梓の非日常/終章・生命科学研究所
(十四)脱出の時  長い話が終わった。  いや実際にはそんなに時間は長くはなかったのだろうが、突拍子もない梓の説明を 理解しながら聞くのに手間どり長く感じたのである。 「だから見捨てるわけにはいかないのよ」 「そうか……そうだったのか。それで、この人にこだわっていたのか……。何度もこ の人に会いにきていたのはそのためだったのか」 「そうよ。わたしは、この浩二君の意識を移植されて生き返ったのよ。だから、わた しの意識の中には浩二君である部分も少し存在しているのよ」 「そうか……梓ちゃんに、どことなく男っぽいところがあったのは、そのせいなの か」 「そうなのよ。だから、この浩二君は分身なのよ。見捨てることはできない。あたし だけが助かるなんてできないのよ」 「そうは言ってもな。実際問題として、一人でも生きる可能性があるなら、それに掛 けるのはいいじゃないか。そのために犠牲になるのなら、この人も本望じゃないのか な。梓ちゃんを危機から救ってくれたのも、この人の性分だと思う。言ってたよ、 『女の子には優しく、時には守ってやるくらいの気概がなくてはいかんぞ。それが本 当の男。男の中の男というもんだ』ってね」 「でも……」  いつまでも踏ん切りつかない梓。  だがその背景には、梓が入ったカプセルを誰が運び出すかという問題があった。  口には出さないが、判りきったことである。 「すまん!」  と言うと梓に当身を入れる慎二。 「ううっ、し・ん・じ・く・ん……」  そのまま気絶する梓。 「悪いな、梓ちゃん。これ以上、議論している時間がないんだ」  言いながら、そろりと床に梓を横たえてから、冷凍睡眠カプセルに向かう慎二。  操作パネルをじっと眺めて開閉ボタンを探し出す。 「これかな……」  ボタンをぷちっと押すと、  ぷしゅー!  空気が抜ける音と共に、カプセルの蓋が開いた。 「長岡さん……。あなたにも、わかってもらえますよね」  というと、その凍った身体を引きずり出した。 「さすがに冷たいな」  床に横たえて、手を合わせる慎二。 「すみません長岡さん。これしか方法がないんです」  立ち上がると、次の手順に入った。 「外れると思うんだが……」  冷凍睡眠カプセルに繋がったケーブル類や、土台に固定している器具を取り外し始 めた。  そして力を込めてカプセルを引き剥がしにかかった。  外壁についた露が凍っていて、カプセルはなかなか土台から離れなかったが、渾身 の力を入れるとついにそれは動いた。 「よし。次はっと……」  慎二は患者を運ぶ移送ベッドを持ってくると、そのカプセルをベッドの上に乗せた。 かなり重くて苦労したが、何とか引きずるようにして移し変えた。  そして床に気絶して横たわっている梓を、やさしく抱きかかえるとカプセルにそっ と横たえた。  童話の眠り姫のように美しいその姿。  それが醜く焼け爛れていく様を見たくはなかった。 「俺はどうなってもいいが、梓ちゃんには無事な姿で生きていて欲しいんだ」  そういうと、酸素を供給する酸素ボンベのバルブを少し開けて梓の脇に置き、静か にカプセルの蓋を閉める。  さらに透明なガラス面から熱赤外線が入り込まないように上に手近な覆い布を被せ て水をたっぷりと含ませる。 「さて、準備は整った……。問題は通路にも火が回っているかだな……」  階段にたどり着くまでが勝負だった。  床は平面で、移送ベッドを転がしていけるが、この重いカプセルを抱えて階段を昇 ることは不可能だ。そうなると、カプセルから梓を出して抱えていかなければならな い。もし火が階段から先まで延焼していたら万事休すだ。 「しかしやるしかないな」  一分一秒、時間の経過と共に火は広がっていく。待ってはいられない。  再び室内にあった水道の蛇口を捻って、体中に水を浴びて濡らし、さらにカプセル の多い布も水を含ませた。 「さて行くか……」  大きく息を吸い込んで、 「なむさん!」  叫ぶと、移送ベッドを力一杯押して炎の中へと飛び込んでいった。
     
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