梓の非日常/第二部 第三章・スパイ潜入(二)旧体制VS新体制
2021.05.13

続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入


(二)旧体制VS新体制

「それで、他になにか情報はあるの?」
「もうこれは既知の情報では有りますが、梓さまが立ち上げられた宇宙開発事業が正式に動き始めました。米国フロリダ州ケープカナベラル基地に隣接する広大な土地に、真条寺家の手による宇宙空港の建設が始まりました」
「その話は聞いているわ。宇宙ステーションの建設資材を、宇宙へ打ち上げるための専用宇宙空港よね。スペースシャトルの連続打ち上げと常時回収の両方が同時にできるマルチセッション多様型宇宙空港だと聞いたわ」
「宇宙ステーションの開発設計は、篠崎重工側に新たに設立された宇宙開発推進事業部が担当しています。なお当事業部は、篠崎重工アメリカが発足次第、そちらへ移管されることが決まっております」
「篠崎重工か……こいつも目の上のタンコブだわよね。本家と分家が利権争いをしている間隙をついて、漁夫の利を得て発展してきたくせに、いけしゃあしゃあと真条寺家と結託しくさりおってからに」

(というよりも、どちら側についたら自分に有利かを判断したのかと思う)
 黒服は口には出さなかったが、現状においては明らかに真条寺家に軍配が上がるのは目に見えていた。
 資源探査では一歩も二歩も先んじられて将来の資源開発を掌握され、今また宇宙開発においても制宙権を確保されようとしている。このまま行けばジリ貧となって消え行く運命にあると言えた。
 古今東西、マケドニアのアレクサンダー大王、ローマのカエサル、フランスのナポレオン、トルコのチンギス&フビライ・ハーン、世界征服を目指したいずれの超大国とてやがて歴史の彼方に消え去っていった。日の沈まぬ国として世界の海を制覇したかつてのスペイン帝国も大英帝国も今ではすっかり影を潜めている。
 投げ上げられた石はやがて地面に落ちる。地球という重力に縛られたような、古い慣習に固執する葵の母親のような権力者では、この石のように、重力に引きずられて発展から停滞に減速され、さらには急降下で落ちていくだろう。ただ財産を蓄えることしか頭になく、抵抗勢力を抹殺しようという考えでは進歩がない。それは安寧から停滞へ、そして衰退へと坂道を転がるように堕ちていくだけである。
 梓のように、全財産の三分の一の資産をも投じて未知の世界へ飛び出すような、急進的な思考を持ってこそ発展の道も開かれるのである。

「まあ、こっちの方は梓を陥落させてからでも十分だわ。真条寺家がなくなれば主要取引先を失って倒産に追い込まれるはずよ」
「そう上手くいきますかね」
「やらなきゃならないでしょ。もちろん姑息な手段を使わず正々堂々と勝負よ。ところで、梓の持つ財産て現時点でどれくらいあるの?」
「総資産はおよそ六千五百兆円となっております。ちなみに先程の原子力潜水調査船一隻だけで六千億円になります。宇宙開発にその三分の一を投入する予定のようですが、十年・二十年先には月資源や火星などの資源を独占したり、無重力における特殊な環境が及ぼす新素材開発とかが軌道に乗れば、投資を上回る資産形成をなすことが期待できると考えられております」
「でしょうね。そういった未来志向ができる梓やその母親がいるからこそ、今日の真条寺財閥が存続しているのよ。
 それに引き換え、わたしの母親や神条寺財閥は旧態依然の「鉄」にこだわりつづけて、梓達の「新素材」への転換に踏み切れないでいる。確かに「鉄」は溶鉱炉を建設し稼動させれば資産を生み出してくれはする。しかし将来に渡っての保証はない。実際にも、資源探査においてはARECに今後の資源を押さえられては身動きが取れなくなる。
 それに引き換えて、「新素材」は莫大な研究費用を投入しても、最終的な研究成果が資産を生み出してくれるとは限らない。結果、資産を食い潰してしまわないとも限らない。総資産二京円におよぶ神条寺家と、同じく六千五百兆円の真条寺家の違いがそこにある。研究開発に莫大な資産を投入してきたから、総資産では真条寺家は神条寺家の三分の一にまでに差が開いた。しかし将来に話を移せば、決して楽観はできないのよ」
 とここまでいっきに喋りとおし、
「どうしてそのことを、お母様は理解してくれないのよ!」
 突然大声でいきりたつ葵だった。
 黒服は思った。
 確かに、この神条寺葵の考えるとおりである。
 旧態依然の体制に固執し、敵対する者を闇に葬ろうとする当主の神条寺靜。
 一方の真条寺家は将来を見据えて行動し、世代交代も素早いから常に新鮮な雰囲気に満ち満ちている。そして現当主の梓は資産の三分の一を投げ打って新事業に乗り出し、かつまた配下の参画企業の社員全員が誠心誠意バックアップする好環境が作り上げられていた。
「このままでは、神条寺家は滅びるわ。そうならないように当主の交代を願い出たけど聞き入れてはくれない。おそらく死ぬまでは当主の座に収まろうとするでしょうね。でもわたしは手をこまねいているつもりはないわよ」
 母親に対して謀反を起こすつもりか……。
 まあ、それはそれでいいかも知れない。
 どっちにしろ葵が言うように、地を這い蹲る(はいつくばる)しか能のない靜が当主のままでは神条寺家の未来はないのは確かである。

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梓の非日常/第二部 第三章・スパイ潜入(一)神条寺葵
2021.05.12

続 梓の非日常/第三章・スパイ潜入


(一)神条寺葵

 ここは神条寺家。
 今から百余年前のこと、梓の属する真条寺家が、財産分与を受けて分家したその本家に当たる。
 しかしながら、時代を隔てて今日の神条寺家では、真条寺家が財産を横取りして、それを元手にアメリカ大陸で繁栄したという誤った言い伝えを信じていた。双子の一人に財産の半分を持って行かれたのであるから、本来なら全額相続できたかも知れないもう片方の子孫達が怒りを覚えるのは当然だろう。
 以来、両家は太平洋を挟んで、犬猿の仲のまま双方とも発展を続けていた。

 リビングで本家の当主たる神条寺靜とその娘の葵が言い争っている。
「家督を譲れですって。何を馬鹿なこと言っているのよ、この子は」
「だって、分家のほうじゃ、十六歳の梓に家督を譲ったというじゃない」
「それで自分にも、家督を譲れと言うのね」
「そうよ」
「だめです」
「どうして?」
「分家には分家の、本家には本家のやりかたがあるのです。だいたい、あちらはアメリカ人です。制度も風習も違います」
「そんなのないよ。同じ神条寺家よ」
 執拗に食い下がろうとする葵だったが、
「いい加減になさい。母に逆らうつもりですか。あなたを廃嫡にして、妹に相続させることもできるのですよ」
 と言われては、身をすくめてすごすごと引き下がるしかなかった。
「わかったわよ!」
 吐き捨てるように言って、リビングを後にした。

 廊下に、黒服の男が立っていた。
 葵はその前を通り過ぎるが、黒服は葵の後に付いてきていた。
「調べはついたの?」
 立ち止まることなく黒服に尋ねる葵。
「はい。梓グループはそれを統括運営する財団法人AFCのもと、直営の生命科学研究所・衛星事業研究所などの九つの各種研究機関と、約四十八の企業から構成されております。世界各地に点在する七十五箇所の生産基地と販売拠点、それらを結ぶ動脈ともいうべき所有船舶数は四十九隻、うち原子力船が四隻。総排水量にしておよそ二百万トン」
「ちょっと待って、原子力船ですって。なによそれ。一民間企業が簡単に所有できる代物じゃないわよ」
 急に立ち止まり振り返って確認する。
「はあ、それが、アメリカ国籍企業となっております資源探査会社AREC(アレ
ク)「AZUSA Resouce Examination Corporation」が運営、財団法人AFCが所有する深海調査船でして、母港はパールハーバーです。米国海軍の強力な保護下にあるもようで、北太平洋・南太平洋及び大西洋海域において、現在メタンハイドレードと海底熱水鉱床及び海底天然ガスの分布と埋蔵量の調査を行っています。
 ちなみにARECは、予備機を含めて五基の資源探査気象衛星も稼動中させています。海と空からのほぼ完璧な布陣を敷いている感じですね。資源調査では、他企業を圧倒してほとんど独占状態です」


「つまりは将来的なエネルギー源を、梓に押さえられる可能性があるということじゃない」
「その可能性は十二分にあるでしょうが、実際の採掘には、鉱床のある排他的経済水域を包括する国家の主権が絡みますので、なかなか難しいでしょうが」
「ところで米国海軍の保護下にあると言ったけど、まさか実際は海軍所属の潜水艦ということじゃないでしょうね?」
「そ、それは……」
「その顔は何か知っているわね?」
「い、いや。これはお嬢さまといえども打ち明けるわけには参りません」
「そう……。なら、いいわ。ただし、明日から別の職を探すことね。わたしに逆らった者がどうなったか知らないはずないわよね」
 高飛車な態度で言い渡す葵だった。気に入らないことがあれば、実力をもって行使する。いかにも自分本位で他人の迷惑を一切考えない。
 実際には使用人の採用権などを握っているのは母親の靜であるが、葵の機嫌をそこねたら最期、村八分にされるか下駄番にされるかして、居ずらくなってしまう。かといって転職しようとしてもことごとく就職を断られるだろう。
 神条寺家の影響力は全国津々浦々の企業に浸透しており、当家を退職した者を雇ったことが知られれば敵対勢力とみなされて、取引企業からの一切の断絶、企業生命を絶たれてしまう。結局神条寺家を出た者に待っているのは、世渡りの厳しい現実であり、せいぜいパートかアルバイトしかないか、神条寺家の範疇にない小さな個人経営の企業に就職するよりない。
 妻子ある者なら給与の激減で食べていくことすらできない状態に陥ってしまうであろう。
 ゆえに何があろうと、何を言われようとぐっと堪えて腹の中にしまって、媚びへつらい頭を下げていいなりになるしかないのである。
「判りました。ですが、絶対他言無用にお願いします」
「早く聞かせなさい!」
 びくつきながらも、自分の知り得た真条寺家の内情を話す黒服だった。
 原子力潜水艦が、真条寺財閥資産運用会社「AREC」の所有ながらも太平洋艦隊にも所属していること、戦略核兵器を搭載しているとかの噂も流れていること。
「核兵器?」
「未確認ですが、国家最高機密である原子力潜水艦を民間が建造所有できるはずもなく、当然海軍の協力の下に建造が行われたものと推定されております。また対艦誘導ミサイルの発射が確認されて艤装が施されているのが事実となっております。当然として、その艦の大きさから核弾頭すらも搭載されているだろうとの判断です」
「戦争でもするつもりなの? 真条寺家は」
「兵器は使うために存在するものです。その時……その時がくればですが、当然使うでしょう」
「その時は、第三次世界大戦になっているわね」
「その通りです」
「まったく……現在世界に冠たる経済大国の地位と、世界一の軍隊を誇るアメリカ国家を味方につけている真条寺家。かたや敗戦国で核兵器はおろか空母一隻も持たずに戦争放棄を唱えている平和統治政府日本国の下の神条寺家。戦争となって敵対すれば、あっという間に滅ぼされるわね」
「その通りです」
「どうりでお母様が梓を陥れようとやっきになっている理由が判ったわ」
「どういう意味ですか?」
「あなた、本当は知っているのでしょう? 梓がハワイに遊びに行くのを知って、整備員を買収して航空機に細工をしたのをね。あまつさえ、南米の某国軍隊を買収して駆逐艦部隊をさしむけたことも。さらには生命研究所の地下施設火災事件、すべてお母様の仕業。みんなひた隠しにしているけれど、わたしはちゃんと知っているのよ」
「どうしてそれを?」
「窮すれば通ずるよ。ひた隠しにしようとすればするほど、杓子から水がこぼれるように、情報は漏れるものよ」
「はあ……」
 ものの例え方がいまいち納得できないがだまって頷くような素振りをする黒服だった。
「わたしは影に回って陰謀を巡らすようなお母様には反対です。正々堂々と戦って組み敷かせなければ意味がないのよ。陰謀によって相手を倒して手に入れたものは、再び陰謀によって奪われるものよ」
 ほう……。
 珍しくまともなことを言っているな。
 そう思う黒服だった。
 思い起こしてみると、幼少の頃から勝気で、言うことを聞かないと癇癪を起こしてしまうお嬢さまだったが、曲がったことは大嫌いだった。まっすぐ前を見て物を言い、間違っていることは間違っているとはっきりと言う。善悪の区別のできる娘だった。
「お母様には、何を言っても無駄だわ。わたしは、わたしのやり方で梓をこの前に跪かせてあげるわ。あなたもお母様のいいなりになってないで、わたしについてきなさい」
 意外な言葉だった。
 母親に敵対するような言葉を吐き、一人でも多くの味方をつけるためのことなのかも知れない。
 葵に対しての意識を考え改めさせることばだった。
「判りました。お嬢さまのおっしゃるとおりに」
 と頭を下げる黒服だった。

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梓の非日常/第二部 第二章・宇宙へのいざない(八)未来に向かって
2021.05.11

続 梓の非日常/第二章・宇宙へのいざない


(八)未来に向かって

「なるほど、そこまでお考えでしたか」
 代わって麗華が説明を続ける。
「高出力原子レーザー発振器の開発は、AFC直属の機関として高エネルギー研究所を新たに設立して、すでに基礎研究に取り組んでおります。篠崎さんに担当していただきたいのは、恒久的な月面基地と原子レーザー発電機の開発ですが、もう一つ中間基地としての宇宙ステーションの建造があります」
「宇宙ステーションですか?」
「そうです。原子レーザーといっても、大気中では減衰が激しく実用には向かないでしょう。宇宙ステーションに搭載すれば、大気の減衰もなければ、BEC回路や超電導素子を作動させる極超低温も、宇宙空間という天然の冷却材が利用できます。原子レーザーの本格的な運用は、宇宙ステーションが完成してからになるでしょう」
「理にかなっておりますな。が、問題は人材の確保と資金面です」
 再び梓が答える。
「その点に関しましては、アメリカの大幅な予算削減であぶれたNASAなどの研究者を一部登用しますし、研究資金は当方で用意いたします。といいますのは、これらの計画実行にあたっては、篠崎重工とAFCの資金提携による合弁事業としたいのです」
「合弁事業?」
「はい。新たにアメリカ国籍企業としての篠崎重工アメリカを設立し、そこで開発していただきたいのです。これはアメリカ政府と軍の干渉を少しでも和らげる苦肉の策でもあります」
「つまりアメリカ国籍企業なら、アメリカの国益にもつながると判断すると?」
「そうあってくれるといいんですけど。それに莫大な金額になる研究開発費税額控除が、アメリカにおいては日本より格段に優遇されていますからね。例えばエレクトロニクス分野などは、法人税が五分の一ですみます」
「なるほど……。それで合弁事業のことですが」
「資本金は両者の折半でいかがでしょう。全額こちらで出資してもよろしいのですが、その場合はAFCグループの傘下に入ることになります。どちらにしても、実際の会社の運営は篠崎重工側におまかせします」
「AFCは金は出すが口は出さないというのが基本政策でしたな」
「もちろん計画の提案者がこちら側ですので、多少の諮問はするでしょうけど」
「わかりました。我々二人だけで結論は出せないので、重役会議にはかってみることにします。しばらく時間をいただますか?」
「結構です」

 莫大なる資産を有するAFC代表となった梓の最初にして壮大なる開発計画が始動しはじめた。
 今後二十年間の間に、宇宙に人類を住まわせるというコンセプトではじめられた、今回の新規事業組織の内訳は、主だったものだけでも以下のごとくである。
 高エネルギー研究所、原子力発電協会、極超低温冷媒製造保管基地。
 宇宙貨物輸送協会、スペースシャトルバス開発機構、月面調査開発協会。
 ロケット推進技術研究所、宇宙航行体構造物研究所、宇宙船内生命維持装置研究所。
 火星探査協会、スペースコロニー研究開発機構、宇宙移民局設置準備室、宇宙環境問題委員会、宇宙資源開発国際協力会議。宇宙飛行士養成協会。
 原子力兵器諮問委員会。
 そして篠崎重工アメリカ側の事業としては、
 宇宙ステーション開発事業部、月面基地開発事業部、原子レーザー発電事業部の三部門が設立された。
 などなど、今後二十年間で資本投下される金額は、真条寺財閥の総資産の三分の一に相当する二十兆ドルにおよぶ。
 そしてこれらの頂点に立つのが、一介の女子高生、AFC代表の真条寺梓十六歳である。

 ブロンクス屋敷バルコニー。
 午後のティータイムをくつろく渚が、美恵子からの報告を聞いている。
 話題は、梓の宇宙開発計画についてである。
『新たなるフロンティアスピリッツだと絶賛の声が上がっています。新企業に採用される従業員は総勢七十万人におよび、完全失業者がいっきに減少して産業界からは拍手喝采で歓迎されています』
『議会の方はどうなっていますか?』
『はい。例の「宇宙産業分野における研究開発費税額控除特別法案」をハンフリー上院議員を通して上申していましたが、まもなく法案は可決成立する見込みとなっております』
『政府に干渉することは、梓が嫌うところだけど、これだけは目をつぶってもらわなくてはね』
『そうですね。宇宙開発には莫大な研究開発費が必要です。今後最低十年間は研究開発のみが続くでしょうし、本格的な宇宙ステーション等の建設がはじまるのはその後十年間といいますしね』
『AFCの総資産の三分の一を投入するのですから、出来うる限りの策を施しておいておかなければ』
『しかしお嬢さまも、思い切ったことを決定されましたね』
『これからは梓の時代です。宇宙開発はその根幹となる事業となるでしょう』

第二章 了

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梓の非日常/第二部 第二章・宇宙へのいざない(七)新規事業
2021.05.10

続 梓の非日常/第二章・宇宙へのいざない


(七)新規事業

『とにかく、彼が十八歳になって正式にプロポーズしてきたら、あなたは断ることはできないの』
『お母さんは、慎二とあたしの結婚を認めているというわけね』
『まあ、反対はしないわよ』
 うなだれる梓。
『ねえ、お母さん……慎二は、このこと知っているの?』
『知らないでしょうねえ。自分が婚約者の権利を得たことも、花婿候補だったことすらも知らないはずよ。くわしい事情を説明する暇がなかったのよね』
『だったら、このまま黙っててくれないかな……』
『いいわよ。どうせ、彼もしきたりのこと知らなかったはずだし』
『ありがとう、お母さん』
『それはいいけど、しきたりの載っている家訓帖ぐらいちゃんと読みなさいよね』
『だってえ。漢字がのたくったように走っているみたいで、全然読めないんだもの』
『それをいうなら、漢字の草書っていうのよ』
『ねえ。あたしにも読めるように英文に翻訳してくれないかなあ。家訓帖』
『仕方がないわねえ。草書が読めたとしても、文語体で書かれているから、梓には理解できないでしょう』

『ところで、話しは変わるけど、あなた衛星事業部を視察したそうね』
『ほんとに、変わるわねえ……』
『その衛星事業部から新規の研究開発に関する企画議案書と融資依願書が提出されているわ。せっかくだから、この案件はあなたが決済しなさい』
『あたしが?』
『そう。企画議案書によく目を通して、自分の判断で決定していいわ。わたしは一切口を出さないから』
 二つの書類を渡されて当惑する梓。
『衛星事業部か……』
 麗香と視察した研究所を思い出しながら、
『予算が、五千億ドルねえ……』
 じっと書類に目を通している梓。
『ふうん。そうか……なかなか面白そうじゃない』
 と、ぶつぶつ言いながら、その詳細な説明書を読みはじめた。
『原子レーザー発振器ねえ。これが最大の課題みたいね』
 梓は麗華を呼び寄せると、二つの書類の決裁に踏み切った。
 法的に有効なる決済書類を梓が作成できわけもなく、麗華に手伝ってもらってことにする。
『はい、結構です。それでは、こちらにご署名をお願いします』
 言われた通りに決裁書に署名する。
 もちろん英文字によるサインであるが、印鑑などというものを押印せずともそれで書類が有効となる。
『これで完了です。AFC統括事業部に送達すれば、後は向こうですべてが動き出します』
『ありがとう』
『どういたしまして』

 真条寺邸バルコニー。
 いつものようにティータイムの渚と美恵子。
『お嬢さまは、衛星事業部の五千億ドルの研究開発を承認されたようですね』
『梓が決めたことですから、私のとやかくいう筋合いではありませんが、問題が一つ』
『問題と言いますと?』
『大出力の原子レーザー発振器は、ともすれば核爆弾にも匹敵する原子力兵器となりえます。軍事レベルでの極秘開発が必要となりましょう』
『そうですねえ。今まではSFだった、プロトン砲や粒子ビーム砲などの科学兵器が実現可能になりますからね』
『ここは大統領とも相談して』
『ちょっと、やめてよね。お母さん』
 背後にいつの間にかネグリジェ姿の梓が立っていた。
『梓! まだ、寝てなかったの』
『寝る前に挨拶しようと寄ったのだけどね……それより、何よ今の話し。お母さんたら何かっていうと、大統領とか太平洋艦隊司令長官とかの力を利用するんだから』
『そうは言ってもねえ』
『いつまでもアメリカ軍に頼ってばかりいては、真条寺家の独自性が失われてしまうわ。今後はAFCを軸として独自路線を切り開きたいの。AFC単独の宇宙ステーションを打ち上げ、さらには火星への移住だって考えているんだから。火星ロケットや火星基地にエネルギーを恒久的に伝達する方法としての、原子レーザー発振器の開発は急務なのよ。アメリカ軍の手助けはいらない』
 いつになく強い口調の梓だった。新規事業に対する意気込みからだろうと思われる。
『決済を任せる、一切口出ししないと言ったのだから、その運用もすべて任せてくれるんじゃなかったの?』
『ごめんね、梓。お母さんが、間違っていたわ。出過ぎたまねをしたわね。AFCの代表はあなただったのよね。あなたの好きなようにして』
『ありがとう。お母さん』
 後ろから渚に抱きつくように手を回す梓。
『これからはあなたの時代。好きなようになさい。困ったことがあったらいつでも相談に乗るわよ』
『うん、判った……』
 母と娘の仲睦まじい光景であった。


 さらに数日後の衛星事業部の所長室。研究所員が飛び込んで来る。
「所長! 例の案件、通りましたよ。AFCから融資決定の書類が届きました」
「ほんとうか! 五千億ドルの予算だぞ」
「間違いありません。そして、梓お嬢さまのお言葉も添えられてありました」
 梓の礼状を開いて読み始める研究所所長だったが、
「英語だな……」
 ぼそりと呟く。
「そりゃそうですよ。英語圏で育った生粋のアメリカ人ですからね。ちゃんとした文章を考え記述するのには、日本語だと自信がなかったのかも知れません」
「まあ、そうだな」

『所員のみなさん。先日はわたくしのために、忙しい中いろいろと案内やご説明を頂き本当にありがとうございます。研究成果というものは、一朝一夕で出来上がるものではないかとおもいます。些細な研究でも、毎日こつこつと積み重ねていけば、やがて大きな成果となって現れることもあるのでしょう。
 ただ、わたくしが危惧することは、利益だけを追求したり、特許申請の数を競うだけの研究であってはならないということです。もっと大らかに、社会に貢献したと誇れるような、素晴らしい研究をしていただきたいと思います。日々精進努力する姿は美しいと思います。
 わたしは、そんな所員の皆様方を心の底から応援したいと思います。ありがとう』

「よし、研究開発の大号令を発する。二十年計画の予定だったが、十五年いや十年で開発を完了してみせようじゃないか。社内報にお嬢さまのお言葉を添えて号外で載せろ」
「わかりました!」
「わたしは、所員の皆様方すべてを心のそこから応援します、か。さすが、梓お嬢様だ」

 それから数日後。
 篠崎重工の社長室のそばにある特別応接室。
 梓と麗香、篠崎良三と花岡専務が一同に会していた。麗香だけが梓のそばで立って、商談の成り行きを見守る立場にあった。執行代理人としてグループ内でもナンバー3として強大な権限を持つ麗香でも、梓本人が同席している場では秘書的な地位しかなく、直接商談には加われないのだ。
 総資産六十五兆ドルを自由に動かせる梓と、二十億ドル程度の自由決済予算しかない麗香、主従の関係にある二人にはおのずと踏み越えられぬ垣根が存在するのだ。梓にしてみればたった二十億ドル程度かも知れないが、それを自由に動かせる麗香には、目の前の篠崎・花岡ですら頭が上がらないのである。
 梓がいかに雲の上の人物かがよくわかるだろう。
「しかし梓さま自らお出でになられるとはいかなご用でございますかな」
「麗香さん、あれをお見せして」
「かしこまりました」
 麗香が書類ケースから取り出して、二人の前に差し出した。
 それは衛星事業部が梓に提出した、
『高出力原子レーザー発振器による、月面移動基地への高エネルギー伝送実験の企画議案書』
 であった。
「目を通していただけますか?」
「拝見いたします」
 書類に目を通してしばらくすると、二人の表情がこわばるのが手に取るように見えた。
「高出力原子レーザー発振器ですか……」
「ぶっそうな代物ですな」
 二人は、それが何物であるかをすでに理解しているようで、その危険性を指摘してきた。
「確かにこれが開発できれば宇宙開発における画期的な進歩が訪れるでしょう、反面として、将来における宇宙戦争の強力な武器をも手に入れることにもなります。戦争と平和両面における慎重な検討が必要かと存じますか」
「原子力兵器への転用は、私どもも苦慮しております。しかし、核爆弾と原子力発電、戦闘機とジャンボ旅客機、大陸間弾道弾と宇宙ロケットなどにみられますように、新技術には必ずと言っていいほど、戦争と平和の両面性を兼ね備えております。 今のコンピューター時代も、有名な『エニアック』という弾道計算に使われた電子計算機が最初です。戦争のために開発された技術が平和利用されて、わたし達の暮らしを支えているものも数多く存在します。
 この高出力原子レーザー発振器も、善と悪が紙一重でありますが、だからといって開発を躊躇していては、未来はいつまでたっても訪れてはきません。人類の歴史がそうであったように、たとえ宇宙戦争を引き起こす要因となったとしても、その後に来たるべく明るい平和と進歩が約束されるならば、わたしは開発に着手すべきものだと信じています」

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梓の非日常/第二部 第二章・宇宙へのいざない(六)結婚許諾か?
2021.05.09

続 梓の非日常/第二章・宇宙へのいざない


(六)結婚許諾か?

 数日後。
 ブロンクス本宅のバルコニーで、お茶の時間に会話する梓と渚。第一・三土日は、母親のもとで過ごすことにしている梓だった。もちろん真条寺家の執務も休みである。また世話役の二人も水入らずの母娘の会話を邪魔しないように席を外している。
『梓、眠くないの?』
『大丈夫よ。飛行機の中でぐっすり寝たから』
『無理して、私達に合わさなくてもいいのよ。会いに来て元気な姿を見せてくれただけで、母親として嬉しいんだから』
 渚が心配しているのは、日本とニューヨークの時間差、昼と夜がほとんど正反対になっているからだ。今こちらでお茶を楽しんでいる時間は、日本ではぐっすり眠っている時間であるからだ。本来なら眠っている時間に無理に起きていて、体調を崩して欲しくないと切に心配しているのだった。
『そうは言ってもお母さんが寝てる時に起きてて、起きてる時に寝ていたんでは、こちらに来た意味がないわよ。麗香さんには、寝ていなさいと言ってあるけどね』
『しようがない娘ねえ……』
『時間の問題がなければ、絵利香も連れて来るんだけどね』
『慎二君とは、その後うまくいってる?』
 突然話題を変えて切り出す渚。
『なんで慎二が出てくるの?』
『だって、好きなんでしょ』
『だ、誰が、好きなものか。ただの喧嘩相手だよ』
『でも喧嘩するほど、仲が良いっていうじゃない』
『そんなこと……』
 否定できない梓だった。
『ともかく、あなた一人だけでなく彼もたまには一緒に連れておいでよ』
『なんでなのよ。どうしてそんなに肩入れするの?』
『一応、沢渡君はあなたの婚約者ということになってますからね』
『こ、婚約者……、いつからそんな話しができてるのよ』
『あなた誕生日に、招待された俊介君と彼を戦わせたじゃない。そして彼は、見事俊介君に勝ったわよね』
『それがどうしたのよ』
『しきたりのなかにあるのよ。真条寺家の娘を嫁にしたき者は、娘が指名した者と戦って打ち勝つべし、さすれば望みをかなえよう。とね』
『そんなしきたり、知るわけないじゃない』
『真条寺家の娘と花婿候補の男性が決闘することを承認することは、すなわち結婚を許諾したことになるのよ。そういうわけだから、彼はあなたと結婚する権利を持っているわけ』
『承認ったって、単に決闘に立ち会っただけじゃない。それに花婿候補ってどういうことよ』
『立ち会えば承認したことになるのよ。神条寺家が婿候補として西園寺俊介君を送り込んできていたのは知ってるわよね』
『知ってるわよ。馴れ馴れしくて嫌気が差してたんだ』
『そもそも、真条寺家の娘が十六歳になるということは、法律上結婚が許されると同時に、花婿候補選びがはじまることを意味しているのよ。家督長であるあなたに限らず、一族郎党すべての娘がね。あのパーティーに出席した若者の大半が、真条寺家にゆかりのある由緒ある血筋の中から厳選された花婿候補だったのよ。麗華さんが一人一人あなたに紹介していたはずだけど。その最後に沢渡君が紹介されたはずよ。彼は私の推薦として特別に候補に入ってもらっていたの。一応命の恩人として、その権利があってもいいでしょ』
『そうだったのか。どうりで馴れ馴れしいやつらと思った。自分が花婿に選ばれようと精一杯だったんだ。その中に紛れ込んできたのが俊介というわけね。もっとも慎二はえさに釣られてやってきたんだろうけど』
『まあ、そういうことね。一応血筋には違いないから、向こうからの祝辞を持ってきた俊介君を断るわけにはいかなかったののよ』
『祝辞ねえ……それ持ってると、誰でも受け入れるしかないんだな』
『まあね、社交上の礼儀よ。例え「村八分」を受けていても冠婚葬祭なら参加しようということね』
『なにそれ? 村八分って、どういう意味?』
『日本の古いしきたりの一つでね、直訳すれば「Ostracism」追放ということになるのだけど。意味が違うわね。八分の残りは葬式と火事の二分ということ。仲間はずれにはするけど、葬式と火事には助け合うという精神よ』
『でさあ……でさあ。その村八分はともかく。決闘に立ち会っただけで、なんで結婚を承認したことになるわけ?』
『それも真条寺家のしきたりよ。決闘して勝った者を花婿とすると決められているのよ。それを知ってか知らずか、あの二人が決闘をはじめて、それにあなたが立ち会った。その他の花婿候補の人たちも、沢渡君が花婿候補だと知らされていたはずだから、決闘で勝利したのをみて、しきたりということで、諦めて全員途中で帰ってしまったわ』
『決闘の後、急に閑散としたような気になったのはそのせいだったのか。でも、たかが決闘ぐらいで、花婿が決められるなんて……』
『真条寺家の跡取り娘でなければね。梓、あなた、自分の立場がどれほどのものかということ、真剣に考えたことあるの? 一国の王にも匹敵する財力と権力を持ち、世界経済を自由に動かすことができるのよ。こんなこと言いたくないけど、一般庶民が手を触れることすらかなわないあなたの御前で戦われた決闘の勝者に、祝福を与えるつまり結婚を承諾するのは当然の義務なのよ』
『そんなこと……』

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