梓の非日常/第六章・ニューヨークにて
(二)ニューヨーク散策  その夜のディナー。  食卓を囲んで談笑中の一同。真条寺家のしきたりにより、世話役の麗香と恵美子も 同席している。 『でも変な気分ね』  絵利香が首をかしげている。 『なにが?』 『こうして眺めていると、みなさん日本人の顔しているのに、ごく自然に英語を話し てらっしゃるのが妙なの』 『そうかなあ、あたしは何も感じないけど』 『それは、梓ちゃんが生まれた時からずっと英語の世界で育ったから。最初に覚えた のが英語じゃない。わたしも、ニューヨークで生まれ育った点は同じだけど、両親が 日本人だし国籍も日本になってる。母親共々アメリカ国籍の梓ちゃんとは、そこが違 うのよね。だからかな、麗香さんにやさしく丁寧に日本語を教えてもらって普通に話 せるようになったんだけど、その頃から、日本人なら日本語を話すのが自然じゃない かなって思うようになったのよね。英語を自由に話せるんだけど、どこかに常に日本 語の存在があるって感じかなあ』 『そうですね。絵利香さんが妙な気分になるのは、理解できますよ。フランス人なん かも自国語のフランス語に誇りを持っているのは有名ですよね。フランス人ならフラ ンス語を使うのが当然という風潮があります』 『ここでの公用語を英語に限定しているのは、渚さま率いる四十八社に及ぶグループ 企業が世界各地に販路と生産拠点を有する国際企業で、多種多様の言語圏からの幹部 達が毎日のように屋敷を訪れるからです。英語はもちろんのこと、フランス語、ドイ ツ語、ロシア語、言語を統一しなければ収拾がつきませんし、それらの幹部の世話を するメイド達も混乱してしまいます。公用語として、渚さまや梓お嬢さまの国語であ る、英語を使用するのは自然の成り行きでしょう』 『でも、みなさん日本語も完璧に話されますよねえ』 『それは、真条寺家の本家が日本にあり、日本語を公用語としているからです』 『本家ですか?』 『本家との付き合いが不可避である関係上、日本語を修得する必要があります。梓お 嬢さまに日本語をお教えしていたのはそのためです。もちろん言語を本当に理解する には、その国に行って生活してみなければ真に理解したとは言えません。だから中学 校以降は日本へ留学することになったのです』  朝日が差し込む部屋。  日本に残してきたはずの専属メイドが、かいがいしく働いている。 『なんであなた達がいるの?』 『梓さま専属のメイドですから』 『それでわざわざ日本から追いかけて来たというわけ? しかもその英語』 『出国手続きの都合で遅れました。メイドの採用条件には、英語会話が堪能なことが 必須なんですよ』 『そうなんだ?』 『はっきりいいますと、世界中どこへでもお嬢さまに付いていきますよ。それがこの 子達の任務ですから』 『でも基本的に屋敷からは出られないんでしょ』 『その通りです』 『そうか……』  何事か考えている梓。 『今日はメトロポリタン美術館とかニューヨークの街を散策しようと思っていたんだ けど……あなた達、一緒についてこない? せっかくニューヨークに来ているのに屋 敷でくすぶっているのは、もったいないわ』 『いいんですか?』  メイド達の表情が輝きだす。そして自分達の直属の上司である麗香の方を見つめる。 『お嬢さまが、そうおっしゃるなら構わないでしょう。外出を許可します。ただし!  あくまでお嬢さまの警護役としてです。観光気分に浮かれないようにくれぐれも充 分気を付けてください』 『はい! かしこまりました』  玄関車寄せに、梓のアメリカでの公用車である、GM社製キャデラック・エルドラ ドが停まっている。  水冷V8FFエンジン、総排気量8195cc、最大出力400PS/4400rpm、最高速度195km /h、全長5613mm、全幅2029mm、全高1354mm、車両重量2134kgと、ロールス・ロイス・ ファンタムVIより多少小型軽量ながら、エンジン性能で優るこの車は速度重視、広 大なアメリカ大陸を走るのに都合がよい。しかもファントムVI同様の完全防弾にし て、セキュリティーシステム完備である。  ちなみに渚の公用車は、クライスラー社製、インペリアル・ル・バロンである。  また車庫を覗けば、1960年代、モータリゼーション華やかりし頃の往年の名車がず らりと並んでいる。  GM社製シボレー・インパラ、フォード社製フェアレーン500、アメリカン・モー タース社製AMX。他国に目を向けると、メルセデス・ベンツ300SEL、BMLCジャ ガーXJ6ー42、シトロエンDS21、フィアット128、ボルボ1800Sなどなど。梓と渚が現在 公用車としているものも、この中に含まれていたものだ。  これらはすべて渚が若かりし時代に、各国を代表する名車の数々を、オークション などで集め回ったものだった。残念ながら日本社製はない。当時の日本車に関する諸 法規(道路交通法、道路運送法、自動車に関する税法)の制約、道路舗装状態の問題、 時速20km/hでトップに入れなければならないという自動車運転免許試験制度などから、 渚の好奇心を刺激する優秀な車はまだ登場していなかったからだ。当時の日本はまだ まだタクシーと官公庁・会社の公用車時代、オーナードライバーはまだ少数派でしか なかったのだ。世界一売れたという、日産フェアレディー・Zはまだ発売されていな かった。  この屋敷でない別の倉庫には、アメリカの車社会を切り開いたT型フォードをはじ めとして、1935年製メルセデス・ベンツSL500K、1954年製メルセデス・ベンツ300Sカ ブリオレ、1940年製BMW328ツーシーター、1957年製フォード・エドセル・サイ テーション、1995年創立50周年記念フェラーリF50・ベルリネットなどなど。  ルノー、ビュイック、シボレーなどの二十世紀初頭を代表する名車もずらりと保存 されている。しかもすべてが完璧に整備・動態保存されて、いつでも走らすことがで きるのだ。中には物置の中で朽ち果てぼろぼろになっていたものを譲り受けて、メー カーから資料を取り寄せ部品やボディーなど一個一個手作りして、見事復元にこぎつ けたものもある。
     
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