霊敵なる者 2


 奴が現れた。
「こんなところまで……ちくしょう」
 俺は図書館から追い出されるように逃げ出した。

 俺の脳裏には静香のことでいっぱいであった。
「そういえば静香はどうしているのか」
 自然に俺の足は、俺と静香がともに暮らすマンションに向かっていた。
 階段を昇る。
 俺達の暮らす部屋が目の前にあった。
 扉を開けて中に入る。
 だが、笑顔で迎えてくれるはずの、静香の姿はなかった。
 清潔好きな静香によって、隅済みまで掃除のいきとどいた部屋。心を和ませてくれるからと静香によって所々に置かれた鉢植の花。この時計も、この壁紙もすべて静香がみつくろったものだ。
 主婦としての静香のすべてがここにある。
 新婚生活の日々が思い起こされる。
「子供は女の子がいいな」
 甘えたような声で言う静香。返答にこまって言葉が出ない俺。
 やさしく、人一倍思いやりがあって、何でもよく気がついた静香。
 俺の前には、冷え切った虚しい部屋があるだけだった。

 扉が開いた。
 俺は、静香が戻って来たのかと期待に胸踊る。
 だが入ってきたのは、いっそう無表情な顔をした奴であった。
「思い出だけで飽きたらず俺達の実生活までも、抹殺しようというのか!」

 俺は、部屋を飛び出していた。

 マンションを上へ上へと昇っていく。
 屋上に出ていた。
 奴はゆっくりと後を追って昇ってくる。
 もはや、逃げる場所はない。

 逃げる場所?
 そんなもの、もともとありはしない。
 俺はやみくもに逃げ回っていたが、どうあがいても奴からは逃げられないことに気がついていた。
 ここは、奴が作り出した幽閉空間なのだ。

 俺は手摺を乗り越え、闇の中へ飛び込んでいった。
 脳裏に静香の顔が浮かびあがる。


 俺は、ベッドの中にいた。
 ひどい寝汗をかいている。
「夢だったのか?」
 俺は、サイドワゴンに置かれたポットからコップに水をそそいで飲んだ。
 ふと、横に寝ているはずの静香の方に目をやった。
 いない。

 俺は、いやな予感がした。

「ふふふ……」
 突然背後で声がした。
 俺は反射的に身構えたが、バランスを崩してベッドから転げ落ちてしまった。

 声の主は、奴ではなかった。

 そこには、可愛い表情で微笑む少女がいた。
「驚かせちゃったみたいね」
 年の頃14、5歳というところだろうか。あどけなさを残した表情は、この場に似つかわしくなかった。
 それにしてもこの子はどこからこの部屋に入ってきたのだろうか。
「き、君は?」
「あたし?」
「そうだ」
「ふふふ……あたしは、夢幻霊界の案内人よ」
「夢幻霊界?」
「知らないの?」
 俺は、首を振った。
「そうよね。知らないわよね」

 夢幻霊界とは、いったいなんなんだ。
 霊界というからには、死後の世界のことか?
 俺は死んでしまったというのか?

「あなたは、まだ死んではいないわ」
 俺の意識の中に直接、少女の声が響いてきた。
「あ、ごめんなさい。あなたの心を読んじゃったの」
「どういうことなんだ。教えてくれ。ここはどこなんだ。君は一体何者なのか」
 俺の心を読み取ることのできる少女、そして今いるところもどうやら現実の世界ではなさそうだった。さらに俺を執拗に追いかけ回している奴のことも、すべてが謎だらけであった。

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