梓の非日常/序章 新入部員は女の子
(五)お帰りはロールス・ロイス  十数分後。  慎二のまわりに、倒れて身動きしない男達の山が築かれていた。 「邪魔者はかたづいたな。さて、続きをやろうか……」  と慎二が振り向くと、梓はお尻をぺたんと地面につけ、膝から血を流していた。 「いったーい」  膝の傷を見せびらかすように大袈裟に痛がる梓。 「あのなあ、それが数人の男相手に乱闘をやらかした女のする態度か!」  絵利香が駆け寄って、助け船を出した。 「梓ちゃんは、おてんばだけど女の子なのよ。それが血を流しているのに、そんな言 い方ないわよ」 「ちっ。この勝負はまたにしてやるよ。俺は弱った奴は、殴らん」  慎二はくるりと背を向けて立ち去ろうとした。しかし、それを絵利香が制止する。 「ちょっと待ちなさいよ。あなたはそれでも男なの。か弱い女の子が苦しんでいるの に、それを見捨ててあなたは行ってしまうの?」 「こいつのどこが、か弱いんだよ。ここに倒れている男達の半分はこいつが倒したん だぞ」  地面に倒れている男達を指差し、いきまく慎二。 「沢渡君!」  きっと睨みつける絵利香。 「ちっ。俺に、どうしろというんだよ」 「保健室に連れていってあげるくらいしなさいよ」 「わ、わかったよ。ほれ、立てよ」  慎二は梓に手を差し出した。 「あたし、立てない。歩けない」  梓は、首をぷるぷると横に振って、立ち上がることを拒絶した。まるでか弱い女の 子であるかのような演技をしていた。 「あ、あのなあ……」  慎二はしようがねえなあ、といった表情で梓の身体を抱え上げた。  その瞬間、  ……か、軽い……。なんて、軽いんだ……  慎二はあらためて、抱きかかえている梓の身体を見つめた。  およそ腕力とは無縁と思える細い腕には、筋肉のかけらすらついてないように見え る。パンチを繰り出すその腕を支える肩は、なだらかなカーブをして幅も狭く、破壊 力を生み出すにはほど遠い。肩から下の骨格もまさしく女性のそれで、男の力強い両 腕で抱きしめられれば、簡単に折れてしまいそうに華奢である。  ……こんなか細い身体で、男達と互角に戦えるなんて信じられない。まさしく技と スピードだけで戦っていたんだ……  慎二の感情に、一種尊敬の念が生まれるのも自然ではなかろうか。  梓の髪からは芳しい香りが漂っていた。  抱きかかえられている梓だが、慎二に悟られないように絵利香に向かってピースサ インを送っていた。 「男なんて、ちょろいもんよ」  とばかりに、笑顔満面の表情で。 「もう、梓ちゃんたら……」  保健室前、治療を終えた梓が出て来る。  廊下のベンチに腰掛けていた慎二が話し掛けて来る。 「教室まで、送ろうか」 「そこまでしてもらわなくてもいいわ。帰りはタクシーで帰ることにしたの。この足 じゃ歩いて帰るの辛いから」 「……タクシーねえ……」  絵利香が言葉にならない呟きをもらした。 「そっか。なら、遠慮なく行かせてもらうぜ」  さっさと背を向き、保健室から立ち去る慎二。 「そっけないのね……」  絵利香がぽそりとつぶやいた。 「はは、そんな男だよ。あいつは」  びっこを引きながら歩きだす梓。 「ちょっと油断したなあ。ほんとは顎を蹴り上げるつもりだったのに、飛んで来るあ たしに驚いて、あいつがうつむいたものだからまともに口の中に入っちゃった。あい つ、歯の四・五本折れたんじゃないかな」 「これに懲りて、ちょっとはおとなしくしなさいよ」 「ははん。無理だね」 「もう……」  放課後。  裏門でタクシーを待っている風の梓と絵利香。 「タクシーが来たわよ。梓ちゃん」  と、絵利香が指差す先からやって来たのは、タクシーならぬ黒塗りのロールス・ロ イスだった。  ロールス・ロイスは、後部座席左側ドアが、立ち止まった梓の前にぴたりとくるよ うに停車した。英国製だから運転席は右側であり、当然として主人席は後部座席左側 と決まっている。  運転席のドアが開いて白い手袋をしたスーツ姿の男が降りてくる。その運転手は、 短いスカートから覗いて見える梓の膝のガーゼに逸早く気がついた。 「お嬢さま! その足はどうなされたのですか?」  心配そうに梓の膝を見つめている。 「ちょっと転んで膝を擦りむいちゃったの」 「大丈夫でございますか」 「心配ないわ、白井さん。それより早く車を出してください」  と言いながら周囲を見渡すようにした。ロールス・ロイスのまわりには、ものめず らしそうに生徒達が集まりつつあったのだ。  英国製、ロールス・ロイス・ファントムY(初期型)。BMWの傘下に入る以前の、 モータリゼーション華やかりし全盛の頃、1960年代往年の名車である。  全長6045mm、全幅2010mm、車高1752mm、全重量2700kg、水冷V8エンジン6230cc。 ロールス・ロイスの方針でエンジン性能は未公表のため不明だが、人の背の高さをも 越えるその巨漢は、周囲を圧倒して、道行く人々の感心を引かずにはおかない。 「そ、そうでしたね」  白井と呼ばれた運転手は、目の前のドアを開けて、梓を乗り込ませた。反対側では、 絵利香が自分でドアを開けて、乗り込んでいる。  二人の乗車とドアロックを確認して、白井はロールス・ロイスを発進させた。 「絵利香ちゃん。今日はうちに泊まっていってよ」 「ん……そうね。そうするわ」 「白井さん。屋敷に直行してください」 「かしこまりました。それから、お嬢さま。遮音シャッター上げますか」 「ええ、お願いします」  白井が運転席の操作盤のスイッチを入れると、運転席側と後部座席の間に設けられ た防音ガラスが、静かにせり上がった。さらに白井は、二人の顔が見えない位置に ルームミラーをずらした。  白井は、梓と絵利香が乗り合わせた時は、必ず遮音シャッターを上げるか尋ねるこ とにしている。女の子同士の会話を気がねなくできるように配慮しているのだった。  梓は、鞄から携帯電話を取り出して、連絡をいれた。車載電話も目の前にあるのだ が、使い慣れている自分の携帯を使っているのだ。 「あ、おばさま、梓です。はい、ごぶさたしてます。絵利香ちゃんですけど、今晩う ちに泊まります。はい、そうです。申し訳ありません。はい、今代わります」  梓は自分の携帯電話を絵利香に手渡した。 「絵利香です。うん、そう。ごめんなさい。はい、それじゃあ」  といって絵利香は、電話を切って梓に返した。 「ふう……あいつ……」  座席に深々と身体を沈めて物思いにふける梓。 「どうしたの、そんな深刻な顔しちゃってさ」 「あの馬鹿な男のこと考えてた」 「沢渡君のこと?」 「なんかさ……昔のあたしに雰囲気が似ているような気がしてさ」 「昔って、梓ちゃんが女の子に生まれ変わる前の?」 「そう、まだ男だった頃のイメージがそっくりなんだ」  序章 了
     
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