陰陽退魔士・逢坂蘭子/蘇我入鹿の怨霊
其の拾玖 銃砲刀剣類所持許可証 「布都御魂……だっけ。そんな錆びた剣が役に立つのかね」 「神様が遣わしてくれた霊剣ですからね。きっと役に立ちますよ」  ここで問題となるのは、布都御魂が日本刀などの銃砲刀剣類が適用されるかである。  銃砲刀剣類に関しては、日本刀など文化財としての教育委員会のものと、警察官 携帯の拳銃など武器としての公安委員会のものと、二種類の登録制度がある。  銃砲刀剣類所持等取締法第14条に該当するものは、美術品・骨董品として価値 あるものとして、都道府県教育委員会に登録申請する。  少なくともこの布都御魂は、錆びて朽ちており美術品としては該当しないだろう。  今の時点では、御神体として奉納する価値はあるかもしれないが、石上神宮の対 応次第である。  ともかくも刀剣であることには違いないので、都道府県公安委員会の銃砲刀剣類 所持許可手続きは必要であろう。 「しかし……お堅い公安委員会の許可証が取れるかが問題だな。未成年だしな。と もかくその剣を持ち歩くに当たって、まずは石上神宮のものとして刀剣類発見届出 書を提出して、入手した上で、申請しなくてはならない。そして人目につかないよ うに、剣道の竹刀鞘袋にでも入れて持ち運ぶことだ」  井上課長は、大阪府警捜査第一課長の身分を最大限に利用して、捜査協力のため として事件解決までの期間限定の特別所持許可証を手に入れてくれた。また奈良県 警捜査第一課長の綿貫警視も一役買ってくれた。  もっとも変死事件があれば、怨霊や陰陽師の仕業と噂される古都奈良特有の事情 もあったのだろうが。  ちなみに古都とは、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に規 定される京都市・奈良市・鎌倉市の他、同法の第二条第一項に定める政令で天理 市・橿原市・桜井市・斑鳩市・明日香村・逗子市・大津市などが挙げられる。 「これが許可証だ。剣と共に肌身離さず持っていてくれ」 「分かりました」  さて、蘭子は陰陽師としての行動をする時、御守懐剣「虎撤」を携行しているが、  銃刀法第22条「業務そのた正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定め るところにより計った刃体の長さが6CMをこえる刃物を携帯してはならない。以 下略」  または軽犯罪法第1条1項2号「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命 を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯 していた者」  とあるとおり、陰陽師としての業務遂行のために所持しているので、一応違反と は言えない。  もっとも昇進のための検挙率を稼ごうと、何が何でも違法だと決め付けて検挙し ようとする、根性腐った悪徳警察官も多いので要注意である。  陰陽師の仕事は、夜半がメインである。  夜中に出歩いていれば、警察官の職務質問に遭遇することもあるだろう。 「バックの中身を見せてください」  と、所持品検査もされる。  職質も所持品検査も任意なので断ることができる。  警職法2条3項、「刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束さ れ、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行されることはない」  と、刑事訴訟法によらない強制の処分を禁止している。  ところが、根性腐った悪徳警察官は、わざと腕を掴んだり、前に立ちはだかるな どの行動をとり、うざいからと、手を振り払ったり、警察官の胸を押したりすると、 「公務執行妨害だ!」  と大げさに、警察官に暴行を加えたとして、現行犯逮捕される。  こんな場合は、 「違法行為はやめてください!」 「いやです!」 「手を離してください!」  と大声を張り上げて、毅然とした態度で対応するのが正しい。  サッカーなどの試合で、審判に抗議する監督などが、退場処分にならないように、 決して手を挙げないのと一緒である。  井上課長が所持許可証にこだわったのは、そういう警察の事情があるからである。  布都御魂を収める竹刀鞘袋を、奈良県警察署道場の講武会から借りてくれた。 其の弐拾 夜の辻斬り  その夜のことである。  旅館で一息ついていた時、布都御魂を収めた鞘袋が震えて微かに輝いている。 「布都御魂が感応しています」 「ほんとうか?奴が七星剣を持って動き回っているのか」 「そのようです」 「応援を呼ぶか?」 「いえ、多人数で行動すれば感ずかれます。私一人で対応します」 「女の子が一人で夜に出歩けば、警察官に職質されて身動きできなくなる。私が一 緒にいた方が良い。それに万が一の時にはコレがある」  と、背広の内側に隠しているホルダーから拳銃を取り出して見せた。  怨霊に対しては拳銃が役に立つはずがないが、少なくとも人間である石上直治に 対しては有効であろう。 「わかりました。課長と二人だけで行動しましょう」 「良し」  旅館を出て、夜の街へと出陣する二人であった。  布都御魂に導かれるままに……。  夜の帳が舞い降りた街中。  辻を吹き抜ける風は、淀んで生暖かい。  夜道を歩いている女性。  時々後ろを振り向きながら、小走りで帰路を急いでいる。  後ろにばかり気を取られていたせいか、前方不注意で何かに躓いて倒れてしまう。 「痛い!」  足元の暗がりを探るように見たそこにあったものは人のようであった。  泥酔で寝込んでしまったのか、交通事故のひき逃げで倒れているのか。 「もし、大丈夫ですか?」  声をかけても返事はない。  それもそのはず……。  首がない!  悲鳴を上げる女性。  その悲鳴を聞いて駆け寄る人影。 「どうしましたか?」  尋ねられても声が出せず、横たわる遺体を指差す。 「こ、これは!」  遺体を確認して、携帯無線を取り出す。  巡回中の警察官だった。  女性の一人歩きを心配して、声を掛けようとしていたのである。 「こちら警ら132号、本部どうぞ」 『こちら本部、警ら132号どうぞ』 「こちら警ら132号、鳴門町132番地にて殺人と思われる事件発生。遺体は首 が切断され遺棄された模様。302号連続殺人犯の犯行と思われる。至急、応援急 行を乞う」 『こちら本部了解した。直ちに応援を向かわせる。現場の保存に尽力せよ』 「こちら警ら132号、了解」 *注・警察無線はデジタル化以降、どのように行われているか不明。各警察機構によっても違いがあり、一応の目安ということで……。 其の廿壱 飛鳥板蓋宮跡へ 「遅かったか……」  蘭子と井上課長が到着したのは、五分後のことであった。 「いえ、まだ反応はありますよ。追いかけましょう」  現場警察官が留めようとするので、 「任務遂行中だ!}  警察手帳を見せて先を急ぐ。  警視という階級を確認して、直立不動になって敬礼する警察官。  ヒラの巡査にとって、キャリア組の警視という階級は雲の上の存在。  布都御魂の導きに従って、犯人を追跡する二人。 「どうやら飛鳥板蓋宮跡へ向かっているようです」 「入鹿が暗殺されたという現場か?」 「怨念が封じ込まれた剣と、怨念が自縛霊となっている場所。相乗効果がありそう ですね」 「のんきな事を言っている場合か。昼間行った時には何事もなかったよな」 「時刻が問題なんです。鬼門の開く丑三つ時……」 「なるほどね。相手は時間と場所を選んだというわけか」  その後しばらく無言で走り続ける二人。  数分後、飛鳥板蓋宮跡の入り口へと到着する。  井上課長は胸元の拳銃、SIG SAUER P230 を取り出しマニュアルセーフティーを 解除して、いつでも発砲できるようにして再びホルスターに戻した。  発砲といっても、米国のように無条件で撃てるのではなく、正当防衛かつ緊急事 態にのみ発砲が許されている。例えば、犯人が蘭子に襲い掛かり正に刀を振り下ろ そうとした瞬間とかである。  慎重に跡地内へと入っていく二人。  周囲に照明となるなるものがないために、ほとんど暗闇状態で星明りだけが頼り だった。それでも暗順応とよばれる視力回復が働く。  陰陽師として深夜半に行動することが多い蘭子は、霊を見透かす霊視に加えて、 周囲の状況を見ることのできる暗視能力にも長けていた。    暗順応:  角膜、水晶体、硝子体を通過した光は、網膜にある視細胞で化学反応を経て電気 信号に変換される。視細胞には、明暗のみに反応する約1億2000万個の桿体細胞と、 概ね3種とされる色彩(波長)に反応する約600万個の錐体細胞がある。光量が多い 環境では主として錐体細胞の作用が卓越し、逆に光量が少ない環境では、桿体の作 用が卓越する。夜間などに色の識別が困難になり明暗のみに見えるのは、反応する 桿体の特性である。桿体、錐体ともに一度化学反応をすると、再び反応可能な状態 に復帰するまでにはある程度の時間が必要である。視界中の光量が急減した場合に 一時的に視覚が減退するのは、明所視中において桿体細胞内のロドプシンのほとん どが分解消費してしまっており、桿体細胞が速やかな反応のできない状態になって いるからである。暗い環境の中で時間が経過すると、ロドプシンが合成されて桿体 細胞が再び反応できるようになり、視覚が働くようになる。 明順応に対し、暗順 応に時間がかかるのは、ロドプシン合成の方がロドプシン分解に比べて長い時間を 要するためである。wikipediaより 其の廿弐 石上直弘  突如、落ち武者の姿をした亡霊が地の底から湧いて出るように出現した。 「課長、気をつけてください。犯人が外法で霊を呼び出しています」 「霊?といわれても、私には見えないぞ」  といいつつ胸元のホルスターから銃を取り出す井上課長。  辺りを見回すが猫一匹見ることはできなかった。 「銃は無駄です!相手は怨霊です」 「どうすりゃいいんだ」 「夜闇を払い、光を降ろす五芒の印!」  暗視の術を唱えると、井上課長の目にも見えるようになった。  おどろおどろしい怨霊の姿にたじろぐ井上課長。  そりゃそうだろう。  怨霊などというものに、普段から接したことなど皆無だから。  お化け屋敷とは違うということである。  と、上着の内側が微かに光っているのが見えた。  内ポケットに入れたお守りが輝いていた。  おもむろに取り出してみる。  するといっそう輝きを増して、襲いかかろうとしていた怨霊を消し去った。 「なるほど……これは良いな」  蘭子が護法を掛けていた効力のようである。  怨霊程度ならお守りでも役に立っている。  それを確認した蘭子は、安心して犯人と対峙できる。 「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」  怨霊を九字の呪法で消し去りながら、板蓋宮跡の中へと歩みを進める二人。  やがて跡地の中ほどに人影が現れた。 「待っていたよ」  暗がりで佇む人影は、近づくにつれてはっきりと表情を読み取れるようになる。  石上直弘その人だった。 「石上だな!」  井上課長が尋ねる。 「その通り」  続いて蘭子が続く。 「なぜ、罪もない人々を殺(あや)める」 「なぜだと?」 「そうだ。金城聡子をなぜ殺した!」 「足手まといになったからだ」 「足手まといだと?」 「七星剣に封じ込まれた入鹿の怨念を呼び起こすためには、血を吸わせる必要があ ったのだ。剣を手に入れる助手として、かつ最初の生贄として彼女が必要だった」 「なんてこと……そのために人の命を弄ぶとは」 「妖刀とは血を吸うものじゃないかな?」  妖刀として名高いものに村正が上げられる。  徳川家康の祖父清康と父広忠は、共に家臣の反乱によって殺害され、家康の嫡男 信康も織田信長に謀反を疑われ、死罪と成った際に使われた刀もそれぞれ村正である。 「話がそれたな。おまえら、一人は刑事のようだが、娘の方は……陰陽師か?」 「その通りよ」 「なるほどな。で、どうするつもりだ?」 「その刀、七星剣を返しなさい」 「せっかく手に入れたものを、返せと言われて返す馬鹿はいない」  至極当然な反応である。 其の廿参 剣を交える  しばらくありふれた問答が続いたが、 「この場所へおまえらを呼び寄せたのは何故だか分かるか?」  と、先に切り出したのは石上だった。  この場所、板蓋宮跡は蘇我入鹿が惨殺された所である。  伝承では、斬首された首が数百メートル先へ飛んでいったとか、村人を襲ったと かとかで首塚が作られているのであるが……。  「さらし首」なという見せしめは、武家社会になってからであり、貴族社会であ った当時なら、野外に遺体ともども打ち捨てられたものと思われる。  ならば……。 「蘇我入鹿か?」  当然の反問である。 「見るがいい」  というと、七星剣を上段に構えたかと思うと、えいやっとばかりに地面に突き刺 した。  地面から稲光が放射状に光ったかと思うと、無数の魑魅魍魎(ちみもうりょう) が湧き出てきた。  石上がさらに右手を水平にかざすと、手のひらから、霊光(オーラ)のようなも のが地面へと伸びていく。  その地面が盛り上がりを見せたかと思うと、何かが土中より出現した。  それはゆっくりと上昇して、石上の手の上に。  骸骨だった。 「蘇我入鹿の首だよ」  おどろおどろしいオーラを発しているその首を差し出しながら、 「入鹿の首と、怨念の籠った七星剣、入鹿が討ち取られた板蓋宮跡。そして時刻は 鬼が這い出る丑三つ時。道具はすべて揃った」 「何をするつもりだ?」 「知れたことよ」  と言いながら地に突き刺した七星剣を抜いて、天に向けて捧げた。  凄まじい気の流れが怒涛の様に周囲に広がり、闇の中から無数の怨霊が沸き出し、 奈良の街中へと拡散していった。  毒気を含んだ黒い霧が流れ出し、道行く人々が次々と倒れてゆく。  街中に溢れ出した怨霊は、至る所で災いを巻き起こし、人々を渦中に引きずり込 んでいく。  台所のコンロが自然点火して火事となり、交差点信号が誤作動を起こして交通事 故があちらこちらで発生する。  板蓋宮跡にいる蘭子達からも、街や村が火に包まれていくのを目の当たりにする こととなった。 「問答無用ということですね」  竹刀鞘袋から布都御魂を静かに引き抜く蘭子。 「そういうことらしいな」  石上も入鹿の首を地面に置いて、七星剣を構える。  蘭子が石上に向かって布都御魂を振りかざす。  もちろん生殺しないように、当身を狙ってである。  だが、いとも簡単に受け止められてしまう。 「おまえが剣道の猛者ということは知っている。だが、自分も四段の腕前でね」  鉄と鉄が交差する度に火花が飛び、瞬間暗闇を照らす。  井上課長は思う。  貴重な文化財を使って、チャンバラとは!  しかし、心配はご無用。  どちらも怨霊の籠った霊剣である。  そうは簡単に折れたりはしなかった。 「なるほど『霊験あらたか』ということか」  納得する井上課長であった。 其の廿肆 魔人登場  手に汗握る戦いであったが、若さと柔軟さに勝る蘭子が押していた。  とはいえ、少しでも気を抜くと致命傷を受ける真剣勝負なのだ。  相手を傷つけることをも躊躇してはいけない。  切っ先を合わせること数十回、ついに決着が着いた。  石上が大上段から振り下ろす剣を見切り、その剣を弾き飛ばした。  空中を舞いながら井上課長の足元に突き刺さる七星剣。  井上課長が拾おうとするが、 「だめ!触らないでください!」  蘭子の警告に手を引っ込める。  怨霊の籠った剣に触れば、憑りつかれる可能性があるからだ。 「ふ……。さすが剣道の達人だな」  切っ先を交わした際に傷ついたのであろう、右手から血を流していた。 「観念しろ石上」  井上課長が拳銃を構えて投降を呼びかける。  石上は後ずさりしながら、入鹿の首の所まで戻った。 「まだ終わったわけではない。これからが本番よ」  というと、懐から短刀を取り出して、傷ついた右腕をさらに切り刻んだ。  ボタボタと滴り落ちる鮮血が、足元の入鹿の首に注がれる。 「入鹿よ我に力を与えたまえ!」 「課長!撃ってください!」  蘭子が慌てたように叫んだ。  何がなんだか分からない井上課長。 「何のための拳銃ですか!早く撃って!」  拳銃は所持していても、必要最低限の条件と緊急性がなければ、発砲などできな い警察官の性がトリガーを引くのを躊躇わせた。  どんなに悪人でも、日本警察は容易く撃たないよう訓示されている。  そうこうするうちに、入鹿の首からオーラが発して、石上直弘の身体を取り囲んだ。  見る間に、その身体がおどろおどろしい姿へと変身してゆく。 「魔人か!」  蘇我入鹿の怨霊どころではない!  紛れもなく魔人が本性を現したのである。  ズギューン!  井上課長が発砲する。  しかし、もはや拳銃などでは歯が立たなくなっていた。  人間の姿でいる間に撃てば、あるいはという状況ではあったが、時すでに遅し。  魔人が相手では、拳銃だろうと布都御魂であろうと太刀打ちできない。  どうやら魔人が蘇我入鹿をして石上直弘を操っていたのだろう。 「課長。布都御魂を預かってください」  と霊剣を手渡す。 「どうするつもりだ?」 「霊には霊、魔には魔です」  おもむろに懐から御守懐剣を取り出す。  御守懐剣「長曾祢虎徹」には、魔人が封じ込まれている。  魔人を呼び出して戦わせようというわけだ。  魔人を召喚するには、本来長い呪文が必要なのであるが、それは最初の時の場合 であって、契約を交わした魔人との間には、急を要する時のための短縮呪文が存在 する。  双方が納得して取り決められれば、どんな作法となっても問題ない。  蘭子の御守懐剣「長曾祢虎徹」に封じられた魔人の場合は、剣を鞘から抜き、 「虎徹よ、我に従え!」  と、唱えれば召喚が成立する。  とはいっても、虎徹に宿った魔人には姿形はなくオーラそのもの。  いわゆるエネルギー体のような存在である。  アーサー王伝説に登場する「エクスカリバー」と言えば分かりやすいだろう。 其の廿伍 血の契約  時を遡ること数か月前。  板蓋宮跡を訪れる一人の青年がいた。  石上直弘というその青年は、ごくありふれた平凡なサラリーマンに過ぎず、日々 の生活にも困窮する時もあった。  ある日、インターネットで探し物をしていた時に、『刀剣乱舞-ONELINE』という 京都国立博物館で開催される刀剣展示の催しが目に留まった。 「刀剣乱舞か……」  多種多様な刀剣類に意志が宿って、擬人化されたキャラクターが主人のために悪 と戦うという設定だが。  アニメの刀剣乱舞はともかくも、歴史上最も有名なものは、日本書紀にも記述が ある須佐之男命が出雲の国を荒らしまわっていたヤマタノオロチを退治したと言わ れる『天羽々斬剣(あめのははきり)』別名『天十拳剣(あめのとつかのつる ぎ)』であろう。  その霊剣は当初、備前国赤坂郡(岡山県赤磐市)の石上布都神社に祀られていた が、崇神天皇の代に奈良の石上神宮に移された。石上神宮では、その天羽々斬剣を 布都御魂と名を変えて奉っている。 「石上神宮か……」  石上(いそのかみ)という独特な読み名に興味を持った彼は、自分が物部氏に繋 がっているかも知れないと、自分の戸籍を調べ始めた。いわゆるルーツ探しである。  探していくうちに、とある旧家にたどり着き、保管されていた石上家の家系図に 巡り合えたのである。  そして自分が、正しく物部氏に繋がることを発見した。 石上家の系譜  物部氏の後裔であることを知った彼は、歴史探訪の旅に出ることを思い立ったのだ。  そして、こうして板蓋宮跡の地を訪れたのである。  見渡す限りの水田ばかりの風景が広がる。 「何もないな、ここで蘇我入鹿が惨殺されたとは、想像すらできない温和な風景だ」  かつての自分の祖先である物部守屋が蘇我氏の一団によって暗殺され、今度は蘇 我入鹿も中臣鎌足によって、天皇の御前で惨殺されるという血で血を洗う抗争のあ った宿命の地であったのだが。 「見るものもないな」  数枚の写真を撮って帰ろうとした時だった。 『そのまま帰っていいのか?』  背後から声がした。  振り返ってみるが誰もおらず、殺伐とした田園風景が広がっているばかり。  しかし、声は続いている。 『力が欲しいとは思わぬか?』 「力?」 『おぬしが望むなら、ありとあらゆる力を与えることができる』  どうやら直接、自分の脳裏に語り掛けているようだった。 『その力を使えば、今の生活から抜け出すこともできる。金がないのだろう?金が 欲しければいくらでも手に入るようになる』 「どうすればいい?」  思わず姿なき声の主に問いかける石上。 『簡単なことだ』  すると、足元の大地が盛り上がってきて、地中から何かが出現した。  髑髏(どくろ)だった。 『血の契約をしなければならない』 「血の契約?」 『そうだ。おぬしの血を髑髏に注ぎ込むのだ』 「血を注ぐというのか?」 『それが魔人との契約の証だからだ』 「魔人?魔人だというのか!?」 『その通り。信じるも信じないも、おぬし次第だがな。さて、どうする?』 「一つ確認したい」 『なんだ?』 「ほんとうに、ありとあらゆる力を与えてくれるのだな?』 『いかにも』 「分かった。その契約とやらをしよう」 『その前に、もう一つ必要なものがある』 「もう一つ?」 『入鹿の首を落とした「七星剣」を手に入れることだ。それには入鹿の怨念が籠っ ているのだ。術式には是が非でも手に入れねばならぬ』 「七星剣?」 『それは四天王寺にある』 「東京国立博物館に寄託されているはずだが?」 『もう一つあるのだ。物事には必ず表と裏があるように、裏の七星剣があるのだ』 「裏の七星剣……」 『裏の七星剣は、四天王寺の宝物庫の地下施設に呪法に守られて、厳重に保管され ている。手に入れるには仲間が必要だ。仲間を見つけろ』 「仲間といっても」 『七星剣を目覚めさせるには、血を吸わせることが必要だ。いずれその仲間も必要 としなくなる。最初の犠牲者には最適だろう』 「仲間を斬るのか?」 「所詮足手まといになるのが関の山だ。斬って捨てるのだな』  考え込む石上。 『それでは血の契約の儀式を始めようか』 其の廿陸 魔人対決  蘭子と魔人のバトルに戻る。  魔人に対して、長曾祢虎徹を構える蘭子。 『ほほう。使い魔を従えていたとはな』  魔人が初めて口を開いた。 「この剣の本性が見えるの?」 『儂に勝てるかな?』 「やってみなければ分からない」 『ならば、かかって来るがよい!』  誘われるように、八相の構えを取る蘭子。  左上段の構えから、剣を下ろし、鍔(つば)が口元に位置し、左手は身体の中心、 剣は45度傾けて、刃を相手に向けた構えである。長期戦に備えて、無駄な体力を 消耗しない態勢である。 「いざ、参らん」  地面を蹴って、えいやっとばかりに切りかかる蘭子。 「やった!真っ二つだ」  井上課長が小躍りする。  見事に魔人を両断したかと思った瞬間、魔人は霧のように消え去った。 「なに!消えた?」  きょろきょろと周りを見回す井上課長。 「後ろだ!」  蘭子の背後に姿を現す魔人。  反転して、再び剣を振る蘭子。  しかし、今度も剣は宙を舞うだけだった。  姿を現しては、また消えるを繰り返す魔人。  斬りかかっても、斬りかかっても、剣は宙を舞うだけだ。 『どうした、先ほどの威勢は虚勢だったのか?』 (おかしい……手ごたえがない)  冷静になって雑念を払い魔人の気配を探す。 (相手が目に見えるからいけないのよ)  静かに目を閉じて意識を研ぎ澄ます。  ゆっくりと周囲を精神感応で魔人の気配を探す。  とある一点、凄まじい気の流れを感じて目を開けると、蘇我入鹿の首が怪しく輝 いている。 「分かったわ、本体はそこよ!」  蘭子は、虎徹を入鹿の首に投げつけた。  それは見事突き刺さる。 『ぐああっ!』  悲鳴のようなうめき声を上げる魔人。  とともに、目の前の姿が消え去った。  どうやら幻影と戦わされていたようだ。  髑髏から靄のようなものが沸き上がり、魔人本体が姿を現した。  すかさず駆け寄って、虎徹を引き抜き、本体に斬りかかる。 『お、おのれえ!』  今度はダメージを与えたようであった。  さらなる追撃を掛ける蘭子。  虎徹を握りしめ精神集中すると、剣先がまばゆいばかりのオーラを発しはじめる。 「いけえ!」  全身全霊を込めて剣を振るうと、オーラが怒涛のように魔人に襲い掛かった。  オーラが魔人の全身を覆いつくす。 『ぐ、ぐあああ』  断末魔の声を上げながら、消えゆく魔人。  後には、放心したような石上直弘がゆらりと佇んでいた。  次の瞬間。  その眉間に弾丸が突き刺さり血飛沫を上げる。  先ほど井上課長が撃った拳銃の弾が、今更にして命中したというところだ。  どうやら、石上の周りが時空変異を起こしていたようだ。  どうっと地面に倒れる石上。  蠢(うごめ)いていた魑魅魍魎も地に戻っていき、姿を消してゆく。  やがて静寂の闇が辺り一面を覆う。 「終わったのか?」  井上課長が尋ねる。 「ええ、終わりました。彼は?」 「死んでいるよ」 「そうですか、助けたかったですね」  魔人と血の契約を交わした者は、魔人が倒れれば自身も倒れる。  悲しい現実である。 其の廿漆 大団円  戦いは終わった。  石上直弘と魔人は倒したものの、街中に広がった怨霊達が残っていた。  各所で燃え上がる火災、火の粉が風に乗ってここまで飛んできていた。  見つめる蘭子の頬をほのかに赤く照らす。 「課長。布都御魂を返していただけますか」 「ああ、わかった。ほれ」  預かっていた布都御魂を蘭子に返す井上課長。 「ありがとうございました。さてと……、これからが大変です」 「どうするつもりだ?」 「これを使います」  と、布都御魂を示した。 「布都御魂?」 「ただチャンバラをするためだけに、託宣されたと思いますか?」  頬笑みを浮かべながら、儀式の準備を始めた。  まずは地面に突き刺さっている七星剣を、布都御魂と刃を重ね合わせるようにし て引き抜く。  七星剣を単独で扱うと、祟られる可能性があるからである。布都御魂の神通力を もって、それを押さえつけるのだ。  二つの刀を捧げ持ち、板蓋宮跡の中心部にある「大井戸」と推定されている窪み に入り屈み込んで、その縁に刀を安置した。 板蓋宮跡  両手を合わせて祈るように、眼を閉じて静かに大祓詞の詠唱をはじめる。 大祓詞全文資料によっては、文言の異なる祝詞が多数存在します。  井上課長も手を合わせ、目を閉じて祈っていた。  災禍によって命を失った人々はもちろんのこと、石上直弘に対しても憐れみを持 って。  やがて布都御魂剣と七星剣が輝きだし、光は四方八方に広がってゆく。  それとともに町中の怨霊達が、引き寄せられるように集まってくる。  そして布都御魂に吸い込まれるように消えてゆく。  声を掛けようとした井上課長であるが、一心不乱に祝詞を唱える蘭子に躊躇を余 儀なくされた。実際にも、精神集中している蘭子には、声は届かないだろうが。  最後の祝詞が詠唱される。 「……今日の夕日の降の、大祓いに祓へ給ひ清め給ふ事を、諸々聞食せと宣る」  パンッ!  と手を叩いて手を合わせて、しばらく黙祷。  静かに目を開き、深呼吸する蘭子。  辺り一面の怨霊達は姿を消し、平穏無事な世界が広がっていた。  ゆっくりと立ち上がって、井上課長のもとに歩み寄る蘭子。 「終わりました」 「そうか……お疲れ様」  携帯を取り出して、奈良県警の綿貫警視に連絡をとる井上課長。  押っ取り刀で駆け付けた奈良県警の現場検証が始まる。  石上直弘の遺体の写真撮影、遺留品の回収など手っ取り早く進められてゆく。  事情聴取には、井上課長が詳細な報告を伝えていた。 「時間も遅いですから、詳しいことは明日にしましょう」  女子高生である蘭子に配慮して聴取は切り上げられた。  旅館に戻った二人。 「証拠物件として、これが取り上げられなくて良かったです」  と、竹刀鞘袋に納められた二振りの剣。  七星剣と布都御魂。 「綿貫警視が骨折ってくれたからな」  怨念が籠っているから、一般人が触ると呪われる。  蘇我入鹿の怨霊事件が再び繰り返し起こしたいのか?  そうやって脅しをかけて強引に、陰陽師である蘭子に、刀剣の所持を継続許可し たのである。  布都御魂を元の地に返すために、石上神宮禁足地へと戻ってきた蘭子。  布都姫が現れた。 「ありがとうございました」  蘭子がお礼を述べると、軽く頷くような素振りを見せて、静かに消え去った。  足元の地面を掘り起こし、元の様に「布都御魂」を埋め戻してゆく。  手を合わせて静かに黙祷する。  禁足地の外では、井上課長が、蘭子の帰りを待っていた。  やがて戻ってきた蘭子に話しかける。 「本物の布都御魂かも知れないのに埋め戻すのかね」 「何百年間もの長い年月、人知れず眠っていたのです。元の場所でそっと静かに眠 らせてあげましょう」 「そういうものかねえ……」 「御神体がいくつもあったら、有難さも薄れるじゃないですか」 「それはそうですけどね……」  その後、拝殿に参拝して神に事件報告する蘭子。  神様のお告げで布都御魂を授けられたのであり、お礼参りするのは当然。 「明美も刀剣に興味を持たなければ、事件に巻き込まれなかったのに」  空を仰ぎながら、一粒の涙を流す蘭子だった。  社務所で談話する奈良県警の綿貫警視と宮司。 「布都御魂を埋め戻して良かったのでしょうか?あちらが本物かも知れないのに」 「あちらの方は、蘭子さんが神のお告げで授かったものです。同様に埋め戻せとい うお告げがあったのでしょう。今でも禁足地を掘ってみれば、刀剣類がいくらでも 出てくるでしょう」 「またぞろですか?」 「そうです。真偽のほどは神様にしか分かりません。悩んでみたところで仕方なし、 伝承にいう剣と思しきものが出土した。我々は、それを布都御魂と信じて奉るしか ないのです」  傍らには、宮司らの手によって除霊されたばかりの「七星剣」が置かれている。  翌日の四天王寺宝物殿。  井上課長と土御門春代、そして四天王寺住職が秘密の地下施設扉前に揃っていた。  開錠の呪文で封印を解いて、開いた扉から入館する一同。  七星剣を元の刀掛台に戻して、改めて拝礼する住職。 「戻ってきて良かったです。それもこれも蘭子ちゃんのお陰です」  向き直ってお礼を言うと、 「取り戻したとはいえ、多くの人々の尊い命が失われました」  春代が悲しげに答えた。 「はい。重々心に刻んで、弔うことにしましょう」  宝物殿を退出して、再び呪法で密封する住職。  井上課長が告げる。 「今回の事件に際して、七星剣のことは闇に封じます。科学捜査が基本の現在の警 察事情では、怨霊や魔人による犯罪だった……なんて公表できませんからね。裏と はいえ、これも立派な国宝の一つでもあるし。証拠物件として提出わけにもいかな いし」 「ご配慮ありがとうございました」  四天王寺境内を歩きながら、 「蘭子ちゃんに会いたかったですな」 「高校生ですから、授業中です」 「そうでしたな」  阿倍野女子高等学校、1年3組の教室。  静かな教室内に、教師の教鞭の声とノートに書き写すペンの音。  窓際の机に座りながら、外を眺めている蘭子。  吹き渡るそよ風が、その長いしなやかな髪をかき乱してゆく。  一つの事件は解決したが、蘭子の【人にあらざる者】との戦いはこれからも続く。 蘇我入鹿の怨霊 了

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