妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の捌
2019.06.28


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪


其の捌 惨劇


 その頃。
「美咲、いつまで閉じこもっているの?」
 返事はない。
 美咲の部屋の前で、ノックしつつ中の様子を探る母親。
 勝手に入ったりすると、非常に不機嫌になる娘なので注意している。
 しばらく待つが、一向に返答はなかった。
「入るわよ。いいわね」
 ドアノブに手を掛け、少しずつドアを開ける。
 照明の灯っていない薄暗い部屋の中。
「美咲?」
 美咲はいなかった。
「出かけたのかしら……」
 物音一つしない部屋には静寂が漂っていた。
 まるですべての音を、机の上の壺が吸収しているみたいだった。
「何あれ?」
 女子高生の部屋には場違いとも言うべき問題の壺に気が付く母親。
 壺に近づいてゆく。
 土くれが所々に付着して汚れが酷い。
「何これ、汚いわね……」
 土の中から掘り出したままの状態のようであった。
 壺の中身を確認しようと手を掛け蓋を開ける。
 その瞬間に、強烈な腐臭が辺り一面に広がる。
「うう、何これ!」
 あまりの匂いに、堪らず蓋を閉める。
 壺の中は、蓋を開ける前には酸素を使い果たして腐敗が止まっていて匂いも治まって
いたはずだが、蓋を開けたことによって空気と水蒸気が入って、再び腐敗が進んだとい
うところだ。
「どこから持ってきたのかしら」
 背後で音がする。
「お母さん、何しているのよ」
 振り返ると美咲が帰ってきていた。
「勝手に入ってこないでって言っているでしょ」
 その制服姿は乱れており、何より両手に付着した赤い汚れ。
 明らかに血液かと思われる。
 そして右手にはキラリと輝く刀子。
「おまえ、それ……」
 と、言いかけたその表情が歪む。
 胸元にはぐさりと突き刺さった刀子。
 力尽きたように美咲に寄りかかる。
 身動きしなくなった母親を、ヒョイと軽々と肩に抱え上げる。
 やおら窓際に寄りガラリと開けると、外の闇へと飛び出した。


妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の漆
2019.06.21


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪


其の漆 夢遊病

 夜が明けた。
 神田美咲の自室。
 パジャマ姿でベッドの縁に腰かけて、呆然としている美咲がいる。
 べっとりと血に染められた手のひら。
「どうして……」
 何がなんだか、自問自答してみても何も思い出さない。
 昨夜、一体何があったのか?
 洗面所で血を洗い流してみるが、自分自身には何の傷もなかった。
 どこで血が付着したのか、まるで記憶になかった。
 ベッドに戻り、その上に膝を抱えるように(体育座り)固まったように動かなかった。

 その日の阿倍野女子高校の一年三組の教室。
 授業中、一つの机が開いていた。
 神田美咲の席で、これまで無遅刻無欠席の優良児だった。
「これで三日か……珍しいな、神田が休むなんて」
 土御門弥生担任の声に、教室内がざわめく。
「逢坂さん」
「はい?」
「家が近くだろう、ちょっと様子を見に行ってくれないか」
「分かりました」
 ということで、神田家を訪れた蘭子。
 大人なら病気見舞い品片手にというところだろが、高校生なのでそこまで気を遣うこ
とはないだろう。
 そもそも病気を知ってすぐでは失礼にあたる場合があるから、とりあえず様子を聞く
だけである。
「それがねえ、部屋に閉じこもったまま出てこないのよ。食事時間に呼びかけても返事
はないし……」
 来訪を受けて、玄関先に顔を出した母親が、困り切ったように答える。
「病気とか怪我とかじゃないみたいだから……。誰かに虐められたとか?」
 逆に問いかけられる。
「それはないと思いますよ。友達受けする性格みたいですから」
「そうですか……。年頃だし、そっとしておいて欲しいのです」
「分かりました。学校側には、そのように伝えておきます」
「よろしくお願いいたします」
 深く腰を折って哀願する。
 蘭子も挨拶を交わして神田家の門を出る。
 ふと仰げば、日も落ちて暗がりが覆い始めた空の下、美咲の窓には明かりは灯らない。


 逢魔が時。
 読んで字のごとく、妖怪や幽霊など怪しいものに出会いそうな時間帯。
 黄昏れ時、暮れ六つ、酉の刻とも言う。
 日が暮れて周りの景色が見えづらくなるくらい薄暗くなってきた状態をいう。
 季節にもよるが午後六時前後である。

 行き交うパトカーの群れ。
 新たな被害者。
 現場検証の陣頭指揮を執るしかめっ面の井上課長。
 その傍には携帯電話で呼び出された蘭子もいる。
 毎度のことながら、民間人(それも女子高生)を現場に立ち会わせることに懐疑的な
同僚もいるが、現場責任者である課長の意向には逆らえない。
 科学捜査が一般的な日本警察においては、陰陽師の手を借りるということはあり得な
いことだった。
「内臓を持ち去る理由がさっぱり分からん」
 事件が起こるたびに、つい口に溢(こぼす)してしまう井上課長だった。


妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の陸
2019.06.14


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪(金曜劇場)


其の陸 遭遇

「きゃあ!!」

 暗闇の彼方で悲鳴が起こった。
「あっちか!」
 悲鳴のした方角へと走り出す蘭子。
 やがて道端に蠢く人影に遭遇した。
 女性を背後から羽交い絞めして、人通りのない路地裏に引き込もうとしていた。
「何をしているの!」
 蘭子の声に、一瞬怯(ひるむ)んだようだが、無言のまま手に持った刀子で、女性の
首を掻き切った。
 そして女性を蘭子に向けて突き放すと、脱兎のごとく暗闇へと逃げ去った。
 追いかけようにも、血を流して倒れている女性を放っておくわけにはいかない。
「誰かいませんか!」
 大声で助けを呼ぶ蘭子。
 巫女衣装で出陣する時は、携帯電話などという無粋なものは持たないようにしている
からである。
 携帯電話の放つ微弱な電磁波が、霊感や精神感応の探知能力を邪魔するからである。
「どうしましたか?」
 先ほどすれ違った警察官が、蘭子の声を聞きつけて駆け寄ってきた。
「切り裂きジャックにやられました」
 地面に倒れている被害者を見るなり、
「これは酷いな。すぐに本部に連絡して救急車を手配しましょう」
 腰に下げた携帯無線で連絡をはじめる警察官。
「本部の井上警視にも連絡して下さい」
「わかりました」

 押っ取り刀で、井上課長が部下と救急車を引き連れてやって来る。
 被害者は直ちに救急車に乗せられて搬送されるとともに、付近一帯に緊急配備がなさ
れる。
 現場検証が始められる。
 その傍らで、蘭子に事情を聴く井上課長。
「犯人の顔は見たかね」
「暗くて見えませんでしたが、逃げ行く後ろ姿から若い女性でした。
「女性?」
「はい。確かにスカートが見えましたから」
「そうか……」
 と、呟いて胸元から煙草を取り出し、火を点けて燻(くゆ)らす。
 いつもの考え込むときの癖である。
「発見が遅れていれば……」
 これまでの犯行通り、腹を切り開かれて子宮などの内蔵を抜き取られていただろう。
「心臓抜き取り変死事件では、動機ははっきりしていたが、今回の犯人の目的は一体何
なんだ?思い当たることはないかね、蘭子君」
「はっきりとは言えませんが、やはり胞衣壺(えなつぼ)が関係しているのではないで
しょうか」
「建設現場から持ち去られたというアレかね」
「こんかいの事件は【人にあらざる者】の仕業と思います」
「スカートをはいた魔人だというのか」
「人に憑りついたのでしょう」
「まあ、あり得るだろうな」
 一般の警察官は【人にあらざる者】の存在など考えもしないだろうが、幾度となく対
面した経験のある井上課長なら信じざるを得ないというところだ。
 もっとも、表立って公表できないだけに配下の力は借りずに、大抵自分一人と蘭子と
の共同捜査になっている。
「これ以上ここにいても仕様がないので帰ります」
「部下に遅らせるよ」
「一人で帰れますよ」
「いや、犯人に顔を見られているかも知れないだろう。後を付けられて襲われるかもし
れない。そもそも女子高生を一人で帰らせるにはいかん」
「なるほど、ではお願いします」
 ということで、覆面パトカーに乗って帰宅する蘭子だった。

妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の伍
2019.06.07


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪


其の伍 神田美咲


 時を少し遡った、小雨降る夜。
 解体作業現場を、折しも通りがかった女子高生。
 整地された一角がぼんやりと輝いているのに気が付いた。
 なんだろう?
 と、歩み寄ってみると、土くれの付いた古い壺が顔を出していた。
「壺?」
 壺が怪しく輝いて少女の顔を照らす。
 やがて壺を取り上げると、何事もなかったように、現場を立ち去っていった。

 とある一軒家
 門柱に「神田」という文字が彫られた表札が掛かっている。
 壺を抱えたまま、その家に入る少女。
 少女の名前は、神田美咲。
 阿倍野女子高等学校の生徒である。
「お帰りなさい、美咲」
 という母親の声にも応答せずに、無言で二階へと上がり自分の部屋へ。
 大事そうに抱えていた壺を、そっと机の上に置いた。
 そして蓋に手を掛けるとすんなりと壺は開いた。
 建設現場ではどうしても開かなかったのに。
 中にはキラリと輝く刀子(小刀)が入っていた。
 普通なら錆び付いていただろうが、密閉した容器の中で胎盤などの腐敗(好気性菌に
よる)が先に進んで、中の酸素を消費してしまって、刀子の酸化が妨げられたのであろ
う。
 刀子は不気味に輝いており、じっと見つめる美咲の顔を照らす。
 やおら刀子を取り出し、刃先を左手首に当てると、躊躇なく切り刻んだ。
 ボトボトと流れ出る血を受け止めて、壺はさらに輝きを増してゆく。
 やがて壺の中から正体を現わした怪しげな影は、しばらく美咲の周りを回っていたが、
スッと美咲の身体の中に消え入った。

 最初の殺人事件が発生したのは、それから三時間後であった。

 数日後の夜。
 巫女衣装に身を包んだ蘭子が歩いている。
 怪しげな気配を感じ取って出てきたというわけだ。
 その胸元には御守懐剣「長曾祢虎徹」が収まっており、臨戦態勢万全というところだ。
 時折警戒に当たっている刑事に出会うが、
「巫女衣装を着た人物の邪魔をするな」
 という井上課長のお達しが出ているらしく、軽く敬礼すると黙って離れてゆく。
*参考 血の契約
 突然、胸元の虎徹が微かに震えた。
「つまり魔のものということね」
 魔人が封じ込められている虎徹は、魔物に対してのみ感応する。
蘇我入鹿の怨霊事件』のように、魔人が怨霊を招き寄せる場合もあるし、人に取りつ
く場合もある。
 魔と霊と人、それぞれに対処できるように体制を整えておかなければならない。

 魔には虎徹。
 霊には呪符や呪文。
 人には合気道などの武道で、自らが戦う。

 虎徹を胸元から取り出して手前に捧げ持って、一種の魔物探知レーダーを働かせた。
 よく画家が鉛筆を持って片目を瞑り、キャンバスと鉛筆を見比べる仕草を取るアレで
ある。
 その態勢で、ゆっくりと周囲を探索しながら、反応の強い方角へと歩いていく。

妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の肆
2019.05.31


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪(金曜劇場)


其の肆 胞衣壺

「被害者は女性ばかりです。いかに夜とはいえ、ズタズタに切り裂いて内蔵を取り出す
には時間が掛かります。にも関わらず目撃者が一人もいない」
「察するに犯人は【人にあらざる者】ではないかと仰るのかな?」
 春代が意図を読んで尋ねた。
「その通りです」
「して、わざわざご足労なさったのは……」
「もちろん、蘭子さんのお力を頂きたいと」
「だろうな」
 春代と課長の会話を耳にしながらも、怪訝な表情をしている蘭子。
「どうした? 蘭子」
「実はですね。今回の事件と関連がありそうな出来事がありました」
「それはどのような?」
 井上課長が身を乗り出すようにした。
 蘭子が思い起こしたのは、先日の地鎮祭の出来事だった。
 胞衣壺が掘り起こされて持ち去られた日の翌日に、最初の切り裂き事件が起きていた。
「えなつぼ……それは、どんなものですか?」
「【胞衣(えな)】とは胎盤のことじゃて、それを入れるつぼだから【胞衣壺】とい
う」

 昔の日本(平安・奈良時代)では、胎盤を子供の分身と考えて、大切に扱う風習があ
った。
 陶器製の壺に胎盤を入れ、筆・墨・銅銭そして刀子(とうす・小刀)を一緒に納めて
地中に埋めていた。
 これらの品々は、当時の役人の必需品で、子供の立身出世を願うためである。
 人にたくさん踏まれるほど、子供がすくすく成長すると考えられて、人通りの多い間
口や土間に埋められることが多かった。
 大きさは、口径12cm・高さ16cmのものから、口径20cm・高さ30cmく
らいのものが多く出土している。

「昔の風習じゃて、今では廃れてしまっておるなあ。せいぜい戦前までのことじゃて」
 刀子という言葉を耳にして、糸口が一つ解明したような表情をする井上課長。
「その刀子の長さはどれくらいのものでしょうか?」
「そうさな……壺の大きさにもよるが、五寸から一尺くらいじゃのお」
 春代は古い尺貫法に生きる世代である。
 すかさずメートル法に言い直す井上課長。
「15cmから30cmですね」
 井上課長の脳裏には、殺人の凶器として十分な長さがあるな、という推測が生まれて
いることだろう。
 銃刀法では、刃渡り6cm以上の刃物は携行してはならないと、取り締まっている。
「刀子は、そもそも魔除けの意味があります。葬式でのご遺体に守り刀を持たせるのと
同じです」
 *参照=蘇我入鹿の怨霊
「さて、そろそろ本題に入ろうかのう。刑事さんよ」
 井上課長の来訪目的を訪ねる春代。
 これまで長々と、時候の挨拶よろしく話していたのだが……。
「はい。単刀直入に言います。連続通り魔殺人事件の捜査協力をお願いに参りました」
「なるほど、陰陽師としてのご依頼かな?」
「その通りです」
「ほほう。うら若き娘に殺人犯の捜査に加われと?」
 春代は高齢のため、陰陽師の仕事はすべて蘭子が請け負っている。
 もちろん井上課長とて承知である。
 蘭子には、陰陽師としての仕事以外にも、女子高校生としての勉強も大切である。

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