妖奇退魔夜行/蘇我入鹿の怨霊 中編
2020.11.16

陰陽退魔士・逢坂蘭子/蘇我入鹿の怨霊


其の拾 七星剣


「物事には必ず表と裏、光(陽)と影(陰)があるように、実は二振りの七星剣があっ
たのです。表の七星剣は東京、そして裏の七星剣は四天王寺の地下宝物庫に人知れず封
印されていたのです」
「封印されていた?」
「はい」
「実は、裏の七星剣には蘇我入鹿の怨念が封じ込まれていたのです」
「蘇我入鹿?ですか……蘇我入鹿首塚の怨霊伝説なら聞いたことがありますが」
「蘇我入鹿を斬首した剣が、この裏の七星剣だという説話が残っています」

 蘇我氏の怨霊ということなら、この四天王寺に伝承されていても不思議ではないだろ
う。
 崩御した推古天皇の後継者争いで、四天王寺を建立した聖徳太子の子、山背大兄王を
暗殺したのが蘇我入鹿である。


 欽明天皇の頃、崇仏派の蘇我氏一族と、排仏派の物部氏・中臣鎌足連合が争った。
 用明天皇崩御の後、継承争いとなり、穴穂部皇子を皇位につけようとした物部守屋に
対し、炊屋姫(後の推古天皇)の詔を得て、穴穂部皇子を誅殺し、さらに物部守屋の館
に討ち入ってその首を捕った。
 以降物部氏は没落することになる。

「蘇我入鹿首塚はご存知でしょう」
「はい。板蓋宮大極殿で中臣鎌足によって斬首された入鹿の首が620mほど南のかの地ま
で飛び、住民が手厚く葬ったという伝説によるものですね」
「その通り。葬られたものの入鹿の怨念は凄まじく、夜ごと奈良に現れ民を苦しめたと
いう。そこで陰陽師が招聘されて、入鹿の怨念を一つの剣に封じ込めたという。その剣
が、この裏の七星剣のもう一つの説話なのです。どちらにしても入鹿の怨念が籠ってい
たのは確かなようです」
「七星剣に入鹿の怨念が封じ込まれていたとしたら、その怨念を解き放って悪しき呪法
とすることができるでしょう」
「何か心当たりがあるのですか?」
「まだ何とも言えませんが、呪法が使われたと思われる事件がありました」
「それは困りましたね。何かお手伝いできることがあればおっしゃってください。出来
るものなら何でもご協力します」
「ありがとうございます」

 宝物庫から出てくる一行。
 住職は再び呪法を掛け直して扉を密封している。
 その作業を見ながら春代が尋ねる。
「これからどうする?」
「明日、明日香村に行ってみようと思います。何か手掛かりが見つかるかも知れません
から」
「そうか、そうすると良い」
「七星剣を盗んだ犯人は、妖魔か陰陽師の疑いが強いですね。例の石上直弘一人では、
この所業は不可能でしょう。
「つまり石上の背後で操っている物がいると?」
「はい」

 奈良行きを井上課長に伝えると、
「待て!私も着いて行こう。君一人を行かせる訳にはいかない」
 と、同行を求めた。


其の拾壱 飛鳥寺にて


 飛鳥の代表的なお寺の一つが飛鳥寺である。
 ここは596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺で、寺名を法興寺、元興
寺、飛鳥寺と変遷し、現在は安居院(あんごいん)と呼ばれている。奈良市にある元興
寺は平城遷都と共にこのお寺が移されたもの。
 このお寺はひっそりと建っているが、近年の発掘調査では、東西200m、南北300m、
金堂と回廊がめぐらされた大寺院であったようです。現在の建物は江戸時代に再建した
講堂(元金堂)のみを残す。
 又ここは大化の改新を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が、有名な蹴鞠会で最初出会っ
たと伝えられ、蘇我入鹿を天皇の前で暗殺して大化の改新となる。

 〒634-0103 高市郡明日香村飛鳥682
 近鉄橿原神宮駅下車→岡寺前行バス10分→飛鳥大仏下車
 又は、近鉄橿原神宮駅下車 徒歩40分
 拝観料大人300円
 駐車場料金 普通車500円
 飛鳥大仏は写真撮影可能


「着いたぞ、飛鳥寺だ」
 駐車料金500円を払って、飛鳥寺に入場する二人。
 併設の駐車場は有料であるが、7分歩いたところには県立万葉文化館無料駐車場(普
通車110台収容)もある。
「拝観料は300円ね」

 飛鳥寺(安居院)の西門から西へ100m程度行ったところ、飛鳥川との間にある五
輪塔が蘇我入鹿の首塚といわれている。
 高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴で
ある。
 田畑の真ん中にこじんまりと安置されていて、入鹿塚だと言われなければ気が付かな
い。
 主な観光ルートには入っておらず、蘇我入鹿に興味ある熱心な歴史探訪家くらいしか
訪れることはない。

 
蘇我入鹿首塚のストリートビュー


 一通り首塚を調べる蘭子。
「その下に蘇我入鹿の首が埋葬されているのか?」
「伝承ではそういうことになっています」
「仮に埋葬されたとしても、後世のものによって掘り返されているだろうな」
「ありえますね」


「そろそろ飛鳥寺に戻りましょうか」
「うむ……」
飛鳥寺正門
 正門の「飛鳥大佛」と刻印された石碑の前で、
「記念写真撮りましょうよ」
 と、同意を求める蘭子。
 記念写真となれば、立っている所がどこであるかが明確に特定できる場所が最適であ
ろう。
「観光に来たのではなくて、捜査のために来たのだが……」
「いいから、いいから」
 背を押して石碑の傍に立たせるようにして、自分も隣に寄り添う。
「すみませーん。シャッター押して頂けますかあ」
 通りかかった観光客にスマートフォンを手渡してお願いする。
「いいですよ」
 観光客も快く引き受けてくれる。
「あ、このボタンを押してください。シャッターが降りますから」
 今時の若者にはスマートフォンの扱いなど朝飯前である。
「いいですか?撮りますよ」
「お願いしまーす」
「はい、チーズ」
 と、ピースサインを出す蘭子。
「はい。撮れましたよ」
 スマートフォンを返してくれる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
 旅は道連れ世は情け、見知らぬ他人とて助け合うことができるというものだ。
 手を振って別れる観光客。

「次はどこへ行く?」
「蘇我入鹿が殺されたといわれる『飛鳥板蓋宮跡』に行ってみましょう」
「何かあるのかね?」
「いえ、何もありません」


其の拾弐 新事実発覚


 というわけで、飛鳥板蓋宮跡へやってきた二人。
「GPSナビがなきゃ、こんな辺鄙なところ来れないですね」
「まったくだな……。ド田舎の畑のど真ん中、こんな所に何の手掛かりがあるか……だ
な」
「まずは行動を起こすこと。捜査のいの一番ではなかったですか?」
「そりゃそうだが……」
「ここで蘇我入鹿が惨殺されたのです」
「何か感じるかね、怨霊とか」
「いえ、何も感じません」
「しかし、案内看板が一つあるだけで、本当に何もない所だな。建物一つない、休憩所
なり日陰となるものを作れば良いのに」
「観光地というよりも歴史的遺構という位置付けなのでしょうね」

飛鳥板蓋宮跡

 皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)
 三韓(新羅、百済、高句麗)の使節の進貢に伴い、三国調の儀式が行われることにな
り、皇極天皇が飛鳥板蓋宮の大極殿に出御することとなった。
 従兄弟に当たる蘇我倉山田石川麻呂が上表文を読み上げていた際、肩を震わせていた
事に不審がっていた所を中大兄皇子と佐伯子麻呂に斬り付けられ、天皇に無罪を訴える
も、あえなく止めを刺され、雨が降る外に遺体を打ち捨てられたという。


 一応の調査を終えて、その夜の旅館へ。
 旅費の都合もあり、親子ということにして同部屋に泊まる二人。
「宿賃……本当にいいんですか?」
「もちろんだ。捜査費用として落とせるから」

 なにやら、旅館設置のTVとスマホを接続している蘭子。
「何をしている」
「スマホの画像データをこのテレビで拡大して観るの」
 次々と画像データをテレビに映している。
 来場客に頼んで撮ってもらったピース写真から次の写真に切り替えようとしたとき、
何気に見つめていた井上課長が声を上げた。
「ちょっと待て!」
「な、なに」
「その写真だ!」
「このピースしている写真?」
「違う!後ろの正門料金所の脇に立ってこちらを見つめている人物だ!」
「後ろ?」
「拡大できないか?」
「できますよ」
「やってくれ」
 何が何だか分からないが、言われたとおりにする蘭子。
「こ、こいつは!」
 拡大された画像に驚く二人。
 京都文化博物館で、金城聡子に言い寄っていた、あの石上直弘であった。
「後をつけてきたのか?」
「たまたま行動が一致したのかも。蘇我入鹿の怨霊が関わっているなら、明日香村へと
帰着するのが自然ですから」
「そうか……」
 としばらく考えていた井上課長であったが、
「この写真データを、府警本部の俺のパソコンに送りたいのだが、できるか?」
「メールアドレスが分かればできます」
 といいながら画像データを送信する操作を行ってから、
「どうぞ、メールアドレスを打ち込んで頂けますか」
 とスマホを渡すと、一心不乱にアドレスを打ち込んで、
「よし、送信!と」
 スマホを返してから、さらに自分の携帯を取り出して連絡を取っている。
「ああ、井上だ。今、俺のパソコンにメールで画像を送ったから至急見てくれ。大至急
だ」
 どうやら大阪府警に電話を掛けているようである。
「見たか?俺の後ろの方に映っている人物をよく見てくれ」
「そうだ。その通りだ。至急、奈良県警に合同捜査本部の設置を要請してくれ」
 電話を切りパタンと折りたたんで尻ポケットにしまう。
「なんとなく背景が見えてきたというところかな」
「動き回った甲斐がありましたね」
「うむ……明日から忙しくなるな」
「わたしは学校がありますから帰りますけど、課長はどうしますか?」
「ともかく奈良県警に協力してもらうために県警本部へ行くよ」


其の拾参 怨霊出現


 その夜。
 寝静まった室内に怪しげな光が浮かび上がった。
 気配を感じて、枕元の御守懐剣に手を伸ばす蘭子。
 怪しげな光は、その姿をさらにくっきりと現しはじめる。
「課長!起きてください」
 隣に寝ている井上課長に声を掛けるが応答はなく、ブルブルと痙攣している。
 明らかに呪詛を掛けられているようだった。
「虎徹、課長を守ってあげて」
 というと御守懐剣を課長の胸元に差し込んだ。
 やがて御守懐剣が輝きはじめて、そのオーラが井上課長を包み込み始めた。
 しだいに苦しみから解放されて安息の域に入っていく。
 御守懐剣である長曽弥虎徹は魔人が封じ込まれており、【魔の者】に対しては絶大な
る威力を発揮するが、【霊なる者】に対してはほとんど効力を持たない。
 それでも身を守る程度なら【霊なる者】相手でも効果があるようだ。
 井上課長の安全が確保されたのを見て、改めて侵入者と対峙する蘭子。
「さて、何者?」
 と問われて答える相手ではない。
 すでに相手は全体の姿を現していた。
 見た目、奈良時代の衣装を身に纏っている。
 蘇我入鹿の怨霊を使った外法、ないしは口寄せ術の類か。
 外法とは、髑髏(どくろ・しゃれこうべ)を使った妖術のことだが、入鹿の怨霊が封
じ込まれた七星剣があれば代用も可能であろう。
 虎徹が手元にない不利な条件下にあるが、怨霊相手の戦法はいくらでもある。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
 独股印を結んで口で「臨」と唱え、順次に大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、
内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印と印を結ぶ。
 さらに、不動明王の真言を三回唱える。

「ノウマクサンマンダ バザラダンセンダ
 マカロシャダ ソワタヤ
ウン タラタ カン マン」

 四縦五横に右手刀を切りながら、
「臨める兵、闘う者、皆陣列の前に在り!行、満、ぼろん、勝、破!」
 と手刀を前に突き出すと、九字印が怨霊に向かって飛んで行く。
 怨霊がひるむその瞬間、懐から呪符を取り出して、
「さまよえる魂よ、浄土へと成仏させたまえ!」
 と唱え奉る。

 やがて怨霊は、静かに退散していった。

 呼吸を整えながら、
「オン アビラウンケン ソワカ」
「オン キリキャラ ハラハラ フタラン バソツ ソワカ」
「オン バザラド シャコク」
 九字印の終了の儀式を行う。

 井上課長を見る。
 どうやら無事のようだ。
 胸元の御守懐剣を取り外し、起こそうかと思いつつも、まだ草木も眠る丑三つ時だ。
 朝まで寝かせておこう。
 外法を使ってきたということは、
「どうやら手出しはするなという警告のようね」


其の拾肆 新たなる事件


 翌朝。
 事の詳細を告げられた井上課長は、
「なぜ、起こしてくれないんだ」
 と、憤慨しつつも自分では役に立たなかったであろうことも良く分かっていた。
「何にせよ。向こうからも動いてきたということか」
「こちらが動けば、相手も動く。犯罪捜査のイロハですね」
 その時、井上課長の携帯が鳴った。
「ああ、私だ……なに、本当か!早速県警に……迎えに来る?分かった、ここで待てば
良いのだな」
 どうやら事件発生のようである。
「どうしましたか?」
「首切り事件が発生したよ」
「この奈良の地で?」
「ああ、奈良県警から迎えのパトカーが来るから、それで現場に急行する」
「昨夜の呪術者の仕業かも知れませんね」
「かもな。というわけで、君には帰らないで、もうしばらく同行してくれないか?」
「わかりました」
「学校の方には連絡させるよ。警察の協力ということで、出席扱いにしてもらう」
「ありがとうございます」

 井上課長がチェックアウトと宿代の支払いをしている間に、土産物屋で買い物をする
蘭子。
「これでいいかな」
 と、手にしたのはごくありふれた、お守り。
「五百八十円になります」

 そうこうするうちに、奈良県警のパトカーがやってくる。
 そのパトカーに乗って現場に向かう二人。
 課長の車は、別の警察官が運転して付いてくることになった。
 パトカーの中で、買ったお守りに呪法を掛けている蘭子。
「何をしているの?」
「お守りに護法を掛けています」
「護法?」
「昨夜のこともありますから、課長の身を守るためのお守りです。はい、どうぞ」
 というと、護法を掛けたばかりのお守りを手渡した。
「お守りねえ……」
 受け取り、しばらく見つめていた。
 釈然としない表情ではあったが、胸内ポケットにしまう課長であった。
 変死とか怨霊の仕業としか思えない事件を扱い、怨霊とも直に目にしてきただけに、
「非科学的な!」
 とは言い切れない心情になりつつあった。


其の拾伍 奈良県警綿貫警視


 事件現場に到着する。
 
 物々しい雰囲気の中、現場検証が執り行われている。
 その中にあって、忙しく指図する人物がおり、現場責任者だと思われる。
 野次馬を掛け分けて、その人物に近づく井上課長。
「よお、おまえが担当か」
「なんだ、井上か」
 馴れ馴れしい挨拶を交わしているところをみると、どうやら顔なじみらしい。
 大阪府警と奈良県警では交流の機会はないだろうが。
「研修以来だな」
 国家公務員採用Ⅰ種試験合格者(キャリア)で警察庁に採用された者が、警部補に任
命された際に初任幹部科研修が行われる警察大学校の同期生というところか。

 蘭子に気が付いて、
「その娘は?」
「ああ、私の臨時助手だよ」
「見たところ高校生くらいのようだが……」
「学校側には許可を取っている」
「やはり高校生か、大丈夫なんだろうな」
「それは保証する。その辺の刑事より役に立つよ」
 というところで、お互いに紹介しあう。
「奈良県警刑事部捜査第一課の綿貫警視です」
「摂津土御門流派の陰陽師、逢坂蘭子です」
「陰陽師?君がか!?」
 さすがに驚くのも無理がない。

 奈良県警本部。
 連続殺人事件特別捜査本部が設置され、捜査本部長には県警本部長が任命され、副本
部長・事件主任官・広報担当官・捜査班運営主任官・捜査班長・捜査班員という編成で
運営されることとなった。
 なお一段下の「捜査本部」の捜査本部長は、県警本部長が任命する。

 綿貫警視は捜査班運営主任官として、事実上の捜査責任者となった。
 井上課長も応援要員として誘われたが、自身の大阪府警の捜査責任者でもあるので、
配下の警部補なりを向かわせることで落ち着いた。
「他県の者から指示命令されるのがウザいか?」
 とは綿貫の弁である。
 井上課長としては、蘭子との協力捜査に力を入れており、科学捜査が基本の奈良県警
とは一線を画す必要があるからである。

 まずは捜査線上に上っている石上直弘は、写真と共に公開指名手配となった。


其の拾陸 石上神宮(いそのかみじんぐう)


 騒々しい特捜本部を後にして、独自捜査をはじめる蘭子と井上課長。
 石上直弘については、捜査本部でも未だに詳細が掴めていないようだ。
 蘭子と井上課長は、独自に捜査を続けることにした。
「さてと我々は、次にどうするべきかな?」
「そうですねえ、石上神宮へ行きましょう」
「石上神宮?」
「おそらく石上直弘は、物部氏の後裔にあたる石上神社宮司に繋がる血統だと思われま
す」
「そうか。では行ってみることにしよう」

石上神宮

 というわけで、石上神宮に到着する。
 日本書紀に、伊勢神宮と共に記載のある由緒ある古き神社である。
 当時の豪族だった物部氏の総氏神であり、拝殿をはじめとして国宝も多い。
 境内に入ると”神の使い”ともいわれる人懐っこい鶏がたくさんいる。
「おみくじがありますよ。占ってみましょう」
 御神鶏(ごしんけい)みくじ、400円である。
 目ざとく見つけた蘭子が早速、おみくじを引いている。
 捜査中だというのに、こういうことにちゃっかりとした行動を取るのは、やはりまだ
まだ高校生盛りというところである。

 石上神宮おみくじ 第十八番 大吉
 ・運勢 思う事思うがままに為し遂げて思う事なき家の内かな
   目上の人の思いがけぬ引き立てありて心のままに謳い、
   家内睦まじく暮らせる大吉の運なり。色を慎み身を正して
   目上の人を敬い目下の人を慈しめばますます運開く。
 ・神道訓話 敬神の前途に光明あり。神様の御蔭は拝めば知れる、
  甘い酸いは食べて知る。
   橙の酸っぱさ、柿の甘さも食べて初めて真の味がよくわかる。
   神様の有難さも拝んだ者でなければわからぬ。
   温かい神様の御蔭を受けたければ心正してまず拝め。
 そして、願望・待人・仕事・学業などなどの運勢が記されている。

「やったあ!大吉よ」
「これじゃあ、捜査に来たのか、観光に来たのか……」
「意外とこれ、当たるんですよ」

 さらに拝殿の前で拝礼する蘭子。
 土御門神社の巫女でもある彼女には、一応の礼儀を尽くすのが自然だろう。
 二拝、二拍手、一拝が一般的な礼儀作法である。
 拝とは、お尻を後ろに引くような感じで腰を90度に折り、この際手は膝の上のあた
りに置く。
 続いて、二回拍手で、手の高さは胸の高さ。
 拍手を打つ意味は、自分が素手であること、何の下心もないことを神様に証明するた
め。身元、祈願内容などを心の中で神さまに述べ、拝礼の間は心を込めて神さまに感謝
しながら祈念する
 終わったら手をおろし最後の一拝。深くお辞儀をして終了。


 さて、神社では当然、神にお願い事をすることがあるだろう。
 神社で祈るとき、合掌しながら心の中で何を言えばいいか。正しい祈り方をご紹介し
ます。

 まずは住所・氏名を伝えます。

 はじめにあなたが誰なのかを伝えます。この「個人」の特定は神さまにとって重要で
す。せっかく家族の健康を祈っても誰の家族かわかりませんよね?
 あなたが誰なのか住所と氏名を神さまに伝えてください。名乗るのは礼儀でもありま
す。

 参拝できたことへの感謝を伝え、願いを一つお伝えします。
「参拝させていただき、ありがとうございます」など感謝を伝えましょう。

 その後に願い事を使えますが、あれこれ伝えるのではなく、お願いごとはひとつだけ
にしてください。

 祝詞とよばれる神道の祈の言葉を唱えます。

「はらいたまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」
意味は「罪、穢(けがれ)をとりのぞいてください。神さま、どうぞお守りお導きくだ
さい」です。「はらいたまえ きよめたまえ」だけでも大丈夫です。



 今の蘭子の祈ることは一つ。

「大阪市阿倍野区阿倍野元町1-◯番地」の逢坂蘭子です。参拝させていただき、感謝申
し上げます。最近世間を騒がす、怨霊使いを発見、無事に退治できますように。はらい
たまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」

 とにもかくにも、昨夜に呪詛を仕掛けてきた外法者退治しかない。


其の拾漆 禁足地


 蘭子が拝礼している間に、井上課長が石上神宮の宮司に事情聴取すべく掛け合ってい
た。
「宮司から話が聞けることになったぞ」
 というわけで、社務所で宮司の話を聞くことになった。
 石上神宮の宮司は、世襲として忌火(いんび)職を務め、物部氏の本宗にあたる森家
が代々勤めている。
 現在の宮司は、森正光である。
 事件の概要を簡単に説明した後、
「石上直弘という人物をご存知ですか?」
 単刀直入に尋ねる井上課長。
「石上直弘……ですか?」
「心当たりありませんか?」
「と言われても……ご存知かと思いますが、物部氏や石上家に連なる家系は、それこそ
数限りなくありますからねえ」
「陰陽師をやっている方とかはご存知ないでしょうか?」
 軽く首を振る宮司。
 いろいろと突いてみるが、石上直弘のことや関係者のことは知らないようだ。
 せっかく来たのだからと、石上神宮の歴史を語り始めた。

物部氏系譜

「誰かが、私を呼んでいます」
 つと立ち上がる蘭子。
「どうした?」
 突然の行動に不審がる井上課長。
「行かなければ」
 憑き物に取りつかれたような表情を見せる蘭子。
 尋常ではない蘭子の態度に心配する二人。
「ついていきましょう。何かが起こりそうです」
 神官でもある宮司にもその気配を察知したのであろう。
 蘭子の後を追う二人。

 蘭子は社務所を出て拝殿後方へと回り込んだ。
 行く先は「禁足地」と呼ばれるところのようだった。

 拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西
44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも
最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。
 明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初
からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域と
して「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」、
「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。


 石上神宮禁足地入口

 両側の石柱に渡してある注連縄(しめなわ)を右手で持ち上げてくぐろうとする蘭子。
 注連縄は神域と現世を隔てる結界の役割を持ち、禁足地の印にもなる。
 気づいた職員の一人が注意を促した。
「これ、そちらは禁足地です」
 しかし蘭子には、注意も聞こえていないようだった。
 何かに誘われるように、禁足地に足を踏み入れる蘭子。
「ちょっと!待ちなさい」
 後を追ってきた宮司が止めた。
「何者かに憑かれているようだ。様子を見てみよう」
 職員を制止する宮司。
「我々は中に入れないのですか」
「だめです。禁足地ですから、ここは蘭子さんに任せましょう」

 蘭子が禁足地に入ると同時に、無意識にか千鳥足のような足取りになった。
 禹歩(うふ)という鎮魂のための歩行術
「天蓬」「天内」「天衝」「天輔」「天禽」「天心」「天柱」「天任」「天英」
 という言葉を唱えながら一歩ずつ踏みしめて歩く。
一、スタート時点で両足をそろえて立つ
二、左足を一歩前に出す。右足を左足より一歩前に出す。左足を引きつけて右足とそろ
える。
三、右足を一歩前に出す。左足を右足より一歩前に出す。右足を引きつけて左足とそろ
える。
四、左足を一歩前に出す。右足を左足より一歩前に出す。左足を引きつけて右足とそろ
える。
以下繰り返し。


其の拾捌 布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)


 禁足地の中ほどに来た時、右側の森が薄明るく輝いているのに気が付いた。
 まさかかぐや姫か?
 という冗談はさておき、近づくにつれて、それは人影のように浮かび上がった。
 奈良時代のものと思しき衣装を身にまとっている女性の姿。
 どうみても生身の人間ではなかった。
 地縛霊か?それとも浮遊霊か?
 危害を加えるような存在ではないようだ。
「あなたは?」
 蘭子は尋ねてみる。
 すると蘭子の意識に直接語り掛けてきた。
「布都……」
 か細い声で答える女性。
「物部守屋の妹の布都姫ですか?」
「そうじゃ」
 布都姫は、物部守屋の妹であり、蘇我入鹿の妻である鎌足姫の母親という説がある。
「わたしをお呼びになられたのは、あなたですね?」
「布都御魂に召されて参った」
「召された?」
「そなたに授けるようにと……」
 と、地面を指さした。
 女性が指さした地面がほのかに輝いている。
「ここに何かあるのね」
 小枝を拾って地面を掘ってみると、古びた鉄の塊が出てきた。
 土くれを取り払ってみると、錆びた刀剣だった。
「これを、わたしに?」
 女性は答えず、軽く頷くと静かに姿が薄らいでいき、そして消えた。

 禁足地から蘭子が出てくる。
 一振りの刀剣を携えて。
 蘭子の姿を見とめて出迎える井上課長。
「おお、帰ってきたか心配したぞ」
 目ざとく蘭子の持つ刀剣に注視する宮司。
「刀剣のようですが、見せていただけませんか?」
 断るわけもなく刀剣を手渡しながら、事の詳細を話す蘭子。
「そうでしたか……」
 じっと検分していた宮司であるが、
「こ、これは!布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)です」
 驚きの声をあげる。
「え?それって御神体として、本殿に奉納されているのでは?」
 と、井上課長。
「確かにそうですが……1894年に禁足地を発掘した際に大量の神宝が出土しました。そ
の中に伝承の中にある霊剣に相似したものがありました。それをご神体として祀り立て
たのですが……。七星剣に表裏があったように、布都御魂も同様ではないかと」
「つまり確証はないけど、たぶん伝承にある布都御魂の二つ目じゃないかということで
すか?」
「どちらが本物の布都御魂かどうかは、誰にも分からないでしょう」
「現在ある布都御魂の真偽はともかく、禁足地には布都御魂が埋められたのは確かなこ
とですから」

 この地では、須佐之男命(素戔嗚尊)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に
用いたという神剣、天羽々斬剣(あめのはばきり、あめのははきり)が出土している。
 また、建御雷神(たけみかずちのかみ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定
した際に用いたといわれる霊剣、布都御魂(ふつのみたま)も、この地に一時埋められ
るが再度掘り起こされて、石上神宮の祭神として祀られている。


 納得いかないような表情の井上課長であるが、
「で、その刀剣は蘇我入鹿の怨霊に対して効果があるのかね?」
「神から遣わされたものです。信じるしかないでしょう」
「それはそうだが……」
「森宮司にお願いがあります」
「何かね」
「ご説明したとおりに、蘇我入鹿の怨霊退治には、この布都御魂が必要と思われます。
しばらくお貸し願えないでしょうか」
「ああ、もちろんだとも。ご神体のご意向となれば拒否するすべがない」
「ありがとうございます」

 石上神宮は物部氏ゆかりの地である。
 物部氏は蘇我氏に滅ぼされたという怨念がある。
 蘭子が蘇我入鹿を退治したいという願いを訴えたとき、
『ならば儂が適えてやろうじゃないか』
 と、祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)が降臨し、布都姫を使わせて、
布都御魂を授けてくれたのではないだろうか。

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11
妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 総集編・後編
2019.10.04

陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪



其の拾壱 事件ファイル


 台所。
 父親が喪服を脱いで食卓上に投げ捨て、ネクタイをグイと下に引きずりおろして、椅
子の背に頭をもたげるようにして疲れたようにだらしなく座っている。
 食卓の上には、葬儀屋が手配したのであろう家族用の食事が並べられている。
 そこへ美咲が入ってくる。
 すでに喪服から普段着に着替えて、外出していたようである。
「お帰り、食事しないか」
 それには答えず、無言で二階の自室への階段を昇る美咲。
 母親を亡くした気持ちを察して、それ以上は追及しない父親。
 二階に上がり、自室に入る美咲。
 その足元には、黒ずんだ血液の塊がこびり付いたままとなっている。
 仮に拭き取ったとしても、ルミノール反応が明確に現れるだろう。
 日頃から、許可なく入室禁止と固く約束させていた。
 ましてや男性である父親が入ってくることはなかった。
 母親がたまに許可を得て入ってくるだけである。
 血痕に目をくれることなく、机に向かう美咲。
 その上には、怪しく輝く胞衣壺が鎮座している。

 数時間後、玄関から無表情で姿を現す美咲。
 その右手には、キラリと怪しく輝く刀子を握りしめていた。


 公立図書館。
 パソコン閲覧室で過去の新聞を調べている蘭子。
 各新聞社ともデータベース化されているが、朝日新聞の【聞蔵IIビジュアル】を開き、
利用規約などに同意した後、ログインする。
 何かと朝鮮日報(韓国の新聞社)日本支部と叩かれるほど、日本国と日本人を侮辱し
朝鮮寄りの報道姿勢を取っている新聞社。
 それが証拠に、激しい旭日旗叩きをしている韓国人でも、旭日旗模様の朝日社旗だけ
は何故かスルーしている。
 それはともかく、調査だ。
 明治12年(1879)から~平成11年(1999)までの紙面イメージを、日付・見出し・キー
ワード等で検索可(号外・広告含む)
 昭和60年(1985)以降の記事を収録し全文検索可能。
 まずは、定番の住所・氏名などから、事件の手がかりを探る。
 タッチペンで画面をクリックしながら、記事を検索する。
「あった!」
 そこには、かの旧民家の写真とともに、事件の内容が記述されていた。


其の拾弐 大阪大空襲


 1945年(昭和20)3月13日23時57分から14日3時25分の大阪大空襲。
 米軍の焼夷弾投下標的は、北区扇町・西区阿波座・港区岡本町・浪速区塩草に設定さ
れていた。
 グアムを飛び立った第314航空隊の43機が夜間に飛来し、大型の焼夷弾(ナパーム)
を高度2000メートルの低空から、港区市岡に対して爆撃を開始した。
 木と紙でできた日本家屋を徹底的に燃やし尽くすために開発された、民間大虐殺用の
ナパーム弾による大空襲の始まりである。
 続いて、テニアンから、第313航空団のB29 107機が浪速区塩草を爆撃。
 さらに、サイパンから第73航空団の124機が、北区扇町・西区阿波座を爆撃。

 こうして一晩で大阪中心部はほぼ壊滅状態の焼け野原となった。
 阿倍野区は、照準点から少し離れてはいたが、大火災による延焼は避けられなかった。
 至る所で火の手が上がり、木造家屋を燃やし尽くしていった。
 それでも、奇跡的に延焼被害を免れた家屋も所々に散見された。
 そんな家屋の一つ、江戸時代から続く旧家があった。
 母屋を囲うようにして高い土塀があったために延焼を免れたようである。
 その玄関先に一人の男が立ち寄った。
 シベリア抑留から解放され帰国した元日本軍兵士で、久しぶりの我が家の玄関前に立
ったのだ。

 シベリア抑留者は、厳寒の中での重労働を強制される他、ソ連共産党による徹底的な
「赤化教育」が施された。
「天皇制打破」「生産を上げよ」「スターリンに感謝せよ」などのスローガンを叩きこ
まれてゆく。いち早く順応し優秀と見なされた者は待遇もよくなり、従わない日本兵へ
の「つるし上げ」が横行した。日本人が日本人を叫弾するという悪習がはびこっていた
のである。する方もされる方も次第に精神を病んでいった。
 長期抑留から解放されて日本への帰国がかなっても、祖国は焼野原となり多くの者が
家を失っていた。
 安堵して故郷の土を踏んだ矢先、入港した途端に警察に連行され「アカ(共産主義)」
というレッテルを張られて独房に入れられて執拗な尋問を受ける者も多かった。やっと
解放されても、どこへ行っても警察の監視が付いて回った。
 その男もそのような待遇に合わされた一人であった。


其の拾参 殺戮の果て


 目の前に懐かしい生家が、焼野原の中に奇跡的に無事に立っていた。
「ただいま!」
 玄関の扉を開けて中に入り、帰宅の声を上げる。
 返事はなかった。
 もう一度大声で、妻の名を呼ぶ。
 やがて奥の方で物音がしたかと思うと一人の女性が姿を現した。
「どなた?」
 出てきた女性は、男の顔を見るなり驚愕し、へなへなと床にへたれこんだ。
 男は、その女性の夫だった。
「ど、どうして?」
 その身体の腹部は膨満しており、明らかに妊娠しているとわかる。
「おまえ……誰の子供だ!?」
「こ、これは……」
 おなかを手で隠すようにして、言い訳を探そうとする女性だった。
 その時、玄関から何者が入ってきた。
「무엇을하고있는」(何をしている)
 意味不明な言葉を発する侵入者は、腰に下げたホルスターから拳銃を抜いて構えた。
 そして間髪入れず引き金を引いた。
 弾は男の胸を貫いて、血飛沫が飛び散り土間を血に染めた。
 倒れた男の上を跨いで女性に詰め寄る侵入者。
「바람을 피우고 있었는지」(浮気をしていたのか)
 女性の胸ぐらをグイと引っ掴み、ビンタを食らわす男。
 さらに手を上げようとした時、
「うっ!」
 苦痛に歪む顔。
 ゆっくりと振り返ると、背中に突き立てられた包丁。
 土間に倒れていた男が立ち上がり、流しに置かれていた包丁を手に反撃したのである。
 その包丁を引き抜くと、ドバっと血飛沫が土間一面に広がる。
 声を出そうとする侵入者だったが、肺に穴が開いたのか、声の代わりに背中から血が
噴出するだけだった。
 土間に突っ伏す侵入者。
 男はそれに目もくれずに、女性に向かって怒鳴る。
「そのお腹の子供はどうした? 誰の子供だ!」
 シベリア抑留で長期抑留されていたので、妻が妊娠することはあり得ない。
「誰の子供だ!」
 もう一度質問する男。
 すっかり怯え切って声も出ない女性だったが、ゆっくりと手を動かして、土間に倒れ
ている侵入者を指さした。
 その指先に差された侵入者を見やりながら、すべてを納得した男。
 お国のために命を投げ出して戦い、辛い抑留生活を送っている間に、自分の妻が間男
と逢瀬を重ねて、あまつさえ身籠ったのだ。
 許されるはずがなかった。
 包丁を振り上げると、女性のお腹めがけて振り下ろした。
 悲鳴を上げ絶命する女性。
 怒りは収まらず、突き刺した包丁で腹の中をえぐり始める。
 飛び出した腸を掻き出し、さらに奥の子宮をも引きずり出した。
 それらの内臓を土間に投げつけて、さらに包丁を突き立てて残虐な行為は続いた。
 はあはあ……。
 肩で息をしながら、自分のした行為に気が付く男。

 何のために今日まで生きてきたのだろう……。
 何のためにお国のために命をかけてきたのだろう……。

 何のために……。

 男は血のりの付いた包丁をしばらく見つめていたが、その刃先を首筋に宛てたかとお
もうと、一気に掻き切った。
 土間に倒れ込んだ男の周りが、飛び散った鮮血が一面を真っ赤に染め上げる。
 血の海は土間の土の中へと滲みこんでいく。
 と突然、土の一か所が異様に輝き始め、辺り一面の血液を吸い込み始めた。
 やがて静寂が訪れる……。


其の拾肆 朝鮮人


 井上課長が蘭子を訪ねて土御門神社に来ていた。
 蘭子に依頼されていた事件報告であった。
「やはり殺人事件があったよ」
 単刀直入に話し出す井上課長。

 以下は警察事件簿に残る記録である。
 終戦当時、朝鮮半島から出稼ぎに、朝鮮人労働者とその家族が大量に流入していた。
 日本人男性が徴兵で留守にしている間に、日本に出稼ぎに来ていた朝鮮人達が、警察
署を襲って拳銃を奪い日本人を殺戮するなどの暴動が頻発していた。
 空き家があれば押し入って我がものとし、空き地があれば問答無用に家を建てて所有
権を誇示した。
 挙句の果ては、出征した知人の日本人の名を名乗って戸籍を奪うものさえいた。
 かの侵入者もそんな朝鮮人の一人であった。
「通名・金本聖真、本名・金聖真(キム・ソンジン)という」
 立ち寄った先で見つけた家に目を付けて、主人がいないことを確認すると、傍若無人
にも押し入って留守を守っていた女性を凌辱した。
 そして、その家を女性ごと乗っ取ったのである。
 やがて男が帰ってきて、惨劇は繰り広げられた。
「とまあ……そういう顛末です」
 長い説明を終える井上課長。
「おかしいですね。図書館で私の調べたところでは、朝鮮人という記述は一言もありま
せんでした」
 疑問を投げかける蘭子。
「報道規制だよ」
「規制?」
「当時のGHQ(連合国総司令部)によるプレスコード、正式名は【日本に与うる新聞
遵則(じゅんそく)】だよ」
「プレスコードですか……」
「その一つに、『朝鮮人を批判するな』というものがあってね。朝鮮人による事件が起
きても、通名のみの報道で本名や国籍を発表してはいけない……ということだ。当然事
件はうやむやにされてしまう」
「それって、今でも通用していますよね。特に朝日新聞などは、朝鮮日報(韓国紙)日
本支局と揶揄されるほどに、朝鮮人が犯人の国籍を隠蔽して発表しないみたいだし」
「まあ、そういうことだ。日本国憲法とは言っても、実情はマッカーサーノートに則っ
たGHQ憲法ということもね」
「日本は独立していないんですね」
「まあな。GHQによる WGIP(War Guilt Information Program)という「戦争につ
いての罪悪感」を日本人に植え付ける洗脳政策も行われたしな」
 深いため息をつく二人だった。
 しばらく沈黙が続いた。
「その家は固定資産税滞納による差し押さえ・競売となったのだが、殺人現場という瑕
疵物件で長らく放置状態だったらしい。で、つい最近やっとこ売却が決まって、現在の
持ち主となった」
「で、胞衣壺が掘り出された」
「うむ……」
「ともかく人死にがあって、かなりの流血もあったのでしょうね」
「土に滲み込んでいたが、土間いっぱいに広がるほどの量の血痕があったらしい」
「殺戮と流血、そして怨念渦巻くなか、例の胞衣壺がそれらを吸い込んだとしたら…
…」
「怨霊なり魔物なりが憑りつくか」
「そうとしか考えられません」
「問題は、その胞衣壺を掘り出したのは誰か?ということだな」
「ですね」
 その誰かについては、朧気ながらも犯人像をイメージしていた。


其の拾伍 対峙


 パトカーが走り回る街、その夜も新たなる犠牲者が出た。
 蘭子は神田家の玄関前に立ち止まり、帰り人を待っていた。
 神田美咲の帰りを……。
 やがて美咲が帰ってくる。
「お帰りなさい」
 冷静に声を掛ける蘭子。
「何か用?」
 巫女衣装姿の蘭子を目にして怪訝(けげん)そうな表情で答える美咲。
「いえね、学校何日も休んでいるから様子見にきたの」
「大丈夫だから……」
「お母さんが亡くなられたという気持ちは分かるけど……」
「ほっといてくれないかな」
 とプイと顔を背けて、玄関に入ろうとする。
「それはそうと、大きな壺を拾わなかったかしら?」
 単刀直入に切り出す蘭子。
 美咲の身体が一瞬硬直したようだった。
「なんのことかしら」
「いえね、近所で口径30cmほどの壺が、胞衣壺らしいんだけど、掘り出されたの。
でも、いつの間にか消え去っていて、その直後に切り裂き事件が発生しているのよ」
「そのことと、わたしに関係があるのかしら」
「発見された場所が、あなたの学校からの帰り道の途中にあるのよ。何か見かけなかっ
たなと思って」
「知らないわ」
 と玄関内に入ろうとする。
 それを制止しようと、美咲の左腕を掴む。
 袖が捲れて、その手首が覗く。
 その時蘭子の目に、リストカットされた傷跡が見えた。
「この腕の傷はどうしたの?」
 一見には何もないように見えるが、霊視できる蘭子の眼にははっきりと、霊的治癒さ
れている痕跡が見えるのだった。
 蘭子の手を振り解き、
「な、なにもないじゃない。どこに傷があるというの?」
「いいえ、わたしの目には見えるのよ。霊的処方で治癒した跡がね」
 図星をさされて、傷跡を右手で隠す。


「あなたの部屋を見せていただくわ。二階だったわよね」
 というと強引に上がろうとする。
 至極丁寧にお願いしても断られるのは明確だろう。
「待ってよ」
 制止しようとするが、武道で鍛えた蘭子の体力に敵うはずもなく。
 非常識と言われようが、これ以上の被害者を出さないためにも、諸悪の根源を断ち切
らなければならない。
 本当に美咲が【人にあらざる者】に憑依されているのか?
 という疑問もなきにもあらずだったが、美咲のリストカットを見るにつけ、その不安
は確かなものとなった。
 魔人と【血の契約】を交わした者は魂をも与えたに等しく、魔人を倒したとしても本
人を助けることはできない。

 美咲の部屋のノブに手を掛けようとして、一瞬躊躇する蘭子。
 呪いのトラップが掛けられているようだった。
 懐から式札を取り出して式神を呼び出すと、代わりにドアノブを開けさせた。
 とたんに一陣の突風が襲い掛かり、式神は微塵のごとく消え去った。
 開いた扉から慎重に中に入る蘭子。
 そこには神田美咲が待ち受けていた。
 瞬間移動したのか?
 そうまでして守らなければならない大事なものが、この部屋にあるということだろう。


其の拾陸 追跡


 開け放たれた窓辺に寄りかかるようにして神田美咲が立っていた。
「どうやら罠に掛からなかったようだね」
「初歩的なトラップでした」
「ふむ、さすが陰陽師というわけですか」
「なぜ知っている?」
 自分が陰陽師である事は、美咲には教えていない。
「あなたの体内からあふれ出るオーラを感じますから」
「なるほど」
「で、どうなさるおつもりですか?」
「悪しき魔物は倒す!」
「そうですか……」
 ニヤリとほくそ笑むと
「ならば……逃げます」
 机の上の壺を抱え込んで窓の外へと飛び出した。
 しまった!
 という表情で、窓辺に駆け寄る蘭子。
 窓の下を覗いてみるが、すでに美咲の姿は消え失せていた。
 改めて部屋の中を観察する。
 見た目には綺麗に拭き取られているが、そこここに血液の痕跡が浮かんでいた。
 通常の警察鑑定のルミノール反応を調べれば確かな証拠が出るだろう。
 井上課長に一報を入れようかとも思ったが……。
 警察の現場検証が入れば後戻りはできない。
 魔人との決着が着いてからでもよいだろう。

「白虎、来い!」
 四聖獣であり西方の守護神でもある白虎を呼び出す。
 それに答えるように、見た目虎の姿をした大きな身体の聖獣が姿を現す。
 蘭子が幼少の頃に召喚に成功し、以来ずっと蘭子を見守っている。
「魔物を追ってちょうだい」
 といいながら、その背中に乗る。
 追跡するのに犬ではなく、猫科の虎なのか?
 匂いで追跡するのではなく、白虎の神通力を使って、魔物が持つ精神波を探知するの
である。
 白虎の背に乗った蘭子が、闇に暮れた街中を疾走する。
「この先は?」
 白虎が突き進む先には、例の旧民家解体現場があった。
「そうか……そこへ向かっているのね」
 人生に行き詰った時、人は故郷を目指すという。
 いや、犯人はいずれ犯行現場に戻るもの、というべきだろうか。


其の拾漆 兵士の霊


 やがて現場に到着する。
 旧民家が跡形もなく姿を消し、整地された土地には地鎮祭に設置された縄張りが今も
取り残されていた。
 その片隅に怪しげな黒い影が、微かにオーラを発しながら立っていた。
 それは少しずつ形を現わしてゆく。
 旧日本軍の軍服を着た兵士の姿だった。
「霊魂?」
 怨念を残したまま成仏できずに彷徨っているのか?
 白虎から降り立ち、その敷地に一歩踏み入れる。
 そして丁寧に語り掛ける。
 この世に彷徨っている霊ならば、成仏できないでいる根源を取り払ってやらなければ
ならない。
「あなたは誰ですか?」
 幽霊になった者に、名前など聞いても意味はないかも知れないが、とにかく取っ掛か
りを得るためには会話することである。
「夜な夜な、罪もない人々を殺(あや)めたのはあなたですか?」
 前問に答えないので、引き続き尋ねる。
「復讐……」
 やっとこぼそりと呟くように答える。
「何のための復讐ですか」
「わたしの生活を残忍にも踏みにじった」
「踏みにじったとは?」
「お国のために出征したというのに、奴らはその隙をついて好き勝手にした」
「奴らとは?」
「朝鮮人だ!」
「在日朝鮮人ということですか?」
「だから朝鮮人に復讐するのだ」
「すると朝鮮人を殺めていたというのですか?」
「そうだ!」
 初耳だった。
 被害者はすべて在日朝鮮人だったというのか?

 井上課長から聞いた事件簿と照らし合わせて、これですべての因果関係が繋がった。

 ともかくこれ以上の惨劇はやめさせなければならない。
「浄化してあげます」
 手を合わせて、この世に呪縛する幽霊の魂を解き放つための呪文を唱え始める。
 と、突然。
「そうはさせない!」
 怒声が響き渡った。
 敷地の片隅に、胞衣壺を抱えた美咲が、姿を現した。
「美咲さん……じゃないわね。魔人?」
「そうです。この娘の身体を借りて話しています」
「血の契約を交わしたのね」
「その通りです」
 すんなりと答える美咲魔人。
「それはともかく、せっかく情念を増長させてあげて、怨みを晴らさせて上げていたの
に」
 白虎がうなり声を上げて威嚇をはじめた。
「大丈夫よ」
 今にも飛び掛かりそうになっているのを制止する。
 相手が誰であろうとも、まずは対話であろう。
 まあ、聞いてくれる相手ではないだろうが……。
 戦って勝ったとしても、それは美咲の死をもたらすことになる。
 リストカットの痕跡を見ても、血の契約を交わしたことは明らかであるから、相手を
倒すことは美咲を死に追いやることでもある。
 手を引いてくれないかと、まずは交渉してみるのも一考である。
「いやだね」
「何を?」
「貴様の考えていることくらい読めるぞ。この身体から手を引けというのだろう」
「その通りです」
「馬鹿か! せっかく手に入れた依り代を手放すはずがなかろうが」
「では、戦うまでです」
「この娘がどうなっても良いというのか?」
「仕方ありません。血の契約を交わした人間を助ける術はありませんから」
「知っていたか。まあいい、ではいくぞ!」


其の拾捌 美咲魔人


 軍人の幽霊が、腰に下げた軍刀を抜いて斬りかかってきた。
 美咲魔人に操られているようだ。
 切っ先を鼻先でかわすと同時に、懐から取り出した呪符を、その額に張り付ける。
 身動きを封じた幽霊に対して、
「白虎、押さえておいて」
 命じると、白虎は幽霊に覆いかぶさるように押し倒して馬乗りになった。
 零体を押さえるなど人間には無理だが、聖獣の白虎なら可能である。
 白虎の神通力を持ってすれば、咆哮一発消し去ることもできるのだが、この彷徨える
霊魂を成仏させて輪廻転生させたいと願っていたのである。
 無に帰してしまえば生まれ変わりはできないからだ。
「ほう、そう来たか。わたしと一対一で戦おうというわけですね。でもね、こう見えて
も実はわたしは不死身なんですよ」
 不死身と聞いても蘭子は動揺しなかった。
 これまでにも幾度となく不死身の魔人とも戦ってきた経歴を持っていた。
「ところで聞いてもいいかしら?」
「構いませんよ」
「ここで殺人が行われた時に、すでにあなたは覚醒したと思います。それが戦後70年以
上経ってから、活動を始めたのは何故ですか?」
「目覚めても、依り代となっていた壺が土の中だったからですよ。動けなかった。誰か
が掘り起こしてくれるのを待っていた。で、地上に出られたは良いが、これがむさ苦し
い男だったから躊躇していた」
「そんな他愛のないことで?」
「誰かに憑りつくなら綺麗な女性に限りますからね。それにこの娘とは波長が合いまし
てね」
「波長が合う?」
「何故なら、この壺の主であるそこの霊体と、この娘とは血縁同士ですからね」
「血縁ですって?」
「彼には子供がいませんでしたから、叔父叔母とかの血筋ですかねえ」
 意外な展開に考え込む蘭子だった。
 抗争中にそんな余裕あるのかと言えば、魔人は不死身を自認しているだけに、余裕
綽々な態度を見せて蘭子を見守っているというところだ。
「あの夜、この娘がここを通りかかった時に、壺が震えました。共鳴現象という奴です
ね」
「なるほど、良く理解できました」
 緊張した空気の中で続けられる会話。
 事の次第が明らかになったことで終わりを迎える。
「そろそろ決着を付けましょうか」
「そうですね。これ以上の話し合いは無駄のようです」
 懐から虎徹を取り出し鞘から引き抜くと、それは短刀から本来の姿の長剣に変わった。
 中段・臍眼に構えながら念を込める。
 やがて虎徹はオーラを発しながら輝き始める。
 魔人を倒すことのできる魔剣へと変貌してゆく。
 美咲を傷つけることなく、魔人を倒すことができるのか?
 じりじりと間合いを詰め寄りながら、
「えいやっ!」
 とばかりに斬りかかる。
 すると美咲魔人は、ヒョイと軽々とステップを踏むように回避した。
 どうやら動きを読まれている。
「当たりませんねえ」
 不敵な笑みを浮かべる。
 しかし蘭子も言葉を返す。
「どうでしょう、こういう手もあるのよ」


其の拾玖 魔法陣


 蘭子が、トンと地面を踏むと、地鎮祭に使用された縄張りを中心として、敷地全体に
魔法陣が出現した。
「ほう、奇門遁甲八陣図ですか」
「その通りよ。もう逃げられないわよ」
 今日のこの日を予想して、縄張りを片付けずに、魔の者には見えない魔法陣を描いて
いたのである。
「なるほど、そういう手できましたか。弱りましたね」
 と言いながらも、不死身ゆえに余裕の表情を見せていた。
 しかしながら、自由を奪われて身動きできないようだった。
「白虎!」
 言うが早いか、霊魂から離れて美咲に飛び掛かった。
 白虎が爪を立てて狙ったのは?

 胞衣壺だった。

 その鋭い爪で、魔人が抱えていた胞衣壺を弾き飛ばした。
 胞衣壺は宙を舞って、蘭子の方へ飛ぶ。
 それをしっかりと受け取る蘭子。
 白虎は再び霊魂の押さえに戻っている。
「さて、それをどうする? 壊すか?」
 意味ありげに尋ねる美咲魔人。
 胞衣壺は、単なる依り代でしかない。
 壊したところで、別の依り代を求めるだけである。

 さあどうする、蘭子よ。

「そうね……こうします」
 というと呪文を唱え始めた。

「こ、これは、呪縛封印の呪文かあ!」
 さすがに驚きの声を上げる美咲魔人。
 蘭子の陰陽師としての能力を過少評価していたようだ。
 不死身という身体に油断していた。
 不死身ならば封印してしまえば良いということに気が回らなかった。

 一心不乱に呪文を唱えながら、胞衣壺の蓋を開ける蘭子。
 美咲の身体が輝き、白い靄のようなものが抜け出てくる。
 やがて白い靄は、胞衣壺の中へと吸い込まれるように消えた。
 すかさず蓋を閉め、呪符を張り付けて封印の呪文を唱える。
 無事に胞衣壺の中に魔人を閉じ込めることに成功した。
「ふうっ……」
 と深い息を吐く。
 後に残された霊魂も、魔人の呪縛から解かれている。
「白虎、もういいわ」
 静かに後ずさりするように、霊魂から離れる白虎。
 怨念の情は持ってはいても、蘭子の手に掛かれば浄化は容易い。
 浄化の呪文を唱えると静かに霊魂は消え去り、輪廻転生への旅へと出発した。
「さてと……」
 改めて、魔人が抜け出して放心して、地面にへたり込んでいる美咲を見つめる。
 白虎がクンクンと匂いを嗅ぐような仕草をしている。
「大丈夫よ。気を失っているだけだから」
 血の契約を交わしたとはいえ、精神を乗っ取られた状態であり、本人の承諾を得たと
は言えないので契約は無効である。
 美咲に近寄り抱え上げると、白虎の背中に乗せた。
「運んで頂戴ね」
 白虎としては信頼する蘭子以外の者を背に乗せることは嫌だろうが、優しい声でお願
いされると拒否できないのだ。
「土御門神社へ」
 霊や魔人との接触で、精神障害を追っているかも知れないので、春代に霊的治療を行
ってもらうためだ。
 蘭子と美咲を背に乗せながら、夜の帳の中を駆け抜ける白虎。


其の弐拾 顛末


 土御門神社の自分用の部屋。
 布団を敷いて美咲を寝かしつける。
 傍には白虎も寄り添っている。
「ありがとう。もういいわ」
 白虎を優しく撫でると、軽く鳴いて静かに消えた。
 何事も知らずに軽い寝息を立てている美咲の顔を見つめる蘭子。
 つと立ち上がり、胞衣壺を抱えて向かった先は、土御門神社内にある書物庫。
 書物庫はもちろん敷地全体に、魔物や怨霊の侵入を防ぐ結界が厳重に張られている。
 結界陣を開封して中に入り、開いた棚に静かに安置する。
「これでもう、世を惑わせることもないでしょう」
 再び結界陣を元に戻して、書物庫を後にする蘭子。


 翌日の土御門神社の応接間。
 井上課長、土御門春代、美咲と父親、そして蘭子が一堂に会していた。
 事件の詳細を説明する蘭子。
 その内容に驚愕する父親と、まるで記憶にないので首を傾げるしかない美咲。
 重苦しい雰囲気が漂う中で、最初に口を開いたのは春代だった。
「さて刑事殿。この事件の顛末をどうつけるつもりだい?」
 問われて言葉に詰まる井上課長だった。
 警察の役目は事件についての捜査を行い、被疑者の身柄や証拠などを検察へ送ること。
 一般的思考でいうなら、今回の事件の犯人は、神田美咲であることに違いはない。
 【人にあらざる者】が介在していることなど、理解の範疇には存在しないので、呪術
や魔法といった非科学的な犯罪は取扱しない。
 有名なところでは、藁人形に釘を打って対象を呪い殺す丑の刻参りがあるが、非科学
的で刑法も民放もこれを認めていない。
 現代の警察は科学捜査を基本としているからだ。
 美咲の部屋を捜査すれば、殺人現場の証拠は出るだろうが、犯人は誰か?となれば当
然として美咲の名が挙がる。
 殺人を立証するには、
 殺人方法
 殺害時刻
 凶器
 動機
 アリバイ
 遺体の移送方法
 などを検証しなければならない。
 遺体移送方法はもちろんの事、凶器は壺の中に封印済み、とにかく魔人のしでかした
ことの解明は不可能だろう。
 人事考課に汚点を残すことになるが、迷宮入りにするほかにないと考えていた。


 翌日。
 美咲の部屋に入った蘭子。
 魔人の術法によって人の目に見えなくなっていた血痕が、その消滅によって再び露わ
になっていた。
 式神を使役して床にこびり付いた血痕を、綺麗に拭い去った。
 ルミノール反応にも出ないほどに。
「証拠隠滅だけど……仕方ないわよね」
 井上課長の同意も得ていた。
 そもそも凶器の刀子も壺の中だし……。

 数日後の阿倍野高校一年三組の教室。
 一時限目開始のチャイムが鳴ると同時に、美咲が入室してくる。
「おはよー!」
 それに答えるように、クラスメートも応答する。
「おはよう」
「ひしぶり~」
「もういいの?」
「ありがとう、大丈夫よ」
 口々に挨拶が交わされる。
 そういったクラスメートから離れて、窓辺の自分の席に座り、ぼんやりと庭を見つめ
ていた。

 一つの事件は終わった。
 しかし、これで終わりではない。

 一つの事件は解決したが、蘭子の【人にあらざる者】との戦いはこれからも続く。

胞衣壺(えなつぼ)の怪 了

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11
妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 総集編・前編
2019.09.27

陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪


其の壱 廃屋

 阿倍野界隈にあって、廃屋となっていた旧民家の解体が行われることとなった。

 油圧ショベルが容赦なく廃屋を潰してゆく。
 悲鳴のような軋めき音をあげながら、崩れ行く廃屋。
 長年積もり積もった家屋内の埃が舞い上がり、苔むした臭気が辺り一面に広がる。

 ショベルでは掘れない細かい場所は、作業員がスコップ手作業で掘り起こしている。
 水道管やガス管が通っている場所は、土木機械では掘れないからだ。
 その手先にコツンと手ごたえがあった。
「何かあるぞ」
 慎重に掘り起こしてみると、陶器製の壺のようであった。
「壺だな」
「まさか小判とか入ってないか?」
「だといいがな、せいぜい古銭だろう」
「いわゆる埋蔵金ってやつか?」
「入っていればな」
「やっぱ警察に届けなきゃならんか」(遺失物法4条)
「持ち逃げすりゃ、占有離脱物横領罪になるぞ」(刑法254条)
 廃屋の解体作業工事屋だから、埋蔵物に遭遇することは、日常茶飯事。
 それらに関する諸般法律はご存知のようであった。
「ともかく蓋を開けてみよう」
 昔話のように、大判小判がザックザクということはまずありえない。
「開けるぞ!」
 蓋に手を掛ける作業員。
「あれ?開かないぞ……」
「くっついちゃったか?」
 内容物が溢れて、身と蓋の間で接着剤のように固まってしまったか。
 金属ならば酸化反応で、生物ならば腐敗によって、内部の空気を消費して圧力が下
がり、外から押さえられている場合もある。
「だめだ、開かないね」
 壺を振ってみるが、音はなく内部にこびり付いているようだった。
 その時、現場監督がやってきた。
「何をしているか、ちゃんと働かんと日給はやらんぞ」
 怒鳴り散らす。
 雨続きで解体期限が迫っていて、不機嫌だったのだ。
「いやね、こんな壺を地中で見つけたんですよ」
 と、壺を掲げ上げて見せる。
「どこにあった?」
「土間の台所入り口にありました。地中に水道管が通っているので手掘りして見つけ
ました」
 ちょっと首を傾げて考える風であったが、
「たぶん……胞衣壺(えなつぼ)だな」
「えなつぼ?」
「出産の時の後産の胎盤とかへその緒を収めた壺だよ。昔の風習で、生まれた子供の
健やかな成長や、立身出世を祈って土間や間口に埋めたんだ」
「た、胎盤ですかあ!?」
 驚いて壺を地面に置く作業員。
「祟られるとやっかいだ。とりあえず隅にでも埋めておけ。整地した後の地鎮祭やる
時に、一緒に弔ってやろう」
「分かりました」
 言われたとおりに、敷地の隅にもう一度埋め戻し、手を合わせる。
「祟りませんように……」


其の弐 地鎮祭


 数日後。
 地鎮祭が執り行われることになった。
 神主には、最も近くの神社に依頼されることが多い。
 取りも直さず、直近となれば阿倍野土御門神社ということになる。
 宮司である土御門春代が高齢のため、名代として蘭子が地鎮祭を司ることとなった。
 日曜日なので学校は休み、きりりと巫女衣装を着こんでいる。
 敷地の中ほどに四隅を囲うようにして青竹を立て、その間を注連縄(しめなわ)で
囲って神域と現世を隔てる結界として祭場とする。
 その中央に神籬(ひもろぎ、大榊に御幣・木綿を付けた物で、これに神を呼ぶ)を
立て、酒・水・米・塩・野菜・魚等、山の幸・海の幸などの供え物を供える。
「蘭子ちゃんの巫女姿も堂に入ってるね」
 施工主で現場監督とは、蘭子が幼い頃からの顔馴染みであった。
「ありがとうございます」
 つつがなく地鎮祭は進められてゆく。

地鎮祭の流れ

 係員が静かに監督に近寄って耳打ちしている。
「監督、あの胞衣壺が見当たりません」
「見当たらない?」
「はい。ここに確かに埋めたんですけど……」
 と、埋め戻した場所に案内する係員。
「誰かが掘り起こして、持ち去ったというのか?」
「胎盤とかへその緒ですよね。そんなもん何するつもりでしょう」
「中身が何かは知らないのだろうが、梅干し漬けるのに丁度良い大きさだからなあ」
「梅干しですか……でも、埋まっているのがどうして分かったのかと」
「通行人が立ちションしたくなって、角地だから陰になって都合がよいから」
「それで、掘れてしまって壺が顔を出し、持ち去ったと?」
「まあ、あり得ない話ではないが」

 二人して首を傾げているのを見た蘭子、
「何かあったのですか?」
「実はですね……」
 実情を打ち明ける二人。
「胞衣壺ですか?」
 と言われても、実物を見ていないので、何とも言えない蘭子。
「解体される前の家屋を見てましたけど、旧家だし胞衣壺を埋めていたとしても納得
できますが」
 陰陽師の蘭子のこと、胞衣壺については良くご存知のようだ。
「長い年月、その家を守り続けてきたというわけですが、何か悪いことが起きなけれ
ば良いのですが」
 空を仰ぐと、先行きを現すかのように、真っ黒な厚い雲が覆いはじめ雨が降りそう
な雲行きとなりつつあった。


其の参 切り裂きジャック


 人通りの少なくなった深夜の雨降る街角。
 一人の女性が帰宅を急ぐ姿があった。
 追われているのか、時折後ろを振り向きながら急ぎ足で歩いている。
 突然目の前に現れた人影にぶつかってよろけてしまう。
「すみません」
 と謝って顔を上げたその顔が歪む。
 その腹に突き刺さった短剣から血が滴り落ちる。

 阿倍野警察署。
「連続通り魔殺人事件捜査本部」
 という立て看板が立てられている。
 会議室。
「切り裂きジャックだ!」
 会議進行役を務める大阪府警本部捜査第一課長、井上警視が怒鳴るように声を張り
上げる。
 夜な夜な繰り広げられる連続通り魔殺人事件。
 その惨劇さは、殺した女性の腹を切り開いて内蔵を取り出し、子宮などの内性器を
持ち去ってしまうという事件。
 1888年のロンドンを震撼させた切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)と手
口が全く同じという変質者の仕業であった。結局犯人は捕まらずに未解決事件となっ
た。
 ロンドンでは売春婦が襲われたが、こちらではごく普通の一般女性であるというこ
と。
 広報や回覧板及びパトカーの街宣などによって、夜間の一人歩きの自粛などが流布
されて、一部の自治会では自警団が組織されていた。
「心臓抜き取り変死事件と同じだな……やはり彼女の力を借りるしかないようだ」
夢幻の心臓

 土御門神社の社務所。
 応接間にて、春代と蘭子そして井上課長が対面している。
「……というわけです」
 事件の詳細を説明する井上課長だった。
「なるほど、切り裂きジャックですか……」
 蘭子もニュースなどで連続通り魔殺人事件のことは耳にしていたが、直接課長の口
から聞かされた内容は衝撃的であった。
「で、わざわざ伺われたのはいかに?」
 春代が実直に質問する。
 来訪目的は、うすうす感ずいているが、聞かずにはおけないだろう。


其の肆 胞衣壺


「被害者は女性ばかりです。いかに夜とはいえ、ズタズタに切り裂いて内蔵を取り出
すには時間が掛かります。にも関わらず目撃者が一人もいない」
「察するに犯人は【人にあらざる者】ではないかと仰るのかな?」
 春代が意図を読んで尋ねた。
「その通りです」
「して、わざわざご足労なさったのは……」
「もちろん、蘭子さんのお力を頂きたいと」
「だろうな」
 春代と課長の会話を耳にしながらも、怪訝な表情をしている蘭子。
「どうした? 蘭子」
「実はですね。今回の事件と関連がありそうな出来事がありました」
「それはどのような?」
 井上課長が身を乗り出すようにした。
 蘭子が思い起こしたのは、先日の地鎮祭の出来事だった。
 胞衣壺が掘り起こされて持ち去られた日の翌日に、最初の切り裂き事件が起きてい
た。
「えなつぼ……それは、どんなものですか?」
「【胞衣(えな)】とは胎盤のことじゃて、それを入れるつぼだから【胞衣壺】とい
う」

 昔の日本(平安・奈良時代)では、胎盤を子供の分身と考えて、大切に扱う風習が
あった。
 陶器製の壺に胎盤を入れ、筆・墨・銅銭そして刀子(とうす・小刀)を一緒に納め
て地中に埋めていた。
 これらの品々は、当時の役人の必需品で、子供の立身出世を願うためである。
 人にたくさん踏まれるほど、子供がすくすく成長すると考えられて、一通りの多い

口や土間に埋められることが多かった。
 大きさは、口径12cm・高さ16cmのものから、口径20cm・高さ30cm
くらいのものが多く出土している。

「昔の風習じゃて、今では廃れてしまっておるなあ。せいぜい戦前までのことじゃ
て」
 刀子という言葉を耳にして、糸口が一つ解明したような表情をする井上課長。
「その刀子の長さはどれくらいのものでしょうか?」
「そうさな……壺の大きさにもよるが、五寸から一尺くらいじゃのお」
 春代は古い尺貫法に生きる世代である。
 すかさずメートル法に言い直す井上課長。
「15cmから30cmですね」
 井上課長の脳裏には、殺人の凶器として十分な長さがあるな、という推測が生まれ
ていることだろう。
 銃刀法では、刃渡り6cm以上の刃物は携行してはならないと、取り締まっている。
「刀子は、そもそも魔除けの意味があります。葬式でのご遺体に守り刀を持たせるの

同じです」
 *参照=蘇我入鹿の怨霊

「さて、そろそろ本題に入ろうかのう。刑事さんよ」
 井上課長の来訪目的を訪ねる春代。
 これまで長々と、時候の挨拶よろしく話していたのだが……。
「はい。単刀直入に言います。連続通り魔殺人事件の捜査協力をお願いに参りまし
た」
「なるほど、陰陽師としてのご依頼かな?」
「その通りです」
「ほほう。うら若き娘に殺人犯の捜査に加われと?」
 春代は高齢のため、陰陽師の仕事はすべて蘭子が請け負っている。
 もちろん井上課長とて承知である。
 蘭子には、陰陽師としての仕事以外にも、女子高校生としての勉強も大切である。


其の伍 神田美咲


 時を少し遡った、小雨降る夜。
 解体作業現場を、折しも通りがかった女子高生。
 整地された一角がぼんやりと輝いているのに気が付いた。
 なんだろう?
 と、歩み寄ってみると、土くれの付いた古い壺が顔を出していた。
「壺?」
 壺が怪しく輝いて少女の顔を照らす。
 やがて壺を取り上げると、何事もなかったように、現場を立ち去っていった。

 とある一軒家
 門柱に「神田」という文字が彫られた表札が掛かっている。
 壺を抱えたまま、その家に入る少女。
 少女の名前は、神田美咲。
 阿倍野女子高等学校の生徒である。
「お帰りなさい、美咲」
 という母親の声にも応答せずに、無言で二階へと上がり自分の部屋へ。
 大事そうに抱えていた壺を、そっと机の上に置いた。
 そして蓋に手を掛けるとすんなりと壺は開いた。
 建設現場ではどうしても開かなかったのに。
 中にはキラリと輝く刀子(小刀)が入っていた。
 普通なら錆び付いていただろうが、密閉した容器の中で胎盤などの腐敗(好気性菌
による)が先に進んで、中の酸素を消費してしまって、刀子の酸化が妨げられたので
あろう。
 刀子は不気味に輝いており、じっと見つめる美咲の顔を照らす。
 やおら刀子を取り出し、刃先を左手首に当てると、躊躇なく切り刻んだ。
 ボトボトと流れ出る血を受け止めて、壺はさらに輝きを増してゆく。
 やがて壺の中から正体を現わした怪しげな影は、しばらく美咲の周りを回っていた
が、スッと美咲の身体の中に消え行った。

 最初の殺人事件が発生したのは、それから三時間後であった。

 数日後の夜。
 巫女衣装に身を包んだ蘭子が歩いている。
 怪しげな気配を感じ取って出てきたというわけだ。
 その胸元には御守懐剣「長曾祢虎徹」が収まっており、臨戦態勢万全というところ
だ。
 時折警戒に当たっている刑事に出会うが、
「巫女衣装を着た人物の邪魔をするな」
 という井上課長のお達しが出ているらしく、軽く敬礼すると黙って離れてゆく。
*参考 血の契約
 突然、胸元の虎徹が微かに震えた。
「つまり魔のものということね」
 魔人が封じ込められている虎徹は、魔物に対してのみ感応する。
蘇我入鹿の怨霊事件
のように、魔人が怨霊を招き寄せる場合もあるし、人に
取りつく場合もある。
 魔と霊と人、それぞれに対処できるように体制を整えておかなければならない。

 魔には虎徹。
 霊には呪符や呪文。
 人には合気道などの武道で、自らが戦う。

 虎徹を胸元から取り出して手前に捧げ持って、一種の魔物探知レーダーを働かせた。
 よく画家が鉛筆を持って片目を瞑り、キャンバスと鉛筆を見比べる仕草を取るアレ
である。
 その態勢で、ゆっくりと周囲を探索しながら、反応の強い方角へと歩いていく。


其の陸 遭遇


「きゃあ!!」

 暗闇の彼方で悲鳴が起こった。
「あっちか!」
 悲鳴のした方角へと走り出す蘭子。
 やがて道端に蠢く人影に遭遇した。
 女性を背後から羽交い絞めして、人通りのない路地裏に引き込もうとしていた。
「何をしているの!」
 蘭子の声に、一瞬怯(ひるむ)んだようだが、無言のまま手に持った刀子で、女性
の首を掻き切った。
 そして女性を蘭子に向けて突き放すと、脱兎のごとく暗闇へと逃げ去った。
 追いかけようにも、血を流して倒れている女性を放っておくわけにはいかない。
「誰かいませんか!」
 大声で助けを呼ぶ蘭子。
 巫女衣装で出陣する時は、携帯電話などという無粋なものは持たないようにしてい
るからである。
 携帯電話の放つ微弱な電磁波が、霊感や精神感応の探知能力を邪魔するからである。
「どうしましたか?」
 先ほどすれ違った警察官が、蘭子の声を聞きつけて駆け寄ってきた。
「切り裂きジャックにやられました」
 地面に倒れている被害者を見るなり、
「これは酷いな。すぐに本部に連絡して救急車を手配しましょう」
 腰に下げた携帯無線で連絡をはじめる警察官。
「本部の井上警視にも連絡して下さい」
「わかりました」

 押っ取り刀で、井上課長が部下と救急車を引き連れてやって来る。
 被害者は直ちに救急車に乗せられて搬送されるとともに、付近一帯に緊急配備がな
される。
 現場検証が始められる。
 その傍らで、蘭子に事情を聴く井上課長。
「犯人の顔は見たかね」
「暗くて見えませんでしたが、逃げ行く後ろ姿から若い女性でした。
「女性?」
「はい。確かにスカートが見えましたから」
「そうか……」
 と、呟いて胸元から煙草を取り出し、火を点けて燻(くゆ)らす。
 いつもの考え込むときの癖である。
「発見が遅れていれば……」
 これまでの犯行通り、腹を切り開かれて子宮などの内蔵を抜き取られていただろう。
「心臓抜き取り変死事件では、動機ははっきりしていたが、今回の犯人の目的は一体
何なんだ?思い当たることはないかね、蘭子君」
「はっきりとは言えませんが、やはり胞衣壺(えなつぼ)が関係しているのではない
でしょうか」
「建設現場から持ち去られたというアレかね」
「こんかいの事件は【人にあらざる者】の仕業と思います」
「スカートをはいた魔人だというのか」
「人に憑りついたのでしょう」
「まあ、あり得るだろうな」
 一般の警察官は【人にあらざる者】の存在など考えもしないだろうが、幾度となく
対面した経験のある井上課長なら信じざるを得ないというところだ。
 もっとも、表立って公表できないだけに配下の力は借りずに、大抵自分一人と蘭子
との共同捜査になっている。
「これ以上ここにいても仕様がないので帰ります」
「部下に遅らせるよ」
「一人で帰れますよ」
「いや、犯人に顔を見られているかも知れないだろう。後を付けられて襲われるかも

れない。そもそも女子高生を一人で帰らせるにはいかん」
「なるほど、ではお願いします」
 ということで、覆面パトカーに乗って帰宅する蘭子だった。


其の漆 夢遊病


 夜中夜が明けた。
 神田美咲の自室。
 パジャマ姿でベッドの縁に腰かけて、呆然としている美咲がいる。
 べっとりと血に染められた手のひら。
「どうして……」
 何がなんだか、自問自答してみても何も思い出さない。
 昨夜、一体何があったのか?
 洗面所で血を洗い流してみるが、自分自身には何の傷もなかった。
 どこで血が付着したのか、まるで記憶になかった。
 ベッドに戻り、その上に膝を抱えるように(体育座り)固まったように動かなかっ
た。

 その日の阿倍野女子高校の一年三組の教室。
 授業中、一つの机が開いていた。
 神田美咲の席で、これまで無遅刻無欠席の優良児だった。
「これで三日か……珍しいな、神田が休むなんて」
 土御門弥生の声に、教室内がざわめく。
「逢坂さん」
「はい?」
「家が近くだろう、ちょっと様子を見に行ってくれないか」
「分かりました」
 ということで、神田家を訪れた蘭子。
 大人なら病気見舞い品片手にというところだろが、高校生なのでそこまで気を遣う
ことはないだろう。
 そもそも病気を知ってすぐでは失礼にあたる場合があるから、とりあえず様子を聞
くだけである。
「それがねえ、部屋に閉じこもったまま出てこないのよ。食事時間に呼びかけても返
事はないし……」
 来訪を受けて、玄関先に顔を出した母親が、困り切ったように答える。
「病気とか怪我とかじゃないみたいだから……。誰かに虐められたとか?」
 逆に問いかけられる。
「それはないと思いますよ。友達受けする性格みたいですから」
「そうですか……。年頃だし、そっとしておいて欲しいのです」
「分かりました。学校側には、そのように伝えておきます」
「よろしくお願いいたします」
 深く腰を折って哀願する。
 蘭子も挨拶を交わして神田家の門を出る。
 ふと仰げば、日も落ちて暗がりが覆い始めた空の下、美咲の窓には明かりは灯らな
い。


 逢魔が時。
 読んで字のごとく、妖怪や幽霊など怪しいものに出会いそうな時間帯。
 黄昏れ時、暮れ六つ、酉の刻とも言う。
 日が暮れて周りの景色が見えづらくなるくらい薄暗くなってきた状態をいう。
 季節にもよるが午後六時前後である。

 行き交うパトカーの群れ。
 新たな被害者。
 現場検証の陣頭指揮を執るしかめっ面の井上課長。
 その傍には携帯電話で呼び出された蘭子もいる。
 毎度のことながら、民間人(それも女子高生)を現場に立ち会わせることに懐疑的
な同僚もいるが、現場責任者である課長の意向には逆らえない。
 科学捜査が一般的な日本警察においては、陰陽師の手を借りるということはあり得
ないことだった。
「内臓を持ち去る理由がさっぱり分からん」
 事件が起こるたびに、つい口に溢(こぼす)してしまう井上課長だった。


其の捌 惨劇


 その頃。
「美咲、いつまで閉じこもっているの?」
 返事はない。
 美咲の部屋の前で、ノックしつつ中の様子を探る母親。
 勝手に入ったりすると、非常に不機嫌になる娘なので注意している。
 しばらく待つが、一向に返答はなかった。
「入るわよ。いいわね」
 ドアノブに手を掛け、少しずつドアを開ける。
 照明の灯っていない薄暗い部屋の中。
「美咲?」
 美咲はいなかった。
「出かけたのかしら……」
 物音一つしない部屋には静寂が漂っていた。
 まるですべての音を、机の上の壺が吸収しているみたいだった。
「何あれ?」
 女子高生の部屋には場違いとも言うべき問題の壺に気が付く母親。
 壺に近づいてゆく。
 土くれが所々に付着して汚れが酷い。
「何これ、汚いわね……」
 土の中から掘り出したままの状態のようであった。
 壺の中身を確認しようと手を掛け蓋を開ける。
 その瞬間に、強烈な腐臭が辺り一面に広がる。
「うう、何これ!」
 あまりの匂いに、堪らず蓋を閉める。
 壺の中は、蓋を開ける前には酸素を使い果たして腐敗が止まっていて匂いも治まっ
ていたはずだが、蓋を開けたことによって空気と水蒸気が入って、再び腐敗が進んだ
というところだ。
「どこから持ってきたのかしら」
 背後で音がする。
「お母さん、何しているのよ」
 振り返ると美咲が帰ってきていた。
「勝手に入ってこないでって言っているでしょ」
 その制服姿は乱れており、何より両手に付着した赤い汚れ。
 明らかに血液かと思われる。
 そして右手にはキラリと輝く刀子。
「おまえ、それ……」
 と、言いかけたその表情が歪む。
 胸元にはぐさりと突き刺さった刀子。
 力尽きたように美咲に寄りかかる。
 身動きしなくなった母親を、ヒョイと軽々と肩に抱え上げる。
 やおら窓際に寄りガラリと開けると、外の闇へと飛び出した。



其の玖 現場百回


 神田家の玄関先の両側に立てられた葬儀用花輪。
 行き交う人々は黒衣に身を包み、厳かに家の中に入ってゆく。
 近場には、井上課長も覆面パトカーの中で待機している。
 訪問客に不審な者がいないかチェックしていたのである。
 そこへ蘭子が訪れて、井上課長と何事か話し合った後に、葬儀場へと向かう。

 今日は同級生としてではなく土御門春代の名代としての出席である。神田家は土御
門神社の氏子だったからである。
 受付に一礼してお悔やみの言葉を述べる。
「この度はご愁傷様です」
 懐から取り出した袱紗(ふくさ)から香典を出して渡す。
 案内係の指示に従って着席する。
 棺に近い場所には父親と美咲がおり、重苦しい表情をしている。
 やがて住職が入場して、読経がはじまる。
 ほぼ出席者が揃ったところで、読経が止まり故人と最も親しかった関係の深い人の
弔辞。
 弔辞が終わると再び読経、僧侶が自ら焼香をしたら、喪主・遺族・親戚・そして席
次順に焼香がはじまる。
 やがて蘭子の番となり、恭しく前に進んで喪主に軽く挨拶してから焼香をあげる。
 美咲は終始俯いたままで、一度も顔を上げない。
 焼香が一巡したところで僧侶が退場。
 喪主が立ち上がって、最後の挨拶を行って閉会となる。
 出席者は別室に移って、遺族たちの故人との最後のお別れが行われる。
 それが済むと出棺となる。
 一同が玄関先に集まって、棺が霊柩車に納められ、喪主の最後の挨拶。
 全員の合掌・黙祷が行われる中、静かに霊柩車と遺族の車は静かに出発する。
 見送る蘭子に井上課長が近づいてくる。
「何か変わったようなところはなかったかね」
「いえ、何もありませんでした」
「ふむ……もう一度、現場に行ってみるか」
「そうですね、現場百回と言いますから」


 というわけで、神崎美咲の母親の遺体発見現場へとやってきた。
 住宅街の一角にある児童公園の片隅、木々の生い茂った場所。
 一部に「チョーク・ライン」がうっすらと残っていた。
 遺体の周りをチョークで囲うアレである。
 しかし実際の現場検証では、チョーク・ラインを引くことはない。
 警察などの現場検証が終わった後に、新聞記者などが写真撮影で分かりやすくする
ために書いているのがほとんどである。
 被害者の血液なども流れでていた跡がうっすらと残っている。
「ここが遺体発見場所ですか」
「その通りだ」


其の拾 公園


 ゆっくりと周囲を見渡す蘭子。
 公園の入り口付近には外灯があるが、夜間にはここまでは届かず薄暗いだろうと思
われる。
 外灯の届かない公園の片隅に、何の用で立ち寄ったのだろうか?
 トイレは入り口付近にあるし、公園の奥まった場所で帰宅の近道にもならない。
 疑問が沸き上がる。
「殺害現場はここで間違いないのですか?」
「いや、はっきりしていない」
「といいますと?」
「発見場所はここなのだが、それにしては流れ出ている血液の状態がおかしいのだ
よ」
「別の所で殺害されて、ここへ運び込まれた?」
「その通り。流血状態と血液凝固の状態から、殺人現場がここではないということを
示している。傷口の状態を見ると、ここで殺害されたならもっと広範囲に血液が飛び
散るはずだし、流れ出た血液の地面への浸透具合もおかしい」
「実際の殺害現場を探さなければというところですか」
「その通りだ」
「遺体を動かさなければならなかったのは、その場所が犯人を特定する重要な証拠と
なるからですね。例えば、犯人か被害者の自室だったなど」
「うむ、その線は濃厚かもしれないな」
「課長。この事件には、消えた胞衣壺が深く関わっていると思うんです」
「ふむ、またぞろ怨霊とか?」
「そうとしか考えられません」
「で、何か方策とあるのかね」
「解体された旧家ですが、その家族の消息とか、胞衣壺が埋められて以降に何か事件
が起きていなかったどうかとか」
「埋められて以降かね。そもそもここら辺一帯は、太平洋戦争時の大空襲で焼野原に
なっているから、戦後復興以降だよな」

「空襲時に、掘り返して持ち出したということもあります」
「何故そう思う?」
「胞衣壺の風習は戦前までで、戦後はほとんど行われていません。胞衣壺に関わる人
物背景を知る必要があります」
「なるほど、調べてみるよ」
「お願いします」
 以降のことを確認しあって、分かれる二人だった。


 その夜、神田家の門前に佇む蘭子。
 美咲に会って話してみたいと思ったのだが……。
 その窓は暗いままで、中の様子は静かだった。
 葬式の直後に訪問するのは、流石に躊躇われる。
 哀しみにくれる親子の心情を思えば。
 心苦しくも神田家を立ち去る蘭子。

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11
妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の廿壱(最終回)
2019.09.20


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪(最終回)


其の廿壱 顛末


 土御門神社の自分用の部屋。
 布団を敷いて美咲を寝かしつける。
 傍には白虎も寄り添っている。
「ありがとう。もういいわ」
 白虎を優しく撫でると、軽く鳴いて静かに消えた。
 何事も知らずに軽い寝息を立てている美咲の顔を見つめる蘭子。
 つと立ち上がり、胞衣壺を抱えて向かった先は、土御門神社内にある書物庫。
 書物庫はもちろん敷地全体に、魔物や怨霊の侵入を防ぐ結界が厳重に張られている。
 結界陣を開封して中に入り、開いた棚に静かに安置する。
「これでもう、世を惑わせることもないでしょう」
 再び結界陣を元に戻して、書物庫を後にする蘭子。


 翌日の土御門神社の応接間。
 井上課長、土御門春代、美咲と父親、そして蘭子が一堂に会していた。
 事件の詳細を説明する蘭子。
 その内容に驚愕する父親と、まるで記憶にないので首を傾げるしかない美咲。
 重苦しい雰囲気が漂う中で、最初に口を開いたのは春代だった。
「さて刑事殿。この事件の顛末をどうつけるつもりだい?」
 問われて言葉に詰まる井上課長だった。
 警察の役目は事件についての捜査を行い、被疑者の身柄や証拠などを検察へ送ること。
 一般的思考でいうなら、今回の事件の犯人は、神田美咲であることに違いはない。
 【人にあらざる者】が介在していることなど、理解の範疇には存在しないので、呪術
や魔法といった非科学的な犯罪は取扱しない。
 有名なところでは、藁人形に釘を打って対象を呪い殺す丑の刻参りがあるが、非科学
的で刑法も民放もこれを認めていない。
 現代の警察は科学捜査を基本としているからだ。
 美咲の部屋を捜査すれば、殺人現場の証拠は出るだろうが、犯人は誰か?となれば当
然として美咲の名が挙がる。
 殺人を立証するには、
 殺人方法
 殺害時刻
 凶器
 動機
 アリバイ
 遺体の移送方法
 などを検証しなければならない。
 遺体移送方法はもちろんの事、凶器は壺の中に封印済み、とにかく魔人のしでかした
ことの解明は不可能だろう。
 人事考課に汚点を残すことになるが、迷宮入りにするほかにないと考えていた。


 翌日。
 美咲の部屋に入った蘭子。
 魔人の術法によって人の目に見えなくなっていた血痕が、その消滅によって再び露わ
になっていた。
 式神を使役して床にこびり付いた血痕を、綺麗に拭い去った。
 ルミノール反応にも出ないほどに。
「証拠隠滅だけど……仕方ないわよね」
 井上課長の同意も得ていた。
 そもそも凶器の刀子も壺の中だし……。

 数日後の阿倍野高校一年三組の教室。
 一時限目開始のチャイムが鳴ると同時に、美咲が入室してくる。
「おはよー!」
 それに答えるように、クラスメートも応答する。
「おはよう」
「ひしぶり~」
「もういいの?」
「ありがとう、大丈夫よ」
 口々に挨拶が交わされる。
 そういったクラスメートから離れて、窓辺の自分の席に座り、ぼんやりと庭を見つめ
ていた。

 一つの事件は終わった。
 しかし、これで終わりではない。

 一つの事件は解決したが、蘭子の【人にあらざる者】との戦いはこれからも続く。

胞衣壺(えなつぼ)の怪 了


11
妖奇退魔夜行/胞衣壺(えなつぼ)の怪 其の廿
2019.09.13


陰陽退魔士・逢坂蘭子/胞衣壺(えなつぼ)の怪


其の廿 魔法陣


 蘭子が、トンと地面を踏むと、地鎮祭に使用された縄張りを中心として、敷地全体に
魔法陣が出現した。
「ほう、奇門遁甲八陣図ですか」
「その通りよ。もう逃げられないわよ」
 今日のこの日を予想して、縄張りを片付けずに、魔の者には見えない魔法陣を描いて
いたのである。
「なるほど、そういう手できましたか。弱りましたね」
 と言いながらも、不死身ゆえに余裕の表情を見せていた。
 しかしながら、自由を奪われて身動きできないようだった。
「白虎!」
 言うが早いか、霊魂から離れて美咲に飛び掛かった。
 白虎が爪を立てて狙ったのは?

 胞衣壺だった。

 その鋭い爪で、魔人が抱えていた胞衣壺を弾き飛ばした。
 胞衣壺は宙を舞って、蘭子の方へ飛ぶ。
 それをしっかりと受け取る蘭子。
 白虎は再び霊魂の押さえに戻っている。
「さて、それをどうする? 壊すか?」
 意味ありげに尋ねる美咲魔人。
 胞衣壺は、単なる依り代でしかない。
 壊したところで、別の依り代を求めるだけである。

 さあどうする、蘭子よ。

「そうね……こうします」
 というと呪文を唱え始めた。

「こ、これは、呪縛封印の呪文かあ!」
 さすがに驚きの声を上げる美咲魔人。
 蘭子の陰陽師としての能力を過少評価していたようだ。
 不死身という身体に油断していた。
 不死身ならば封印してしまえば良いということに気が回らなかった。
*参考血の契約

 一心不乱に呪文を唱えながら、胞衣壺の蓋を開ける蘭子。
 美咲の身体が輝き、白い靄のようなものが抜け出てくる。
 やがて白い靄は、胞衣壺の中へと吸い込まれるように消えた。
 すかさず蓋を閉め、呪符を張り付けて封印の呪文を唱える。
 無事に胞衣壺の中に魔人を閉じ込めることに成功した。
「ふうっ……」
 と深い息を吐く。
 後に残された霊魂も、魔人の呪縛から解かれている。
「白虎、もういいわ」
 静かに後ずさりするように、霊魂から離れる白虎。
 怨念の情は持ってはいても、蘭子の手に掛かれば浄化は容易い。
 浄化の呪文を唱えると静かに霊魂は消え去り、輪廻転生への旅へと出発した。
「さてと……」
 改めて、魔人が抜け出して放心して、地面にへたり込んでいる美咲を見つめる。
 白虎がクンクンと匂いを嗅ぐような仕草をしている。
「大丈夫よ。気を失っているだけだから」
 血の契約を交わしたとはいえ、精神を乗っ取られた状態であり、本人の承諾を得たと
は言えないので契約は無効である。
 美咲に近寄り抱え上げると、白虎の背中に乗せた。
「運んで頂戴ね」
 白虎としては信頼する蘭子以外の者を背に乗せることは嫌だろうが、優しい声でお願
いされると拒否できないのだ。
「土御門神社へ」
 霊や魔人との接触で、精神障害を追っているかも知れないので、春代に霊的治癒を行
ってもらうためだ。
 蘭子と美咲を背に乗せながら、夜の帳の中を駆け抜ける白虎。


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