妖奇退魔夜行/第三章 夢鏡の虚像 前編
2020.11.23

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第三章 夢鏡の虚像 前編


其の壱

 大阪府立阿倍野女子高等学校。
 折りしも月に一度の清掃日。毎日定例の自分達の教室清掃以外に行われる、言わ
ば大掃除ともいうべきものである。体育館や講堂から、校庭の草むしり、通学路の
ゴミ&落ち葉拾いなど、全校生徒で一斉に行うのである。
 本校舎の西側に併設された講堂から物語りははじまる。
 講堂では、一年三組の生徒達が清掃の真っ最中だった。
 蘭子達仲良しグループは床の雑巾掛けを割り当てられていた。
「恵子のパンツ、丸見えだよん」
「もう……。こんな短いスカートだよ。しかたがないよ」
「何で今時、雑巾掛けなのよ」
「そうそう、せめてモップにしてよね」
「他の学校じゃ、業者と契約して教室からトイレ掃除まで、全部やってくれている
所もあるよ」
「それって私立でしょ。大阪府の予算に縛られている公立じゃ無理な話よね」
 その時、監督指導教諭が、手をパンパンと叩いて注意した。
「はい、そこ! 無駄口してないで、しっかりやりなさい。あと一往復で終わりで
すよ」
「はーい!」
 生徒達全員が一斉に答える。
 返事だけは良かった。
「どうせ、ここを終えても他の場所を手伝わされるんだから……」
 最後の気力を振り絞って、残り一往復を終えた。
「はい、ご苦労様でした。後は、終わっていないところを手伝ってあげなさい」
 やっぱりね……。
 という表情で、各自講堂内に散らばっていく。
 蘭子は、舞台の袖にある部屋の扉から中へと入ってゆく。
 口をタオルで覆った生徒が三人、はたきを掛けていた。もうもうと埃が舞い上が
るので、すべての扉や窓は全開で、扇風機を回して埃を吹き飛ばしている。
「手伝いにきたわよ」
「サンキュー!」
「何しようか?」
「とにかくハタキ掛けよ。そこにあるから」
 壇上に上がる階段に置いてあったハタキとタオルを取って掃除をはじめる蘭子。
「それにしても、こんなに埃がたまっちゃってさ。長期間使わないのなら倉庫の方
にしまえばいいのに」
「そうだよね。そうすれば、ここも広く使えていいのに……」
 それからしばらくは黙々とハタキ掛けを続ける一同だった。
 生徒の一人が、カバーで覆われたものを、物陰になる位置で発見した。
「何かしら、これ……?」
 彼女の名前は近藤道子。
 隠されたものを見つけると追求したくなるのが人間の性である。道子はカバーを
取って中身を確認した。
 それは鏡だった。
 鏡台に収められ、材質は錫のようで片面がきれいに磨き上げられ、その裏面には
見事な彫刻が施されていた。
「手鏡よね。これ」
 金属製の鏡など見たことがないのだろう。手にとって物珍しそうに眺めている。


其の弐


 鏡に映った像を自分自身と認識できる能力を【鏡映認知】と呼ぶ。その能力のな
い鳥などが、自動車のバックミラーなどに映った自分の姿に対して攻撃をする様子
はよく見られる現象である。
 鏡に自分が映るという現象は、古来から神秘的にとらえられ、こちら側の世界と
あちら側にあるもう一つの世界とを隔てる【物】と考えられて、祭祀や王墓の副葬
品などの道具として用いられるようになった。考古学調査で出土される平縁神獣鏡
や三角縁神獣鏡などがその例である。「三種の神器」の一つである八咫鏡やたのかがみ
最も有名である。
 もし鏡の中の自分が、こちらの自分自身とは違う表情や動きを見せたら?
 例えば、こちらはすましているのに、向こうでは笑っていたら?

「ひっ!」
 突然、道子が悲鳴を上げ、鏡を放り出して恐怖に慄いた。
「どうしたの?」
 周りの生徒達が振り向いて声を掛けた。
「鏡が笑ったのよ」
「鏡が笑うわけないじゃん」
「違うよ。鏡の中の自分が勝手に笑ったのよ」
「それは、あなたが笑っていたからでしょう?」
「笑っていない!」
 生徒達が言い争うようにしているのを聞き流して、投げ出された手鏡に歩み寄る
蘭子。それを拾い上げようとしたが、異様な気配を感じて、一旦躊躇してしまう。
「呪われているわ……」
 他の生徒達、特に道子に聞こえないように呟いている。
 妖魔か悪霊かはまだ判らないが、何ものかが取り憑いていて【呪いの鏡】となっ
ているらしかった。
 笑っていないのに、鏡の中の自分が笑ったというのは、その取り憑いているもの
が見せた幻影であろう。
 封印してしまうに限るが、道子が鏡に触れて【人にあらざる者】と接して取り憑
かれてしまった可能性がある。中のモノが出てしまって空になったものを封印して
も意味がない。妖魔なり悪霊を退治してしまうか、それができないのならば、元の
鏡の中に引き戻して封印し直すしかない。
「この鏡は、私が預かって調べてみるわ。もっとも学校の許可を得なければいけな
いけどね」
 蘭子の家系が、代々陰陽師であることは生徒達に知られている。蘭子自身も母の
実家であり、祖母の土御門晴代が当主となっている摂津土御門家(陰陽師一門)の
跡取りに指名されている。そんな事情から反対するものはいなかった。

 清掃が終わって、指導教諭に説明をすると、
「自分では決断できなから、校長先生に許可をもらってね」
 ということで、許可をもらいに校長室へと向かった。
 ドアをノックして、応答があるのを確認して中に入る。
「何か用かね?」
 蘭子の姿を見て、訝しげに尋ねる校長。
 呼びもしない生徒が校長室を訪れることはめったにない。文化祭などの行事に伴
う予算折衝で生徒会役員が来る程度である。


其の参


「実は、この鏡のことなんですが……」
 鏡を覆っているカバーを外して単刀直入に切り出す蘭子。
 すると校長の表情が見る間に変わっていく。
「そ、それをどこから持ってきた?」
 口調も怯えた様子で、いつもの張りのある声とはほど遠い。
「講堂の舞台袖です。清掃中に生徒が見つけました。呪われていると思いますので、
持ち帰って除霊なり封印したいと思います」
「呪われているのが判るのか?」
「はい。間違いありません。この鏡には呪われて亡くなられた人たちの霊が閉じ込
められて苦しんでいます。放っておいては、さらなる犠牲者が出るかもしれません」
「そこまで判るのか? さすが陰陽道の安部清明の末裔だな。古くは遣唐使となっ
た阿部仲麻呂の子孫らしいな」
「いいえ、清明の先祖説にはいくつかあって、【竹取物語】にも登場する右大臣阿
部御主人{あべのみうし}が直系ということになっています。やがて安部氏となり、
摂津国に入った一族が摂津土御門家を名乗ることととなりました」
「まあ、どっちにしても阿部氏の一族というわけだ。ともかく、その鏡のことは君
の思うとおりにしなさい」
「ありがとうございます。ご存知であれば、これまでの犠牲者の方々のことなどを
お話して頂ければありがたいのですが……」
「いいだろう。知っている限りのことを話してやろう」
「お願いします」
 口調を改めて話し出す校長だった。
「まず、その鏡がどうしてここにあること自体が不明なのだ。何せ学校創立が戦前
の大正十一年だからな。私の知っている最初の犠牲者と思われる事件は、創立五十
周年記念として行われた文化祭において講堂での演劇部の芝居の時に起きた。当時、
源氏物語を現代風にアレンジして上演していたのだが、待ち人来たらずで鏡を見て
ため息をつくシーンでヒロインが急に倒れたのだ。急ぎ代役を立てて上演は続行さ
れ、その生徒を救急車で病院へ運んだ。しかし、治療の甲斐なく原因不明の病気で
死亡した」
「原因不明の病死ですか?」
「その通りだ。その次の犠牲者も演劇部員で、幼稚園の交流公演として白雪姫を演
じていた時だった。継母役の生徒が鏡に向かって問いかける場面になったが、その
時は何事もおこらなかった。終幕間際の鏡に向かう場面で、「白雪姫が一番美し
い」と鏡が答える場面の直後に、突然倒れたのだ。そして「鏡がしゃべった」と言
い残して亡くなった」
「鏡自身がしゃべったのですか?」
「ああ、鏡役のナレーションではなく、鏡が直接しゃべったというのだ」
「やはり鏡には、魔物かなんかが住み着いているようですね」
「私もそう思うよ。その後も鏡にまつわる事件が起こった。鏡を手放すなり処分し
ようかという話もあったが、不幸となる物を他人に押し付けるのは如何なものかと、
校庭の片隅に埋めたのだが、とある地震の時に土地が陥没して鏡が出てきてしまっ
た。再度埋め戻しても大雨でまたしても……。その後もいろんな所に隠したりもし
たのだが、結局今日のように見つけ出されてしまう。やはり魔物が住み着いていて、
この学校の生徒を死に至らしめるために、現れているとしか思えない」


其の肆


「そうでしたか……。犠牲者の方々は、すべて鏡と対面した直後に亡くなられたのです
か?」
「いや、数ヶ月生きていた例もあるよ。しかし、まるで認知症のようになってしまったり、
ヒステリーを起こして自殺したり、何日間も高熱で苦しんだりいろいろあるが、結局最後
には死んでしまったよ。私が知っている事と言えばこんなところだ。とにかくかなり古く
からこの学校にあったみたいだが、生徒はもちろんだが教諭たちも人事異動や退職で、ど
んどん入れ替わって事件があってもいずれ忘れさられてゆく。そんな時にポッカリと現れ
て事件を起こしている感があるな」
「良く判りました。お伺いした内容は参考にして対応策を検討してみます。では、鏡は大
切にお預かりします」
「うむ。よろしく頼むよ」
「それでは失礼します」
 深々とお辞儀をして校長室を退室する蘭子。
 とにかく大急ぎで取り掛からなければならなかった。
 道子が鏡と対面し、【人間にあらざる者】に取り憑かれた可能性が高かった。そしてい
ずれは死に至り、鏡の中に取り込まれてしまう。
 クラスメートをそんなことにはさせたくなった。
 似たような事例が他にないか、対処法はあるのか調べねばなるまい。
 となれば、土御門屋敷の祖母にあって相談するしかないだろう。

 土御門屋敷は学校からほど遠くない所にある。
 表門玄関は、立派な神社の境内をかなりの距離を通り抜けていかねばならぬので、近道
である裏門から出入りするのが日常である。
「お邪魔しまーす」
 勝手知ったる祖母の家。遠慮はいらぬ。
 まずは挨拶をするために祖母の部屋に伺うことにする。
 礼儀にうるさい祖母なので、障子の前に正座して声を掛ける。
「蘭子です」
「入ってよいぞ」
「失礼します」
 許可を得て、両手を添えて片側の障子を静かに開ける。
 中に入ったら、同じような動作で障子を閉めるのだ。
 祖母は、目ざとく蘭子の持参した鏡を見て言った。
「ただならぬ物を持ってきたようだな」
「はい。今日はこの鏡のことでご相談に伺いました」
 鏡のカバーを外して、祖母の前に差し出す蘭子。
「どうやら魔鏡のようだな。しかも妖魔が封じられていたようだ。今は解放されて自由に
出入りができるようだ。鏡面に光を当てて反射光を、そこの白壁に映してみよ」
 障子を開けて日光を取り入れ指示通りに行うと、白壁に文様がくっきりと映し出された。
 魔鏡は、日光などの平行線的な光を反射させると、表面にはないはずの像が投影される
銅鏡である。鏡面には目には見えないほどの微細な凹凸があり、これが光を乱反射させて
文様を浮かび上がらせるのである。
 鏡面を磨く時、一定以上の薄さまで鏡を研磨すると、手の圧力によって鏡面がしなり、
版画のように裏面の文様が表面に凹凸を生じさせるのである。
「奇門遁甲八陣図か……。これは本来、退魔鏡として魔を封じるために製作されたのだろ
うが、長い年月の間に鏡の面に微妙な傷や歪みを生じ、魔を封じる力が減少して魔が解放
されたのであろう。この妖魔は鏡を媒体として、鏡の中の世界と現実の世界とを行き来し
ているようだ」


其の伍


「鏡の世界ですか?」
「そうだ。本来なら鏡のある所ならどこにでも出没できる能力があるのだが、奇門遁甲八
陣図の効力がまだ残っていて、この鏡を通してのみしか動けないようだ」
「退治する方法はありますか?」
「こやつは、こちらの世界にいる時は人の夢に巣食っている。要するにこちらの世界にい
る人間にとっては、実体のない虚像の魔人なのだ。実体であるおまえが虚像を倒すことは
絶対に不可能だ」
「夢と鏡の中の魔人……」
「じゃが、策がないでもない」
「どうするのですか?」
「まず奴が人の夢に入り込んでいる時に、おまえ自身も自分の精神つまり魂をその人の夢
の中に送り込むのだ。すると奴は、おまえの魂を自分の世界である鏡の中へ引きずり込も
うとするだろう。それが奴の本性なのだからな。して、ここからが本番だ。鏡の中は奴の
世界だから、魂を完全に閉じ込めてしまうこともできる。それはつまり、現実の世界のお
まえの死ということを意味するわけだ」
「身体と魂を引き離されたら、死を意味しますね」
「だが、それを防ぐ手立てが一つだけある。着いて来なさい」
 祖母は立ち上がって、蘭子を案内して先に歩き出した。
 障子が勝手に開いた。
 目には見えないが、式神を使役して開けさせているのである。呪法の力を衰えさせない
ために、日常的に訓練として行っているらしい。並みの陰陽師なら、式神を呼び出すのに
呪符を使い呪文を唱える。しかし祖母のような熟達者ともなると、心の中で念ずるだけで、
式神を呼び出せるのである。
 二人が向かっている先は書物庫であった。
 神社が建立されて以来の重要な書物が所蔵されている。陰陽道五行思想、天文学、易学、
時計などの学問を記述した陰陽道関連の書物が数多い。特に呪法、呪符、呪文について書
かれた文献は、門外不出となっている。書物庫の周囲には、奇門遁甲八陣の結界が張り巡
らされ、【人にあらざる者】から貴重な書物が奪われるのを防いでいる。さらに周囲には
一般人が侵入しないように、立ち入り禁止の柵も巡らされており、その柵板にも魔除けの
鎮宅七十二霊符の呪符が描かれている。
 ほぼ完璧な霊的防御陣が敷かれていた。

 書物庫に近づくに連れて、二人の歩き方に変化が現れた。
 地面を踏みしめ呪文を唱えながら千鳥足風にして歩く。魔を祓い大地の霊を鎮める呪法
の一つで、【兎歩】と呼ばれる。
 書物庫の扉の前にたどり着いた。遁甲式盤という方位魔術の図柄が彫りこまれた錠前が
掛けられていた。書物庫全体に掛けられた結界陣と違って、錠前にのみに呪法が掛けられ
ていて、鍵穴が見当たらなかった。呪法によって巧妙に隠されているのである。
 祖母が、顎をしゃくり上げるようにして、
「おまえ、やってみろ」
 と、言っているようであった。
 錠前に向かい、細心の注意を払いながら開門の呪文を唱える蘭子。
 やがて錠前が輝いたかと思うと、鍵穴が現れた。
 祖母から鍵を受け取って鍵穴に差し込むと、ピキンという音と共に錠前が開いた。
 ほっと安堵のため息をついて、胸をなで下ろす蘭子。
「……まあまあだな」
 時間が掛かりすぎていた。
 祖母なら一瞬にして開けてしまうところである。


其の陸


 錠前を外して扉を開けて中に入り、戸口脇の棚から燭台を取ってローソクに赤燐マッチ
で点火して明かりを確保、今度は中から閂をかける。
 なお、ここから先は呪法の使用は厳禁である。呪法の影響で書物の内容が書き換わって
しまう可能性があるからだ。
 先に立って書物庫の中を進む祖母と、後に従う蘭子。
 総檜でできた書棚の前で立ち止まる祖母。燭台を棚の上に置いて、手を合わせ祈ってか
ら、漆塗りの玉手箱のようなものを取り出した。そしてそばの所見台の上に置いた。
 飾り紐を解いて蓋を開けると、二枚の銅鏡と和綴じの本が入っていた。
 蘭子がそばに寄ってのぞき込んでいる。
 和本の表紙には達筆な墨文字で【夢鏡封魔法】と書かれている。
「これに、夢鏡の魔人を封じる方法が書かれているのですか?」
「もちろんじゃ」
「どうしてこんな本がここにあるのでしょうか?」
「阿呆なこと言ってんじゃないよ。あの魔鏡に魔人を最初に封じたのがこの本の筆者、つ
まり我がご先祖様だ。あの魔人を封じた後に魔鏡を地中深く埋め、それが何かのきっかけ
で掘り出され魔人が復活した時のために、封魔法を記した本と使用した封魔鏡を、後世の
子孫のために残したのじゃ」
「あ、なるほどね」
「おまえは時々魔の抜けたことを言う。気をつけないと戦いの時に命を落とすことになる
ぞ」
「はい。肝に銘じて」
「とにかくじゃ、この二枚の封魔鏡は持ち出しても良いが、書物の方は厳禁じゃからな。
ここで読んで頭の中に叩き込んでおくことじゃ。よいな」
「はい。わかりました」
「それじゃ。儂は戻るが、ここを出るときまたちゃんと閉めておけよ」
 と言い残して、扉の方へとスタスタと歩き出した。
 蘭子は先回りして閂を外して祖母を送り出し、再び閂を掛けると元の所見台の所に戻っ
た。
「夢鏡封魔法か……」
 表紙に書かれた達筆な文字から、想像を絶するような内容が記されている感じが、ひし
ひしと伝わってくるようだ。
 息を呑み、静かに最初のページをめくる。
 毛筆で書かれた達筆な草書文字が飛び込んでくる。いわゆる平安貴族の間でもてはやさ
れた枕草子や伊勢物語・土佐日記などに記述されている、漢字かな混じりの文体で書かれ
ている。
 今時の女子高生にはとても読めないものであるが、幼少の頃から祖母に般若心経を写経
させられ、陰陽道に関する古典書物を読誦させられた蘭子には、読むには造作もないこと
だった。
 さて封魔法に書かれている内容を現代文に直してお知らせしよう。

 ■夢鏡封魔法

 建久六年十二月、第八十三代土御門天皇即位し頃。(注・西暦1196年1月)
 摂津国阿倍野というところで、奇妙なる病が流行っていた。
 若い女性が、ある日突然として狂ったように踊り続け、翌日に死んだ。
 その翌日、別の女性が昼間に痴呆となって村中を徘徊し、翌日に死亡した。
 次には、やはり女性が昼間に素っ裸になって男達を誘惑し、やはり翌日には死んだが、
その股間は精液まみれだった。
 時として包丁を振りかざして村民を次々と刺し続けて殺人鬼となり、最期には自分の首
筋を掻き切って自害して果てた女性もいた。
 すべてに共通していることは被害者は若い女性ばかりで、奇行の果てに死亡してしまう
ことで、偶然なのか自宅の鏡がことごとく割られていた。同時には決して発症しないこと
もわかり、何か【人にあらざる者】が若い女性に次々と取り憑いては奇行を働かせて、死
に至らしめているのではないかとの噂が広まった。
 そして女性が必ず持っている鏡が、その媒体となっているらしいとのことで、女性には
鏡を持たせるなということになった。


其の漆


 しかし、女性達の奇行死は治まらなかった。
 日常的に女性達は、炊事・洗濯・掃除と水に関わる家事に携わっている。飲料水を蓄え
ている水がめ、洗濯のためにタライに張った水、掃除のために桶に汲んだ水。その水面が
鏡面となって【人にあらざる者】を呼び出している事がわかった。
 水はありとあらゆる場所に存在する。川の水面、防火用水、雨後の水溜りなど。
 がために、【人にあらざる者】の動きを封じることは不可能だった。
 人々は、絶大なる人気を誇っていた陰陽師に救いを求めてきた。そして、我が安部氏土
御門家の門を叩いたのである。

 ■相手を知るべし。

 敵を倒すには、まず相手のことを良く知らねばならない。
 これまでに判っていることを列挙すると。
 一、若い女性に憑依して奇行死させること。
 二、鏡および鏡様になった水面などを媒介とすること。
 三、発症するのは、眠っている時に起きるらしいこと。
 四、誰もその姿を見たことがなく、おそらく人の心の中(夢?)と鏡の中とを移動する
ものである。これをもって今後は夢鏡魔人と称することにする。

 ■退治方法について

 これまでに述べてきたように、夢の世界と鏡の世界とを往来する虚像の魔人であること
が判った。ゆえに実体である我々が虚像を倒すことは絶対に不可能である。
 では、どうすれば良いか。
 答えは一つ。
 魔人を鏡の中に閉じ込めて出られないように封印することである。
 しかし、鏡は無限に存在し、すべての鏡の封印は不可能。
 そこで、魔を封じることのできる退魔鏡を用意し、これに夢鏡魔人を追い込んで封印し
てしまうのである。
 魔人が鏡の世界から抜け出して、特定の女性の夢の中に憑依している時こそが、封印す
ることのできる機会である。その女性の中に一旦封印し、かつ女性が死なないように眠ら
せておく。死んでしまえば夢は消失し、魔人が解放されてしまうからである。
 特定の女性の夢の中に閉じ込めたなら、夢の中に入り込むことのできる式神を使って魔
人と戦わせるのだ。倒すことは不可能だろうが苦しめることはできるはずである。ここで
奇門遁甲八陣の呪法を張り巡らせ、死門だけを開けておいて、そこに退魔鏡を置いておく。
ここで女性の封印を解いてやると、苦し紛れに奇門遁甲の開いた門から退魔鏡の中へと逃
げ込むはずである。だが飛んで火にいる夏の虫。魔人はその魔鏡からは二度と抜け出せな
くなるというわけである。
 早速、退魔鏡を作ることのできる鏡師を探すことにした。しかし奇門遁甲八陣図という
微細彫刻を施せる鏡師が見つからない。
 仕方なく、全国行脚しながら鏡師を探し出す旅を続け、志摩国の大王村波切というとこ
ろで鏡師を見い出し、ついに退魔鏡を手に入れたのである。
 急ぎ摂津国へと引き返して阿倍野に舞い戻った。
 かねてよりの計画通りに女性の夢の中に潜んでいた夢鏡魔人を退魔鏡の中に封印するこ
とに成功した。そして地中深くに退魔鏡を埋めることにしたのである。

 しかしながら、万が一退魔鏡が掘り出されてしまうこともあり得る。そのために、後世
の子孫のために、この書物を残しておこう。

 建保三年一月六日記(西暦1215年2月6日)
    土御門晴康


其の捌


 ここで思わずため息をつく蘭子であった。
 陰陽師の家系である彼女だから納得できる内容ではあるが、一般人が読めばとても信じ
られないことであろう。まさに怪奇的な内容が記されていた。
 しかし疑念が一つ残った。
 この封魔法を使用すれば、夢鏡魔人を再び鏡の中へ封印することができるかも知れない
が、全く同じ手が通用するかというと、魔人も馬鹿ではあるまい。必ず対抗手段を打って
くるであろう。
 悩んでいると、
「あ、続きがあるじゃない」
 書物には、まだページが残っていた。
「また、お婆ちゃんに叱られるところね。『おまえは間が抜けているぞ』はい、はい。気
をつけます」
 先を読み続けることにする。
 ページをめくると、まず附録と書かれてある。さらにページをめくる。
「夢鏡魔人退滅法」
 という文字が飛び込んでくる。
「退滅法か……」
 おそらくここから先に、同梱の二枚の鏡を使って魔人を退治する方法が記されているの
であろう。文字の字体がそれまでと全く異なっているところを見ると、封魔法を読んだ後
世の子孫が退滅法を編み出して、その内容を書き記し附録として付け足したのだろう。
 再びその内容を現代文に直してみよう。

 ■夢鏡魔人退滅法■

 序の文。
 ご先祖様の書き残した【夢鏡魔人封魔法】を拝読し、なるほど素晴らしい呪法を完成し
てくれたと感謝した。
 実際にも我が世代においても、鏡を媒体とする虚空の世界に住む夢鏡魔人ほどでないに
しても、亜流の夢魔人ともいうべき妖魔が徘徊し、人々を大いに苦しめているのだ。この
妖魔は鏡を媒体としない実体のある魔人で、人の夢の中に入り込んで悪夢を見せ、苦しむ
際に生じる負の精神波を活力源としているらしい。人を殺しはしないが、ほとんど廃人と
なってしまう。そして次なる獲物を見つけて乗り移るその際に、一時的に実体化する。そ
の時が、退治する絶好の機会であるが、いつ乗り移るかが判断できない。それよりもまず、
魔人に取り憑かれて悪夢を見られているのか、ただ単に自身の過去の古傷を思い出し悪夢
として苦しんでいるのか、識別することが困難だ。
 仮に取り憑かれている人を見つけて魔人をその身体に一時的に封印できたとしても、相
手は夢の中の虚像と化している。ご先祖様も述べておられるように虚像は絶対に倒せない。
 そこで何か策はないかと書物をあさり、ついに封魔法が書かれたこの書物を見い出した。
これを参考にすれば、夢魔人を退治することはできなくても、鏡やこれに替わる何物かに
封印することができるだろう。
 即座に実行に移すことにしたのだが、夢魔人は送り込んだ式神によって、あっさりと倒
されてしまったのである。意外な出来事を推察するにあたり、夢鏡魔人は鏡の中の世界に
生きているのに対し、夢魔人はこちらの世界に生きているという違いのせいかも知れない。
(注・これは相対性理論や量子理論の質量とエネルギー変換を考えると判りやすい。夢鏡
魔人が完全なる虚像であるのに対し、夢魔人は実体があって夢の中に入る際に、その質量
をエネルギー化しているのである。ゆえにそのエネルギーをゼロにしてしまえば、実体も
存在しえなくなって消滅してしまうのである)


其の玖


 こちらの夢魔人は、式神を使って退治することはできた。もう一歩進めて、鏡の中の世
界の夢鏡魔人をも式神を使って倒せないものか。
 ご先祖様によれば、式神を使っても夢の中にいる魔人は倒せないらしい。となれば鏡の
中へ直接式神を送り込んだらどうだろうか。
 早速、方策を練り始めることにする。現時点では鏡の中へ式神を送り込むことは不可能
だった。何か特殊な道具立てを考案しなければならない。
 まず思いついたのが、合わせ鏡である。二枚の鏡を相向かわせて、その中心に式神を呼
び出すための人形を置いてやる。すると双方の鏡の中には、人形と反対側の鏡の像が無限
に連続して映り込まれる。この状態で鏡の中に映る人形に働きかけて、式神を出現させる
ことができれば成功である。と、簡単に言ってしまったが、鏡の中にまで通ずる呪法がな
い。我々が会得しているすべての呪法は、この世界の中においてのみ通用するものだった。
虚空の世界である鏡の中にまでは届かない。
 鏡を四面や六面にもしたりして、試行錯誤の日々が続くが、一向に鏡の中の人形は答え
てはくれない。
 二十年の月日が過ぎ去っていた。
 未だに打開策は見い出せない。
 ほとんど諦めの心境に陥ったとき、突然閃くものがあった。
 人の夢の中には、式神を送り込ませることが可能であることは判っている。
 そうだ!
 夢の中も虚空の世界なのである。虚空の世界同士ならば、たとえ異質であっても移動が
可能なのではないか?
 それは夢鏡魔人の行動を考えれば納得する。奴は夢と鏡の世界とを行き来していたでは
ないか。
 まず式神を夢の中へ送り込み、そして鏡の中の世界へと転送するのだ。
 理論がまとまれば方策を考える。
 さらに二十年をかけて、【夢の魔鏡】と【鏡の魔鏡】という二つの魔鏡を完成させた。
この二枚の鏡を相対面させ、その中央に式神を呼び出す人形を置いて準備は完了である。
そして夢の世界と鏡の世界とを行き来する呪法も完成させた。
 しかし問題がある。これには夢を見てくれる実験体が必要だった。幸いにも実弟である
一番弟子が名乗りを挙げてくれた。彼には大いに感謝し、成功すれば土御門家の名跡を与
えると約束した。
 彼には早速眠ってもらって、人体実験がはじまった。
 そしてついに、式神を鏡の中へと送り込むことに成功したのである。さらにもう一体を
送り込んで戦わせることも行ったがこれもうまくいって、こちらの世界から鏡の世界の式
神を自由に使役することができるようになったのである。
 これでやっと夢鏡魔人を倒す方策が完成し、万が一復活することがあっても、この書物
を読んだ後世の子孫によって倒されるだろう。
 一番弟子との約束通りに、彼に土御門家の名跡を譲り、私は引退することにした。
 それからの隠居生活は悠々自適のはずだった。
 しかし、何か物足りない。大切なものをどこかに置き忘れているような気分がどうして
も拭えない。悶々とした日々が続いたある日、当然思い浮かんだのである。
 夢鏡魔人をこの手で倒せないものかと……。
 すなわち自分自身の魂を鏡の世界へ送り込んで、直接に魔人を倒したいものだと。
 思いは月日が経つに連れて大きくなってゆく。
 どうせこの身は老いさらばえて余命幾ばくもなし。たとえ失敗してもなんぼのものか、
後悔はしない。
 居ても立ってもいられなくなった私は、一番弟子に頼み込んで協力してもらうことにし
た。もちろん名跡を継いだ彼に人体実験を行うことはできない。彼の弟子の一人が手を挙
げてくれた。私にとっては孫弟子ということになる。
 そして、彼と孫弟子との協力を得て、自分自身の魂を鏡の中へ送り込むことに成功した
のである。
 ここに至り、夢鏡魔人退滅法の完成を見たのである。
 果たせるかな残念なことに、夢鏡魔人はすでに【夢鏡魔人封魔法】によって魔鏡に封印
されたままなので、この方策を試す機会がない。
 せめて後世の子孫のために【夢鏡魔人退滅法】を書き記しておくことにする。
     応仁元年正月二日記(西暦1467年2月6日)
          土御門晴樹


其の拾


 数時間後、祖母である土御門家晴代の居室。
 書物庫から持ち出した二枚と合わせて三枚の魔鏡を挟んで、蘭子と晴代が対面している。
「扉はしっかりと閉めて呪法は掛けてきたか?」
「はい」
「それで【夢魔人封魔法】はしっかり読んで、頭の中に叩き込んだか?」
「退滅法をも合わせてしっかりと……」
「なら、良い」
 しばし沈黙が流れた。
 庭先から虫の鳴き声が寂しく聞こえてくる。
 その泣き声に聞き入るように、庭先の方に目を向けながら、晴代が静かに尋ねる。
「これからどうするつもりだ」
「もちろん夢鏡魔人を倒します。この手で……」
「その手で倒すとな? すると退滅法の最期の手段を使うのか?」
「はい!」
「いつ?」
「今夜です」
 驚いて目を見張る晴代。
 今さっき退滅法を覚えたばかりで、いきなり実践しようというのだから無理もない。
「早急過ぎはしまいか? まだ、練習もしていないというのに」
「魔人は待ってはくれません。今夜か明日にも、友達は殺されるかもしれないのです」
「そうかもしれないが……」
 前のめりになり、手を突いて懇願する蘭子。
「お願いします。許可してください」
 目を閉じ腕を組んで考え込む晴代。
「呪法に失敗したら、その娘の命はむろん、おまえの命もないのだぞ」
「覚悟の上です!」
「そこまで言うのなら許可しよう」
「ありがとうございます」
「ただし! その呪法、儂が掛ける」
「おばあちゃんが?」
「馬鹿におしでない! これでも土御門家の総帥だぞ」
 声を荒げて怒る晴代。
「失礼しました」
 素直に謝る蘭子。
 やがて静かな口調に戻って、晴代が話し出す。
「いいか、蘭子。この呪法は失敗が許されない。その娘とおまえの命が掛かっているのだ
からな。未熟なおまえでは力不足だ。だから呪法は儂がやる。おまえを鏡の中の世界へ送
り込んでやる。そして魔人と力の限り戦え。たとえ敗れてお前の命を失っても、その娘の
命だけは守り通してやる。いいな、蘭子」
「はい、判りました」
「よし、いい返事だ」
 さわやかな笑顔になって見詰め合う二人。
 この時、蘭子は気づいていた。
 【夢鏡魔人封魔法】という書物を晴代は知っていた。当然として、実際に呪法を確かめ
るため弟子に協力を頼んで、練習を続けていたに違いない。そして鏡の中へ自分自身や弟
子達を送り込むことに成功していたのだろう。だからこその今の言葉なのである。
「そうと決まったら、早速その娘の家へ向かうぞ」
「はい!」
 蘭子は魔鏡を包み始めた。
「これを使え」
 晴代が棚から取り出してきたのは、長方形の薄い桐の箱で、蓋を開けると仕切り板が付
いていた。魔鏡同士ががぶつかり合って割れるという危険性を、仕切り板が防いでくれる
というわけである。魔鏡を慎重に包んで桐箱に納めて、さらに動かないように新聞紙で詰
め物をして蓋をし、風呂敷で丁寧に包んで、小脇に抱えて立ち上がる蘭子。皿や鏡のよう
な割れやすいものは、包んだ上で上下に重ねるのではなく、横に連ねるように梱包運搬す
るのが原則だ。
「虎徹はここに置いておくのだ。魔の精神波が漏れて呪法に支障をきたすかも知れぬ」
「判りました」
 蘭子は懐から御守懐剣を取り出して、棚の引き出しにしまった。
「よし! 行くぞ、案内しろ」
「判りました」
 二人連れ立って、近藤道子の向かうのだった。
 すでに日は暮れて辻を吹き抜ける風は冷たかった。

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11
妖奇退魔夜行/第二章 夢幻の心臓
2020.11.22

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第二章 夢幻の心臓


其の壱


 とある街角。
 どこからともなく線香の匂いが漂っている。
 喪服を着込んだ人々がひっきりなしに行きかっている。
 その列をたどって行くと、葬儀用の飾花の立てかけられた家に着く。
 玄関前には葬儀社の職員とおぼしき人達が、来客を手際よく案内している姿があった。
 家から出てきた来賓が職員に怪訝そうに尋ねている。
「ねえ、どうして棺に入れてあげないのですか?」
 と、困ったような表情を浮かべて、果たして答えていいものだろうかと悩んだ挙句に、
重々しく質問に答える職員。
「いえねえ……。奥様がどうしても承知なさらないのですよ。旦那様と相談して、席を離
れた隙に無理矢理棺に納めたのですが、それを見た奥様は髪振り乱して鬼のような形相に
なって、ご遺体を棺から引きずり出してしまわれたのです。『この娘は死んではいません。
心臓さえ見つかれば生き返るんです。心臓さえ……』ってね」
「そういえば、お嬢さん。心臓が悪くて臓器移植しか方法がなくて、ドナーが現れるのを
ずっと待っていたらしいですわね」
「ええ……。結局、間に合いませんでした」
「可哀想なことしたわね。まだ中学生になったばかりだというのに……」
「はい、運命の女神は時としてひどい仕打ちをするものです」
「それはそうとねえ……」
「なんでしょうか?」
「あのまま遺体を放置しておいたら、腐ってしまうのでは?」
「ご家族が折りに触れて説得なされているようですが、どうしても首を縦に振らないそう
です」
「困りましたねえ。まあ、母親としてはそういう気持ちも判らないではありませんが」
「とりあえずは、冷却剤の入ったベッドパッドの上に、ご遺体を安置して身体を冷やして、
少しでも腐るのを遅らせようとしてはいるのですが……。それも限界がありまして」
「なるほど……」
 ひとしきりの会話を終え、深々とお辞儀をして分かれる二人。
「本当に困ったものだ……」


其の弐


 夕闇に暮れた街角。
 誰かに追われているかのように、度々振り返りながら、道を急ぐ女性。
 その後方から、暗闇に隠れるようにひたひたと迫り寄る怪しい人影。
 女性の視界に灯火の点った交番が見えてくる。
 助かった!
 と思いつつ、交番に駆け込む女性。
「すみませーん! 誰かいませんか」
 大声を張り上げるが、交番内はひっそりとして人気がなかった。
 おそらく巡回に出ているのではないだろうか。
「どうかしましたか?」
 戸口の方から、男性の野太い声。
 振り返ると、制服を着た警察官が立っていた。
「じ、実は誰かに追われているんです」
「追われている? ストーカーですか、心当たりは?」
 言いながら外の方を見回す警察官。
「そんな人はいないはずです」
「そうですか……。ちょっとそこらを見回ってきますから、ここにいて下さい」
「ひ、一人にしないで下さい」
 女性はかなり怯えているようだった。
 すぐに戻りますからと、出てゆく警察官。
 一人になる女性。
 膝を揃え両手を添えるようにして椅子に腰掛けて、震えながら警察官の戻るのを待っている。
 突然、外の方で、
「な、なにをする!」
 大きな声が響いた。
 驚いて外に視線を移す女性。
 コロコロと何かが転がり込んできて、女性の足元で止まった。
 ふと見ると、それはあの警察官の頭だった。
「きゃー!」
 叫び声を上げる女性。
 続いてズルズルと、外の方から何か重いものを引きずるような音。
 やがて現れたのは、喪服を着た女だった。その手には、首のない遺体を襟元掴んでいる。
 なおも鮮血のしたたり落ちるその遺体を手放して女性に近づく喪服の女。
「あなたにお願いがあるの」
「ひっ!」
 足がすくんで身動きできない女性。
「あなたの心臓が欲しいの」
 一歩一歩近づいてくる女性。
「娘が生き返るのに必要なの。だから心臓を頂戴ね」
 だからと言って「はい、どうぞ」と渡せるものではない。
 女が目前に迫っていた。
 握手をするような仕草で、右手を差し出すと、それは女性の胸元でピタリと止まった。
「ごめんね……」
 そう言った途端だった。
 女の右手が、女性の胸元から、その身体の中にめり込んでいく。
 一瞬、女の右手が止まり、今度はゆっくりと引き抜かれていく。
 その右手には、血がしたたりドクドクと生々しく動く心臓が握られていたのである。
 白目を剥いて口から泡を吹く女性。
 やがてドサリと床に崩れ落ちる。
 無表情のまま心臓を手に、夜の闇の中へと消えてゆく女。

 交番に静けさが戻り、頭をもがれた警察官と、心臓のない女性の遺体が転がっていた。


其の参


 逢坂家のいつものような朝食風景。
 TVを見ながら一家団欒の最中であった。
 つと、ニュースに釘付けとなる家族。
『○○町××交差点にある交番にて、首を切断された警察官と、心臓のない女性の遺体が
発見されました』
 心臓のない女性という言葉に注目する家族だった。
「聞いたか?」
「はい」
「昨夜は何も感じなかったのか?」
「いいえ。何も……」
「だとすると、妖魔の仕業ではなさそうだな」
「悪霊の類ではないかと思うのですが」
「うん。あるいはな」
 そもそも生霊や悪霊、あるいは人の魂というものは、元々同じものであって、区別でき
るものではなかった。殺人者と一般人とを、見た目で見極めることが不可能なのと同じで
ある。
 ゆえに、昨夜の事件が悪霊の仕業であるならば、蘭子にさえ気づかせなかったのも道理
である。それでも直接に対面すれば、悪霊かどうかくらいは判別できる。
「しかし、神出鬼没の妖魔と違って、悪霊は限られた地域にしか出没しないから、二度三
度と繰り返されるうちに、おのずと特定できるだろう」
「それだけの犠牲者を出すことになりますけど……」
「仕方あるまい。これだけは、さしもの蘭子とてどうしようもあるまい」
「そうではありますが……」

 大阪府警阿倍野警察署。
 入り口には「阿倍野区変死事件捜査本部」という立て看板が立てられている。
 その捜査会議室の壇上から、府警本部から派遣されてきた井上馨刑事課長が怒鳴ってい
る。
「最初の事件からもう十日だぞ! 犠牲者もすでに五人に上っていると言うのに、未だに
何の手掛かりも見出していないとはどういうことだ!」
 周囲にある刑事達をギロリとにらめ付けながら、
「被害者の検視報告を言ってみろ」
 一人の刑事がすっと立ち上がって、報告書を読み上げる。
「はい。被害者はすべて女性。年齢としては十四歳から十七歳の間。被害者は心臓を抉り
取られるようにして亡くなっています。しかも、身体の皮膚には全く傷一つ付けずにで
す」
 室内にざわめきが沸き起こる。
「それが判らんのだ。皮膚に傷一つ付けずに、どうやって心臓だけを抜き取ることができ
るというのだ」
 現在の常識、科学的に不可能な事件であった。
 仮に殺人犯を捕らえたとしても、起訴に持ち込む困難であろう。
 殺人にいたる動機と証拠・アリバイなどを突き止めても、殺人の方法が科学的に証明不
可能だからである。
 いわゆる不能犯というやつである。


其の肆


 奈良の大仏に縄を掛けて引きずって盗もうとしたり、藁人形に釘を刺して呪い殺そうと
したりするのも不能犯である。仮に実際に大仏が盗まれたり、人が死んだりなど実現した
としても、それを科学的に証明できないために、不起訴となる可能性が高い。
「以前TVで見たのですが、ヨガの診療で患者を素手で手術していました。患者の身体に
術者の手がめり込んでいって、血が流れ中から何かを取り出していました。でも、さっと
身体を拭ったら、傷一つなかったのです」
「馬鹿もん! あれはトリックだ。二つの脱脂綿にフェノールフタレインとアンモニアを
それぞれ含ませておいて、もみ合わせれば化学反応が起きて、赤い血が流れたようになる。
手をこう押し当てて指を少しずつ曲げていけば、赤い液体で皮膚表面が見えないから、め
り込んでいくように見える。そしておもむろに脱脂綿の中に隠しておいた臓物らしきもの
を出して見せているんだよ」
「へえ……。そうだったんですか」
「少しは勉強しろ!」
「それでは科学的に」
 一人の刑事が手を挙げた。
「なんだ、言ってみろ」
 という刑事課長の目は、ろくな話でなかったら許さんぞ、というような気迫がこもって
いた。身じろぎしながらも立ち上がって発言する刑事。
「生体接着剤というものが開発されているそうです。手術の後、切開した傷口をこれでく
っつけてやると、ほとんど手術創を残さず治るそうです」
 一見もっともらしい発言だった。
 確かにそんな接着剤を使用すれば、みにくい傷跡を残さないということで、特に女性に
は歓迎されそうである。
「それじゃなにか……。今回の被害者は、心臓を抜き取られた後で接着剤で、傷口を接着
されたというのだな」
「可能性としてですが……」
 刑事課長は目を閉じ、ため息混じりに先を促す。
「それで……?」
「それでって、以上ですが」
「それだけかね」
「はい。それだけです」
 刑事の述べたことは、情報としては確かなものかも知れないが、ここから洞察するげき
事件の関わりが、まったく述べられていなかった。
「では聞くが、被害者は生きているのかな」
 刑事課長は矛盾する点を突いてきた。
「いえ、死んでいます」
 そう刑事が答えたとき。
「馬鹿もん!」
 大声で怒鳴り散らす刑事課長だった。
「生体接着剤のことなら私も知っている。一種の蛋白質の糊状のもので、これを使うと皮
膚同士を貼り合わせることができるものだ」
 蛋白質が糊の役目を果たすのはよく知られている。パンを食べると、歯にくっついて取
れにくく、虫歯や歯垢の原因となっている。
 これは小麦粉に含まれるグルテンという蛋白質が、非常に粘着性を持っていて、パンが
膨れるのもこの性質があるからである。
 生体接着剤は一時的に皮膚同士をくっつける。やがて両側から組織が伸張してきて、時
間経過と共に完全に癒合してしまうというものである。
「だがな、これは患者が生きていてこそのものだ。死んでしまった皮膚は決して再生しな
いし、くっつきもしない。どうだ、違うか?」
 刑事課長は、念を押すように尋ねる。
「そ、その通りです」


其の伍


 どんなに優れた生体接着剤をもってしても、一端切り開かれた皮膚には接合痕もしくは
再生痕が必ず痕跡として残るものである。
 それに犯人が心臓を抜き取った後で傷口を治療する理由が理解できない。
 心臓が欲しければ抜き取るだけで良いはずである。何もわざわざ傷口を隠す必要もない
だろうし、生体接着剤の入手ルートから足が付くこともあり得る。
「まあ、いいだろう……。ともあれ意見を述べることは非常に大切なことだ。発言しなけ
れば何も進展しないからな」
 と、黙ったままの老刑事達を睨んだ。
 彼らは、上から命令されれば忠実にまめに働く。だがそれだけでしかなく、進歩的なこ
とには動こうとしない。
 ノンキャリアである彼らに昇進の道は遠く、どんなに頑張っても警部補止まりであろう。
警察大学校を卒業したキャリア組とは大違いである。国家公務員でもあるキャリア組は、
初任でも警部補として任官し、現場に配属されれば自動的に警部となり、二三年も立てば
警視に昇進するというのが、ほぼお決まりのコースとなっている。
 それが判っているからこそ、ノンキャリア組は率先して働くこともなく、上から命令さ
れれば働くという、一種退廃てきな官僚ムードに支配されているのである。警察官という
公僕としての責任を背負わされている割には報われない。非番時に電車で女子に痴漢行為
を働いたり、スカートの中を盗撮したりして、ストレスを発散したくなるのも無理からぬ
ことではないだろうか。
 会議は六時間という時間を無駄に消費しただけで、何の成果を上げることなく解散とな
った。
 外はすっかり暮れて夜となり、刑事達はさらなる聞き込みを命じられて、それぞれの分
担区域へと散らばっていった。

 夜道を蘭子が警戒しながら歩いている。
「これまでの被害地域から考えると、この辺りが震源地だと思うのだけど……」
 きゃー!
 と、突如響き渡る悲鳴。
 急いで声のした方へと駆け出す蘭子。
 すると夜道を向こうから誰かがやってくる。
 街灯に照らされて、姿を見せた人物は喪服を着込んだ女性で、手に何かを持っていた。
 それは紛れもなく血の滴り落ちる心臓だった。
 喪服の女性は、蘭子には目もくれずに、古い屋敷の土塀の中へと消え入った。
 女性の消えた土塀を調べる蘭子。ごく普通の土塀で人が通り抜けられるはずはない。
 常識では考えられないことだった。
「やはり悪霊の仕業だったのね」
 次の行動に移ろうとした途端、懐中電灯で照らされ、
「こんな夜中に、何をしているか! 署まで来てもらおうか」
 警察官に取り押さえられた。
 早速、変死事件の捜査本部の置かれている阿倍野警察署へと、有無を言わさずに連行さ
れることになった。
 取調室に監禁され、女性警察官立会いのもと、刑事課長の尋問が続けられている。
「こんな時間に出歩いていた目的は?」
 何度聞かされただろうか。
 答えないでいると、次々と質問を浴びせられて、またこの質問に戻ってくるという堂々
巡り。仮に正直に答えたとして、思惑通りでないと、執拗に同じ質問を繰り返す。
 是が非でも自分がやりました、犯人ですと言わしめ、自白調書に署名させるのだ。いわ
ゆる冤罪事件と言われる、人を人と思わずに人権無視が横行する、警察官の横暴であった。


其の陸


「被疑者を取り押さえたと聞くが」
 と取調室に入ってきたのは、警視の階級章を付けた警察官だった。おそらく警察署長と
思われる。
「なんだ。女の子じゃないか」
 蘭子と刑事課長との表情を見比べて、しばし考えてから言った。
「その女の子を帰してさし上げなさい」
「どうしてですか? 今夜も被害者が出て、すぐそばを歩いていたんです。被疑者もしく
は重要参考人として」
「馬鹿もん! だからと言って年端もいかない子女を、こんな夜遅くに取調室に監禁など
もってのほかだ。現行犯逮捕でもない限り、許されるものではない」
「しかし、署長……」
「言い訳無用だ。今すぐ車で送ってあげなさい。パトカーはだめだぞ。覆面で送ってや
れ」
 まだ何か言いたそうな刑事課長だったが、渋々従うよりなかった」
 覆面パトカーで自宅まで送られた蘭子だったが、自室に戻りふと窓の外を覗くと、覆面
パトカーがまだ止まっていて、中から刑事がこちらを窺っていた。どうやら張り込みされ
ているらしい。

 翌日、学校へ通学する蘭子。
 そのはるか後方を、何者かが尾行を続けている。もちろん蘭子が気づかないはずがない
が、素知らぬ顔をしている。
「おはよう、蘭子」
「おはよう」
 クラスメート達が朝の挨拶を交わす。
 教室に入り外を見ると、校門で立ち尽くす尾行者がいる。
 ここは治外法権みたいなもので、さすがに尾行者も校門から中へは入ってはこれない。
「今朝のニュース見た?」
「見た見た。例の連続変死事件でしょ」
「昨晩のことよね。怖くて夜道を歩けないわ」
「早く犯人が捕まって欲しいわね」
 女子高校生たちの話題はもっぱら変死事件のことばかり。挨拶代わりに交わされるほど
に、日常的となっていた。学校側も無関心でいられるわけもなく、女子生徒のクラブ活動
は日のある間だけで、日が沈む前に帰宅しなければならない。教諭達による校内巡回も当
番製で実施され、女子生徒が残っていれば、速やかなる帰宅を促していた。
 授業中の間、尾行者は校門前で張り込みを続けているが、不審者扱いされ学校関係者や
通報を受けてやってきた警察官から、しばしば訊問を受けていた。その度ごとに平謝りし
ながら胸元から手帳を出して見せていた。
 放課後、授業を終えた蘭子は、学校の方針に従って、所属する弓道部の練習を中止して、
真っ直ぐ自宅へ帰ることにした。校門には尾行者の姿は見られなかったが、どうせどこか
に隠れているのであろう。さすがに大勢の女子生徒が一斉に帰宅する時間帯は、校門前に
は張り付いていられないというところだろう。
 歩き出してしばらくすると、やはり尾行者が付いてくる。


其の漆


「尾行の下手な人だ。ちょっとからかってみますか」
 呟くと、さっと素早く路地裏に身を隠した。
 すると撒かれてなるものかとばかりに、大急ぎで駆け出してくる。そして路地裏に駆け
込むと、
「いてて、痛い!」
 待ち構えていた蘭子に、羽交い絞めを掛けられて、うめき声を上げた。
 腕を振りほどこうとするが、完全に決まっていて抜け出せるものではない。
「どうして私を尾行するのですか? どうやら警察官のようですけど」
「そうだ。常時目を離さず監視するように、上から命令されている」
「命令したのは、刑事課長でしょう」
「それは言えない。それより早く腕を解きたまえ。でないと公務執行妨害になるぞ」
「あら、構いませんわよ。その変わり私も強硬手段に訴えるだけです」
「強硬手段?」
「大声で悲鳴を上げればいいだけです。下校時間だから、大勢の女子高生の野次馬が集ま
ってきますわよ」
「馬鹿な。私は警察官だぞ。上の命令で君を監視していた警察官だぞ。女子高生の証言な
ど誰が信じるか」
「そうでしょうか? 最近の警察官の腐敗は良く知られているじゃありませんか。飲酒運
転で交通事故を起こしたり、出会い系サイトで知り合った少女を集めて売春させたり、電
車内痴漢やストーカー行為など不祥事が絶えませんよね。それにあなたは学校の校門前で、
大勢の人々に不振がられていた。そんなあなたが、ストーカー行為を働いたって不思議と
は思われないでしょ」
「冗談じゃない!」
 大声で否定する刑事。
 自分は純朴なる公務員だと言いたそうな表情である。
 そんな輩に限って不貞を働いたりするものだが。
「いいでしょう。いつまでも付きまとわれるのは侵害ですので、連続変死事件の真犯人に
会わせてあげましょう」
「知っているのか? 真犯人を」
「知っていますよ。あの夜、血の滴る心臓を手にした女性を見かけたのです。しかし後を
追おうとしたところに、あなた方警察官に取り押さえられてしまったのです」
「それは済まない事をした。しかしこういうことは、警察に任せて欲しいものだ。民間人
に踏み込んでもらっては困るし、身の危険にもなる」
「皮膚に傷一つ付けずに心臓を抜き取られるという不能犯に、手をこまねいているのは警
察の方ではありませんか」
「では、君なら解決できるというのかね」
「できますよ。なぜなら犯人は人間ではないからです」
 事実をありのままに証言する蘭子。
「人間じゃないとはどういうことだ」
「まあ、とにかく。犯人に会いに行きましょう。すべて判りますよ」
 ここで議論してもしようがないし、納得させることはまず不可能であろう。
 実際に事実を突きつけてやった方が、解決は早い。
「いいだろう。会いに行こうじゃないか」
 というわけで、早速あの土塀の続く屋敷へと向かったのである。
 途中、警察官一人の手に余るということで、上司の井上刑事課長も同行することになっ
た。

 土塀のある屋敷に着いた。
 あたりはひっそりと静まり返り、不気味なくらいであった。
 予定では蘭子一人で乗り込むはずだった。
 蘭子の着ている制服を見れば、同じ高校だと判るはずだから、クラブ活動なり生徒会の
意向で見舞いに来たと言えば、通してくれるだろう。
 だが同行の警察官が問題だった。教諭と偽るには眼光が鋭すぎる。
「まあ、何とかなるでしょう」


其の捌

 意を決して門をくぐる蘭子と警察官の二人。
「ごめんください!」
 蘭子のよく通る声が奥まで届き、主人らしき人物が玄関先に現れた。
 目はどこか虚ろで疲れきったような足取りだった。
「何かご用ですか?」
「お亡くなりになられたお嬢さんのご焼香に伺いました。それと奥様にご挨拶を」
 途端に主人の顔色が変わった。
「どういうご関係かは知らぬが、会わせるわけにはいかぬ」
 すごい形相だった。
 しかしここで引き下がるわけにはいかない。
「ご近所の皆さまから伺った話ですが、お嬢様はお亡くなりになられたというのに、奥様
は死んでいないと言い張って、看病を続けているというじゃありませんか」
「そ、それがどうした」
「おかしいとは思いませんか? お嬢様がお亡くなりになって十五日ほど経ちますが、普
通なら腐敗がはじまって異臭が屋敷中に漂っているはずです。純日本家屋ですから、異臭
が部屋の外に出ないはずがありません。もしかしたら亡くなった時の状態を保ってらっし
ゃるのではありませんか? 違いますか?」
 主人は言葉に詰まって返答できないでいる。
 図星だなと判断した蘭子は、追い討ちを掛けるように言葉を続ける。
「もう一つ、お伺いしますが、奥様はどうなされていますか? ちゃんと食事を摂られて
いますか? 十五日も食事をしなければ死んでしまいますよね」
 矢継ぎばやに繰り出される質問に、主人は答を見出せない様子だった。
 しばらくうなだれていたが、意を決したように口を開いた。
「わかりました……。とにかく会っていただきましょう」
 玄関を上がって長い廊下を歩いていく。エアコンは見当たらないが、開け放たれた障子
など、換気は十分で吹き抜ける風は冷たい。
 家中がひんやりと冷え切っているような感じだ。
 主人、蘭子、刑事二人の順で廊下を歩く。
 やがて閉めきった部屋の前にたどり着く。
 さすがに死人のいる部屋を開けておくことはできないようだ。
「こちらです」
 主人が立ち止まって障子を開く。
 信じられないような情景が目に飛び込んでくる。
 布団に横たわる少女。
 まるで生きているような表情をしていた。
 しかし少女は死んでいるはず。
 そして枕元に正座して、少女をやさしく見つめるようにしている母親。
 しかし、それは現実ではありえないはずのものだった。
 まるで時が凍えていうような情景であった。
「本当にお嬢様は亡くなられているのですか?」
 若い刑事が念のために質問した。
「はい。もう十五日になります。心臓病でした」
「変死事件が始まったのもその頃ですね」
 若い刑事が口をはさんだ。
「ここでそんな話をするもんじゃない!」
 ぶしつけな質問をするのを、刑事課長がたしなめた。
「いえ、確かにそうなのかも知れません。心臓移植を希望していたものの、ドナーが現れ
ずに死んだ娘。それから始まった「娘は生きている」と主張する母親の狂気ですが、そこ
に悪魔かなんかが取り付いてしまったのではないかと。この部屋の光景が物語っていると
思います。娘は他人の心臓を与えられて、腐ることなく生き続けているのです。いや、生
かされているのだと。そしてまさしく、心臓を届けているのが妻なのです」
 部屋の前で数人が集まって話し合っているというのに、部屋の中の住人はまるで聞こえ
ないかのように静かなものだ。


其の玖

「不気味ですね」
 再び若い刑事。
 蘭子が身構えながら敷居を越えて部屋の中へと入っていく。
 一瞬、部屋の空気がどよめいたように感じた。
「皆さんは、そこから動かないでください。何が起きるか判りませんから」
「しかし……」
 若い刑事が後に続こうとするが、
「動くんじゃない!」
 と刑事課長に制されて足を止めた。
 この部屋の中に充満する得体の知れないものを感じているのかもしれない。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」
 と、九字の呪法を唱えながら、部屋の中ほどへと進み行く蘭子。
 母娘のそばに立ち、やおら布団を巻き上げると、異様な光景が眼前に現れた。
 少女の身体を取り囲むようにして置かれている干物のようなもの。まさしく心臓だった。
 優しげな表情をしていた母親の顔つきが突然変わった。まるで鬼のような形相となって、
蘭子に襲い掛かってくる。蘭子は軽々と身をかわしていたが、やおら片膝を着くと、両掌
を胸元で構え、少し指を内側に曲げるようにして、セーマンの呪文を唱え始めた。
「バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク」
 すると両手の間に輝く五芒星(清明桔梗紋)が現れた。
 この五芒星を示した図柄は、古代エジプト墳墓に多く描かれ、かの有名なカルナック神
殿やルクソール神殿の天井にも描かれている。これは人間が手足を広げた形で、人は死ぬ
と空に行って星になるという言い伝えからきていると言われている。果たしてこのエジプ
トの言い伝えと、陰陽道の考えにどういうつながりがあるかは判らないが、死者を送るこ
とと悪霊を祓うことと共通性が見られる。
「はっ!」
 蘭子が気合を込めて、両手を前に突き出すと、五芒星が宙を飛んで母親の眉間に、その
陰影を刻んだ。
 突然、動きを封じられたかのように、身動きしなくなった母親。
 すっくと立ち上がり母親の顔に向かって指を突き出す蘭子。両側のこめかみにある「太
陽」と、眉間にある「神庭」と呼ばれるツボ(経穴)を突く、三点心打突である。
 そしてやさしく諭すように語り掛ける。
「思い出すが良い。娘さんとの楽しい日々のこと。悲しいこともあっただろう。娘さんは
そんな思い出と共に天に召されようとしている。人には運命というものがる。短い命もあ
れば長寿を全うする場合もある。娘さんは母であるあなたに見守られて幸せに生きた。例
え果かない命であったとしても、あなたの愛情に包まれて逝ったのだ。娘さんは十分幸せ
に生きた。あなたは、その娘さんを地上に束縛して苦しめているだけなのだ。違うか? 
もう一度思い出すのだ。娘さんとの幸せな日々を」
 切々と訴えかける蘭子。
 母親の両目から涙が溢れてくる。
「さあ、逝くがよい。娘さんと一緒に、仲良く」
 二人の身体から白い靄のようなものが浮き出してきた。それは人の形となり母親と娘の
姿となった。母親が頭を下げて礼をしているかのように見える。二人は仲良く手を取り合
って天に召されていった。
 そして母親の身体が、ボロボロと崩れはじめ、やがて灰となってしまった。
 つと振り返って、主人や刑事の所へと戻る蘭子。


其の拾

「終わりましたか?」
 刑事課長が言葉を掛ける。
「はい。これで変死事件も起きません」
 若い刑事が部屋に入って、二人の遺体を調べ始めた。
「これはどういうことですか? 灰になってしまうなんて」
「お母さんは、お嬢さんを生かし続けるために、自分の生命エネルギーを注ぎ込んでいた
のです。身も心もすり潰して」
「そんなことができるのでしょうか? いや……現実に目の前で起こったのですから信じ
るしかないのでしょうねえ」
 刑事課長が感慨深げにため息をつく。
「娘と妻は、成仏したのでしょうか?」
 主人が尋ねた。
「はい。二人の魂が仲良く手を取り合って、天に昇っていくのが見えました」
「魂が見えるのですか?」
「場合によります。自分が関わった人とか、怨念やこの世に未練を残した人に限りますけ
ど」

 屋敷から出てくる蘭子と刑事二人。
 大きな欠伸をして、背伸びをする蘭子。
「どうしました?」
「いえね。昨晩、ある所に遅くまで監禁状態にされていたので、睡眠不足気味で」
 わざとらしく聞こえるように蘭子が言うと、
「いや、大変失礼なことをした。すまないと思っている」
 頭を深々と下げて、反省している様子を見せる刑事課長。
「あなたは霊能力者のようだ。それでお願いというか協力して頂きたいのですが……」
「協力?」
「いえね。ここ最近、うちの管内で人の手では不可能と言われるような事件が多発してい
るのです。ついこの間も四天王寺で全身の血を抜き取られるという事件が起きていたので
す」
 その事件は、蘭子が隠密裏に解決したものだった。
「結局、まったく不可解で手掛かりなしで、迷宮入りになりそうです。あなたには、そう
言った「人にあらざる者」に関わる事件捜査に協力してほしいのです」
「なるほど……。そういうことなら、自分にできうる限りの協力に尽力しましょう」
「ありがたい。また改めてご自宅にお伺いしてご相談しましょう」
「では、今日のところはこれで失礼させていただきます」
 刑事と別れて帰宅の途につく蘭子。
 また一つの事件を解決して、充実した気概に満ちていた。

夢幻の心臓 了

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11
妖奇退魔夜行/第一章 夢魔の標的
2020.11.21

陰陽退魔士 逢坂蘭子/第一章 夢魔の標的


其の壱


 翌朝となった。
 逢坂家の食堂にて、家族が朝食をとっている。
「おはようございます」
 そこへ女子高制服に身を包んだ蘭子が眠たそうに入ってくる。
「おはよう」
 蘭子が自分の席に着くと、母親が早速ご飯と味噌汁をよそってくれる。
「どうした浮かぬ顔をして……」
 父親が不審そうに尋ねる。
「いえ……。最近、夜毎に妖気を感じて目が覚めるのですが、しばらくすると消え
てしまうのです」
 昨夜のことを事細かに報告する蘭子。
「うーん……。それはあれだな。その妖気の正体は、人間という依り代を必要とす
る妖魔なのであろう」
「憑依型の妖魔ですか?」
「そうだ。妖魔が人間に憑依するには、誰でも良いというものではない。輸血や臓
器移植に血液型などが合わないとだめなように、妖魔と依り代となる人間との因果
関係が必要なのだ」
「因果関係?」
「それが何かはいまだに判らぬことが多い。ともかく妖魔は憑依できる人間を見つ
けたというわけだ。しかし人間が明瞭な自我を持っていては憑依できない。そこで
自我を崩壊させるために、眠っている間にその精神に入り込んで、毎夜悪夢を見せ
続けるのだ。その時に一時的に実体化して妖気を放っているのかも知れない。それ
をおまえが察知したというわけだ」
「そういうことでしたか……」
「自我を崩壊させるのには、性急し過ぎてもだめだ。自我だけでなく魂までも殺し
てしまうことになる。人間が生きるには肉体と魂が必要だからな。魂までも殺さな
いようにして、じわじわと悪夢を見続けさせる」
「そして自我を崩壊した人間は、妖魔に憑依されて実体化すると」
「やっかいなのは実体化するまでは手が出せないし、実体化したらしたで依り代と
なった人間には傷をつけることなく、妖魔だけを退治するのは至難の技ということ
だ。おまえの持つ虎徹が必要になるな」
「はい……」 
 唇をぎゅっと噛みしめる蘭子だった。


其の弐


 大阪府立阿倍野女子高等学校へと続く通学路の小道。
 女子高制服に身を包んだ一団が次々と通り過ぎる。
 スクールゾーンとなっているこの時間帯には自動車は通れない。
 ために、道いっぱいに広がってゆったりと歩いている。
 その中に、逢坂蘭子の姿もあった。
 春のそよ風に、そのしなやかな長い髪がそよぎ、つと掻き揚げる仕草には、まさ
しく今時の女子高生の雰囲気をかもし出していた。
「蘭子~!」
 と、突然背後から声が掛かった。
 立ち止まり、振り返ると、同級生の鴨川智子が小走りで駆け寄ってくる。
「おはよう、智子」
「おはよう、相変わらず早いわね、蘭子」
「門限ぎりぎりに駆け込むというのは、性にあわないのでね」
「何事にも、心にゆとりを持って行動する……ってか?」
「そういうこと」

「おはよう!」
「おはようございます」
 見知った友達同士や先輩・後輩が挨拶を交わしながら、次々と学校の校門をくぐ
り、自分たちの教室へと向かう。
 1年3組とプレートの掲げられた教室の前。
 蘭子と智子の二人が中へ入っていく。
「おっはよう!」
 手を上げて大きな声で先に来ていたクラスメートに挨拶をする智子。
「おはよう智子。相変わらず元気ね」
「元気が取り柄やからね」
「おはよう蘭子」
「おはよう、静香」
 たちまちのうちに仲良しグループが集まってくる。
 そしていつものように他愛のない会話がはじまる。
 昨晩のTV番組のことや、誰それが男の子と云々とか話題は尽きない。
 やがて予鈴がなって、それぞれの自分の席へと分かれて授業の始まりを待つ。

 一時限の授業がはじまる。
 教本を読む教師、名前を呼ばれて立ち上がり、指定された箇所を読誦する生徒。
 黒板に書き綴られた内容を、ノートに書き写す生徒。
 蘭子もまたそんな生徒の一人として、窓際の席で楚々として授業を受けていた。

 どこの学校でも見られるごく普通の授業風景であった。


其の参


 昼休みとなった。
 女子生徒達は教室のあちらこちらにグループを作って、それぞれに弁当箱を広げ
て談笑している。
 鴨川智子、芝桜静香、風祭洋子、そして蘭子を加えた中学校からの仲良し四人組
もまたその中の一つであった。
「ところでさあ……。この間の変死事件だけど、結局迷宮入りになりそうよ」
 グループの中でも、いち早く噂話や事件の裏話などを仕入れてくる、情報屋と呼
ばれる静香が話題を提供した。
「ああ、四天王寺公園で全身の血を抜かれて死んでいた、うちの学校の生徒のこと
でしょう?」
 ぴくりと眉を吊り上げる蘭子。
 ある夜のことを思い出していた。

 夜の公園に悲鳴があがる。
 一人の女子高生が怪物に襲われている。
 恐怖に引きつった顔、あまりの恐ろしさに身動きできない。
 つつと怪物から触手が伸びていく。
「まるで、蛭のようだな」
 どこからともなく声が響く。
 振り返った怪物の視線の先の木陰から現れる巫女装束の少女。
 陰陽退魔士、逢坂蘭子だった。
 次の瞬間。
 その手元から呪文の書かれた呪符が飛び、怪物の身体に張り付いた。
 ぐぉー!
 うめき声を上げる怪物。
「どうだ。身体を動かせないだろう。おまえのような低級妖魔には呪符だけで十分
だ。どうやら昨夜の件もおまえの仕業のようだ」
 蘭子が呪文を唱えながら、右手をゆっくりと水平に上げると、その指先に青い炎
が点った。
「清浄の炎よ。邪悪なるものを永遠の闇に返せ」
 蘭子が右手を前方に振り出すと、青い炎が宙を舞って怪物の身体に取り付き、一
瞬にして燃え上がった。
 ぐあああ~!
 苦しみもがく怪物。
 やがて跡形もなく消え去ってしまう。

 地面にへたり込んで呆然としている少女。
 歩み寄り、その額に指先を当てながら、
「眠るが良い。そして今宵のことはすべて忘れることだ」
 呪文を唱える蘭子。
 やがて目を閉じて眠るように横たわる少女だった。

 すっくと立ち上がり、闇夜の中へと消え去る蘭子。

「蘭子! 聞いているの、蘭子?」
 すぐ目の前に智子の顔があった。
「ああ……済まない」
 過去に思いを馳せていた自分を現実に引き戻す蘭子。
「何を考えていたの?」
「いえ、何でもないわ」
「そう……」
「それで、何か用かしら」
「食事が済んだら、他のみんなを集めてボール遊びでもしようという話よ」
 風祭洋子がバレーボールを片手で宙にぽんぽんと弾ませていた。
「ああ、その話ね。わかったわ」
 新入学したばかりで、各中学校から集まったクラスメート達とは馴染みのない者
も多かった。そこで昼休みにバレーボールに興じながら親睦を図ろうというものだ
った。
 すでに食べ終わっていた弁当箱を鞄に収めて立ち上がる蘭子。
「さて、行きましょうか」


其の肆


 放課後の帰り道。
 一緒の鴨川智子が深刻そうに言う。
「蘭子、お願いがあるんだ。お兄ちゃんのことで相談したいんだけど」
「相談事?」
「うん。うちに来てよ」
「わかったわ」
 というわけで、智子の家に立ち寄ることになった蘭子。
 智子の自室は日の良く当たる南側にあって、窓側から少し離してベッドが置かれ、
壁際には勉強机や洋服箪笥、そして中央にはカーペットとガラステーブルが置かれ
ている。
「ちょっと着替えるね」
 女子高生服を脱いで普段着に着替え、制服をハンガーに掛けて壁際に吊るす。
 ドアがノックされて母親が顔を見せた。来客のためにジュースとお菓子を持って
きてくれたのだ。気の利くやさしい母親のようだ。
「どうぞ、ごゆっくり」
 甘いものには目がない智子。早速用件はそっちのけでショートケーキを頬張りは
じめた。
「智子、太るわよ」
 蘭子が注意するが馬耳東風である。
「これだけは止められないのよね。ショートケーキ」
 最近太り気味の智子であるが、スカートのウエストが合わなくなって着れる服が
少なくなって困っているという。にもかかわらず甘いものを断ち切ることができな
いでいるという。
 呆れながら蘭子もショートケーキを頬張りはじめた。嫌いではないが好きとも言
えないところ。それに蘭子は武道をたしなんでいるので、これくらいのカロリーは
すぐにエネルギーとして消費されてしまうのだ。
 ショートケーキを食べ終えた二人。
「そろそろ用件の方を聞かせてもらえないかしら」
 本題に入ることを促す蘭子。
「ここ最近だけど追いはぎが夜に出没するようになったの知ってる?」
「知ってるわよ。若い女性を襲っては着ている服を脱がして持ち去ってしまう事件
でしょ」
「そうなのよ。しかも首筋にくっきりとキスマークも付けられているの。これが牙
が刺さった跡で血でも抜き取られていたらドラキュラなんだけど……。で警察は単
なる物盗りということで本腰を入れてないみたいなのよね。これでは四天王寺の事
件みたいに迷宮入りよね」
「それで?」
「ここからが本題よ」
 智子の表情が少し険しくなった。姿勢を正して座りなおすと、とつとつと話しは
じめた。


其の漆


 公園の影から智子が飛び出した。
「智子、後を付けてきたのか」
「目が覚めて制服がなくなっているので、もしかしたらと思ったからよ。教えて、
蘭子の言ったことは本当なの?」
「本当さ、間違いない」
「そんなあ……」
 智子の全身が震えている。
 涙があふれて止まらないようだった。
「智子。お兄さんは、もう以前の達也君じゃない。妖魔に身体を乗っ取られ、精神
を操られているのよ」
「嘘よ!」
 そんなこと信じられないと、激しい怒りを蘭子にぶつける智子だった。
「あはは、そいつの言っていることは本当さ。証拠を見せてやろう」
 高らかな笑い声を上げると、達也は制服を両手で引き裂いた。と同時に、その身
体がまはゆく輝きだした。
「何が起こっているのよ?」
「メタモルフォーゼ……。再融合よ。妖魔が、お兄さんと一体化して、新しい身体
へと変化しているの」
「止められないの?」
「止められないわ」
 達也の身体に変化がはじまった。
 胸が膨らみ始め、髪が長くなってゆく。ウエストはくびれ、腰が大きく張り出し
てくる。
 まさしく女体への変貌であった。
「女性を襲って、精気を奪っていたのは、このせいだったのね」
「そうよ。私は男である身体に嫌悪感を持っている。しかし憑依できる身体が見当
たらなかった。だから取りあえずこの身体に憑依して、女の性エネルギーを吸い取
って、変身することにした」
 やがて再融合が完成したようだ。
 元の達也からは想像もできないような完璧な女体。
 ため息がでそうなくらいに美しい身体であった。
「どう? 美しいでしょう」
 ひときわ長く伸びた爪を舌なめずりする妖魔。
「そのために何人の女性を犠牲にした。精気を半分以上吸い取られた彼女達は、異
常なまでの速さで老いさらばえてゆくのだぞ」
「関係ないわね」
「これ以上の犠牲者を出さないためにも、おまえを退治する」
「あら、やるというの? いいわ、かかってらっしゃい」
 御守懐剣を、懐から取り出す蘭子。
 隙をうかがいながら、じりじりと間合いを狭めていく。
 ここぞという瞬間に、懐剣を突き刺すが、ひらりと飛び上がって身をかわす妖魔。
 その背には白い羽根が生えていた。
 空を飛ぶ能力を持っているようだった。
「あらあら、そんな攻撃しかできないの。なら、手っ取り早く片付けてあげるわ」
 空から急降下で、その鋭い爪を突き立てる妖魔。あまりにも素早い動きのために、
呪法を唱える余裕がなく防戦一方となる蘭子。
 強襲攻撃を受けて地面に転がる蘭子。
 このままではやられると観念した蘭子は、呪符を五芒星に並べて禁呪符陣の結界
を張った。
 呪符にはそれ自体に、呪法が掛けられているので、素早く結界陣を張ることがで
きるのだ。
 妖魔が急降下攻撃を仕掛けてきたが、見事に結界が防いでくれた。


其の捌


「結界か……。こしゃくな真似を。しかし、その中にいても私を倒せないぞ」
 蘭子は答えずに黙々と呪文を唱えていた。
 と、突然。
 御守懐剣の刀身で自分の人差し指に傷をつけた。
 そのしたたり落ちる鮮血を、刀身に吸わせるようにしながら、今度ははっきりと
した言葉を発した。
「先祖より代々伝わりし虎徹よ。いにしえの契りにより、その本性を現わし、我に
応えよ」
 するとどうだろう。
 懐剣が輝きだし、その形を変えて長剣へと変貌し、その刀身からすさまじいオー
ラを発し始めた。
 この妖しく輝く長剣こそが、【長曾禰虎徹】が鍛えし本来の姿で、その刀身には
魔人が封じ込められていた。
 蘭子の先祖である安部清明の子孫が修行で江戸に赴いた時、世間を騒がす魔物と
対峙することになった。修行者は江戸で買い求めていた虎徹を使って、その中に魔
人を呪法で封じ込めることに成功した。その後、その修行者が亡くなり、虎徹は人
から人へと渡っていった。しかも封じ込められた魔人の力によって、その虎徹は人
斬り剣となって、数多くの民衆の血を吸い続けたという。
 虎徹の持つ鋭い切れ味と、刀身に刻まれた見事なまでの彫刻によって、有力武家
が欲しがり所持している者を殺してまでも手に入れようとした。
 魔剣となってしまった虎徹。安部家の子孫であり神道をも極めた土御門家の修行
者の一人が、虎徹を再び御守懐剣として人殺しをできない形状にして封じ込めに成
功したという。
 力を封じ込められてしまった魔人は改心し許しを乞うた。そこで修行者は契りを
結ぶことによって、一時的に懐剣から解放し、懐剣を持つ者と共に魔物と戦うこと
を約束させた。魔物と戦い続け、この世にさ迷う魔退治した時、降臨して封印をす
べて解いてやることにしたのだ。
 これが蘭子の家に伝わる御守懐剣の秘密だった。
 虎徹を下段に構えて、結界から出てくる蘭子。身体中からオーラが発散していた。
これは虎徹から解放された魔人と精神融合して、その能力を身に付けた証でもあっ
た。だからといって、魔人に精神を乗っ取られたのではなく、完全に魔人をコント
ロールしていた。
「ほほう。退魔剣というわけか……。なら、これでどうだ」
 というと、智子の背後に飛び移って、人質にとった。
 蘭子は意に介しないという態度で、剣を大上段に構えなおした。
「この虎徹。人を斬る剣にあらず。魔を封じ滅ぼす退魔剣なり」
 言うなり、大上段から剣を振り下ろした。
 まばゆいばかりの光の渦が地を走るようにして妖魔に向かって襲いかかった。
 苦しみもがく妖魔。
 素早く駆け寄り、護符を貼り付ける蘭子。
 やがて妖魔から白い靄のようなものが浮かび上がり、弾けるように消え去った。
 崩れるように地に伏した達也の身体に変化が現れた。
 白い羽根や長い爪が消え去り、ごく普通の女の子の身体になった。
 女性の精気を大量に注ぎ込まれて女の子になってしまった身体は、元の男である
達也には戻れないようだった。
 一方の智子は、茫然自失のまま身動きしなかった。
「智子、しっかりして」
 その身体を揺すぶって気づかせる蘭子。


其の玖


「な、何が起こったの? 妖魔は?」
「もう大丈夫よ。妖魔は退治したわ」
「お兄ちゃんは?」
「ちゃんと生きているわ。でも……」
 言葉を詰まらせる蘭子は、視線を達也に向けた。
「これがお兄ちゃん? 女の子のままじゃない」
 兄の身体に目をやった智子が質問する。
「そうね。妖魔によって女の子に作り変えられた身体は元には戻らないみたい」
「そんなの……。これからどうして生きていけばいいのよ」
「とにかく智子は、ありのままを達也さんやご家族に話すしかないでしょう。そし
て家族全員で考えて結論を出すしかないわ」
「そ、そうね。そうするしか……」
 一応納得する智子。
 蘭子は懐から呪符を取り出すと、呪文を掛け息を吹きかけた。
 すると空に巨大な竜が現れた。
「式神よ。十二天将の中の一神」
「それって、玄武とか白虎・朱雀とかいうあれ?」
「その通り」
「強そうじゃない。最初から呼び出せば良かったんじゃない?」
「そうもいかないのよ。妖魔の中には式神を無効にしてしまう者もいるから。所詮
呪文で呼び出しただけだから。でもこういう場合には役にも立つ」
 そういうと青龍の持つ玉から一条の光が差して、蘭子たちを包んだ。
 次の瞬間、三人は達也の部屋に転送されていた。
 床に横たわる達也を抱えて、ベッドに横たえ布団を掛けてやる蘭子。
「目が覚めたら、女の子になってると驚くだろうから、事情を説明してなだめてあ
げてね」
「わかったわ」
「それじゃ、今夜はもう帰るわ。学校でまた相談しましょう」
「うん」

 それから数ヶ月のことだった。
 蘭子達のクラスに転入生があった。
 担任教諭が、黒板に名前を書いて紹介をはじめた。
「今日からお友達になる鴨川恵子さんよ。智子さんとは双子の姉妹です。仲良くし
てやってくださいね」
 驚く蘭子。
 智子の方を見ると、微笑んで片目をつぶってみせた。
 びっくりさせるために、このことを隠していたようである。
 達也だった恵子は、すっかり女の子らしくなって、女子校制服が良く似合ってい
た。
 今後、少なくとも三年近く付き合っていくしかないようである。

 第一章 了

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11
妖奇退魔夜行/序章・蘭子登場!
2020.11.20

 陰陽退魔士・逢坂蘭子/序章・蘭子登場!


 大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16。
 熊野街道沿いに安倍晴明神社(あべのせいめいじんじゃ)がある。
 安倍晴明公は、天慶7年(944年)、この地に生誕し、のちに天文陰陽推算の術を
修め、「葛の葉子別れ」の伝説で広く知られている。

 この物語は、その安倍晴明が活躍した世代から、約十世紀余の現代にはじまる。

 草木も眠る丑三つ時。
 安倍晴明神社からほど遠くない所にごく普通の住宅がある。
 その二階の一室で眠る一人の若き少女。
 本編の主人公であり、枕元には先祖代々受け継がれた妖刀を収めた小柄が、夜の闇に
怪しげに輝いている。
 名匠長曽弥虎徹が鍛えた御守懐剣の一つである。

 少女の名は、逢坂蘭子。

 安倍晴明の血筋に繋がり、陰陽道の妖術の使い手でもあったが、その寝顔を見るにつ
けてもごく普通の女の子にしか見えない。
 それもそのはずで、近くの大阪府立阿倍野女子高等学校に通う、今時の女子高生なの
だから。

 窓のカーテンは開け放たれており、夜を照らす月の光が差し込んでいる。
 その月を真っ黒な雲が覆い隠し、物音しない夜の空間に闇を作り出した。

 と、突然だった。
 枕元の小柄が、微かに震え始めた。
 その小柄に向かって、白くて細い指先が伸びて、それを掴んだ。

「妖気……」
 異変を感じて目を覚ました少女は、あたりに漂うただならぬ気配を感じ取っていた。

 何も言わず、静かに寝巻きを脱いで裸になる少女。
 そして和箪笥から、この時のための装束である巫女装束に着替え始めた。
 巫女装束は、少女にとっては戦闘服でもあった。

 巫女装束に着替えた少女。
 彼女の名前は……。

 陰陽退魔士「逢坂蘭子」

序章 了

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妖奇退魔夜行/蘇我入鹿の怨霊 後編
2020.11.16

陰陽退魔士・逢坂蘭子/蘇我入鹿の怨霊


其の拾玖 銃砲刀剣類所持許可証


「布都御魂……だっけ。そんな錆びた剣が役に立つのかね」
「神様が遣わしてくれた霊剣ですからね。きっと役に立ちますよ」
 ここで問題となるのは、布都御魂が日本刀などの銃砲刀剣類が適用されるかである。
 銃砲刀剣類に関しては、日本刀など文化財としての教育委員会のものと、警察官携帯
の拳銃など武器としての公安委員会のものと、二種類の登録制度がある。
 銃砲刀剣類所持等取締法第14条に該当するものは、美術品・骨董品として価値ある
ものとして、都道府県教育委員会に登録申請する。
 少なくともこの布都御魂は、錆びて朽ちており美術品としては該当しないだろう。
 今の時点では、御神体として奉納する価値はあるかもしれないが、石上神宮の対応次
第である。
 ともかくも刀剣であることには違いないので、都道府県公安委員会の銃砲刀剣類所持
許可手続きは必要であろう。
「しかし……お堅い公安委員会の許可証が取れるかが問題だな。未成年だしな。ともか
くその剣を持ち歩くに当たって、まずは石上神宮のものとして刀剣類発見届出書を提出
して、入手した上で、申請しなくてはならない。そして人目につかないように、剣道の
竹刀鞘袋にでも入れて持ち運ぶことだ」
 井上課長は、大阪府警捜査第一課長の身分を最大限に利用して、捜査協力のためとし
て事件解決までの期間限定の特別所持許可証を手に入れてくれた。また奈良県警捜査第
一課長の綿貫警視も一役買ってくれた。
 もっとも変死事件があれば、怨霊や陰陽師の仕業と噂される古都奈良特有の事情もあ
ったのだろうが。
 ちなみに古都とは、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に規定さ
れる京都市・奈良市・鎌倉市の他、同法の第二条第一項に定める政令で天理市・橿原
市・桜井市・斑鳩市・明日香村・逗子市・大津市などが挙げられる。
「これが許可証だ。剣と共に肌身離さず持っていてくれ」
「分かりました」

 さて、蘭子は陰陽師としての行動をする時、御守懐剣「虎撤」を携行しているが、
 銃刀法第22条「業務そのた正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めると
ころにより計った刃体の長さが6CMをこえる刃物を携帯してはならない。以下略」
 または軽犯罪法第1条1項2号「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害
し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた
者」
 とあるとおり、陰陽師としての業務遂行のために所持しているので、一応違反とは言
えない。

 もっとも昇進のための検挙率を稼ごうと、何が何でも違法だと決め付けて検挙しよう
とする、根性腐った悪徳警察官も多いので要注意である。
 陰陽師の仕事は、夜半がメインである。
 夜中に出歩いていれば、警察官の職務質問に遭遇することもあるだろう。
「バックの中身を見せてください」
 と、所持品検査もされる。
 職質も所持品検査も任意なので断ることができる。
 警職法2条3項、「刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、
又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行されることはない」
 と、刑事訴訟法によらない強制の処分を禁止している。
 ところが、根性腐った悪徳警察官は、わざと腕を掴んだり、前に立ちはだかるなどの
行動をとり、うざいからと、手を振り払ったり、警察官の胸を押したりすると、
「公務執行妨害だ!」
 と大げさに、警察官に暴行を加えたとして、現行犯逮捕される。
 こんな場合は、
「違法行為はやめてください!」
「いやです!」
「手を離してください!」
 と大声を張り上げて、毅然とした態度で対応するのが正しい。
 サッカーなどの試合で、審判に抗議する監督などが、退場処分にならないように、決
して手を挙げないのと一緒である。

 井上課長が所持許可証にこだわったのは、そういう警察の事情があるからである。
 布都御魂を収める竹刀鞘袋を、奈良県警察署道場の講武会から借りてくれた。


其の弐拾 夜の辻斬り


 その夜のことである。
 旅館で一息ついていた時、布都御魂を収めた鞘袋が震えて微かに輝いている。
「布都御魂が感応しています」
「ほんとうか?奴が七星剣を持って動き回っているのか」
「そのようです」
「応援を呼ぶか?」
「いえ、多人数で行動すれば感ずかれます。私一人で対応します」
「女の子が一人で夜に出歩けば、警察官に職質されて身動きできなくなる。私が一緒に
いた方が良い。それに万が一の時にはコレがある」
 と、背広の内側に隠しているホルダーから拳銃を取り出して見せた。
 怨霊に対しては拳銃が役に立つはずがないが、少なくとも人間である石上直治に対し
ては有効であろう。
「わかりました。課長と二人だけで行動しましょう」
「良し」
 旅館を出て、夜の街へと出陣する二人であった。
 布都御魂に導かれるままに……。

 夜の帳が舞い降りた街中。
 辻を吹き抜ける風は、淀んで生暖かい。
 夜道を歩いている女性。
 時々後ろを振り向きながら、小走りで帰路を急いでいる。
 後ろにばかり気を取られていたせいか、前方不注意で何かに躓いて倒れてしまう。
「痛い!」
 足元の暗がりを探るように見たそこにあったものは人のようであった。
 泥酔で寝込んでしまったのか、交通事故のひき逃げで倒れているのか。
「もし、大丈夫ですか?」
 声をかけても返事はない。
 それもそのはず……。

 首がない!

 悲鳴を上げる女性。
 その悲鳴を聞いて駆け寄る人影。
「どうしましたか?」
 尋ねられても声が出せず、横たわる遺体を指差す。
「こ、これは!」
 遺体を確認して、携帯無線を取り出す。
 巡回中の警察官だった。
 女性の一人歩きを心配して、声を掛けようとしていたのである。
「こちら警ら132号、本部どうぞ」
『こちら本部、警ら132号どうぞ』
「こちら警ら132号、鳴門町132番地にて殺人と思われる事件発生。遺体は首が切
断され遺棄された模様。302号連続殺人犯の犯行と思われる。至急、応援急行を乞
う」
『こちら本部了解した。直ちに応援を向かわせる。現場の保存に尽力せよ』
「こちら警ら132号、了解」
*注・警察無線はデジタル化以降、どのように行われているか不明。
各警察機構によっても違いがあり、一応の目安ということで……。



其の廿壱 飛鳥板蓋宮跡へ


「遅かったか……」
 蘭子と井上課長が到着したのは、五分後のことであった。
「いえ、まだ反応はありますよ。追いかけましょう」
 現場警察官が留めようとするので、
「任務遂行中だ!}
 警察手帳を見せて先を急ぐ。
 警視という階級を確認して、直立不動になって敬礼する警察官。
 ヒラの巡査にとって、キャリア組の警視という階級は雲の上の存在。
 布都御魂の導きに従って、犯人を追跡する二人。
「どうやら飛鳥板蓋宮跡へ向かっているようです」
「入鹿が暗殺されたという現場か?」
「怨念が封じ込まれた剣と、怨念が自縛霊となっている場所。相乗効果がありそうです
ね」
「のんきな事を言っている場合か。昼間行った時には何事もなかったよな」
「時刻が問題なんです。鬼門の開く丑三つ時……」
「なるほどね。相手は時間と場所を選んだというわけか」
 その後しばらく無言で走り続ける二人。

 数分後、飛鳥板蓋宮跡の入り口へと到着する。
 井上課長は胸元の拳銃、SIG SAUER P230 を取り出しマニュアルセーフティーを解除
して、いつでも発砲できるようにして再びホルスターに戻した。
 発砲といっても、米国のように無条件で撃てるのではなく、正当防衛かつ緊急事態に
のみ発砲が許されている。例えば、犯人が蘭子に襲い掛かり正に刀を振り下ろそうとし
た瞬間とかである。

 慎重に跡地内へと入っていく二人。
 周囲に照明となるなるものがないために、ほとんど暗闇状態で星明りだけが頼りだっ
た。それでも暗順応とよばれる視力回復が働く。
 陰陽師として深夜半に行動することが多い蘭子は、霊を見透かす霊視に加えて、周囲
の状況を見ることのできる暗視能力にも長けていた。

 
 暗順応:
 角膜、水晶体、硝子体を通過した光は、網膜にある視細胞で化学反応を経て電気信号
に変換される。視細胞には、明暗のみに反応する約1億2000万個の桿体細胞と、概ね3種
とされる色彩(波長)に反応する約600万個の錐体細胞がある。光量が多い環境では主
として錐体細胞の作用が卓越し、逆に光量が少ない環境では、桿体の作用が卓越する。
夜間などに色の識別が困難になり明暗のみに見えるのは、反応する桿体の特性である。
桿体、錐体ともに一度化学反応をすると、再び反応可能な状態に復帰するまでにはある
程度の時間が必要である。視界中の光量が急減した場合に一時的に視覚が減退するのは、
明所視中において桿体細胞内のロドプシンのほとんどが分解消費してしまっており、桿
体細胞が速やかな反応のできない状態になっているからである。暗い環境の中で時間が
経過すると、ロドプシンが合成されて桿体細胞が再び反応できるようになり、視覚が働
くようになる。 明順応に対し、暗順応に時間がかかるのは、ロドプシン合成の方がロ
ドプシン分解に比べて長い時間を要するためである。wikipediaより



其の廿弐 石上直弘


 突如、落ち武者の姿をした亡霊が地の底から湧いて出るように出現した。
「課長、気をつけてください。犯人が外法で霊を呼び出しています」
「霊?といわれても、私には見えないぞ」
 といいつつ胸元のホルスターから銃を取り出す井上課長。
 辺りを見回すが猫一匹見ることはできなかった。
「銃は無駄です!相手は怨霊です」
「どうすりゃいいんだ」
「夜闇を払い、光を降ろす五芒の印!」
 暗視の術を唱えると、井上課長の目にも見えるようになった。
 おどろおどろしい怨霊の姿にたじろぐ井上課長。
 そりゃそうだろう。
 怨霊などというものに、普段から接したことなど皆無だから。
 お化け屋敷とは違うということである。
 と、上着の内側が微かに光っているのが見えた。
 内ポケットに入れたお守りが輝いていた。
 おもむろに取り出してみる。
 するといっそう輝きを増して、襲いかかろうとしていた怨霊を消し去った。
「なるほど……これは良いな」
 蘭子が護法を掛けていた効力のようである。
 怨霊程度ならお守りでも役に立っている。
 それを確認した蘭子は、安心して犯人と対峙できる。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
 怨霊を九字の呪法で消し去りながら、板蓋宮跡の中へと歩みを進める二人。
 やがて跡地の中ほどに人影が現れた。
「待っていたよ」
 暗がりで佇む人影は、近づくにつれてはっきりと表情を読み取れるようになる。
 石上直弘その人だった。
「石上だな!」
 井上課長が尋ねる。
「その通り」
 続いて蘭子が続く。
「なぜ、罪もない人々を殺(あや)める」
「なぜだと?」
「そうだ。金城聡子をなぜ殺した!」
「足手まといになったからだ」
「足手まといだと?」
「七星剣に封じ込まれた入鹿の怨念を呼び起こすためには、血を吸わせる必要があった
のだ。剣を手に入れる助手として、かつ最初の生贄として彼女が必要だった」
「なんてこと……そのために人の命を弄ぶとは」
「妖刀とは血を吸うものじゃないかな?」
 妖刀として名高いものに村正が上げられる。
 徳川家康の祖父清康と父広忠は、共に家臣の反乱によって殺害され、家康の嫡男信康
も織田信長に謀反を疑われ、死罪と成った際に使われた刀もそれぞれ村正である。
「話がそれたな。おまえら、一人は刑事のようだが、娘の方は……陰陽師か?」
「その通りよ」
「なるほどな。で、どうするつもりだ?」
「その刀、七星剣を返しなさい」
「せっかく手に入れたものを、返せと言われて返す馬鹿はいない」
 至極当然な反応である。


其の廿参 剣を交える


 しばらくありふれた問答が続いたが、
「この場所へおまえらを呼び寄せたのは何故だか分かるか?」
 と、先に切り出したのは石上だった。
 この場所、板蓋宮跡は蘇我入鹿が惨殺された所である。
 伝承では、斬首された首が数百メートル先へ飛んでいったとか、村人を襲ったとかと
かで首塚が作られているのであるが……。
 「さらし首」なという見せしめは、武家社会になってからであり、貴族社会であった
当時なら、野外に遺体ともども打ち捨てられたものと思われる。
 ならば……。
「蘇我入鹿か?」
 当然の反問である。
「見るがいい」
 というと、七星剣を上段に構えたかと思うと、えいやっとばかりに地面に突き刺した。
 地面から稲光が放射状に光ったかと思うと、無数の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が湧
き出てきた。
 石上がさらに右手を水平にかざすと、手のひらから、霊光(オーラ)のようなものが
地面へと伸びていく。
 その地面が盛り上がりを見せたかと思うと、何かが土中より出現した。
 それはゆっくりと上昇して、石上の手の上に。
 骸骨だった。
「蘇我入鹿の首だよ」
 おどろおどろしいオーラを発しているその首を差し出しながら、
「入鹿の首と、怨念の籠った七星剣、入鹿が討ち取られた板蓋宮跡。そして時刻は鬼が
這い出る丑三つ時。道具はすべて揃った」
「何をするつもりだ?」
「知れたことよ」
 と言いながら地に突き刺した七星剣を抜いて、天に向けて捧げた。
 凄まじい気の流れが怒涛の様に周囲に広がり、闇の中から無数の怨霊が沸き出し、奈
良の街中へと拡散していった。
 毒気を含んだ黒い霧が流れ出し、道行く人々が次々と倒れてゆく。
 街中に溢れ出した怨霊は、至る所で災いを巻き起こし、人々を渦中に引きずり込んで
いく。
 台所のコンロが自然点火して火事となり、交差点信号が誤作動を起こして交通事故が
あちらこちらで発生する。
 板蓋宮跡にいる蘭子達からも、街や村が火に包まれていくのを目の当たりにすること
となった。

「問答無用ということですね」
 竹刀鞘袋から布都御魂を静かに引き抜く蘭子。
「そういうことらしいな」
 石上も入鹿の首を地面に置いて、七星剣を構える。
 蘭子が石上に向かって布都御魂を振りかざす。
 もちろん生殺しないように、当身を狙ってである。
 だが、いとも簡単に受け止められてしまう。
「おまえが剣道の猛者ということは知っている。だが、自分も四段の腕前でね」
 鉄と鉄が交差する度に火花が飛び、瞬間暗闇を照らす。
 井上課長は思う。

 貴重な文化財を使って、チャンバラとは!

 しかし、心配はご無用。
 どちらも怨霊の籠った霊剣である。
 そうは簡単に折れたりはしなかった。
「なるほど『霊験あらたか』ということか」
 納得する井上課長であった。


其の廿肆 魔人登場


 手に汗握る戦いであったが、若さと柔軟さに勝る蘭子が押していた。
 とはいえ、少しでも気を抜くと致命傷を受ける真剣勝負なのだ。
 相手を傷つけることをも躊躇してはいけない。
 切っ先を合わせること数十回、ついに決着が着いた。
 石上が大上段から振り下ろす剣を見切り、その剣を弾き飛ばした。
 空中を舞いながら井上課長の足元に突き刺さる七星剣。
 井上課長が拾おうとするが、
「だめ!触らないでください!」
 蘭子の警告に手を引っ込める。
 怨霊の籠った剣に触れば、憑りつかれる可能性があるからだ。
「ふ……。さすが剣道の達人だな」
 切っ先を交わした際に傷ついたのであろう、右手から血を流していた。
「観念しろ石上」
 井上課長が拳銃を構えて投降を呼びかける。
 石上は後ずさりしながら、入鹿の首の所まで戻った。
「まだ終わったわけではない。これからが本番よ」
 というと、懐から短刀を取り出して、傷ついた右腕をさらに切り刻んだ。
 ボタボタと滴り落ちる鮮血が、足元の入鹿の首に注がれる。
「入鹿よ我に力を与えたまえ!」

「課長!撃ってください!」
 蘭子が慌てたように叫んだ。
 何がなんだか分からない井上課長。
「何のための拳銃ですか!早く撃って!」
 拳銃は所持していても、必要最低限の条件と緊急性がなければ、発砲などできない警
察官の性がトリガーを引くのを躊躇わせた。
 どんなに悪人でも、日本警察は容易く撃たないよう訓示されている。
 そうこうするうちに、入鹿の首からオーラが発して、石上直弘の身体を取り囲んだ。
 見る間に、その身体がおどろおどろしい姿へと変身してゆく。
「魔人か!」
 蘇我入鹿の怨霊どころではない!
 紛れもなく魔人が本性を現したのである。

 ズギューン!

 井上課長が発砲する。
 しかし、もはや拳銃などでは歯が立たなくなっていた。
 人間の姿でいる間に撃てば、あるいはという状況ではあったが、時すでに遅し。
 魔人が相手では、拳銃だろうと布都御魂であろうと太刀打ちできない。
 どうやら魔人が蘇我入鹿をして石上直弘を操っていたのだろう。

「課長。布都御魂を預かってください」
 と霊剣を手渡す。
「どうするつもりだ?」
「霊には霊、魔には魔です」
 おもむろに懐から御守懐剣を取り出す。
 御守懐剣「長曾祢虎徹」には、魔人が封じ込まれている。
 魔人を呼び出して戦わせようというわけだ。
 魔人を召喚するには、本来長い呪文が必要なのであるが、それは最初の時の場合であ
って、契約を交わした魔人との間には、急を要する時のための短縮呪文が存在する。
 双方が納得して取り決められれば、どんな作法となっても問題ない。
 蘭子の御守懐剣「長曾祢虎徹」に封じられた魔人の場合は、剣を鞘から抜き、
「虎徹よ、我に従え!」
 と、唱えれば召喚が成立する。
 とはいっても、虎徹に宿った魔人には姿形はなくオーラそのもの。
 いわゆるエネルギー体のような存在である。
 アーサー王伝説に登場する「エクスカリバー」と言えば分かりやすいだろう。


其の廿伍 血の契約


 時を遡ること数か月前。
 板蓋宮跡を訪れる一人の青年がいた。
 石上直弘というその青年は、ごくありふれた平凡なサラリーマンに過ぎず、日々の生
活にも困窮する時もあった。
 ある日、インターネットで探し物をしていた時に、『刀剣乱舞-ONELINE』という京都
国立博物館で開催される刀剣展示の催しが目に留まった。
「刀剣乱舞か……」
 多種多様な刀剣類に意志が宿って、擬人化されたキャラクターが主人のために悪と戦
うという設定だが。
 アニメの刀剣乱舞はともかくも、歴史上最も有名なものは、日本書紀にも記述がある
須佐之男命が出雲の国を荒らしまわっていたヤマタノオロチを退治したと言われる『天
羽々斬剣(あめのははきり)』別名『天十拳剣(あめのとつかのつるぎ)』であろう。
 その霊剣は当初、備前国赤坂郡(岡山県赤磐市)の石上布都神社に祀られていたが、
崇神天皇の代に奈良の石上神宮に移された。石上神宮では、その天羽々斬剣を布都御魂
と名を変えて奉っている。
「石上神宮か……」
 石上(いそのかみ)という独特な読み名に興味を持った彼は、自分が物部氏に繋がっ
ているかも知れないと、自分の戸籍を調べ始めた。いわゆるルーツ探しである。
 探していくうちに、とある旧家にたどり着き、保管されていた石上家の家系図に巡り
合えたのである。
 そして自分が、正しく物部氏に繋がることを発見した。
石上家の系譜
 物部氏の後裔であることを知った彼は、歴史探訪の旅に出ることを思い立ったのだ。

 そして、こうして板蓋宮跡の地を訪れたのである。
 見渡す限りの水田ばかりの風景が広がる。
「何もないな、ここで蘇我入鹿が惨殺されたとは、想像すらできない温和な風景だ」
 かつての自分の祖先である物部守屋が蘇我氏の一団によって暗殺され、今度は蘇我入
鹿も中臣鎌足によって、天皇の御前で惨殺されるという血で血を洗う抗争のあった宿命
の地であったのだが。
「見るものもないな」
 数枚の写真を撮って帰ろうとした時だった。

『そのまま帰っていいのか?』

 背後から声がした。
 振り返ってみるが誰もおらず、殺伐とした田園風景が広がっているばかり。
 しかし、声は続いている。
『力が欲しいとは思わぬか?』
「力?」
『おぬしが望むなら、ありとあらゆる力を与えることができる』
 どうやら直接、自分の脳裏に語り掛けているようだった。
『その力を使えば、今の生活から抜け出すこともできる。金がないのだろう?金が欲し
ければいくらでも手に入るようになる』
「どうすればいい?」
 思わず姿なき声の主に問いかける石上。
『簡単なことだ』
 すると、足元の大地が盛り上がってきて、地中から何かが出現した。
 髑髏(どくろ)だった。

『血の契約をしなければならない』
「血の契約?」
『そうだ。おぬしの血を髑髏に注ぎ込むのだ』
「血を注ぐというのか?」
『それが魔人との契約の証だからだ』
「魔人?魔人だというのか!?」
『その通り。信じるも信じないも、おぬし次第だがな。さて、どうする?』
「一つ確認したい」
『なんだ?』
「ほんとうに、ありとあらゆる力を与えてくれるのだな?』
『いかにも』
「分かった。その契約とやらをしよう」
『その前に、もう一つ必要なものがある』
「もう一つ?」
『入鹿の首を落とした「七星剣」を手に入れることだ。それには入鹿の怨念が籠ってい
るのだ。術式には是が非でも手に入れねばならぬ』
「七星剣?」
『それは四天王寺にある』
「東京国立博物館に寄託されているはずだが?」
『もう一つあるのだ。物事には必ず表と裏があるように、裏の七星剣があるのだ』
「裏の七星剣……」
『裏の七星剣は、四天王寺の宝物庫の地下施設に呪法に守られて、厳重に保管されてい
る。手に入れるには仲間が必要だ。仲間を見つけろ』
「仲間といっても」
『七星剣を目覚めさせるには、血を吸わせることが必要だ。いずれその仲間も必要とし
なくなる。最初の犠牲者には最適だろう』
「仲間を斬るのか?」
「所詮足手まといになるのが関の山だ。斬って捨てるのだな』
 考え込む石上。
『それでは血の契約の儀式を始めようか』


其の廿陸 魔人対決


 蘭子と魔人のバトルに戻る。
 魔人に対して、長曾祢虎徹を構える蘭子。
『ほほう。使い魔を従えていたとはな』
 魔人が初めて口を開いた。
「この剣の本性が見えるの?」
『儂に勝てるかな?』
「やってみなければ分からない」
『ならば、かかって来るがよい!』
 誘われるように、八相の構えを取る蘭子。
 左上段の構えから、剣を下ろし、鍔(つば)が口元に位置し、左手は身体の中心、剣
は45度傾けて、刃を相手に向けた構えである。長期戦に備えて、無駄な体力を消耗し
ない態勢である。
「いざ、参らん」
 地面を蹴って、えいやっとばかりに切りかかる蘭子。
「やった!真っ二つだ」
 井上課長が小躍りする。
 見事に魔人を両断したかと思った瞬間、魔人は霧のように消え去った。
「なに!消えた?」
 きょろきょろと周りを見回す井上課長。
「後ろだ!」
 蘭子の背後に姿を現す魔人。
 反転して、再び剣を振る蘭子。
 しかし、今度も剣は宙を舞うだけだった。
 姿を現しては、また消えるを繰り返す魔人。
 斬りかかっても、斬りかかっても、剣は宙を舞うだけだ。
『どうした、先ほどの威勢は虚勢だったのか?』
(おかしい……手ごたえがない)
 冷静になって雑念を払い魔人の気配を探す。
(相手が目に見えるからいけないのよ)
 静かに目を閉じて意識を研ぎ澄ます。
 ゆっくりと周囲を精神感応で魔人の気配を探す。
 とある一点、凄まじい気の流れを感じて目を開けると、蘇我入鹿の首が怪しく輝いて
いる。
「分かったわ、本体はそこよ!」
 蘭子は、虎徹を入鹿の首に投げつけた。
 それは見事突き刺さる。
『ぐああっ!』
 悲鳴のようなうめき声を上げる魔人。
 とともに、目の前の姿が消え去った。
 どうやら幻影と戦わされていたようだ。
 髑髏から靄のようなものが沸き上がり、魔人本体が姿を現した。
 すかさず駆け寄って、虎徹を引き抜き、本体に斬りかかる。
『お、おのれえ!』
 今度はダメージを与えたようであった。
 さらなる追撃を掛ける蘭子。
 虎徹を握りしめ精神集中すると、剣先がまばゆいばかりのオーラを発しはじめる。
「いけえ!」
 全身全霊を込めて剣を振るうと、オーラが怒涛のように魔人に襲い掛かった。
 オーラが魔人の全身を覆いつくす。
『ぐ、ぐあああ』
 断末魔の声を上げながら、消えゆく魔人。
 後には、放心したような石上直弘がゆらりと佇んでいた。
 次の瞬間。
 その眉間に弾丸が突き刺さり血飛沫を上げる。
 先ほど井上課長が撃った拳銃の弾が、今更にして命中したというところだ。
 どうやら、石上の周りが時空変異を起こしていたようだ。
 どうっと地面に倒れる石上。
 蠢(うごめ)いていた魑魅魍魎も地に戻っていき、姿を消してゆく。

 やがて静寂の闇が辺り一面を覆う。

「終わったのか?」
 井上課長が尋ねる。
「ええ、終わりました。彼は?」
「死んでいるよ」
「そうですか、助けたかったですね」
 魔人と血の契約を交わした者は、魔人が倒れれば自身も倒れる。
 悲しい現実である。


其の廿漆 大団円


 戦いは終わった。

 石上直弘と魔人は倒したものの、街中に広がった怨霊達が残っていた。
 各所で燃え上がる火災、火の粉が風に乗ってここまで飛んできていた。
 見つめる蘭子の頬をほのかに赤く照らす。
「課長。布都御魂を返していただけますか」
「ああ、わかった。ほれ」
 預かっていた布都御魂を蘭子に返す井上課長。
「ありがとうございました。さてと……、これからが大変です」
「どうするつもりだ?」
「これを使います」
 と、布都御魂を示した。
「布都御魂?」
「ただチャンバラをするためだけに、託宣されたと思いますか?」
 頬笑みを浮かべながら、儀式の準備を始めた。

 まずは地面に突き刺さっている七星剣を、布都御魂と刃を重ね合わせるようにして引
き抜く。
 七星剣を単独で扱うと、祟られる可能性があるからである。布都御魂の神通力をもっ
て、それを押さえつけるのだ。
 二つの刀を捧げ持ち、板蓋宮跡の中心部にある「大井戸」と推定されている窪みに入
り屈み込んで、その縁に刀を安置した。
板蓋宮跡
 両手を合わせて祈るように、眼を閉じて静かに大祓詞の詠唱をはじめる。
大祓詞全文資料によっては、文言の異なる祝詞が多数存在します。
 井上課長も手を合わせ、目を閉じて祈っていた。
 災禍によって命を失った人々はもちろんのこと、石上直弘に対しても憐れみを持って。

 やがて布都御魂剣と七星剣が輝きだし、光は四方八方に広がってゆく。
 それとともに町中の怨霊達が、引き寄せられるように集まってくる。
 そして布都御魂に吸い込まれるように消えてゆく。
 声を掛けようとした井上課長であるが、一心不乱に祝詞を唱える蘭子に躊躇を余儀な
くされた。実際にも、精神集中している蘭子には、声は届かないだろうが。
 最後の祝詞が詠唱される。
「……今日の夕日の降の、大祓いに祓へ給ひ清め給ふ事を、諸々聞食せと宣る」
 パンッ!
 と手を叩いて手を合わせて、しばらく黙祷。
 静かに目を開き、深呼吸する蘭子。
 辺り一面の怨霊達は姿を消し、平穏無事な世界が広がっていた。
 ゆっくりと立ち上がって、井上課長のもとに歩み寄る蘭子。
「終わりました」
「そうか……お疲れ様」
 携帯を取り出して、奈良県警の綿貫警視に連絡をとる井上課長。
 押っ取り刀で駆け付けた奈良県警の現場検証が始まる。
 石上直弘の遺体の写真撮影、遺留品の回収など手っ取り早く進められてゆく。
 事情聴取には、井上課長が詳細な報告を伝えていた。
「時間も遅いですから、詳しいことは明日にしましょう」
 女子高生である蘭子に配慮して聴取は切り上げられた。

 旅館に戻った二人。
「証拠物件として、これが取り上げられなくて良かったです」
 と、竹刀鞘袋に納められた二振りの剣。
 七星剣と布都御魂。
「綿貫警視が骨折ってくれたからな」
 怨念が籠っているから、一般人が触ると呪われる。
 蘇我入鹿の怨霊事件が再び繰り返し起こしたいのか?
 そうやって脅しをかけて強引に、陰陽師である蘭子に、刀剣の所持を継続許可したの
である。


 布都御魂を元の地に返すために、石上神宮禁足地へと戻ってきた蘭子。
 布都姫が現れた。
「ありがとうございました」
 蘭子がお礼を述べると、軽く頷くような素振りを見せて、静かに消え去った。
 足元の地面を掘り起こし、元の様に「布都御魂」を埋め戻してゆく。
 手を合わせて静かに黙祷する。

 禁足地の外では、井上課長が、蘭子の帰りを待っていた。
 やがて戻ってきた蘭子に話しかける。
「本物の布都御魂かも知れないのに埋め戻すのかね」
「何百年間もの長い年月、人知れず眠っていたのです。元の場所でそっと静かに眠らせ
てあげましょう」
「そういうものかねえ……」
「御神体がいくつもあったら、有難さも薄れるじゃないですか」
「それはそうですけどね……」
 その後、拝殿に参拝して神に事件報告する蘭子。
 神様のお告げで布都御魂を授けられたのであり、お礼参りするのは当然。
「明美も刀剣に興味を持たなければ、事件に巻き込まれなかったのに」
 空を仰ぎながら、一粒の涙を流す蘭子だった。

 社務所で談話する奈良県警の綿貫警視と宮司。
「布都御魂を埋め戻して良かったのでしょうか?あちらが本物かも知れないのに」
「あちらの方は、蘭子さんが神のお告げで授かったものです。同様に埋め戻せというお
告げがあったのでしょう。今でも禁足地を掘ってみれば、刀剣類がいくらでも出てくる
でしょう」
「またぞろですか?」
「そうです。真偽のほどは神様にしか分かりません。悩んでみたところで仕方なし、伝
承にいう剣と思しきものが出土した。我々は、それを布都御魂と信じて奉るしかないの
です」
 傍らには、宮司らの手によって除霊されたばかりの「七星剣」が置かれている。

 翌日の四天王寺宝物殿。
 井上課長と土御門春代、そして四天王寺住職が秘密の地下施設扉前に揃っていた。
 開錠の呪文で封印を解いて、開いた扉から入館する一同。
 七星剣を元の刀掛台に戻して、改めて拝礼する住職。
「戻ってきて良かったです。それもこれも蘭子ちゃんのお陰です」
 向き直ってお礼を言うと、
「取り戻したとはいえ、多くの人々の尊い命が失われました」
 春代が悲しげに答えた。
「はい。重々心に刻んで、弔うことにしましょう」

 宝物殿を退出して、再び呪法で密封する住職。
 井上課長が告げる。
「今回の事件に際して、七星剣のことは闇に封じます。科学捜査が基本の現在の警察事
情では、怨霊や魔人による犯罪だった……なんて公表できませんからね。裏とはいえ、
これも立派な国宝の一つでもあるし。証拠物件として提出わけにもいかないし」
「ご配慮ありがとうございました」
 四天王寺境内を歩きながら、
「蘭子ちゃんに会いたかったですな」
「高校生ですから、授業中です」
「そうでしたな」

 阿倍野女子高等学校、1年3組の教室。
 静かな教室内に、教師の教鞭の声とノートに書き写すペンの音。
 窓際の机に座りながら、外を眺めている蘭子。
 吹き渡るそよ風が、その長いしなやかな髪をかき乱してゆく。

 一つの事件は解決したが、蘭子の【人にあらざる者】との戦いはこれからも続く。


蘇我入鹿の怨霊 了

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