純愛・郁よ

(一)朝の目覚め 「武司、起きて。朝よ」  俺の毎朝は、その声ではじまる。 「今、何時だ」 「丁度、十時。お食事、できてるわよ」 「わかった。今、起きるよ」 「今日はいい天気よ。デート日よりね」 「そうか……。雨でなくて良かった」 「あら、雨でも行くって言ったでしょ」 「そうだったな……」 「早く、食事にしましょう。冷めちゃうわ」  日曜の朝は気だるい。なぜなら昨晩……いや、こんなことはどうでもいい。  いつもなら昼過ぎまで寝ているのだが、今日は寝かせてくれそうもない。しようが ない、起きるとするか。  彼の名前は……。  え? 彼女じゃないかって?  いや、彼で間違いない。なぜなら男だからだ。  しかし、彼という表現を使うと、女みたいにぷんぷん怒りだす。実際に女の心を持 っているから当然だ。性同一性障害というやつだ。  名前は郁だ。  かおる、と読む。  男の子として生まれたのに、そんな名前が付けられたのは、母親のせいだ。上には 四人の男の子、今度こそ女の子が欲しいと願ったにもかかわらず結局また男の子。妊 娠中に子宮筋腫が発見され、出産後に全摘することになっていたので、それが最後の 子供になる。そこでどっちが産まれても「郁」にすると決めていたのだそうだ。  顔を洗ってキッチンへいくと、味噌汁のいい香りが漂ってくる。  食卓のいつもの席に座る。 「今日はあさりと豆腐の具か……」  味噌汁は、毎朝の食卓に上る。ちゃんと昆布と鰹節からだしを取ってから作る、郁 の母親仕込みの本格的なものだ。そのためには朝早くから起きて調理しなければなら ないから大変だ。面倒なら味の素使って簡単に作れるのにそうしないのは、俺におい しい料理を食べさせてあげようとする真心からだ。漬け物だって糠を使った自家製だ。 手を抜いているものは一つもない。 「はい、武司」  ご飯がよそわれて朝食となる。 「この里芋の煮転がし、おまえが作ったのか?」 「ううん。隣の奥さんに頂いたの」 「だろうな。味付けが違うもんな」  郁は、隣の奥さんと仲が良かった。こうして料理をもらったりあげたりしている。  郁の実家は農家で、旬ごとに新鮮な野菜や果物を届けてくれる。二人では食べきれ ないので、隣におすそ分けしてあげた。それが縁で仲良くなって、親しい近所付き合 いがはじまった。  いつもの朝の食卓の風景だ。  俺と郁と二人。  もう五年の月日が過ぎようとしている。 「おい。まだかよ」 「もう少しよ」 「もう少しって、どれくらいもう少しなんだよ」  かれこれ十分以上待たされていた。女の身支度は時間がかかる。しかも久しぶりの デートということで、精一杯のおしゃれしているから、よけいに時間がかかる。 「だからもう少しよ」  男はすっぴんで構わないが、女には化粧がある。  人前に出るからには避けられない女のたしなみだ。手を抜くわけにはいかない。 「さあ、いいわ。出かけましょうか」  満足し、ドレッサーを立ち上がったのはそれから二十分後だった。
   
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