を呼び寄せること。
2、同じく磯部響子も同席させること。
3、響子の護衛として、専属メイドとして真樹があたる。
4、敬は遺言状公開の立会人の一人として列席する。
5、当日において屋敷内で勤務するメイド達を全員女性警察官にすりかえる。
6、その他必要事項……。
 響子さんにも事情を説明して、計画に加担してもらえれば完璧なのだろうが、素人
さんに役回りを押し付けるわけにはいかない。それに精神的負担から挙動不審となっ
て、健児に勘ぐられる可能性も出る。

 警察庁特務捜査課にも動いてもらうために、担当課長に報告する。
「ほう……。健児を罠に陥れようというわけか?」
 警視庁生活安全部麻薬銃器取締課から、警察庁のこの新しい課の長に異動で収まっ
た課長が頷く。
 そうだね。
 やはり馴染みの上司がいた方が上手くいくというものだ。
「健児のことですから、財産が全部響子さんに渡ると知らされれば、必ず動くはずで
す。以前に響子さんの母親を陥れたように、今回も卑劣な手段を講じて、何とかして
でもその財産をすべて奪い取ろうとするでしょう。そこに付け入る隙が生まれます」
「なるほどな……。しかし、上手くいくだろうか?」
「やってみなければ判らないでしょうが、何らかの行動に出るはずです。やってみる
価値はあります」
「響子さんに身の危険を与えるかもしれないぞ」
「もちろん、その手筈はちゃんと打っておきます」
「その一貫として、磯部氏宅のメイドを全員女性警官にすり替えることか?」
「はい。一般市民を巻き添えにする可能性を少しでも排除しておきます」
「だが、女性警官を危険を伴う現場に派遣することは出来ないんだが……。麻薬取締
官の真樹君は知らないかも知れないが、女性警察官は、駐禁取締や交通整理といった
交通課勤務と決まっているのだよ。つまり交通課の協力を取り付けなければいけない
ということになるわけだ」
 確かに、我が国においての警察は明治の昔から断固として男社会であり、元々男女
差が無かった教職とは大きく対照的にある。女性だから昇進できない、役職につけな
いという人事がいまだに存在し、確固として女性警察官は男性警察官のサポート役に
過ぎないという考えが根強い。全国警察官中20%を占める女性警察官のうち刑事部門
の職務にあるものは極めて少なく男性刑事99%に対し1%程度である。しかし、女性
独自の特性を生かした職務も一部導入され、性犯罪・幼児虐待事件などへの刑事事件
への捜査に積極的に女性捜査員を就かせて捜査に当たらせようとの動きも出ており今
後の活躍が期待されている。警視庁としては捜査一課の内部に女性捜査員のみで構成
される女性捜査班なるものが存在し、強姦事件専従班として活躍している。
 ……のだが、やはり何と言っても女性警察官といえば、交通課に尽きる。
「しかし、健児に不審を抱かせることなく磯部邸に張り込ませるには屋敷内勤務のメ
イドに扮装するしかありません。男性職員といえば料理人や庭師がいますが、これは
厨房や庭園が職場で、屋敷内を動き回れません」
「そうだな。メイドなら部屋から部屋へと自由に行き来できるが……全員女性という
ことになる」
「決断してください。必ず健児は動きます。公開遺言状の発表の日に、交通課女性警
察官を30名、屋敷にメイドとして配置させてください。さらにはもう一日、メイド
としての作法を覚えてもらうために、訓練日を儲けさせて頂きます」
「判った。交通課には私から協力を願い出よう」
「ありがとうございます」

 さすがに理解のある上司だった。
 例の生活安全局長とは、雲泥の差だ。
 まったく違う。

 磯部氏に遺言状の公開を健児に伝えてもらい、屋敷内に潜入させる女性警察官の手
配も済んだ。
 後は決行日を待つだけとなった。

 決行日の朝。
 目覚めたわたしは、身に引き締まる思いで、敬の運転する車で磯部邸へと向かった。
「ついに来るべき時がやってきたというわけね」

 わたしと敬の身の回りに起こったすべての元凶。

 麻薬取締りで磯部健児を追っていたあの頃から、一日として忘れたことはない。
 磯部親子がその毒牙にかかって、母親は死亡し響子さんは殺人で少年刑務所へ。
 それを追求しようとしたわたしと敬は、局長の策謀でニューヨークへ飛ばされて、
危うく命を奪われるところだった。
 そして、組織によって瀕死の重傷を負った命を救うために黒沢医師によって、移植
手術が行われ女性へと性転換された。
 日本に帰ってからは、生活安全局長の逮捕劇である。
 
「着いたぞ」
 運転席の敬が言った。
 磯部邸の車寄せに停車する。
 玄関から幾人かのメイド服を着た女性達が出てきた。
「巡査部長、遅いじゃないですか」
 と苦情を言いつけてきたのは、交通課の女性警察官だった。
 当初の計画通りに当屋敷のメイド達に成り代わって、今日の捜査に加わっていた。
「ごめんなさい。敬がなかなか起きなくてね」
「まさか、毎日起こしてあげてるのですか?」
「まあね……」
 敬は警察の独身寮住まいだった。
 基本的に独身警察官は独身寮に入寮するのが通例であった。
 それは女性も同様であるが、真樹のように家族と同居の場合は入寮することはない。
 敬の寮は、丁度真樹の実家から警視庁への途中にあるから、ついでに寄っていくの
であるが、公私共々夜更かしが多くていつも寝坊していることが多い。
「それで研修ははじめているの?」
「もちろんです」


11
性転換倶楽部/響子そして 帰宅(R15+指定)
2019.04.18


響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(二十三)帰宅

 祖父の迎えのリムジンで屋敷に向かうわたし。
 が……。なぜか里美が付いて来ている。
 わたしを迎えに来たリムジンを見て、乗り込んでしまったのである。
 どうしても資産家の祖父の屋敷を見たいとか言ってね。
 せっかく両親が迎えに来て水入らずの時間を楽しみにしていたろうに……。
 ともかく今夜一晩うちに泊めて、明日自宅にお送りするということにした。月曜代
休を含めて三連休なので、一日くらいならいいでしょう。
 里美は車内装備の冷蔵庫やらTVなどいじり回している。座椅子のクッションの具
合を確かめようとぴゅんぴょん跳ねたり、かと思ったら窓から首を出したりしている。
「里美、少し落ち着いたら?」
「だって、リムジンだよ。リムジン。一生に一度乗れるかどうかって車だよ」
 そんな里美の様子を、祖父はにこにこと微笑んで眺めている。
 二人が姉妹のように生活していることを聞いて、どうぞご一緒にと誘ってくれたの
である。
「ところでおじいちゃん、お父さんはあれからどうなったの?」
「ああ、愛人のところへ行ったのはいいが。所詮、金の切れ目が縁の切れ目。お母さ
んの財産援助がなくなって、愛人は別の金持ちの男へ鞍替えしたそうだ。酒に溺れた
あげくに急性アルコール中毒で死んだよ。馬鹿な男だ。血液違いで離婚訴訟に勝って
慰謝料を踏んだくるつもりだったんだろうが、お母さんの貞操が証明されて敗訴して
一文も手に入らなかったんだからな」
「以前から愛人を作っていたというのは、本当なの?」
「ああ、そうだ。裁判に勝つために、興信所で調べさせた。間違いない」
「そっか……」
「どうした、あんな奴に同情か?」
「ううん、ちっとも。お母さんの言う事を信じなかったのは、わたしも怒ってるから」
「おまえはお母さんっ子だったからな」
「そ、身も心もお母さん似だからね」
「そうだな……あんな奴に似ているところが一つもなくて良かったよ」
「一つだけあるよ」
「なんだ」
「血液型」
「ああ……仕方がないな……」
「でもわたしの子供はちゃんとしたのが産まれるよ。わたしの卵巣は、Bo型なんだ」
「そうか、奴の血が繋がっていないと考えれば、他人の卵巣というのもいいかも知れ
ないな」
 ゆるゆるとした坂道を登って行った丘の上。
 やがて屋敷が見えてきた。
「ねえ、ねえ。あれがそうなの?」
 里美が車窓から身を乗り出して尋ねた。
「そうよ」
「すごーい」
 花崗岩造りの荘厳な正門を通って広大な前庭から噴水ロータリーのある車寄せへ。
 里美は瞳を爛々と輝かせて雄大な屋敷を見上げている。
「迎賓館みたい!」
「お帰りなさいませ!」
 ずらりと並んだメイド達にびっくり顔の里美。
「すごいね」
 メイド達の中に見知った者はいなかった。
 執事だけが見知っている唯一の人物だった。
「お嬢さま、お帰りなさいませ」
 うやうやしく執事の礼をする。
 もちろん母親の顔を知っているので、母親似のわたしと来賓の里美を間違えるわけ
がない。
 どうやらわたしが性転換したことを知らされて、女性として扱う事を命令されてい
るようだ。そのためにもわたしが男だったことを知っている古参は暇をだされたよう
だ。
「お嬢さまだって……」
 里美が、わたしの小脇を突つきながら、囁いていた。
 そういえば、子供の頃はお坊ちゃまとか呼ばれていたような気がするが……。どち
らかというと、お嬢さまの方が響きが良いね。お坊ちゃまというのは成り金主義とわ
がまま坊主というイメージがあるけど、お嬢さまならどこか清楚でおしとやかな雰囲
気がある。
「そちらのお方は?」
「わたしの親友の里美よ。同じ部屋で一緒のベッドに寝るから」
 いつも一緒のベッドで寝ているし、別の部屋にすると戸惑うだろうとの配慮だ。
「かしこまりました」
「わたしのお部屋は?」
「はい。弘子様がお使いになられていたお部屋でございます」
 弘子とはわたしの母親だ。その部屋ということは、祖父に次ぐ最上位の部屋になる。
つまり正当なる後継者たる地位にあることを意味していることになる。
 一人のメイドが前に出てきた。
「紹介しておこう。響子専属のメイドの斎藤真樹くんだ」
「斎藤真樹です。よろしくお願いします。ご用がございましたら、何なりとお気軽に
お申しつけくださいませ」
 とそのメイドはうやうやしく頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく」
「響子、公開遺言状の発表は午後十時だ。ちょっとそれまでやる事があるのでな、済
まぬが夕食は里美さんと二人で食べてくれ。それまで自由にしていてくれ」
「わかったわ」
 そういうと執事と一緒に奥の方に消えていった。


11
性転換倶楽部/特務捜査官レディー 磯部京一郎(R15+指定)
2019.04.17


特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(五十一)磯部京一郎

 数年の時が過ぎ去った。
 特務捜査課の捜査員として、優秀なるパートナーである敬と共に、数々の麻薬・銃
器密売組織や人身売買組織の壊滅という業績を上げて、わたし達の所属する課も警察
庁の中でも確固たる地位を築き上げていた。
 相変わらずとして、若い女性と言う事で尾行や張り込みといった捜査には出しては
くれないものの、女性にしか携わることのできない事件には、囮捜査官として派遣さ
れることは少なくなかった。
 基本的に週休二日制をきっちりと取れることは、制服組女性警察官と同等であると
言えた。
 五日の勤務のうち一日は、麻薬取締官として目黒庁舎に赴くことになっている。

 その一方で例の響子さんは、黒沢先生の製薬会社の名受付嬢として新たなる生活を
はじめていた。
 性転換によって女性となったことによる戸籍の性別・氏名変更も滞りなく完了。
 倉本里美、渡部由香里という新たなる仲間も増えて、張りのある楽しい人生を謳歌
していた。
 闇の世界にも顔が利く黒沢先生のおかげで、彼女達は平穏無事に暮らしている。

 そんなこんなで、もう心配することもないだろうと考えていた矢先だった。

 その黒沢医師から、社長室に呼ばれた。

 そこには、見知らぬ老人が同席していた。
「紹介しよう。磯部京一郎さんだ」
 磯部?
「まさか、響子さんの?」
「祖父の磯部京一郎です」
 と、深々と礼をされた。
「あ、斉藤真樹です」
 あわてて、こちらもぺこりと頭を下げる。
「真樹さんは、麻薬取締官とお伺い致しました」
 突然、わたしの職業に言及された。
「はい。その通りです」
「実は、甥の磯部健児についてご相談がございまして」
 その名前を耳にして、わたしは全身が震えるような錯覚を覚えた。

 暴力団を隠れ蓑にして、その裏で麻薬・覚醒剤の密売をしている。
 響子さんが人生を狂わされた元凶の極悪人だ。
 そして、あの生活安全局長をも影で操り、わたし達をニューヨークに飛ばして抹殺
を企んだ黒幕。
 憎んでも飽き足りない、わたし達が日夜追っている張本人。

「おそらく健児についてのことはご存知かと思いますが……」
「はい。麻薬覚醒剤の密売をやってますよね」
「そうです。孫のひろし、いや今は響子でしたね。響子の人生を狂わした、殺してや
りたいぐらいの奴です」
 まあ、そう思う気持ちは良く判る。
 孫と甥とを比べれば、直系子孫の孫の方が可愛いのは当然だ。所詮甥などは、兄弟
の子供でしかない他人に近いものだ。
 その上、その可愛い孫を手に掛けたとなれば殺したくもなるだろう。
「その健児が再び響子を手に掛けるかも知れないのです」
 え?
 冗談じゃないわよ。
 せっかく平穏無事な幸せな暮らしを築いているというのに、再び健児の魔の手に掛
かることなんて絶対に許さないから。
「どういうことですか? 詳しく説明してください」

 それはこういうことだった。
 この磯部京一郎氏は、莫大なる資産を有しているという。
 その資産を、孫の磯部ひろし、つまり性転換し戸籍の性別・氏名も女性となった現
在の響子さんに、全額遺産相続させたい。
 ところが響子さんは、母親殺しという尊属殺人によって、法定相続人としての資格
を剥奪されている。
 どうしても響子さんに遺産相続させたい京一郎氏は、相続人指名を響子さんとした
公正証書遺言状を作成したらしい。
 しかし自分が死んで相続が発生した時点で、相続問題で親族間に紛争が起きること
を懸念した氏は、親族一同を集めて遺言状の生前公開をすることを決定した。響子さ
んに遺産の全額を相続させることを、親族に明言し納得させるためにである。
 しかし、京一郎氏の甥である、あの極悪人の磯部健児が、黙って指を加えているわ
けがない。
 響子さんが遺産相続人となれば、本来自分が遺産相続できるはずだった法定相続額
の全額がなくなってしまう。被相続人の甥には遺留分は認められていないからである。
 かつて娘の弘子、つまり響子さんの母親を、覚醒剤の密売人を使って手篭めにし、
その所有資産を暴力団を使って巧妙に搾取してしまったという。
 再び同じような手を使って、響子さんを謀略に掛けて陥れ、その相続した資産を独
り占めにするのは目に見えている。
 何とかして健児の魔の手から響子さんを救いたい。
 そこで、日頃から面識のあった闇の世界にも顔が利く製薬会社社長にして産婦人科
医師の黒沢英一郎氏に相談に来たというのだった。

「……というわけだ。真樹君、何とか協力になってあげられないか」
 命の恩人の黒沢医師に頼まれたら断れるわけがない。
 幸せに暮らしている響子さんとは関わりたくなかったけど、そうもいかなくなった
らしい。
 あの健児を放っておく訳にはいかないからだ。
 奴を野放しにしていると、響子さんを手に掛けるのは間違いない。これ以上彼女を
悲劇に合わせるわけにはいかない。
 奴にはそろそろ幕をひいてもらうとしよう。
「もちろんです。健児にはいろいろと世話になっていますからね。何とかして監獄送
りにしたいと思っていますから」
「そう言ってくれると助かる。麻薬取締官としての君の協力が得られれば、健児を挙
げることができるだろう」
「お願いいたします」
 京一郎氏が頭を下げた。


11

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